第十六話 また会う日まで
1
実際、俺と椎名はそうだったんだろう。
ただ、認めたくなかっただけで。
「俺が何だよ」
「……別に何でもねぇよ」
「は?! 何だよ聞かせろよ!」
「自分で考えろ」
椎名は歯軋りをして、俺にスマホを突きつけた。
「わかった! 考えてやるよ! 連絡先交換したらな!」
「何で上からなんだよ」
「うるせぇー!」
俺は椎名からスマホを奪って自分のを登録する。
放り返すと椎名は茫然と自分のスマホを見つめた。
「どうした」
「いや……まさかマジでするとは思わなかったから……」
そんな椎名の信じられないと言っている目から、突然涙が溢れた。
「は?! おい、何で泣いてんだよ」
「わ、悪い! なんか"侑李"が帰ってきたような気がしただけなんだ! ……お前は侑李じゃねぇのに」
何も言わずに椎名の前から去った俺の選択は、間違いじゃなかった。今の俺もそう思うから、なおさら……。
なおさら今の俺が、椎名に何かをしなければならないという気にさせる。
それを今でもくだらないって思う。
が、その結果が今回の事故なら。
その事故で天音を失った俺がタイムスリップをしたなら。
そのタイムスリップした先の世界で椎名に出逢ったなら。
「--理屈じゃねぇだろ」
それは何度も天音が言っていた。
「理屈じゃねぇから、謝んな」
椎名は「おう」と短く答えた。
「それよりも、まだ話は終わってねぇだろ」
まだお前に、聞きたい事があるんだからな。
天音の病室を開けると、バカが四人集まって騒いでいた。天音はベッドの上で笑っていて、俺と椎名を視界に入れた途端また別の笑顔を浮かべる。
「侑李、椎名くん!」
「久しぶりだな! 連絡もらった時はビビったぜー」
「ごめん。どうしても侑李のお見舞いをしてほしくて……」
「やっぱりお前か」
俺は手加減をして天音の頭にチョップした。
「あいた!」
俺が呼んだわけでもないのに、揃いも揃って知人がやって来る理由。天音が呼べば、そりゃこいつらも来る。
「かわいそー。お前は怪我したくせに元気そうじゃん。心配して損した」
高橋は変わらず風船ガムを膨らました。
心配して、損した?
高橋の口から信じられないような台詞が出てきて、俺は固まった。何度も何度も脳内で再生させてようやく飲み込む。
「帰るか」
中崎が呟くように言ったのを皮切りに、四人はそれぞれ言葉を残して病室から出ていった。
椎名と俺と天音だけが残され、脳裏に椎名が見せてきた中学時代の写真が浮かんだ。
「なぁ、頼みたい事があるんだけど」
「頼みたい事? なぁに、椎名くん」
天音に続き、俺も椎名に視線を寄せる。
「--一緒に写真撮らねぇ?」
ニカッと笑った椎名のそれは、予想通りの台詞だった。
「うん!」
快く返事をする天音は当然として、椎名は俺の方を求めるように見つめた。
「……いいんじゃねぇの?」
「マジで?! っしゃあ!」
「うるさい」
十四歳から十九歳になった俺たちは、たった五年でもだいぶ変わっているはずだった。灰色の空はどこかに消え去り、青空を連れて光が病室に降り注ぐ。
「もっとこっち寄れよ!」
自撮りは寄らなきゃ撮れないらしく、俺らは十四歳の時よりも成長した姿で寄った。あの時と同じように椎名が中央で、俺は椎名に引っ張られているが。
椎名がシャッターを押せば、それが何かのスイッチのように俺の中の何かが溶けてスッキリとした。
「じゃ、俺も帰るわ」
椎名はスマホをしまって、俺らに背中を向けながら手を振る。
「え、もう?!」
「用は済んだし、また退院したら会おーぜ」
あっさりと扉が閉まった。
あの椎名の調子だとまた近い内に会える気がして、面倒くさいと思う。が、今回の件で会える時に会った方が得なのだとは知った。
「なんか静かになったね……」
「バカが五人もいたからな」
「私からしたら侑李もバカだよ」
「俺からしたらお前もバカだ」
他愛もない言葉のやり取りは何日ぶりだったか。
それだけで妙な安心感のような物を感じる。
「ねぇ侑李。私ね、最近変な夢を見るんだ」
「変って?」
「"青空が落ちる夢"。それを立花侑李くんが見てるの。まるで世界の終わりみたいなのに、立花くんが笑ってそれを見てるの。これって変だよね?」
天音の中にもまだ立花侑李がいたらしい。
きっと立花侑李は俺たちが死ぬまで記憶の中に居続けるんだろう。忘れたくて実際今まで立花侑李を忘れていたが、俺だってもう忘れない。
「そうでもねぇよ。"あいつ"はそういう奴だ」
自分の手で世界を壊したのなら、そりゃあ俺だって笑っただろう。天音は「そうなんだ」と得に驚きもせずに相づちを打った。
2
車を止めると、その場所には桜の絨毯が敷かれていた。あの事故の日から数年経って、何度目かわからない春を象徴しているようだ。
車から下りると、塗り直したのか古い建物のくせにキレイな壁が視界に入った。壁沿いに進むと門があり、不用心に開いている。
門に手をかけ中に入ると、桜の花弁が目の前を横切った。気ままな風に揺られるそれを目で追いかける。
「誰? 貴方」
中年の女の声がした。
振り返ってみれば髪を茶髪に染めた小太りの女が立っていた。目が合い、女は言葉を失う。
