第018話:呪い返し
とりあえず、呪いの源である剣と鞘に一時的な封印処理を施すことで、アユムはレグスとの面談を終えた。
レグスと話し合った結果、今すぐ病が完治したと言う形をとるのはうまくないという結論に至ったからだ。
レグスの病が完治――呪いから解放されたことを知れば、呪いをしかけた仕掛け人は当然の如く、自身の目論見が外れたことに気づき、逃げてしまうだろうからだ。レグスにとっても許し難く、アユムにとっても野放しにはできない相手だ。断じて逃がすわけにはいかない。
故、レグスには今しばらく病に伏せっていることにしてもらう。うまくすれば、馬鹿がつれるかもしれないからだ。
「そんな感じで、辺境伯の心配はもういらない。しばらくは養生する必要はあるだろうが、命に別状はないだろう」
「そうか、礼を言うぞアユム。よくぞ、レグス様を救ってくれた」
レグスとの一部始終を語り終えたアユムに、ディグルは感極まった様子で深々と頭を下げた。
「ああ、やめてくれ。他ならぬ辺境伯本人からも、散々礼を言われたからな。もう、お腹一杯だ。それでも報いたいというなら、その分報酬をはずんでくれ」
「しかし、よりにもよって呪いか。こうなると、明日辺境伯を見舞う予定の聖騎士の野郎は怪しいな」
辺境伯の安全はすでに確保しているので、レティシアが無事であることを公表し屋敷に戻したのだ。
そして、それが公表されるなり、辺境伯の見舞いを申し出る聖騎士。客観的にはおかしくないのだろうが、色々知りすぎたアユム達からすれば怪しいことこの上なかった。
「そうね、こうなると呪いから解放しようとしたならば、やっぱりそういうことなのよね?」
確認するように、フィーナが問う。
「確かに仕組みさえ気づけば、簡単に解除できるものだが、一つ一つの呪物としては低位なせいで、呪いが力を発揮している時でもないと気づけない代物だ。痛みに喘いでいる時に、注意を割くのは難しい。普通なら、まず気づかないだろうよ。まして、今は俺が呪いを封印処理しているんだからな」
「つまり、迷うことなくそれに気づきやがったら……」
「あいつらは確実に黒ってことね」
「その通り。さあ、うまく連れてくれると良いんだが」
口々に言うガイウスとフィーナに、アユムはとびきり意地の悪い笑みを浮かべて応じるのだった。
ルクシード・ロードベルは、エリートである。
若くして、ヴェルヌス神聖国の聖騎士になり、輝くような金髪と甘いマスクを持つ彼は、両親が高司祭なことも手伝って順風満帆の人生をこれまで送ってきた。
だが、その一方でルクシードは不満であった。
なぜなら、彼の手に入れてきたものは全て、高司祭である両親の賜物だったからだ。宗教国家であるヴェルヌス神聖国は良くも悪くも、高司祭である両親の力は絶大であり、彼個人でどうこうできるものではなかった。
無論、ルクシードとて聖騎士の地位も、身につけている全身鎧と聖剣さえも、自力では手に入れることができないものだとは理解しているから、両親に感謝はしている。
しかし、それでもルクシードの中で一つの想いが燻っていた。彼は渇望していた。
両親の力に頼らず、自分だけのものをてにいれることを。
そして、その契機は程なくまわってきた。
魔獣が大挙して人里に侵入する大災害である侵食期に、隣国の交易都市ラウスにヴェルヌス神聖国からの援軍として行くことになったのだ。
周りが武勲をあげることや、隣国の民を救うために援軍に行くというシチュエーションに酔っているものを尻目にルクシードは覚めていた。この援軍が仕組まれたものであることを、両親から聞いてしっていたが故である。
本来なら間に合っていたはずのリーブラ王家の援軍を裏から手を回して遅らせ、援軍を送ることで恩を売りつつ、リーブラ王家とメイサン辺境伯家の関係に亀裂を入れようと画策したのは、ほかならぬヴェルヌス神聖国なのだから。
両親からすれば、血気にはやる息子を真相を明かすことで冷静にさせるつもりであったのだろうが、結果としてルクシードは完全に腐ってしまった。陰惨な政治劇の舞台裏に華々しい戦果をあげるなどはやっていた己が、急激に愚かしく思えてしまったのだ。
そんなモチベーションであったから、当然ながら大した活躍ができたわけでもなかった。
だが、それでも並よりは上の戦果をあげているあたり、ルクシードが有能である証左であったのだろう。
そんなつまらないはずの軍事行動の意味が一変したのは、援軍に謝意を示すために美姫と名高い『白薔薇姫』ことレティシア・ラウス・メイサンが慰問に訪れたがきっかけだった。そこで、ルクシードは生涯を変える出会いをしたのだ。
端的に言えば、一目惚れである。ただ一度会い、言葉を交わしただけだというのに、ルクシードは完全にレティシアにいかれていた。優れた容姿と恵まれた地位のおかげで、彼は女に不自由などしたことなく、惚れたことなど一度もなかったというのにも関わらずだ。
その日から、ルクシードは人が変わったような戦いぶりを示し、最終的には功二等に賞せられる程の戦果をあげた。それがレティシアを手に入れるためのものであったことは言うまでもないだろう。
