第014話:ある少女の物語
その少女は、騎士の家に生まれた。
騎士と言っても、陪臣で王家の直臣というわけではなかったが、メイサン辺境伯家の筆頭家臣であり、そんじょそこらの直臣よりは余程稼いでいたし、力もあった。
そんな家に生まれたことを、幼ながら彼女は誇りにしていた。
父はメイサン辺境伯の懐刀で、母は従軍神官だった。
両親は少女が生まれたことを大変喜び、目に入れても痛くないほどに可愛がった。
父親などは剣術を仕込む始末で、なまじ少女に才があったため、それはエスカレートしていった。
母親がようやく気づいた頃には、普通の女の子達が好む遊びより、剣の稽古が好きな少女になっていた。
母は嘆いたが、剣を振れば振るほど父に褒めてもらえる少女は全く気にしなかった。
そうして、そのまま少女は成長し、女だてらに剣術を修めているといえる程の腕になっていた。
この頃には、母親は女らしく育てることを完全に諦めており、せめてもの抵抗に礼儀作法を厳しく教え込み、あとは神の教えについて語るのみであった。
程なくして、少女はメイサン辺境伯の目にとまった。
同じ年頃の娘であるということで、学友兼護衛としてちょうどいいと考えられたのだ。
結果、少女は若くして騎士として叙勲を受けることになりった。
両親はこれを大変喜んだ。
特に父親の喜び様は凄まじく、まるで我が事のようであった。
その時、父が言ってくれた「お前は私の誇りだ」と言う言葉を、少女は永遠に忘れない。
幸い、学友兼護衛としての務めはうまくいった。
同年代の同性の友人などほとんどいない少女であったが、母から厳しく教え込まれた礼儀作法が貴族社会では功を奏したのだ。大過なく務めを果たした少女は、主である『白薔薇姫』にあやかって『白薔薇の麗剣』とすら呼ばれるようになっていた。
父親が亡くなったのは、そんな時だった。
侵食期に魔獣の侵入を防ぐため、中隊規模の決死隊を率いて、魔獣の群れに特攻したのだ。
幸いそれは効果を発揮し、援軍が来るまでの時間を稼ぐことに成功した。
だが、当然ながら、少女の父親を含め、決死隊は誰一人戻ってこなかった。
侵食期における死者はけして珍しくなく、少女の父も運悪くそれに名を連ねることになったと言うだけの話であった。
父をはじめとした決死隊の面々は、功一等とされ、街をあげての葬儀が行われた。
そして、少女をはじめとした遺族には、多額の金が支払われた。
そんなもの、何の慰めにもならないというのに……。
最初におかしくなったのは、母親だった。
父を亡くした母は、日に日に正気を失っていき、最終的に神へ祈りを捧げる人形と成り果てた。
最早、少女の言葉にさえ、母は応えてくれない。
そんな母を神殿に預けたその日、少女はあることを聞いてしまう。
リーブラ王家がメイサン辺境伯家の力を削るため、わざと援軍を遅らせたという根も葉もない噂だ。
いわゆる陰謀論であり、信憑性は限りなく低いものであったが、少女はそれを信じた。
なぜなら、少女は憎悪をぶつける対象を探していたからだ。
この時から、それが少女の真実となった。
以来、少女はリーブラ王家への復讐を生きがいにして生きることとなった。
両親の実質的な死亡に続き、第二の転機となったのは、母の親友であったという女神官であった。
彼女は、正気を失った母の世話を積極的にしてくれ、少女にも優しかった。
彼女は、少女が心の均衡を崩していることを見抜いたのか、神にすがってみてはどうかと言った。
それはけして盲信せよということではなく、立ち直るためにいいのではないかという勧めだった。
しかし、少女は再び間違えてしまう。
神の教えにすがれば、思い出すのは母との思い出であり、ひいては幸せな家族の記憶を思い起こした。
そんな日々を過ごす内に、少女はなぜ失うことにったのか考え、怒りを抱く。
リーブラ王家に対する感情は憎悪だったが、これに憤怒が加わったのだ。
最早、少女の感情は拗れきってしまって、取り返しがつかなくなっていた。
故に、その機会があると囁かれた時、少女は迷わずその手をとったのだ。
それが主を裏切り、長年の交友を捨てることであろうとも
代々続いたリビウム家の忠誠を汚し、家をつぶすことになろうとも
――だって、少女にはもう失うものは何もなかったのだから。
「レイア・リビウム、あんたが内通者だ」
目の前で行われているアユムの弾劾にも、少女――レイア・リビウムは感情を揺らすことはなかった。
むしろ、様々なしがらみから解放された思いだった。もう、気位の高い身分にうるさい女騎士を演じる必要はないのだから。
彼女の感情は、とうの昔にすり切れており、今のレイアは怒ることも泣くことさえもないのだ。
「やはり、そうであったか……」
