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桜の空  作者: 朝日菜
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第二話 二千九年の君へ




 女--宇佐見紫うさみゆかりというらしい--は、数日間俺をそっとしておいてくれた。俺の気持ちの整理がついた頃を見計らってか、宇佐見は何もしていない俺の部屋を訪ねてくる。


侑李ゆうりくん、そろそろ学校に行けそう?」


「……は?」


 何を言うのかと思えば、宇佐見は俺の予想外の台詞を投げた。

 ここに来たばかりの頃、養護施設の廊下にあった鏡で自分の姿を確かめた事がある。俺の姿は中学生くらいの俺のままで、けれど大学生活があったからか義務教育という問題が抜けていた。


「中学校よ。侑李くんは中三みたいだから受験生ね」


「じゅ、受験生?!」


「受験まであと半年しかないけれど、侑李くんなら大丈夫よね!」


 宇佐見は何を根拠に言ってるんだろうか。


「……行かねぇ」


「ダメよ」


 見上げると宇佐見はニコニコと笑っていた。逃げられない、俺は宇佐見の表情を見て瞬時にそうさとった。


「……チッ。行けばいいんだろ、行けば」


「侑李くんは物わかりが早いわね。偉いわぁ〜」


 わざとらしく聞こえるが、俺にとってそれは最早もはやどうでも良かった。


 -ー天音あまねに会えない。


 それさえも最早悟っていた俺が中学に行っても、どうせ勉強はわかる。……ならどこで時間を潰そうかと考えて。


「じゃあ早速さっそく、明日から学校に行きましょう。……他のみんなと一緒に登校しなくても大丈夫だからね」


 俺は同じ養護施設のガキと話すどころか一緒にさえいなかった。宇佐見はそんな俺に気を遣ったらしい。

 そもそも人付き合いも人脈も皆無かいむに等しかった俺が、今さらガキ相手に何をしろと言うんだ。そう思っていた。


「楽しみ? 学校」


「別に」


 宇佐見は俺が素直じゃない子供だと思っているのか、またニコニコと笑っていた。









 翌朝、俺はたった一人で養護施設を出て学校に向かった。宇佐見からもらった地図を見れば道になんて迷うはずはなく、学校にはあっさりと到着する。

 俺の下駄箱……はまだないから、来賓らいひんの下駄箱に靴を入れて職員室へと向かった。


立花(たちばな)!」


 ワンテンポ遅れて振り向くと、そこには教師らしき男が俺を見て立っていた。


「お前が立花侑李たちばなゆうりだろ?」


 無言で頷く。

 "立花侑李"というのは俺が作った偽名ぎめいで、俺は宇佐見に本名を名乗る事をこばんでいた。理由は簡単で、今の俺を"依澄侑李いすみゆうり"と名乗りたくなかったからだ。


