第九話 サル山と紫陽花
1
「あんた、ゴールデンウィークどっか行くの?」
五月の上旬。ゴールデンウィーク前に高橋が坂倉に尋ねた。慣れた手つきでマネージャーの仕事をする坂倉は、休憩中に話しかけてきた高橋に動じずに答える。
「どこも行かないよ」
「神奈川に行ったりしないんだ。あんたの事だしオトモダチいっぱいいるっしょ」
「いるけど、多分会わないかなぁ」
坂倉が動くと高橋も動く。
去年だったらあり得ない光景だった。
俺はそんな光景を横目に練習メニューを考えていた。目障りになった時用に投げるボールを大量に側に置きながらだ。
「あ、そうだ!」
すると、パタパタと坂倉が小走りでどこかに行く。と思って顔を上げたら俺のところだった。
「ゴールデンウィーク、一緒にどこかに行かない?」
「断る」
何故か、坂倉はまた「あれ?」という表情をした。
だから何でお前は俺が素直に従うと思い込んでんだよ。
「あ、遊びに行こうよ。動物園とか!」
「ガキか。そもそもゴールデンウィークは部活だろ」
高橋を睨むと、高橋は「そうだったっけ?」というような表情で俺の元に来た。
「つっても一日中部活なわけないじゃん? 午後からでも行けるって、動物園」
「行かねぇよ」
嫌な予感がした。このコンビが相手だと、何故か押しが弱くなるからだ。
「なんだそれ、俺も混ぜろよ!」
しまいには原田まで加わって、収集がつけられなくなった。高橋と原田にハナから遠慮はないが、坂倉は女子というのもあって……また俺が折れる事になった。
午前中に部活が終わり、俺たちは動物園に直行する。一旦家に帰る事が出来ればドタキャンしていたが、あいつらはそれを予期していたのか頑なになって俺を引きずった。
「うわぁ、可愛いー!」
主に俺を引きずっていた坂倉はサルを指差して笑った。
原田も高橋も、当然俺もサルのどこが可愛いのかまったく理解出来ない。女子が何でも「可愛い」と言うのは本当らしかった。
「あれ、原田に似てねぇ?」
ガムを膨らませながら高橋が指差した先には、一匹のサルがいた。原田が口よりも手を出す前に、坂倉が身を乗り出して「本当だ! 高橋くんすごい!」と拍手する。
よく見れば本当に原田とそっくりな顔をしていた。
「お前の親、サルだったのか」
「サルじゃねぇよ!」
原田のキレっぷりを無視して、俺は坂倉と高橋に目を向ける。二人は他の部員に似たサルを探す事に夢中になっていた。
「あれは中崎くんっぽくない?」
「確かに。すげー目が似てる」
「あの寝てるおサルさんは茂木くんで……高橋くんは……」
「どれどれぇー?」
坂倉は予想通りはしゃいでいるが、高橋も案外楽しんでいるように見えた。ニヤニヤ顔は相変わらずだが、話すテンションが普段と違う。
「…………」
「えーっと……」
「ぶははっ! やっぱ俺、サルじゃないからいるわけないよねぇー」
見つけられなくてしょげる坂倉の頭をポンポンと叩いて、高橋は柵に寄りかかった。「おい」と一人だけ逃げた高橋に原田がつっこむ。
坂倉は納得してないのか、見る角度を変える為に俺の方に来た。
「……っあ! あのおサルさん、侑李くんみたい!」
「っは?」
突然弾け出した坂倉は、俺のブレザーの裾を引っ張ってとあるサルを指差した。そのサルはサル山の頂点を独占していて……って
「ボスザルじゃねぇか!」
「侑李くんはボスザルだもん」
「サルと一緒にすんじゃねぇーよ!」
意味がわからない。
バカバカしくなって高橋と同じ体勢をとろうとすると、坂倉の胸元に目がいった。不純な理由ではなく、妙に光る物に気づいたからだ。
(……"桜貝のネックレス"?)
そんなの今までつけていたか?
