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第012話:『悠久の楽園』亭

 扉を開いて中に入ってみると、準備中らしく人気はあまりなかった。

 一階がほぼ丸々食堂兼酒場になっているようで、現代日本人であったアユムの目から見ても、掃除が行き届いており清潔感があった。


 「あらあら、ごめんなさいね。食堂も酒場もまだ準備中なのよ。

 泊まり客の方も、うちは一見さんお断りなのよ。それとも、誰かの紹介かしら?」


 入ってきたアユム達に気づいて、カウンターの奥から一人の女性が近づいてくる。

 碧の長い髪を結っており、その顔はクレアとよく似ていた。クレアの母親ならば、年の頃は少なくとも四十近いであろうに、それを感じさせない若々しさがあった。


 「母さん、この人達は私の紹介なの。お願いできないかしら?」


 クレアがアユムの陰から進み出て、そう言った。


 「クレア、クレアなの?!まあ、大変!あなた、クレアが、クレアが帰ってきましたよ!」


 女性はクレアを見た瞬間、目を丸くすると、驚愕と歓喜を爆発させて叫んだ。

 

 「何だと!クレアが帰ってきたっていうのか?!」


 厨房らしき場所からドタドタと荒々しい足音が聞こえ、ガウルにも負けぬ巨漢の男が姿を現した。

 かなりの威容と迫力で、近くにいたフィーナが思わず後ずさった程であった。


 「父さん、母さん、ただいま帰りました。ごめんなさい、出戻るような情けない娘で」


 「何て馬鹿なことを言うの。ここはあなたの家なんだから、いつでも帰ってきて良いのよ。

 本当に良く帰ってきたわね、クレア」


 目に光るものを浮かべながら、女性がクレアを抱きしめる。


 「ク、クレア、よく帰ってきたなー」

 

 巨漢の男もそれを見つめながら、感極まった様子であった。

 アユムはそんなクレア達を見ながら、クレアを連れ出したことはけして間違いではなかったと思うのだった。





 さて、そんな親子の感動の再会劇だったが、最後に飛び込んできた男性が曲者であった。


 「ね、姉ちゃんが帰ってきたって、本当?!」


 年の頃は今のアユムと同じくらいだが、彼がクレアの弟であるらしい。

 アユムは彼を見た時、なぜか猛烈に嫌な予感に襲われた。


 「ソールも来てくれたの。ただいま、ごめんね、ふがいない姉で」


 「何言ってんだよ、姉ちゃんが謝ることなんてない! 姉ちゃんを残して死んだあいつが悪い!

 だから、俺は反対だったんだ」


 亡き夫の悪口に、クレアが顔を僅かに歪める。

 アユムはクレアをかばうべく前に出ようとしたが、それより前に動く者がいた。


 「ソール、このお馬鹿!なんで、あなたはそう無神経なの!」


 母親であろう女性が、電光石火のスピードで張り倒したのだ。

 我が子に対して、なんとも容赦のない仕打ちで、ソールと言う名の男は突っ伏した。

 見かけによらず、パワフルな女性であった。


 「……そういえば、クレア。お連れさんのことを聞いていなかったわ。魔狩人(ハンター)みたいだけど、紹介してもらえるかしら」


 アユムの方を思わせぶりに見つめながら、女性はそう言った。

 アユムはその視線に全てが見透かされているよう気がして、思わずたじろいだ。


 「ええ、母さん、紹介するわ。こちら、私が帰るのに同行させてもらった行商の護衛を務めてくれた魔狩人(ハンター)のガイウスさんとフィーナちゃん……それにアユム君よ」


 クレアの紹介に合わせて、アユムとガイウス達は黙礼する。

 ここに入って以来、怒濤の展開のせいで蚊帳の外だったので、少し呆然としていたが。


 「私は、この『悠久の楽園』亭の女将を務めるアマンダ、こっちのブスッとした無愛想なのが主人のレファル、そこでのびてる馬鹿息子がソールと言うの。

 娘をここまで守ってくれたことに礼を言います。本当にありがとうございました」


 アマンダは姿勢と言葉を正し、アユム達三人に深々と頭を下げた。

 それは紛う事なき心からの感謝であったが、これに慌てたのはガイウスである。


 「いや、俺は何もしてないというか、俺達はあくまでもマイルの親父の護衛で」


 しどろもどろになりながら慌てるガイウス。

 それが面白くなかったのか、あるいは相棒の情けない姿が我慢ならなかったのか、フィーナが口を挟む。


 「クレアさんを主体となって守っていたのはこいつよ」


 そう言って、アユムの背中を押し出した。


 「まあ、あなたが!やっぱり(・・・・)、そうなのね?」


 アマンダはアユムの手を両手で握り、目を輝かせた。

 ソールの時とは違うが、その輝きに身の危険をアユムは感じた。


 「おい、母さん。そいつがどうしたって言うんだ」


 不機嫌そうにレファルが凄まじい目つきで、アユムを睨み付ける。

 意外に嫉妬深いのかもしれない。


 「ねえ、クレア。あれだけ頑だったあなたがこうして帰ってきたということは、あなたを連れ出してくれた人がいたと言うことでしょう?そして、それはアユムさん、そうじゃないかしら?」


 まるで見ていたかのように言うのは、流石母親と言うべきだろうか。

 クレアはなんとも言えない表情でコクリと頷いた。


 「本当にありがとう。この娘、面倒な娘だったでしょう?

 この街にいる間は、我が家だと思ってくつろいでね。あ、それとも婿入りする?」


 「か、母さん」


 クレアが顔を真っ赤に染めて慌てるが、アマンダは取り合わない。完全にアユムをロックしていた。

 両手で手を握られ、凄まじくいい笑顔をしたアマンダからアユムは逃げられない。


 ――まさか、逃がさない為に?!


 内心で密かに戦慄するアユムを余所に、周囲はヒートアップしていく。


 「ま、待て待て待て!なんで、そんな話になる?!大体、折角帰ってきたのにまたどこかへ行くような口ぶりじゃないか。何より婿入りとはどういうことだ!」


 悪鬼のような形相で、怒鳴り散らすようにレファルが叫ぶ。


 「そ、そうだよ母さん。いきなり、何を言い出すんだよ!」


 いつの間に復活したのか、ソールも地伏したまま顔を上げて言う。


 「えっ?だって、アユムさんは、クレアのいい人でしょう?

 私、何か変なこと言ったかしら?」


 「「な、ナンダッテー!!」」


 アマンダがなんでもないことのように、あっけらかんと言い放ち、その日、一番の怒号と悲痛な叫びが『悠久の楽園』亭に響いたのであった。

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