向日葵
あれは暑い日だったと思う。
鳴り止まないセミの合唱、ギラギラと暴力的な光を放つ太陽、時折流れる風で響く風鈴、そして大きくて飲み込まれそうな入道雲。そんなありふれた夏の日。
僕の季節が消えていった。
「向日葵の花言葉って知ってる?」
絵の具を取り出しては戻して、戻しては他の色を取り出してを繰り返しているソバカスのある彼女は淡々と問う。
「まあ、私は知らないけど。」
さんざん迷って手に取ったのは青色の絵の具、その色は素人にはただの青にしか見えないけど、純粋に綺麗だと思った。遠目から見てもそう思うのだから、きっと絵として完成した時には主役になれる色だ。
でも僕は青色が嫌いだ、深くて底がまるで測れなくて、すべて飲み込む暗い海を連想させて嫌いだ。たとえ明るい青色であろうと僕は受け付けることが出来ない。
しかし、それは個人の話であって客観的にこれは素敵な色だという話だ。
「青い背景に黄色い向日葵はよく映えると思うけどあなたから見てどうかしら?」
矢継ぎ早に問う彼女の顔はあまり変わらない、ほぼ無表情だ。表情筋が固まっているのかと思ってしまうほど彼女は常に表情が変わらない。いや、変えないだけかもしれないが、そこは彼女のみぞ知る所だろう。
「僕は青が嫌いです。」
「なら使わせてもらうわ。」
聞いといてそんな事を言う、でもまあきっと、僕がここで青が好きと言ったら「あらつまんない」と言って青を使うだろうし、普通と言ったら「つまんない男ね」と半笑いで使うだろう。ようは場繋ぎ程度の会話なのだ。いや、会話というのもおこがましい。呼吸するついでなのかもしれない。
「どうして青が嫌いなの?」
少量パレットに青色を出して僕を一瞥することなく彼女は問う。また暇つぶしかと思うと真面目に答えるこのもバカバカしい。ぼくは本を閉じてニコリと笑う。
「世界的に見ても人気の色だから」
もちろんこれは、どっかの科学者やら心理学者やらが結果として公表したもので、嘘でも何でもない。
僕はただ、人気者が嫌いなだけだ。
だって純粋に羨ましいだろ?そこにいるだけでいいなんて、影の努力なんて知ったことっちゃないけど、人気になれるタイミングを与えてくれる神様はずるいと思う。
「それだけ?」
「それだけ」
「あっきれた、つまんない人ね」
「めんどくさいよりはいいんじゃない?」
「めんどくさいって、それじゃあ私がめんどくさいみたいじゃない」
「間違ってないよね?」
「…あなたを全部青色で埋めてやりたい」
思い切り不機嫌を顔で表現して、また真っ白な板に向き合う。
卒業制作として大きなパネルにひとつ絵を書くらしい、まあ何一つ進んでない、御託ばっかり並べているが筆を持たないのが唯一無二の証拠。
スランプとはそういうものらしい。動かしたいけど動かない、動けない、動かしたくない。それは一種のアレルギー反応のようだと。好きなものを嫌いになってしまいそうで怖くもなる、と。
ジッ、と白いキャンパスを見つめる目は熱を帯びているようで、溶けだしてしまいそうだ。
「青色ってね、素敵な色よ」
ポツリ、落としたように発した言葉はきっと僕には関係の無い言葉。彼女の中で何かを落ち着かせたい、そんな気持ちが見えた。
まあ所詮僕はただの高校生男子。夢見がちだし、むしろ夢しか見てないからそれが合っているのかなんて知ったこっちゃなかったりする。要は自己満足だ、僕がそう思えばそうなんだ。
「夏って素敵なのかしら?」
「ん?」
何かをひらめいたように彼女は乱暴に立ち上がり、グイッと僕の胸ぐらをつかんで至近距離で問う。やめてくれ、流石に淡白な人間を自負しているが女子には弱いんだ。
「考えたの、青色って夏らしいなって。でも私青は好きだけど夏は嫌いなの。ぎらぎらして鬱陶しくてうるさくて煩わしくて、それになによりあっつい!そんななつを素敵と思えるのかなって」
「飛躍しすぎでは?」
「想像力が豊かと言って!それでね、夏と青をいっぺんに楽しもうと思うの。協力して、してください、しなさい。」
脅迫まがい、いやこれは間違いなく脅迫だ。まず人に何かを頼む時は人殺しの目つきで胸ぐらを掴まない。
「断ったら?」
「青い絵の具で塗ってやる」
もうこれは、従うしかなさそうだ。
△▼△▼…
連れてこられた場所はプール。
間抜けな水泳部員が扉を占め忘れたのが運の付き、堂々とプールサイドに仁王立ちしている彼女は無駄にさまになっていた。
「ギラギラ、じりじり、ひりひり、夏を表す擬音にキラキラも付け足そう」
そういうやいなや、彼女は僕の手を引き、濡れることも怒られることもすべてを投げ捨てて、プールへと飛び込んだ。
「あっはは!」
ドボン!と大きな音を立ててプールに入った彼女は見たこともない笑顔で笑っている、現在進行形で声高らかに、誇らしげに、歌うように笑っている。
制服が汚れるとか、髪がぐちゃぐちゃになるとか、風邪ひいちゃうとか全部お構いなしに彼女は笑っている。
「夏がこんなに楽しくって輝いていているなんて、ちっとも知らなかったわ!」
両手で掬った水を何度も僕目掛けてかけてくる。遠慮も気遣いも躊躇いもなく思いっきり水を当ててくる。いっそ痛いくらいだ。
「私と貴方だけよ!」
そう言って彼女はプールから1度出て用具室へバケツを取りに行った。きっとまた僕に目掛けて消火活動並に水をかけてくる。
これは人生で初と思われるくらい思い切り怒られるだろうなあと珍しくため息が出た。でも、後悔なんて何も無かったのだ。
「そうだね、僕と君だけだ。」
思い切り楽しもう、後悔なんてしないように、反省は後回しだ。今を楽しんで今日を忘れないように。明日の事は明日でいいのだ、どうせ怒られる時は二人一緒だから怖くない。
重い腰を上げ、僕は彼女へ走り出す。
これは僕と彼女の最初で最後の夏休み。
少しだけ、青が好きになれた。
end
夏は苦手です(´・ω・`)
なんだか切なくなってしまうから。
昔からちょっとだけ苦手でした(´・ω・`)
でも夏、という季節は好きです。
すべてが一瞬で通り過ぎていくようなあの感覚が!
好きか嫌いか、で分けれない季節だったりします(笑)