「僕の担任の先生ですか?」


「あぁ。卒業まで半年しかないが、これからよろし……」


「先生ー!」


 女子の声が廊下に響いた。

 結構近くにいたのに気配けはいがあまり感じられなくて、ちょっとまぬけなしゃべり方。花ではない甘い匂いが俺の鼻孔びこうをくすぐった。


「日直日誌取りに来ましたーって…………あれ?」


「おー、お前か。こいつは立花侑李。俺のクラスの転校生。お前日直で学級委員なんだから、立花の事、よろしくな」


「転校生! はいっ、わかりました! お安いご用です!」


 はじけるように笑う幼い笑顔。

 聞く人をまったりとさせるような声。

 生きているくせに気配なんてあまり感じさせないその女子生徒は--


「これからよろしくね、侑李くん」




 --間違いなく、俺の恋人の"坂倉天音さかくらあまね"だった。




「あれ、侑李くん……? どうして泣いてるの?」


「……は」


「た、立花?」


 担任と天音の驚いた表情に、俺だって驚いた。


「だ、大丈夫……? 目にゴミでも入った?」


 慌てる天音に俺は首を……逡巡(しゅんじゅん)して縦に振った。

 止まれ。そう強く思うのに、反比例するかのように止めどなく流れてくる。何度も何度も腕で目元をこすって、けれど鼻水まで出そうになってきた。

 静かに涙を流す俺を、担任も天音も心配そうに眺めているのがわかる。いい加減人通りも増えてきたのに、天音のせいでいつまでたっても止まらなかった。


「侑李くん、行こう!」


 瞬間に温かくて柔らかな手に握られる。

 天音は俺の手を引っ張って、走った。


「お、おい……ッ!」


 突飛とっぴな行動に驚いて、涙も引っ込む。

 天音が俺を引きずりながら駆け込んだのは、校舎の隅の男子トイレだった。なんで男子トイレなんかに……と軽くドン引きしていると、天音はくるっと振り向いて俺を見つめた。


「侑李くん、大丈夫っ?」


「……あ、あぁ……」


 天音の事だからどうせ俺に気を遣ってこんな場所を選んだろう。初めて天音と出逢った時よりもまだ幼い姿の天音は、何年たっても内面は何にも変わっていなかった。


「…………えと、よくわからないけど、泣いてたのは目にゴミが入ったんじゃないよね?」


「もうその話はすんな」


 出逢えて泣きそうになって

 驚いて涙が引っ込んで

 何にも変わっていなくて泣きそうになって


 天音が優しくて死にたくなる。


 俺が死ねば良かったのにとずっと思っていた分、余計に辛かった。瞬間に、懐かしいチャイムが鳴る。

 俺は今の状態のまま教室には行きたくなくて、ここで時間を潰そうかと逡巡する。近くにあった鏡の中に幼い俺と天音が映って、一瞬変な感覚になった。


「……行けよ。授業遅れんだろ」


 ボソッと呟く。


「行かないよ」


 天音は言った。


「行けよ」


 俺は意地になって強めに言うが、天音だって「行かない」と意地になって頬をふくらませた。その仕種さえ、懐かしい。


「行くなら侑李くんと一緒がいい。侑李くんが行けないなら、私はここにいるよ」


 何でそんなにお人好しなんだよ。

 その優しさを何で出逢ったばかりの俺に向ける。

 こっちはお前の事、ずいぶん前から知ってんのに--




 --心の距離が、近いようで遠い。




「…………好きにしろよ」


「うん。好きにする」


 ニコッと天音がくもりなく笑う。

 この体にようやく慣れてきた俺が、懐かしさに泣くことはもうなかった。


「侑李くん、前の学校は何処どこなの?」


 不意に投げかれられる質問。

 そうか、転校生ならそんな質問が来るのは当たり前か。

 以前なら予想出来ただろうに、何もかもが違う今、俺は確実に俺を手放している気がした。


「そんな事どうでもいいだろ。つか、話しかけんな」


 色々一人で考えたい事があった俺は、女子の天音を残して個室に閉じこもった。


「あ、え、侑李くん?!」


「話しかけんなっつっただろ」


 そして制服のポケットに入れていたメモ帳を取り出した。

 目が覚めた日、さりげなく宇佐見に聞いていた年は《2009年》だった。それは確かに俺が中学生の頃の年で、今板を一枚挟んだ向こう側にいる天音も中学生だった。

 これが夢ではないのは散々確認して来たつもりだ。だとしたら結論は


 --俺が、"タイムスリップ"をしたという事になる。


 養護施設のガキ共とは馴れ合わずに元の年に戻ろうとした日もあったが、天音を目の前にするとそんな気も失せてきた。


「あの、侑李くん……」


「んだよ」


「……と、トイレしてもいいかな?」


「は?」


「個室がそこしかないんだよ! お願い、だから出てきて!」


 あまりのくだらなさに、考える事もバカバカしくなってきた。個室から出ると天音が俺を押しのけて中に入る。その扉を一瞥いちべつして、俺は男子トイレからも出た。


「……なんなんだよ、お前」


 男子トイレから教室へと向かう途中、俺はすぐに追いついてきた天音にたずねた。


「なんなんだよ、って?」


 振り向くと首を傾げる天音と目があう。


「……もういい」


 天音に出逢えた。

 それ以外は最早どうでもいい。

 中学時代にタイムスリップしてようが、もう一度高校受験をするはめになろうが、どうでもいい。


「侑李くんって不思議だね」


「お前に言われたくねぇよ」


 この状況さえ不思議なものだが、俺はそれに関して天音に何かを言うつもりはなかった。教室に入ると、ちょうど一時間目と二時間目の間の休み時間だった。

 クラス中の視線を一気にびた俺は作り笑顔を浮かべる。


「初めまして。今日このクラスに転校してきた、立花侑李といいま……」


「転校生だ!」


「やだ、なんかかっこいい!」


「転校生! お前、転校早々遅刻するとか勇者かよ!」


 騒がしく、クラスの連中が俺の自己紹介をさえぎって俺を囲みにかかった。天音はクラスの連中の波に飲まれて、別の女子に救出されている。


「なぁなぁ、なんで遅刻してきたんだ?」


 目の前を陣どった、目立ちたがり屋なガキが俺に詰め寄った。


「彼女に学校を案内してもらっていたんだよ」


 無視をする方がめんどくさいと悟り、簡潔に言って席を探す。すると天音が大きな身振り手振りで俺にアピールをし、側にある席を指差した。


「別にそんなの昼休みでも良くなぁい?」


 これも目立ちたがり屋なガキが俺に詰め寄って笑った。ここの連中は詰め寄って喋るのが好きなのか、ただ単に流行はやっているのか。

 まぁ、どっちにしろめんどくせぇ。


「ごめん、通してくれるかな」


 俺はガキを押しのけて、天音が待っている方向へと歩く。これ以上このガキ共と同じ空間にいたくなかった。

 ……これなら養護施設のガキ共の方がまだマシだ。


「僕の席はここ?」


「うん。……あの、侑李くん。さっきとキャラが……」


「ん? 何、どうしたの? よく聞こえないなぁ」


 無言の圧力をかけると、天音はピクッと肩を震わせてこくこくと頷いた。……しまった、ビビらせたか。


「そうだ委員長、さっきは案内ありがとう」


 "天音"だからつい素を出してしまった。そういう言い訳は通じない。もう遅いかもしれないが、俺はもう一度作り笑顔を浮かべた。

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