「な、何を言われるのですか?!レイアは私に長年仕えてくれた友であり、守ってくれた騎士です。
彼女が裏切るなんてことありえません!」
分かっていたのだろう、どこか諦観をにじませてディグルとは対照的に、レティシアはありえないと叫んでいた。
「思えばあんたの行動はおかしかった。
絶体絶命の危機に限らず、あんたの態度は変わらなかった。まるで危機ではないことを知っているかのように。本来のことを考えれば、ディグルのオッサンに習うべきところで、あんたはわざと俺達の嫌悪を煽った。気位の高さや平民への見下しが理由かと思っていたが、よくよく考えてみると、あんたの行動は一貫して俺達を遠ざける為のものだった。
そして、決定的だったのは、俺と決裂させるために剣を抜いたことだ。いくら、あんたでも冗談では済まないことが分かっていたはずだ。だというのに、あんたは抜いた。それまで、ディグルのオッサンの命に従って沈黙に徹してきたはずのあんたが。あの時のあんたは衝動的に抜いたように見せていたが、それならばもっと前に抜いてないとおかしい。実際、俺はあんたをわざと煽ってたし、邪魔者扱いしてきたんだからな。つまり、あんたはどうあっても俺達と決裂したかったんだ」
「……それで?」
アユムが指摘する動向のおかしさに、欠片の動揺も見せないレイア。
まるで、全ての感情が抜け落ちかのように無表情なのが、不気味であった。
「分かるだろう?」
アユムは正面を、ガイウスは扉を背中に、レイアを挟み込み、ディグルもまた窓を塞ぐ位置取りをしていた。
それを認識した瞬間、レイアは動いていた。声もなく、主である『白薔薇姫』へと突進する。
「嘘でしょ、レイア!」
「血迷ったか、レイア!」
レティシアが悲痛な叫びをあげ、ディグルがそれを庇うように前に立つ。
が、それこそがレイアの狙いだった。
ディグルが動いたことで、空いた空間を狙い方向転換する。狙いは、最初から窓からの脱出だ。
だが、アユム達も案山子ではない。当然、動いていた。
無理な方向転換で動きが鈍ったところを狙い、アユムは躊躇いなく剣を抜き、投げた。
「ッ!」
死角から迫る剣を、レイアは恐るべき反射神経と勘でかわす。
完全にはかわしきれず、左肩を削られたが、レイアはそれでも止まらない。遅滞なく窓へと走る。
「逃がすかよ!」
そこに横合いからガイウスの両手剣が迫る。どう考えても避けられないタイミングであった。
しかし、それでもレイアは止まらない。鞘ごと剣を両手剣の間に挟み、直撃を避ける。それどころか、吹き飛ばされるのに任せて、窓をぶち破って逃げ出した。
「馬鹿、吹き飛ばす方向を考えろよ!」
「わ、悪い……」
窓から脱出した際、レイアはそんな声を耳にしていたが、足を止めることはない。
本来の彼女は、身分や社会的地位で見下すことなど絶対にしない。魔狩人なれば尚のことだ。彼らは正規の兵士や騎士とは異なる手法や切り札をもっていることがあるからだ。
故、レイアは油断せずに『隠者のマント』を素早く被り、走り続ける。
どこをどう走ったのか、無我夢中でどうにか逃げ延びたレイアは、気づけば隠れ家である取り壊し予定の廃屋に辿り着いていた。
絶体絶命の危機から逃げ延びたことで、脱力して座り込んでしまう。
「まだ、死ぬわけにはいかない!リーブラ王家に一矢報いるまでは死ねない!」
その一念のみで、レイアは生きているのだ。
死ぬのは怖くないが、復讐を果たさずに死ぬことだけはできないのだから。
真実など知らない。
彼女にとってはリーブラ王家のせいで父が死に、そのせいで母まで失ったというのが真実なのだから。
「かすっただけで、これとは……」
レイアは鮮血に染まった左肩を見て、驚愕した。あまりに綺麗すぎる切断面であったからだ。
プレートメイルを纏っていたと言うのに、それごと切断されているのだ。
「あの剣、やはりただの剣ではないか」
剣もそうだが、アユムと名乗った双黒の魔狩人には欠片も勝てる気がしなかった。
レイアが躊躇なく逃げを打ったのは、勝てないと確信していたからだ。
「そうね、あれ魔剣なんだってさ」
レイアの言葉に応えるように、背後から聞こえてはならぬ声が聞こえた。
「?!」
レイアは瞬時に剣をぬいて向き直るが、その時にはすでに手遅れであった。
風によって、彼女の四肢は拘束されており、身動きが止れない。
「悪いけど、こっちは準備万端整って、あんたが気を抜くのを待ってたんだから、し損じたりしないわ」
そう言って、姿を現したのは、燃えるような赤髮をポニーテールにした少女だった。
「おまえは……!」
レイアはここに至り、気づいた。なぜ、この少女――フィーナがあの弾劾の場にいなかったのかを。
「最初から、私が逃げることを見越していたのか?」
「そう。あの二人、単純馬鹿の様で性格悪いでしょ?