帰国してからも、レティシアを手に入れるため、ルクシードは両親を説得することに力を尽くした。
なにせ、彼は一人息子であり、ゆくゆく聖騎士団長に据えて、軍事面でも権力を握るのが両親の目的であったからだ。そんなわけなので、当然ながら両親は難色を示した。
自国の貴族ならいざ知らず、他国の貴族、それも領地持ちの一人娘とくれば婿入りと言うことになる。いくら可愛い息子の願いとはいえ、描いていた未来絵図を破り捨てるどころか、跡取りさえも失うことになるもに頷けるはずもなかった。
だが、ルクシードは諦めず、必死になって両親を説得した。どうしても彼女が欲しいと。今までにない息子の頑迷さと必死さに、ついに両親が折れようとしたその頃だった――レティシアとリーブラの第三王子との縁談の噂が流れたのは。
それを聞いたルクシードは、己とレティシアの仲をメイサン辺境伯とリーブラ王家が引き裂こうとしているのだと考えた。彼の完全な片想いで、想いを告げることさえしていなかったのにも関わらず。
当然ながら、そんな事実はない。ただ単に、メイサン辺境伯であるレグスは勿論、リーブラ王家も座して待つほど間抜けではなかったというだけだ。
レグスは援軍の遅れを中央と離れすぎたことに理由の一端があることを理解していたし、一方でリーブラ王家も援軍の遅れでメイサン辺境伯家との間に亀裂が入ったことは理解していたし、地方を見捨てたと諸侯に見られるのもまずかった。
故、レグスは中央との関係を深めるために、リーブラ王家は関係を修復し地方にも配慮していることを示すために、レティシアと第三王子の縁談をすすめたというのが真相だった。
だが、自身の苦労を徒労とされた逆恨みと初恋の熱に浮かされているルクシードには、そんな当然なことすら理解できなかった。彼は最終的に裏切られたのだと思った。
逆恨みもいいところだし、何がどうしてそうなるかはさっぱり理解できないが、明確な挫折をしたことのないルクシードにとって、初恋が成就しないということは、とてもではないが許容できることではなかったのである。
結果、ルクシードは容易く振り切れた。
両親から付き合いは最小限にしろと言われていた過激派の口車にのり、ほいほいとメイサン辺境伯家乗っ取り計画に与したのだ。
第一段階として、レグスを呪いに侵させる。
第二段階として、レティシアをルクシードに惚れさせるための茶番劇。
第三段階として、レグスの呪いを解き命の恩人として、縁談を勝ちとる。
第一段階は、思いの外うまく行った。大病を患ったことのないレグスは、先の侵食期に親友であった筆頭騎士を失ったせいもあって、精神的に弱くなっていたらしく、あっさり伏せった。
ルクシードはこうもうまくいくとは思っておらず、これなら他のもうまくいくのではと希望を持った。
だが、そうは問屋が卸さなかった。
ルクシードにとって最も重要な第二段階は、予想外の横槍によって失敗した。
それも裏仕事を一手に引き受ける手練れの殉教騎士30騎をあっさり殺せる何かだ。
これによって、肝心要のレティシアの生存すら危ぶまれることになり、事態を重く見たレグスによって出された戒厳令によって彼らの動きは完全に封じられてしまった。
ルクシードはじれにじれた。
なにせ、レティシアが死んでしまったら、乗っ取るどころか、縁談もなくなるので全て終わりであるのだから。レティシアの動向を伝えるはずの内通者も、死んだのか全く連絡がつかない状態であったが故に、余計不安が募った。
しかし、そんな日々も昨日解消された。
レグスの腹心であるディグル・シーバーが、レティシアを連れて帰還したのだ。
これにより、レティシアの生存が確定し、第三段階に移行することが決定された。
内通者の生存が確認できなかったが、大方横槍した何者かに殺されたのだと判断された。
当然、捕縛という最悪の可能性も考慮されたが、どの道大した情報は持っていないので問題はないと判断されたのだ。
「ようやく、ようやくだ」
ルクシードは歓喜していた。
レティシアを自らが助けて惚れさせることはできなかったものの、ようやくレティシアを手に入れるための決定的な一手を打てるのだから。
「父親の命の恩人ともなれば、レティシアも無碍にはできない。まして救われた張本人であるメイサン辺境伯は尚更だ」
そんな風にレティシアを手に入れる未来に思い馳せていたせいだろう。
だから、レグスを見舞った時も特に違和感を感じなかった。聞いていたよりは顔色がよかったが、それは愛娘が無事で安堵したが故だと判断した。
「見舞うことが遅くなって申し訳ありません。ご息女が行方知らずと聞き、八方手を尽くして探していたものですから」
「ロードベル卿の尽力には感謝を。幸い、娘は無事であった。賊に襲われ、さらにそこに何者かが強襲し命からがら逃げ延びたはいいが、シーバー以外の者は殺され、動くに動けなかったらしい」
「そうでございましたか……。ところでご病気は大丈夫なのですか?」
「正直、娘の無事を知るまでは生きた心地がせず、ここまでかとも思っていたのだが、げんきんなものでな。娘が無事と知るや、快方に向かっているようだ」
(馬鹿な、ありえん!これでは呪いから解放しても、とても命の恩人などとは……!)
