第四話 卒業と入学の日
1
放課後、養護施設に帰りたくなかった俺は図書室に足を運んだ。今頃、椎名は姿を消した俺を探して養護施設を駆け回っているところか。
机を選んでいると、その一角で天音が必死になって勉強をしているのが視界に入った。
話しかけようとは思わなかった。
その後ろ姿が見れただけでも俺は変に満足している。それでも近くにはいたくて、天音の真後ろの席に座った。
宇佐見から借りた本の続きを読み始める。ついさっき担任から聞いた例の高校の偏差値は、少なくとも俺にとっては勉強しなくても入れそうな偏差値だった。
「…………ふぁあ……」
静寂の中に、真後ろの天音のあくびが伝わる。振り向くと天音は後ろから見てもわかるほどうとうとしていた。
「おい」
瞬間、天音の両肩が異様に上がった。
「っえ? え、あ……! 侑李くん?!」
振り向いた天音は顔中を朱色に染めていて、今にもぶっ倒れるんじゃないかとさえ思えた。
「い、今の聞いてたの?!」
「あぁ」
「あぅ……!」
顔を手で隠して天音が沈む。別にあくびを聞いた程度で何とも思わないが、天音にとっては違うらしい。
「……もうやだ……」
ボソッと天音は呟いた。
俺は聞かなかった事にして天音をしばらく放置しておく。天音は天音で色々考え込んでいるのがわかった。
「……お前、偏差値足りてるのか?」
天音が静まった頃、唐突に俺は尋ねた。俺だけ偏差値が足りて高校に合格したって意味がない。あいつと一緒で意味があるんだと思っていた。
「偏差値は……ギリギリ足りてるってところなの」
聞けばその高校は、地元でそれなりに偏差値が高い高校らしい。
俺と同じ高校だったあいつは、俺の記憶している限りでは頭が良かった。その高校だって余裕で合格出来るほどに。
「…………勉強」
「え?」
「だから、勉強してんのか」
こくんと天音は恥ずかしそうに頷いた。
天音も同じ高校に合格してくれなきゃ困る。それに、この世界では出来る限り天音の側にいたい。
「だったら、わからないとこがあったら俺に聞け」
「侑李くんに?」
「二度も言わせんな」
勉強を教えるなんて俺らしくなかった。が、それだけ受験にも……そして天音にも本気だった。
この想いは、あまりにも一方通行すぎるが。
「ありがとう」
笑う天音は幼くて、俺自身も幼くて。
腐った世界を捨てて違う世界に飛び込んだような状況の俺は、まるで人生をやり直しさせられている感覚になって。
「礼はいらねぇ」
信じてないが、"神"っつーのが仮にいるとしたら
「隣に行ってもいいかな?」
「好きにしろ」
クソだと思う反面
「じゃ、じゃあ好きにさせてもらうね」
悪くないって、思う。
「先に言っとくが俺は優しくねぇからな」
「そっちの方が身につきそうだから、大丈夫!」
見ると天音は早速わからない箇所に丸をつけて俺に見せてきた。
俺がタイムスリップしてきて数日。
--卒業まで、あと半年。
2
季節は秋から春に移り変わり、落ち葉で敷き詰められていた道は桜の花弁になっていた。
俺は当然として、無事に高校受験に合格した天音と一緒に浪江総合の門をまたぐ。椎名は偏差値的にはギリギリだったが、何がそうさせたのか奴も合格したのには驚いた。
「侑李くんと同じ高校なんて嬉しいなぁ」
「そうか?」
感慨深く言った天音に、俺はなるべく普通に返した。
「同じ高校に行くのは当たり前って思ってた?」
「さぁな」
「最近わかったんだけど、侑李くんって素直じゃないよね」
何が嬉しくてそうさせたのか、天音は微笑んだ。
素直じゃない。確かにそうかもしれないが、真実を言えないだけという言い訳を何よりも俺自身にした。
「そういえば椎名くんは?」
「知らねぇよ。椎名なんてどうでもいいだろ」
「どうでもいいって、侑李くんの親友じゃない」
「ちげぇよ」
出逢ったばかりの頃から椎名は何かと"家族"だの"ダチ"だの言っていたが、俺は椎名をそう思った事は一度もない。
最早、虫酸が走るとは言わねぇが耳障りだった。
「素直じゃないね」
めんどくさくなって反論するのも止めた。椎名の件になると不毛な争いになる。
駐輪場を抜けるとバスケットコートが見えて、何人かの男がバスケをしていた。もう長い間やっても見てもいないような感覚になるほど、俺はバスケから離れていて、それでも上手い下手やどこが悪いのかがわかる。
「--バスケ好きなの?」
俺の視線に気づいた天音が尋ねた。
「……嫌いじゃねぇよ」
ポケットに手を突っ込んで眺めていると、ボールが俺の方に転がってきた。
「あ、悪いな。ちょっととってくれよ」
新入生だとわかっているからこそ、向こうは俺にそう頼んだ。少し前までガキだと思っていた中学生の俺に、俺の人生の中で一番色んな事があった高校生からそう言われると、無性にイライラする。
