第001話:現状把握と出会い
男が余りに血生臭い夢から目覚めると、そこは見覚えのない天井だった。
少なくとも現代建築ではありえない木造で剥き出しの屋根に、寝かされているとおぼしきベッドも寝心地の悪さ、床で寝るよりはましだろうが、ごわごわするし煎餅布団以下の寝心地だった。
――俺の部屋ではないな
そう確信して身を起こせば、体にかけられた毛布がずり落ちた。
僅かに肌寒さを感じてふと見れば、全裸だった。シャツどころか、下着すら身につけていない。
――WHY?なぜに全裸?
混乱する頭でそんなことを考えるが、何者かの気配を感じて目を向ける。
「良かったわ、目が覚めたのね。ずっと目を覚まさないから、心配したのよ」
そこには、どこか憂いを帯びた陰のある女性が立っていた。年の頃は二十代前半くらいだろう。かなりの美人で、碧の長い髪が美しい。が、その反面、着ている物は不釣り合いにみすぼらしく見えた。
「あの、すいません。ここはどこでしょうか?俺、いえ、私はどうしたんでしょうか?」
男は未だ混乱しながらも、現状把握をするべく尋ねる。
何が何だかわけが分からないが、今はなによりも情報が欲しかったのだ。
「覚えてないの?ここはグリース村、あなたは近隣の森で血まみれの状態で気絶していたのよ。最初に見たときは、死んでいるんじゃないかと思ったくらいよ。ここは私の家で、同行していた猟師のガウルさんがあなたをここまで運んでくれたの」
女性は目を瞬かせながらも、はっきりと答えてくれた。
「そうでしたか……。それはご迷惑をおかけしました」
どうやら、あの血生臭い夢は夢ではなかったらしいと結論ずけながら、内心で深いため息をつく。
あの時男が感じたものは偽りでも何でもなく、現在進行形で現実だった。
(それにしても気絶していたのか。剥ぎ取りまで終わったことで、完全に生命の危機から脱したと判断して一気に気が抜けたのか。で、同時にそれまで棚上げしていた精神的衝撃に一気に襲われ、気を失ったってところかね?)
どうやら、何も感じていなかったわけではなく、ただ現状を受け容れるのに一杯一杯で感覚が麻痺していただけだったのかと男は自己分析しながら、恩人であろう女性に頭を下げた。
「気にしなくていいのよ。手当てしたと言っても、返り血を洗い流したくらいで、あなたの体には傷一つなかったし、ここまで運んだのもガウルさんだもの。
あ、これ着替えよ。あなたの着ていた服は血まみれで、とてもじゃないけど着られないから処分したわ。着古しで悪いけど、これを着てもらえるかしら」
そう言って、差し出されたYシャツとズボンを受け取り、袖に手を通す。肌触りからして、綿ではない。絹でもないし、これは麻だろうか。着古しとは言うが、結構しっかりしたもののようだ。
そんな分析をしながら、ますます現代日本でないという確信を男は深くする。
「申し訳ないです。すぐに自前で用意して、お返ししますから」
(いい年こいたオッサンが気絶して、年下の赤の他人に面倒をかけた挙げ句、服まで世話になるとか、情けないにも程があるからな。)
「いいのよ、若いうちからそんなこと気にしなくても。なんだったらあげるわ。どうせ、もう着る者もいないものだったんだから」
「えっ?」
若い&着る者がいないというところが引っかかり、男は思わず声を漏らした。
「……その服はね、亡き夫のものなのよ」
ずーんと効果音がしそうなレベルで空気が重くなる。もしかしなくても、とんでもない藪蛇だったらしい。男は自身の失言を恥じた。
「すいません、いらぬことを言わせてしまいました」
「ふふふ、そんなに気に病まないで。夫が亡くなったのは、もう二年も前なのよ。いつまでも気に病んでいられないわ」
そう言って笑ってくれる未亡人の女性だが、明らかに陰が増した。口で言うほどには、未だ振り切れていないのだろうと男は感じた。
「それでもです。本当にすいませんでした」
――それにしても、この歳で未亡人だとは婚姻年齢が随分早い。絶対に日本ではないな。
「本当にいいのに……。でも、あなたの誠意は受け取っておくわ。あなた、若いのにしっかりしているのね」
――まただ、若い?俺は彼女より年上の三十路のはず、どういうことだ?
明らかに自身と目の前の女性にある齟齬を疑問に思い、今の自身を確認しようと部屋内を男は見回すが、鏡は見当たらない。
――ならば!
次の瞬間、男の手には愛用の魔剣が握られており、それに何の疑問も抱くことなく、それを少し鞘走らせた。女性が驚愕で絶句したのが目に入るが、彼はそれどころではなかった。
なぜなら、その刃に映ったのは、見慣れた自身の顔ではなかったからだ。
年の頃は、十代後半で16か17くらいだろう。ところどころ、男自身の原型があるが、はっきり言って、ここまで美形では絶対になかったと断言できる。精々が三枚目で、とても二枚目とは言えなかったはずである。
だが、一方でどこかで見たような気もした。それも、それなりに見慣れている顔だと。そこで男は気づいた。
――これはグランスティアーのアバターの顔だ!