レグスの想定外の答に、ルクシードは内心で焦る。
なにせ、最後の頼みの綱がきれようとしているのだから、無理もない。
もっとも、実際にはとうにきれているのだが……。
「それは何よりでございます。父親である御身が安泰でなければ、姫も安心して縁談に臨めないでしょうから」
「うむ、その通りだな。それでだな、折角こうして見舞ってくれたのだ。私から話があるのだが、聞いてはくれまいか」
「はっ、謹んで聞かせて頂きます」
ここでルクシードに聞かないという手はない。彼からすれば、是が非でも呪いの症状が出る場面に居合わせて、呪いを解かねばならないのだから。そう言う意味でレグスの話は渡りに船であった。
たとえ、その内容がルクシードの望みと真逆のものであったとしても――。
レグスは語った。今回の縁談の狙いを赤裸々に。本来、部外者まして他国の貴族であるルクシードに話すようなことではないことまで。それが援軍として活躍し、真っ直ぐに求婚してきたルクシードへのせめてもの誠意だと言って。そして、締めくくるように言った。
「そういうわけだから、すまぬが他国の者に娘をやるわけにはいかぬのだ。まして、ロードベル卿は嫡男だ。婿入りなどできようはずもなかろう?」
「そ、それは……」
はっきりと説明され、ようやくルクシードは理解した。最初からこの縁談に己が口を挟める道理はなかったのだと。己の想いが身勝手で逆恨みでしかないことを。
だが、自覚したからと言って、それで退けるようならば、こんな計画にはなから参加するわけがない。
ルクシードは、未だレティシアを欠片も諦めていなかった。
「わk――グオオオオ?!」
諦めさせる為に決定的な言葉を告げようとしたレグスが胸を掻きむしるような仕草をして、悶絶する。
「メイサン辺境伯?!」
それは、ルクシードが待ち望んだ瞬間だった。
故、彼はそのタイミングの良さに、都合の良すぎる展開になんら違和感を覚えなかった。
結局、人は見たいものだけを見るのだ。
「旦那様?!誰か、侍医を呼べ!」
室外で待機していた執事が慌てて飛び込んできて、主の状態を見て叫ぶ。
ルクシードを蚊帳の外にして、完全に大騒ぎになることが確定した。
(最高だ!最高の展開だ!ここで私がメイサン辺境伯を救えば、誰も私とレティシアの縁談に文句をつけられまい!)
内心での歓喜を隠し、呪いの媒体である剣に近づく。
「ロードベル卿、何をされるおつもりですか!」
飾られた剣に近づくルクシードに不審なものを感じ取ったのだろう。執事から警戒の声が飛ぶ。
「黙ってみているがいい!今、私が辺境伯を救おうというのだ」
それに取り合わず、栄光の未来を脳裏に描きながら、ルクシードは剣を抜き放つ。
だが、その瞬間起きたのは、栄光へと繋がるものではなく、彼を急速に侵食する呪いであった。
「ガアアアアアアーーーー?!」
全身を襲う激痛に、ルクシードは叫ばずにはいられなかった。
(馬鹿な、なぜ呪いが私に?!呪いよけを持っている限り、解呪の際のものくらいなら容易く――ガアアアアアアーーーー)
考えても痛みで考えがまとまらない。ただ一つだけ違和感に気づいた。先ほどまで聞こえていた辺境伯の叫び声が聞こえないのだ。
「どうやら、見事に馬鹿が釣れたようだ。残念だよ、ロードベル卿」
見れば、何事もなかったように立ち上がっているレグスの姿があった。
その目には、呪いから解放された感謝ではなく、冷酷な光が宿っていた。
「いかが致しますか?」
「うるさくてかなわん。近侍も含め、まとめて牢にぶち込んでおけ」
痛みに喘ぐルクシードに抗う術はなかった。あっさり捕縛され、呪具諸共牢に入れられた。
そうして、ようやく悟る。自分達の企みがとうに看破されていたことを。