第015話:二人の規格外
「つれないな、そう言わずに相手をしてもらおうか」
アユムは目の前で剣を構える女騎士――レイアを見つめながら、そう言った。
実際問題、彼女は本命ではなく、仲間をあぶり出す為の餌だったのだが、あてが外れてしまった。
というか、アユムからすれば、ガイウスが敗れたのが意外だった。
レイアが三味線を弾いていたのは何となく気づいてはいたが、それでもガイウスに勝てるほどとは思っていなかったのだ。
「悪いが御免だな!」
レイアはそう言うと、間髪入れずに何かを投げた。
「スローイングダガー?!思ったより引き出しが多い!」
アユムはそれを剣で弾くが、騎士らしからぬ攻撃に驚き動きを止めてしまう。
それを余所に、レイアの動きは止まらない。
スローイングダガーを弾くのに、アユムの動きが止まったと見るや、近くの建物に飛び込んだのだ。
アユムからは、まともに逃げても無駄と踏んだ彼女は、あえて建物に入ることで攪乱することを目論んだのだ。
レイアが隠れ家として使っていた廃屋があったように、この区域の建物はすべからく破棄が決まっている。追い詰められても、最悪壁を壊して逃げればいい。破棄予定だけにガタが来ていて脆くなっているし、住民もいないので躊躇う必要もないのだから。
この街の住民であるレイアには土地勘もあり、地の利は完全に彼女にあった。
故、勝てずとも、逃げられる可能性は十分にあるとレイアは踏んでいた。
実際、その判断は正しかった。地元民でもないアユムにとって破棄区画に入り込むのは、迷う危険性が高く、二の足を踏んでしまったことで、レイアの後を追う足が鈍ったのは間違いなかった。そのままなら、彼女は順当に逃げおおせたであろう。
ただ、誤算があったとすれば、それは追跡者に規格外が二人もいたことであった。
「ああ、クソ!悔しい!何よあれ?!インチキよ!」
レイアが飛び出してきた廃屋から、ガイウスとフィーナが姿を現す。
ガイウスはそれなりに手酷くやられたらしく、フィーナの肩を借りていた。
「情けねえまんまとしてやられたぜ。クソ!師匠の言うとおりになるとはな」
フィーナが悔しげに喚き、ガイウスも悔しげに顔を歪めた。
「二人とも、お疲れさん。
すまん、俺もまんまと逃げられたわ」
「ハア?!あんたまで何やってるのよ!」
「よせ、フィー。無様を晒したのは俺達も同じだ」
「ッ!」
ガイウスの指摘に、フィーナは歯噛みする。
実際、彼女としても、あそこまでお膳立てされて、逃げられたのは屈辱の極みだったからだ。
「しかし、分からんな。なんでフィーの拘束が破られたんだ?
あの女が戦巧者だってことは認めるが、流石に力じゃ負けねえ。
四肢を拘束された状態じゃ、俺でもあの拘束から抜け出すのは不可能なんだぜ」
「そうだな、俺も正直抜け出されるとは思っていなかったからな。フィ―ナ、何か心当たりはないのか?」
「……自信はないけど、多分逃げる時に使ってた、あの魔導器らしき灰色のマントが原因だと思うけど」
「灰色のマントの魔導器だと?あの女、そんなものまで用意してやがったのかよ」
「あいつがそれを羽織ったら、目の前にいるのに見失いそうになるくらい、気配が薄くなったわ。多分、羽織るところを見てなかったら、見失っていたと思う」
「なるほど、それは恐らく【隠者のマント】だな」
「アユム、知ってるのか?!」
「ああ、拘束を無効化し隠密を付与するとなれば、間違いないだろう。風自体が無効にされたわけではないんだろう?」
【隠者のマント】
何者にも囚われない隠者の力を秘めたマント
常時拘束無効、<隠れ身>及び<隠密行動>を一定回数(最大10回)発動可能
※一定回数発動後、力を失って消滅する
グランスティアーでのアイテム表記は上記のようなものだった。
レア度で言えばそんなに高くはないが、グランスティアーにおいてはプレイヤーに重宝された装備アイテムだ。その効果は、拘束無効と<隠れ身>と<隠密行動>を使用可能にするというものだ。高性能な装備ではあるが、ST的な補正は一切ないにも関わらずアクセサリ枠を食う上に、効果発動中は移動以外の行動が一切不可能である。何より重要なのは、この装備が消耗品であるということだ。パッシブの拘束無効に制限はないが、アクティブの<隠れ身>と<隠密行動>を一定回数使うと消滅するため、レア度は低い。まあ、それでもいざという時の備えとしては悪くなかったので、プレイヤーに重宝されていたのだが……。