グランスティアーのアバターの顔は、基本的に現実の顔を原型に自動生成されるので、男が意図的に二枚目にいじったわけではない。いじりたいなら、課金アイテムが必要なのだが、男はそこまでする必要を感じなかったので、自動生成のままだ。
今の男が、グランスティアーのアバターそのものだと言うのなら、グランスティアーの初期年齢はいじらない限り、グランスティアーにおける成人時、すなわち14歳から始まるから、ゲーム内において三年経過していることから考えれば、肉体年齢は17歳ということになる。目の前の女性からすれば、若いというのは何らおかしくないだろう。
そんなことをつらつらと考えながら、小さくない動揺をしずめていると、慌ただしい足音と共に、ドアが乱暴に開かれた。
「クレアさん、無事か!?」
どこか焦った表情で入ってきたのは、猟師を思わせる格好をした男だった。いや、実際に猟師なのだろう。その背中には弓があり、手には鉈をもち剣呑な空気を醸し出している。
――恐らく、これは
「ガウルさん、どうしたんですか?そんなに慌てて」
女性――クレアさんが、突然の乱入者に目を丸くする。彼女にとっても想定外だったのだろう。
「どうしたもこうしたも、あの小僧が持っていた剣が突然消えちまって――って、テメエどうやってそれを!」
息せき切って走ってきたであろう猟師の男は、未だベッドにいた男を睨み付けた。
(全裸にされていたことでもしかしてとは思ったが、やっぱり身包みを剥がされていたらしいな。
クレアさんは、手当と体を洗うためと言っていたし、実際彼女はそれ以外の他意はなかったのだろうが、この村側は違ったってところだおる。恐らく、今この手にある愛剣をはじめ、金目になりそうなものを検分していたのってところだろう。それが突然消えたんで、慌てて駆けつけたんだろう。そうでなければ、ここまで早く来られはすまい。)
「何を言うかと思えば、これは私の剣です。私の手にあるのは当然だと思いますが、何かまずいことでも?」
「ぐっ!?」
刀剣とはけして安くないものである。まして、男の剣は魔剣だ。
男以外に抜くことはできないので、剣身を見ることはかなわないだろうが、鞘の装飾などで素人でも高く売れるだろうということは予想がつくだろう。言葉に詰まったところ見ると、男の考えた通り村側は取らぬ狸の皮算用をしていたに違いない。
「……村の安全のために村長のところで預かっていた剣が突然消えたんだ。クレアさんに何かあったんじゃないかと思って、慌てて様子を見に来たんだよ!」
悪くない言い訳であった。今の男は間違いなくどこの馬の骨とも分からぬ不審者なのだから、武器を奪っておくのは、安全確保のために理解できる話である。
もっとも、それが通じるのは、奪ったのが武器だけだった時の話であろうが。
「そうですか。ところで、私がしていた腕輪を知りませんか?あれは自体貴重なものですけど、それ以上に祖父の形見なんです。返してもらえませんかね」
形見とか嘘っぱちもいいところだが、男にとってもあれは絶対に返してもらわねば困るものだった。
グランスティアーにおいて最初からアバターに装着されているものにして、装備品に含まれない腕輪。恐らく、あれがインベントリだったのだろうから。狼から剥ぎ取った物も含め、男がゲーム中で稼いだ財産の殆どはその中であろうから。
「……そういえば、確かに綺麗な腕輪をしていたものね。ガウルさん?」
クレアも腕輪のことに思い当たったのか、猟師の男――ガウルに尋ねる。その声には、ガウルの態度に不審なものを感じ取ったのか、詰問する様な響きがあった
「ち、違うんだ、クレアさん。あれも返り血で酷く汚れていたから、洗っておいてやろ「それならば、もう終わっているはずです。すぐに返してあげて下さい」……分かった」
苦しい言い訳を続けようとするガウルだったが、クレアの強い口調に縮こまって要求を受け容れ、尻尾を巻いて逃げ出した。男を憎々しげに一瞥しながら。
その憎悪の眼差しには、折角の臨時収入を不意にされたと言うこと以外の意が含まれているようであった。
――ははーん、なるほどね……そういうことか。
男はガウルの真意にあたりをつける。なんとも分かり易い男だと。
(あの男、クレアさんに懸想しているんだな。そうでなきゃ、こうもあっさり応じないだろう。)
「ごめんなさいね、何分貧しい村なものだから……」
「いえ、お気になさらず。確かにどこの者とも知れぬ輩ですから、警戒は当然かと」
あえて腕輪のことは棚上げして、男は村の行いを肯定する。
クレアにそんな魂胆がなかったのは明らかだし、助けられたのは間違いないのだから。それに当のガウルにだって、運んで貰った恩義があり、村が一時的にとはいえ、余所者を受け容れてくれたということも間違いないのだから。
――まあ、それはさておき、預かったというなら、預かった物は返してもらうが。
「そう言ってもらうと助かるわ。ありがとう」
男の意を汲んだのだろう。クレアは微笑んでそう言った。
――とっ、そういば、未だ自己紹介していなかった……。
「いえいえ、そう言えば未だ名乗っていませんでしたね。ひ――アユム・ヒイラギと申します」
柊歩が本名だが、どうも西洋っぽいし、グランスティアーの名前表記は西洋のそれだっはずなので、言い掛けながらも名乗りを正した。
「こちらこそ、ごめんなさいね。私はクレア・リーズヴェルよ、よろしくね」
今更ながらの自己紹介がおかしかったのか、上品にクスリと微笑むクレアは、アユムの目から見てもとても美しかった。
――あのガウルとかいう猟師が懸想するのも無理はない。
アユムはそう思うのだった。