あんたを逃げられるように吹き飛ばしたのもわざとだし、あんたが逃げる際に聞いたあの下手くそな芝居を聞かせたのもわざとよ」
「そうか、私はまんまとはめられたというわけか」
「有り体に言えば、そういうこと。あんたが吹き飛ばされた窓の下に、私は潜んでたのよ。
後は、私があなたを見失わずに追跡して、仲間と合流したところでまとめて終わりだったはずだったんだけど……」
「クハハハハ、残念だったな。私は単独だよ。仲間などいない、いるものか!」
その叫びと共に、風の拘束がちぎれ飛んだ。
「ハアーー?!色々、ありえないから!」
四肢を拘束され状態から自力で抜け出すなどとは、夢にも思っていなかっただけに、フィーナは動揺と驚愕で動きを止めてしまう。有り体に言えば、隙だらけであった。
「安心しろ、殺す気はない」
当然、レイアがそれを見逃すはずがない。剣の腹で殴打し、フィーナを吹き飛ばす。
が、感触がおかしかったのに気づく。
「今のは……」
「テメエ、よくもフィーを!」
レイアを追跡してきたのだろう魔狩人――ガイウスが、フィーナがやられたところを見ていたのか、憤怒の表情でレイアを睨み付ける。
「……先に追いついたのはお前の方か、ならば私にも勝機はある」
「俺を舐めるなよ!」
「舐めてなどいない。ただ、私は騎士でおまえが魔狩人だからというだけだ」
激昂するガイウスに、レイアは淡々と応え、強襲した。
その動きはレイアの今までの動きとは、格が違った。
「なっ?!」
少なくとも、ガイウスが想定した実力の遙か上であった。
完全に見誤っていたにもかかわらず、それに反応できたのはひとえにガイウスの勘の良さだった。
首を刈り取られる寸前に、どうにか剣で受け止めることに成功したのだ。
「ほう、流石だな」
素直に感嘆の声を出しながらも、レイアの動きは止まらない。
すんでのところで止められた剣から手を離し、股間をねらって蹴りを放つ。
「ウオッ!」
ガイウスはこれもどうにか防いだが、立て続けの想定外の攻撃に完全に態勢が崩れていた。
それをレイアは見逃さない。素早く拾い上げた剣で手の甲を切りつけ、後退する。
「……テメエ、手を抜いてやがったな!」
両手剣という重量武器を使うが故に、傷は浅くとも手の甲の傷は、武器を使えないという致命的なものであった。まんまとしてやられたガイウスが悔しげに呻く。
「対人戦は、基本的に騙し合いだからな。騙される方が悪い」
レイアはあくまで淡々と語る。
別にガイウスが弱いわけではなし、彼女もそんなことは欠片も思っていない。
だが、騎士は対人戦のプロフェッショナルなのだ。まして、レイアのリビウム家は代々続いた騎士の家であり、蓄積されたそのノウハウは並大抵のものではない。
対して、ガイウスは魔獣狩りのプロフェッショナルの魔狩人だ。
対人戦の経験がないわけではないが、普段からそれを想定して訓練している騎士とでは、圧倒的な差があるのだ。
故、これは当然の帰結であった。
「おまえの負けだ。そこをどけ」
レイアの標的は、最初からただ一人だけだ。フィーナに言ったように、無駄な殺しをするつもりはなかった。
「そんな格好悪いこと、できるかよ!」
瞬時に使えない剣を捨てることを選択したガイウスは、豪腕をもって襲いかかるが、幼少のみぎりより剣を仕込まれ、才ありと評されたレイアの腕は並のものではない。あっさりとかわされ、カウンター気味に剣が奔り、ガイウスを斬り飛ばそうとした。
「やらせない!」
瞬間、レイアは自身の剣の手応えがおかしいことに気づいた。明らかに斬った感触ではなかったのだ。それを証明するかのように、剣は血に濡れていなかった。
「これは先ほどの……そうか、お前の仕業か」
後方に向き直れば、そこにはフィーナの姿があった。埃などで薄汚れてはいるが、その目には確かな闘志が宿っていた。
「あんたの相手は私よ!」
「勇ましいな。生憎だが、私がそれに応じてやる義理はない」
レイアは2対1では分が悪いと、冷徹に計算していたのだ。
それにガイウスを吹き飛ばして脱出路を確保した今、ここでこれ以上戦う理由は彼女にはなかった。
「あ、待ちなさいよ!」
声が追いすがるが、レイアは聞く耳をもたず廃屋から飛び出した。
が、次の瞬間、漆黒の斬撃が彼女を襲った。
「!!」
レイアがそれに当たらずに済んだのは、予め想定していたが故だ。
彼女は、己が内通者であることを見抜いた双黒の魔狩人が、詰めを誤るような甘い相手だっとは思っていなかった。確実に後詰めがあると確信していたのだ。
「よう、また会ったなレイア・リビウム」
それを証明するかのように、レイアの前に魔狩人の割には驚くほど軽装な黒髪黒瞳の少年――アユムが姿を現す。
「私は二度と会いたくなかったがな、アユム・ヒイラギ」
諦観と共にそう返し、レイアは剣を構えた。