第002話:グリース村の異端者
さて、問題のインベントリの腕輪だが、あっさり返してもらえた。
とはいえ、本当の意味であっさりではなかったことは、言うまでもない。
ガウルに連れられてきた村長はあからさまに渋ってきたし、助けた恩義を返せと遠回りに要求してきた。
剣がこちらにある上に、あのグレイウルフの惨状を聞いているのか、高圧的ではなかったが、剣以外で唯一の金目の物であろう腕輪を返せざるをえないことに、苦々しい態度であったのは間違いない。
それが、なぜ素直に返してもらえたかというと……。
「本当によかったの?こんなに貰ってしまって……」
アユムが腕輪から魔法のように出した大量のグレイウルフの肉を見ながら、心配そうにクレアが言う。
目下の村の広場では、村の女衆が総出で調理している。滋養に溢れる魔獣の肉などは貴重品で、基本的に村人の口に入るものではないのだという。そのせいか、女衆は目の色を変えて、調理しているようであった。
「いいんですよ、助けられたのは事実ですから。クレアさんが見つけてくれなければ、どうなっていたことか……」
そう、アユムは剥ぎ取ったグレイウルフの肉の半分を供出することで、村側の譲歩を引き出したのだ。
クレアから聞いた話ではあるが、肉類は基本的に猟師のガウルの成果任せで、村ではそう気軽に食べられないものであるらしく、交渉はアユムが想定していた以上にあっさりまとまった。
そのせいで、思い切り本来の供給源であるガウルに睨まれる羽目になったが、クレアのことですでに些か以上に睨まれているので、誤差の範疇だろうとアユムは腹をくくっていた。
「路銀も禄に持ち合わせていないのでしょう?少しでも残した方が良かったんじゃないかしら?」
クレアが言うには、後一週間ほどで来る行商人に売るか、共に街まで行って売った方がお金になるということであった。
「それはそうなんでしょうが、まあこれも恩返しということで。それに村滞在中、気持ちよく過ごしたいですからね」
とはいうもの、前者もなきにしもあらずだが、アユムのメインは当然後者だ。
グリース村のような閉鎖的な村落において、アユムのような異邦人や旅人というのは基本的に余所者だ。村にとって利益をもたらすならばそれなりに歓迎されるが、そうでなければよくて無視、悪ければ排除すらありえるのだから、できる限り心象をよくしておきたいというのがアユムの狙いだ。
未だ完全な現状把握もままならず、この世界の常識や慣習も不理解な状態なのだから尚更である。この村落にいる内に少しでも情報収集をしておきたい。その為ならば、多少の出費もやむなしとアユムは割り切っていた。
というか、折角の収穫物ではあるが、そもそも現状は換金の伝手がなく、相場どころか貨幣制度すら理解できていないので、他の選択肢がなかっただけとも言うが……。
「あら、中々抜け目がないのね」
「いえ、そうでもないですよ。ただ、何事にも余裕は持っておきたい主義でして……」
「その心構えは立派だわ。まだ若いのに、オバサン感心しちゃうわ」
どこか冗談めかして言うクレアに、アユムはあえて真剣に真顔で返した。
その自虐に含まれた諦観が痛々しくて、どうにも見ていられなかったからだ。
「そんな、クレアさんはまだまだ若いですよ!オバサンなんて、とんでもないです!」
「ふふふ、ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいけれど、この歳で未亡人だなんて、色んな意味でもらい手はないの。特にこういう村ではね」
「そんなこと「あるのよ」……」
即座に否定しようとして、強い口調でそれを遮られる。
そこには、クレアの頑な拒絶の意思が感じられ、アユムは言葉を失う。
「ごめんなさい、そう言ってくれる気持ちは本当に嬉しいわ。でも、いいの。私はこの村であの人を弔って生きていくわ」
「……」
アユムは何も言えず、沈黙するほかなかった。
これ以上踏み込めるほどクレアを知らなかったし、これ以上踏み込む覚悟もなかったからだ。
村の女衆総出の調理が終わったのは夕刻、その夜は盛大な宴となった。
御題目はアユムの歓迎で、主賓もアユムのはずだったが、歓迎のための食材の大半を提供したのもアユムという、なんとも奇妙な宴だ。