少なくとも俺は坂倉がそれをつけているのを初めて見た。深緑の五月にそのネックレスは季節外れな気もするが、妙に似合っていたのは言わないでおく。
「じゃああんたはあれね」
高橋の言った坂倉に似たサル。
それは、ボスザルに寄り添うメスザルだった。ボスザルは毛繕いをしてくれるメスザルに心を許しているように見える。
坂倉は「可愛い~」と微笑んで
俺は主将の権限で高橋の練習メニューを五倍に増やす事を決めた。
2
桜だけでなく、豊崎は紫陽花も植えていた事に初めて気づいた六月。梅雨の季節で雨の匂いが強い日だった。
練習を終えた俺はタオルで汗を拭う。
居残って自主練をする奴はバスケ部にはおらず、片付けは一年に任せていた。やらなくてもいいのに片付けを手伝うマネージャーの坂倉は、相変わらずのお人好しだ。
「きゃっ?!」
「!?」
女子の悲鳴--というか坂倉の悲鳴--が倉庫から聞こえた。一応主将である俺が倉庫に向かい中を確認すると、坂倉が座り込んでいるのが視界に入る。
「どうした」
「ゆ、侑李くん……」
振り向いた坂倉は照れくさそうに棒を指差して「つまずいちゃった」と笑った。棒というのはバレーやバドミントンのネットを張る為に使うポールで、何故か床に転がっている。倉庫は暗いから気づかなかったんだろう。
坂倉はゆっくりと立ち上がって、続いて倉庫を覗きに来た高橋と原田にも同じ説明をした。
「ま、そんな事だろうと思ったけどぉ……」
「にしてもあぶねぇな、このポール」
原田は場所を開ける坂倉の足元に転がっていたポールを持つ。そして元あったであろう場所に戻した。
「終わったな?」
片付けの状況を一年に確認して解散させる。当然ダラダラ残る奴もおらず、体育館はすぐに人が減った。
「おい」
「何? 侑李くん」
「足、見せろ」
坂倉は微妙な表情をして足首辺りをさする。そして顔をしかめた。
「ちょっと待って」
さすがにヤバいと思ったのか、坂倉は素直に靴下を脱いで右足首を俺に見せた。
「折れたかもな」
「え?!」
坂倉の右足首は早くも紫色に変色していて、内出血をしているのがわかる。
「……で、でもつまずいただけだし」
「間違えてポールの上に足を乗せて滑って捻ったんだろ」
一気に言うと坂倉は返す言葉もないように縮こまった。すぐ態度に出て本当にわかりやすい奴だ。
「保健室行くか?」
一応、尋ねてみる。
普段の生活からバスケの試合中まで、誰がどう怪我をしようと知った事ではないが、男子でもない坂倉が怪我をするとなると見て見ぬフリは出来なかった。
……他人の不幸は密の味。
誰が考えたのか、俺に限り無く当てはまるその言葉の対象は目の前の坂倉にも当てはまる。が、坂倉の不幸は俺に飛び火する予感が何故かした。
「開いてるかな?」
「知るかよ」
俺は同じく坂倉の異変に気づいていた中崎を呼んで、坂倉を運ぶのを手伝わせた。
「開いているな」
保健室の扉を開いた中崎は、首に回っていた坂倉の腕から抜けて中に入る。消えていた電気を点けると、予想通り人はいなかった。
「人がいないのにどうして開いてるんだろ……無用心じゃない?」
「どうしてそうなるんだ。むしろ開いていて良かった、じゃないのか?」
中崎は坂倉の甘い意見に驚くように尋ねた。
坂倉は「……今日だけね」と恥ずかしそうに小声で答える。中崎とは反対側の肩を組んでいた俺は、その声がよく聞こえて。鼻で笑うと痛くもない坂倉のパンチが当たった。
「……あれ、お前ら何でいるんだ?」
俺たちではない声に視線を向けると、バスケ部のサボり魔、茂木剛貴がベッドからのっそりと起き上がる途中だった。練習に顔を出さないと思ったら、こんなとこでサボってたのか。
「お前がいたから開いてたのか」
中崎は合点がいった、そんな表情をした。
「ん? どうした、マネージャーさん」
「足を捻った。最悪折れてるかもな」
「へぇ。湿布ならそこだぞ」
荒事が多い豊崎のバスケ部にいると怪我に疎くなるのか、それとも元からか。茂木はいつも通りの調子で棚を指差した。
「中崎」
中崎は無言で湿布をとって俺に放った。
「俺かよ」
「この面子だったら依澄が適任だろう。サル山のボスザルとメスザル、だっけ?」
「いつの話をしてんだ」
つい湿布を投げ返すところだった。
何も言わなくても坂倉は申し訳なさそうにソファに座って、俺に足を差し出す。
「なんかエロ……」
「茂木クン?」
茂木が余計な事を言う前に黙らせた。
さっさと坂倉に湿布を貼って家に帰ると、翌日、坂倉は折れた足で登校してきた。