「チッ」
ボールを拾った俺は、数回地面にボールを叩きつけてドリブルをした。
回り道ばかりしてきた人生だが、高校の頃の感覚はまだあったようだ。三人一気に抜いた俺は、今までのストレスを発散するように思うままシュートを放った。
スパァンッ
手首を軽く回して、俺は天音の元へと向かう。
まぁ、入学式前にいい暇潰しにはなっただろう。
「侑李くん、すご……」
「すげーなお前!」
瞬間、ガシッと男二人に肩を組まれた。
「今のプレー最高だったぜ! お前、バスケ部に来いよ!」
「僕なんかまだまだですよ。お断りします」
ニコッと笑って天音の手を引く。
男たちは追いかける事はしなかったが、「お前の事諦めないからな!」と指を差された。
「ゆ、侑李くん……」
校舎に入る新入生の波を見つけた途端、後ろから恥ずかしがる天音の声が聞こえた。握る手は固まっていて、何が原因かくらいはわかる。
「んだよ」
「……えっと……その……。侑李くんがバスケするところ、すっごくかっこよかったよ! 侑李くん頭もいいし運動も出来るなんて羨ましいなっ!」
きゅっと握る手が強くなった。「恥ずかしいから離してほしい」と言われると思っていた俺は、天音の言動に不意をつかれる。
「…………」
褒められる事にも馴れていなかった俺は、後ろを振り向かずに無視をした。
「っお、いたいたー!」
パッとどちらかともなく手が離れる。
忌忌しげに正面から駆け寄ってくる椎名を見て、俺は椎名に聞こえるように舌打ちをした。
「んが! なんだよ侑李!」
八重歯を見せて怒る椎名は俺に突進してきて、天音と俺の間に入った。
「うるさい離れろ」
「またまたー! そう言って嬉しいんだろホントは!」
ぐりぐりと椎名のげんこつに頭を押される。
そんな中で瞬時にクラス表を確認した俺は、椎名を避けて教室へと向かった。
「っあ、侑李くん!」
「天音も行こうぜ! 俺たち三人とも同じクラスだからさ!」
「う、うん!」
振り返ると天音と椎名が喋っている姿が見えた。
椎名は楽しそうに笑っていて、俺にある考えを植えつける。
……まさか。
でも、もしかしたら。
そう思ったが、本人に聞きでもしない限り答えなんて出ない。不毛な考えだと気づいてすぐに止めた。
入学式が終わるとすぐに部活の話になった。
中三の秋に転校--というかタイムスリップ--してきた俺は、部活に入っていない。
「俺はやっぱバスケ部だな!」
「お前バスケ出来んのか」
「おう! 一応元バスケ部だぜ!」
椎名は椅子に座ったまま胸を張った。
「お前は?」
興味がなかった俺は天音に話を振る。
俺がタイムスリップする前、高校の頃天音に聞いた時はバスケ部のマネだったと言っていたが。
「私……バスケ部に入ってみようかな」
その口調からして中学はバスケ部じゃなかったようだ。
「マジで?! 今から始めんの?!」
「ううん、マネージャーだよ! 男バスの!」
椎名の表情がほころぶ。
不毛な考えだと思っていたが、こいつは案外わかりやすいな。
「だから、侑李くんも一緒に男バスに入ってほしいな……なんて。ダメかな?」
「…………」
照れくさそうに頬を掻く天音と目を合わせる。
「……いや」
ほぼ即答だった。
正直、俺はなんでもかんでも天音と同じならなんでも良かった。
「侑李こそバスケ出来んのかよー!」
ブスッとした表情で椎名に詰め寄られる。
「それがね、椎名くん。さっき侑李くんが……」
俺はとっさに天音の口を手で塞いだ。
「ふむ!」
目を見開く天音の視線を避けて、「帰る」と俺は片手で鞄を掴む。
「行くぞ椎名」
「……珍しいな。お前から誘うなんて」
椎名は椎名の鞄を持って俺の後に続いた。同じ養護施設の俺たちは、"目の前にいる天音"よりも同じ時を過ごしていた。
「侑李さ」
「んだよ」
椎名が俺の真横に来て、真剣な表情を見せた。
「前にも聞いたけど、お前天音の事好きなのか?」
こういうのを前に、何かの本で読んだ事がある。くだらないと思っていたが、まさか自分の身に降りかかるとは。
「お前には関係ないだろ」
どう伝えればいい。
タイムスリップしてきた俺は天音の未来の恋人で、そして高二になれば天音が転校する事を知っている。そういうのを考えると、俺は足踏みをしてしまっていた。
側にはいたい。でも付き合いたくはない。
「関係あるぜ。俺は天音の事好きだからな」
だから、お前が羨ましい。
「あっそ」
養護施設までの道が長い。
電車を使っているからなおさらだった。
こんな気持ちのまま天音が転校した後、俺は椎名とどうなるんだ。……俺たち自身は、どうなるんだ。