案の定、大半の男衆はアユムに興味がないようで目もくれず、食べることや女衆を口説くのに必死だ。極一部の血気盛んな若者が決闘だなんだと騒いだが、僅かにアユムが剣を鞘走らせただけで逃げをうち拍子抜けした。
反面、村の女衆、特に独身の若い娘達は積極的だった。
スキンシップというレベルではない。完全に当ててんのよだ。それどころか、変なところに手を突っ込ませようとする娘までいて、真剣にアユムは危機感を抱いた。
なにせ、全員が全員、獲物に狙いを定めた狩人の如き目をしているのだから、本気で怖かった。それも14か15歳中学生くらいの少女がだ。いくら肉体が若返っているとはいっても、精神年齢三十路には辛いものがあった。生憎とアユムの性癖はノーマルで、ロリコンではないのだから当然だ。
そんなわけで、最初は食べることに集中する振りをしてやり過ごし、満腹になった頃合いで酔った振りをして、アユムは早々に宴を抜け出した。
目指すのは、村外れにあるクレアの家だ。とは言っても、別にクレアに用があるというわけではない。アユムは村滞在中はそこで過ごすように、村長から勧められたからだ。
相応の利益をもたらしたとはいえ、余所者は余所者。なるべく、村の中心部からは離しておきたいのだろうと、アユムは考察していた。
まあ、アユムにとっても悪い話ではなかった。村はずれの方が、他者の目を気にする必要がないからだ。
渡りに船とばかりに、クレアの家の裏のひらけた場所で、剣の修練を行う。
一振り一振り、確かめるように、思い出すようにアユムは剣をゆっくりと振っていく。
慣性で振るうのではなく、純粋な肉体の力で剣閃を確かめる。
「やはり、ゲームのスキルが反映されているのは間違いない」
アユムは検証しながら、そう結論ずける。
グレイウルフと戦った時は、本当に無我夢中で、死にたくない一心で剣を振るったし、愛剣の切れ味が凄まじかったというもあるのだが、それでも無傷というのは異常である。卓越した武技なくしては、到底不可能な芸当だ。少なくとも、幼少の頃に仕込まれて以来、惰性で続けている居合いの素振りしかしていなかった三十路の法律職には、絶対不可能なはずなのだから。
故、そんな不可能を可能にするものがあったとすれば、ゲームで培った最高レベルの『剣術』スキル以外にないと、アユムは判断していた――今の己にはアバター同様の肉体性能があると。
「次は意識的にやれるようにしないと……」
何度も振るう内に、自分の中の歯車が上手く噛み合ってくるような手応えをアユムは感じていた。
振れば振るほどに、その感覚は強くなり、一太刀一太刀が、早く、鋭く、巧くなっていく。
まるで、覚えていた技巧を取り戻していくが如く……。
故、それは油断ではなく、集中しすぎたがための弊害だった。
どれほど剣を振っていたのだろうか、気づけばアユムの体は汗だくで、全身がくまなく熱を発していた。
剣を振るった回数は100から先は覚えていなかった。早くなるのが爽快で、鋭くなるのが嬉しくて、巧くなることが楽しくて、時を忘れて数えるのも馬鹿らしい程に振るったからだ。
それは心地よい疲れであり、熱だった。
それでもやり過ぎた感はあったので、これで最後と納刀し、試していなかった居合いの構えをとる。
アユムの背後でパキンという音がしたのは、そんな時だった。
予期せぬ乱入者の存在を伺わせる音に、極度の集中状態にあったアユムの肉体は劇的に反応した。
素早く振り返りながら鞘走り、一切の遅滞なく相手の首めがけて振り抜こうとして、その相手がクレアであることに気づいて、すんでのところで止めることに成功する。
間一髪、クレアの首筋に刃を突きつけつた状態ではあったが、幸い皮一枚すら斬らずに済んだことに、アユムは心底安堵した。
だが、まあ当然ながら、この状況では何の救いにもならないわけで……。
「!?」
アユムは慌てながらも納刀するが、あまりのことにクレアはペタンと座り込んでしまう。
「す、すいません、クレアさん、大丈夫ですか!」
「……大丈夫といいたところだけど、あまり大丈夫じゃないかもしれないわ」
――そらそうだ。いきなり刃物首筋に突きつけられて平然としている方が怖いわ!