かつて椎名に見せてもらった写真に写っていた時よりも老けた"宇佐見"は、涙を流しながら俺をこう呼んだ。
「--"依澄くん"」
それが俺に小さな衝撃を与えたと、気づいているのかいないのか。宇佐見は一筋の涙を流しながら微笑んだ。
「……大きくなったのね、"侑李くん"は」
依澄と呼んだのは、単純に俺と立花侑李の区別がついているという意味でいいのか。
宇佐見が最後に立花侑李に会ったのは高校一年の頃で、大学を卒業しそれなりに稼いでいる社会人の俺は確かに大きくなっていた。
「宇佐見だよな」
「…………そうね。依澄侑李くんに会うのは初めてよね」
その言い方も少し引っかかった。
「--……立花侑李と俺の事を知っているのか?」
つい、尋ねてみる。
数年前、俺は事故で入院した時に椎名から養護施設の住所を聞いていた。当時少し宇佐見という人間に興味があり、それを原動に今になってここを訪ねた。
たったそれだけの理由だったのに、宇佐見が何を知っているのか妙に気になった。
「立花侑李くんが未来の依澄侑李くんだったって事かしら?」
「……何でそれを知ってんだよ」
「私が未来から来た侑李くんのメッセージを貴方に送っていたんだもの。知ってるわよ」
「お前が……?!」
言葉に詰まった。
立花侑李は何を思って宇佐見にそんな事を頼んだんだ。俺は改めて小太りの宇佐見を観察した。
決して美人とは言えないが、不思議な包容力がある。養護施設の先生としては完璧だ。立花侑李が椎名よりも宇佐見を信用した……その理由の片鱗を見た気がした。
「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
宇佐見は慌てて施設の中へと戻っていった。
椎名や天音が言っていた、立派な桜の花弁がまた舞い散る。
宇佐見が戻ってきたのはすぐだった。
クッキーの缶に入っていたそれはメモ帳で、明らかに俺の筆跡だった。
「これよ、これ。侑李くんからの最後のメッセージ」
宇佐見は今まで俺に伝えなかったメッセージを、静かに渡した。
俺はくしゃくしゃになったメモ帳を広げた。そこにはたった一言だけ
《良かったな》
と書かれてあった。
殴り書きだったが、自分の筆跡だ。わかる。
幸せになれよ、とか。
笑っていろ、とか。
そういうのではなく、きっと一番に浮かび一番に伝えたかったのが「良かったな」だったんだと俺は思った。
「私にはそれが何て書いてあるのかわからないんだけれど、今までのとは字の丁寧さが違うから……きっと貴方に直接伝えたかったんだろうなって思って大事に預かってたの」
缶には他に、今まで届いていたらしい大量のメモ帳が保管されてあった。
「貴方にあげるわ」
「いらねぇよ。お前が持ってろ」
クッキーの缶を宇佐見に押し返す。
明らかに、俺のスマホに届いた量とメモ帳の量が違った。多分中には宇佐見に直接宛てたメッセージもあったんだろう。
「……ありがとう」
宇佐見は少し驚いた後、クッキーの缶を抱きしめた。そんなに大事だったのか、と俺は客観的に思う。
「じゃあ、俺はもう行く」
「あ……そう。もう行くのね」
うさぎのように寂しそうな表情を浮かべた後、宇佐見は「来てくれてありがとう」と微笑んだ。
「……今度はお前から来い」
俺はジャケットのポケットから取り出して、宇佐見にある物を渡した。
「これは?」
「…………招待状だ。"結婚式"の」
宇佐見はパッと招待状から顔を上げた。
「侑李くん、貴方……」
「お前のおかげで俺と"あいつ"が繋がる事が出来たからな」
そのあいつと言うのは、天音の事であり、立花侑李の事であり、椎名の事だった。
「……ずいぶん変わったのね、貴方」
俺がどう変わったのかは知らない。
立花侑李を知る奴等が知っている事だ。
「うるせぇよ」
宇佐見に背中を向ける。
「必ず行くわ」
歩き出す俺に宇佐見は最後の言葉を寄越した。
いや、椎名みたいに近い内にまた会える。
まだ最後じゃない。
車の扉を開けると、助手席の天音が懐かしそうに養護施設の桜を見ていた。胸には例の桜貝のネックレスをつけている。
「ほんと好きだな、桜」
「うん。だって、キレイじゃない」
「すぐ散るだろ。散った後は禿げるだけだ」
「葉っぱが生えて深緑になるじゃない」
「それもキレイなのか?」
「キレイだよ」
天音は一枚だけ生えていた緑の葉を、柔らかい微笑みで瞳に入れた。正直理解に苦しむ。が、天音らしい。
「そうかよ」
俺は運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
神奈川には初めて来るし、知らない場所ばかりだ。なのに目に映るどれもが何となく懐かしい気持ちにさせる。いつか夢で見たような景色ばかりだった。
「ここを曲がって」
地元に詳しいナビ代わりの天音が指示を出した。
しばらく車を走らせると、海沿いに来たらしく海が見えた。反対側には洋風の墓がずらりと並んでいて、結構様になっている。
「まだなのか?」
「あと少しだってば」
「……さっきからそればかりだな」
何回かカーブを曲がって、そろそろダルくなってきた頃--それは姿を現した。