「そのはずよ、まだ風の乙女による監視は有効だし、すぐ破られはしたけど<風の縛め>自体は有効だったから」
「それならば間違いない。拘束状態になったからこそ、【隠者のマント】の効果で抜け出せたんだろう。
それにしても、まだ監視が有効だとは……大したものだな」
前々から薄々理解していたことではあるが、少女の精霊魔法の腕前は尋常のものではないことを事ここに至りアユムは確信するに至っていた。この風の通りがよくない破棄区画で、かつ建物内にいる標的を補足し続けているのだ。明らかに、常人にできることはない。
「……」
フィーナが誤魔化すようにそっぽを向き、ガイウスの視線がきつくなるが、アユムは頓着しなかった。
「で、だ。今もあいつを監視しているなら頼みがあるんだが」
なにせ、アユムはアユムで探られたらまずいどころの話ではない身の上である。荒唐無稽のホラ話扱いされる程度ならばよいが、身元不詳で怪しまれるのは御免被りたいのが、彼の本音であった。
故、話したくないのならば、最初から詮索するつもりなど欠片もないのだ。
「……ハア、あんたも大概変な奴よね。それで何をすればいいの?」
フィーナは、アユムの対応に呆気にとられていたが、溜め息をつくと気を取り直して尋ねた。
「ああ、それはな――」
頼まれたことを聞き、その通りのことをやってのけたフィーナは、次の瞬間起きたことに目を丸くするのだった。
「ふう、どうやら諦めたようだな」
レイアは追跡がないことを確認して、脱力して建物の壁に寄りかかった。
正直なところ、際どいところだった。アユムにはまるで勝てる気がしなかったし、ガイウスも本来なら力量は互角かそれ以上の相手だ。両者共に彼女の芝居に騙され、力量を見誤っていたのが、こうして逃げおおせた理由だろう。
「あの娘が拘束魔法を使ってくれて助かったな」
だが、それよりも最大の危機だったのは、実はフィーナに背後をとられた時であった。
もし、あの時放たれたのが拘束魔法ではなく、攻撃魔法であったなら彼女は為す術なくやられていただろうであろうから。
「偶然で、あんな強力な手札を手に入れるとは、レティもよくよく運が良い」
思えば、あの『白薔薇姫』の異名で呼ばれる少女は、不思議と運が良かった。今回のあの三人もそれだとするならば、なんとも巫山戯た話だ。偶然で正規騎士の小隊クラスの戦力を引き寄せたことになるのだから。
「しかし、ひとまずは私の勝ちだ。ヴェルヌス神聖国が何を企んでいるかは知らないが、私に注意が向けば向くほど動きやすくなるのは間違いないだろうからな。後は、どれほど時間を稼げるかだ」
レイアに内通の話を持ち込んだのはヴェルヌス神聖国だが、具体的に何をしろと言われたわけでもなく、どういう計画なのかも聞いていない。十中八九、縁談のことだとあたりをつけてはいるものの、彼女はフィーナに語ったように仲間などおらず、真実単独であった。
彼女の役割は、レティシアのお忍びの帰還の予定をばらすことを除けば、目を惹きつけるための囮になることだけだ。最悪捕まっても、計画について何も知らないので計画遂行に支障はないという捨て駒だ。
――報酬は、復讐の機会。レイア自身がリーブラ王族を殺める機会を与えることだ。
「連中は言った、必ず機会を用意すると。
ならば私は、少しでも囮としての役割を果たし、時間を稼ぐだけだ」
まんまと嵌められた結果とはいえ、破棄区画に逃げ込めたのは運が良かった。修練や見回りで、通っていたことのあるレイアからすれば、破棄区画は庭のようなものなのだから。地元民でも迂闊に動けば、迷いかねないというのに、追跡者は余所者だ。結果は見るまでもないだろう。実際、アユムは早々に追跡を諦めていたのだから。
「目的のためには逃げるべき時は逃げろ、正道の騎士としての戦い方以外も身につけておけ、か。父上の言うとおりだったな」
思えば迷わず逃げを打てたのも、スローイングダガーを修練していたのも、父からの教えがあったからだ。そうでなければ、自分は退くことを知らず、搦め手に弱い正面からしか戦えない無能な騎士になっていただろうとレイアは思う。今の己の柔軟さは、全て父の教えの賜物だ。