我ながら何という愚問だろうかと、己を責めながらもクレアの状態を確認する。
「本当にすまいません。些か以上に集中し過ぎたました。どうです、立てそうですか?」
「ごめんなさい、腰が抜けたみたい。ちょっと、無理そうだわ」
休ませるべきだろうが、当然ながら地べたでというわけにはいかない。
幸い、クレアの家はすぐそこだ。アユムは自身が運べば問題ないと考えた。
「クレアさん、本当にすいません。後でお叱りはいくらでも受けますので」
「えっ?ちょっと、えっ、えっ?」
アユムは有無を言わせず、クレアをお姫様抱っこで抱え上げる。
おんぶすることも考えたが、本当に腰が抜けたのならば、全身に力が入らないと見るべきなので、不適当。接触面も多いし、避けるべきだと判断したのだ。
「このまま、ベッドまで連れて行きます」
「あ、アユム君、私はだ、大丈夫だから」
クレアが慌てた様子で言うが、アユムは聞く耳を持たずにそのまま運ぶ。
クレアはどうにか抜け出そうと足掻いたようだが、力が入らなかったようで家のドアを開けた時点で観念したようだ。
「はいはい、安静にして下さいね。まあ、やらかした私が言えることじゃないですけど……」
「……もう、意外と強引なのね。ごめんなさい、重かったでしょう?」
ベッドに寝かされたクレアは、どこかふて腐れたように言う。
「いえいえ、羽のように軽かったとは言いませんが、少し軽かったように思います。
ちゃんと食べていますか?」
「心配しなくても、大丈夫。お陰様で、今夜はお腹一杯食べたから」
クレアは冗談めかして笑って言うが、アユムにはそれは誤魔化しにしか見えなかった。
「……今夜の話じゃありません。これまでの話です」
「どうして、そう思うのかしら?」
「もともと違和感はありましたから」
そもそも拾った張本人といえど、成人に達した男と、未亡人とはいえ独身女性と一緒にするところからしておかしかったのだ。クレアの着ているものにはじまり、若くして未亡人というクレアの立ち位置、一件だけ不自然に村外れに建てられた家など、極めつけは女衆総出の共同作業であるにもかかわらず、クレアは参加していなかったことだ――まるで、参加できないかのように。
ここまで積み上げられれば、余所者であるアユムであっても嫌でも気づく。
「クレアさんのこの村での扱いは、余所者である私とほとんど変わらない。なぜですか?」
「本当によく見ているのね……。そこまで見抜かれてしまったのなら、もう黙っている意味はないわね」
声に諦観を滲ませて、クレアは答えた。
「それではやはり?」
「ええ、アユム君の予想通り。私は未だにこの村の一員として認められていないの」
「なぜですか?もう嫁いで何年も経つんでしょう?」
「あの人が生きている内に、私は子を産めなかったから……」
「そんなの、クレアさんのせいじゃないですか!」
「アユム君、こういう閉鎖的な村にとって外部の血を入れると言うことは、婚姻に子を産むことまで含まれるの。子を産んで、本当の意味で村の一員として見られるのよ。
だから、それができなかった以上は、私は村の一員として認められない。分かるかしら」
「なっ、そんな!?」
「誰もがあなたや主人の様に強いわけじゃないわ。この村の中でしか生きていけない人、この村が世界の全ての人だっているわ。そういう人ははこの村で一生を終えるの。
だから、村の秩序維持が全てなのよ」
「言わんとするところは分かりますが、そで貴女が不遇になる理由はないでしょう?」
「いいえ、あるのよ。村長が勧めたガウルさんとの再婚を断って、村の一員になるのを拒否したのは、補からならぬ私自身だから」
なるほど、村側も全く無慈悲で狭量というわけではないようであった。一応、救済として再婚を勧めていたというわけだ。
――まあ、村長が斡旋したんじゃなく、ガウル自身が村長に申し出たんだろうが……。
「……その結果が今の待遇ですか?」
「ええ、あなたももう気づいているでしょう?あなたがここに運ばれた理由を。私があなたの世話をしている理由を」
元の世界でも、閉鎖的な村社会では多々あったことだ。
外部の血を入れる役割をはじめ、汚れ仕事や倦厭される仕事を引き受けたり、いざという時の「生贄の羊」として役割を果たすことを約定して、閉鎖的な村社会において存在を許される異端者。それが今のクレアなのだろう。
「私がクレアさんの所に泊まることになったのは、そういうことですか」
――なるほど、ガウルがあそこまで俺を目の敵にしていたのも、無理はないな。
そら、好きな女のところに、若い男が寝泊まりしたら、平静でいられるはずもないよな。
しかも、村公認、それもそういう関係になることを望まれているのだから、尚更だ。
「ええ、再婚を断り続ける私に、村長も痺れを切らしたのでしょうね。最初にあなたがここに運ばれてきたのは、単純にここが一番近かっただけなのだけど、あなたは望外に優秀過ぎた。血を取り入れる価値があると」