【隠者のマント】も、父が誕生日にプレゼントしてくれたものだ。レイアに搦め手の恐ろしさを教えるための教材として使われ、姿の見えぬ敵に対する警戒や教訓を与えてくれた。
「問題なのはあの男だ。悔しいが、太刀打ちできない。頭もきれるし勘も良い上に、剣の腕でも負けているとはな」
レイアは賊に扮した殉教騎士達の本隊が、アユムによって一太刀のもとに切り捨てられたことを忘れていない。いや、忘れようとしても、目に焼き付いていると言うべきだろう。あの光景は、一騎士として背筋が凍った。
「あれが数をものともしない個、量を圧倒する質か……」
これも父に聞いたことだ。戦場においては、偶にそのような化物が生まれるのだと。
父から聞いた対処法はただ一つ、まともに戦うなであった。
対処法としては、逃げるが最上、攪乱し疲労を待つのが次点、最悪は戦うことだ。
だから、今は逃げに徹する。どうあっても勝てないならそれが最上だ。
囮である己にかかずりあえば、それだけあちらは動きやすくなるのだから。
だが、その目論見は次の瞬間、瓦解することになる。
それは理不尽だった。ありえない現実であった。
レイアの左腕が斬り飛ばされて消滅したのだ。それも建物ごと。
「ガッ?!な、何が……?」
突如、己を襲った理不尽過ぎる出来事に、さしものレイアも動揺を隠せない。
見れば、彼女の左腕があった空間を含む建物の一部が消滅していた。
「時間稼ぎには悪くない手だったが、相手が悪かったな」
そう言って、その消滅した部分から現れたのは、レイアにとって最大最悪の敵だった。
「化物め!」
「それなりに自覚はある。まあ、運が悪かったな」
吐き捨てるように言う女騎士を、双黒の少年は哀れむように見ると、躊躇いなく剣を振り下ろしたのだった。
「あいつ、本気で化物ね。敵じゃなくて本当に助かったわ」
「こればっかりは同感だぜ。まさかこれ程とはな」
フィーナがどこか呆れた様子で言えば、ガイウスも参ったという表情で頷いた。
実際、それだけ目撃した光景は衝撃的だった。
「マナを収束させて、砲撃のように撃ち出すとか、あの飛ばす斬撃といい、どれだけ手札をもっているやら」
アユムがフィーナに頼んだことは、レイアの位置の特定だった。
それをもとに、アユムは剣にマナを収束させて砲撃のように放ったのだ。
そのマナ砲撃はいともあっさりと廃棄区画の建物をぶち抜き、レイアへと繋がる一直線の道を作った。
「フィーの監視があるとはいえ、この中で逃げ回られたら、確かに捕まえるのは骨だったろうがよ……。
だからと言って、建物ごとぶち抜いて直線に道を作るたあ、トンデモネエ野郎だぜ」
そんなことを話している間に、アユムは仕事を終えたらしい。
女騎士を肩に担いで、道を引き返してくる双黒の少年の姿が見えた。
「あ、やっぱり余裕で勝ったのね。女とはいえ、プレートメイル着てる人間を片手で担いでいるあたり、やっぱおかしいけど……うん?何かおかしくない?」
フィーナは、アユムの表情がいつになく焦っているように見えた。
「うん、何がだ?あれ、あいつ、走ってねえか?」
「あ、やっぱりそうよね。でも、行きはともかく帰りまで焦る必要ないでしょ。確保したんだし」
そうこうしてる間にも凄まじい速度で疾走するアユム。背後には土煙がもうもうと上がっていた。
「あの土煙……!そういうことか、俺達も逃げるぞフィー」
「えっ、えっ?」
「ここは破棄区画だ。当然、脆くなっているに決まってる!そこにあいつのトンデモ砲撃だ。すぐには崩壊しなくても、時間がたてばどうなるかは言うまでもねえ!」
話している暇が惜しいと言わんばかりに、フィーナを抱え上げ、脱兎の如く逃げ出す。
「キャア、あ、あんた、いきなり―――ッ!」
突然のガイウスの蛮行に悲鳴をあげて抗議するフィーナだったが、ガイウスの肩越しに見える光景に息をのんだ。
そこではドミノ倒しの如く、連鎖的に建物が崩壊していく光景があったからだ。アユムの背後に上がっていた土煙の正体はこれだったのだ。
「あははは、ちょっとやり過ぎたかな」
「笑っている場合じゃないでしょ、この馬鹿!ちょとどころじゃないわよ、馬鹿!」
いつの間に追いついたのか、ガイウスの隣でそんなことを言うアユムに、フィーナは力量の差とか感じていた畏怖とかいったものを投げ捨て、怒鳴りつけるのだった。