「それじゃあ、今夜群がってきた娘達は……!」
「私からその役目を奪うことを目論んだ家を継げない次女や三女、あるいは村から出ることを望んでいる娘達ね。でも、責めないであげてね。あの娘達も生きていく為に必死なのよ」
アユムがひくほどに、村娘達が積極的であったのも無理はない。
なにせ、彼女達からすれば、人生がかかっているのだから。そりゃ、飢えた野獣の如き目にもなるだろうし、スキンシップも過激になろうと言うものだ。
「ええ、事情は理解しましたし、責めようとは思いませんよ。幸い、うまいこと逃げられましたし」
「ふふふ、本当かしら。若い娘達に囲まれて嬉しかったんじゃないかしら?」
どこか冗談めかして笑うクレアだが、やられたアユムからすればたまったものではないし、笑い事ではない。
「申し訳ありませんが、飢えた野獣の如き目をされてすり寄られても、欠片も嬉しくないですね」
アユムは即答した。
彼は飢えた肉食獣の檻に入れられた草食獣の気分が味わうことが嬉しいとは、微塵も思えなかったからだ。
「あの娘達ったら――もう少し自制するように言っておくべきだったわ」
呆れたように溜息をつくクレアだが、もう手遅れである。今更アユムの印象を変えるのは困難であった。
――うーん、分かってはいたが、どうにも最初から自分が選ばれるとは露程思っていないな。
恐らく今回のアユムの件も他の娘に譲り、再婚話も断り続けて、この村で朽ち果てるのが、クレアの望みなのだろうとアユムはあたりをつける。彼女ははなから希望など抱いておらず、全てを諦めてしまっているようにアユムには思えてならなかった。
というか、アユムにはこういう状態の人の覚えがあった。
(あれは同窓の友人の妹が田舎に嫁いだはいいが、周囲の「子供を」の大合唱でノイローゼになり、最終的に精神を病んで引きこもってしまったんだったか?)
現代日本でも田舎では村社会というのは、確かに存在する。人と人との繋がりが深い一方で、村八分などの悪しき慣習が残っていたりもする。合う人にはとことん合うが、合わない人には害悪にしかならないのが、村社会というものだ。
うまく適応すればよいのだが、クレアのようにすでに失敗している場合は厳しい。村からの救済案も蹴ってしまっているので、はっきり言って拗れきってしまっていると言っていいだろう。でなければ、女衆総出の共同作業からまでつまはじきにされまい。
つまり、クレアは、すでに村八分に合っていると言っても過言ではない。
そして、村八分にあっている人間というのは、すべからく普通の精神状態にない。
件の妹さんも、兄と両親の説得を受けても、頑なに応じようとしなかったし、全てを諦めているかのようであった。最終的に夫である男が動いて、無理矢理田舎を離れた。その為だけに都心のマンションを買ってしまうんだから大した甲斐性である。その際の登記関係でアユムは関わったのだが、明らかに普通の状態ではなかった。元は明るい娘だったというのに、見る影もなかったのだから。
こういう場合、自覚症状がないのがほとんどで、多少強引でも環境を変えてやるのが一番の特効薬だ。
件の妹さんも田舎をでて、都心に引っ越してからはみるみる回復し、一年後にはあっさり妊娠し、田舎でどれだけ望み頑張ってもできなかった子宝にも恵まれたのだから。
クレアも同様である。恐らく夫が生きているか、子供ができていれば、クレアの人柄なら、村の一員となることができただろう。その証拠に、彼女は村の若い女性層とは交流があるようだし、実質的な村八分とはいえ、完全な無視までいっていないのだから。
「決めました」
「えっ、何を決めたのかしら?」
「貴女をこの村から連れ出します」
「何を言っているの。こんなオバサンじゃんなくて、もっと若い娘を連れててあげて。もっと広い世界を見たいと思っている娘はけして少なくないのだから」
「それは無理ですね。私、いや、俺が欲しいのは貴女なのだから」
アユムはあえて敬語を崩して、クレアと真っ正面から目を合わせて言う。
「……冗談はやめて。愛した人の子供も産めず、後は朽ち果てるだけの女なのよ」
クレアは表情を硬くする。そこには確固たる拒絶の意思が垣間見えるようだった。
だが、その拒絶は本物だろうか?ただ、なにもかもを諦めているだけではないだろうか?
「嫌なら逃げてくれて構わない。俺は今から貴女を奪うのだから」
故、アユムは強引にでも連れ出すことにする。
少なくとも、クレアの幸せはこの村にはないことだけは、この短い時間でも確信できたからだ。
「ほ、本気な―――ンッ!?」
どこかありえないものを見るかのようにアユムを見つめ、焦ったように言葉を紡ごうとするクレアの唇を己のそれで塞ぐ。クレアが驚きで目を白黒させているが、アユムはすでに止まる気はなかった。
「年頃の男を寝所に招き入れて、貴女みたいな美人が無事に済むとは思わないことだ」
アユムは一旦唇を離し、呆然としているクレアに宣言するように言うと、再び口づけベッドに押し倒したのだった。