第十二話 立花侑李の願い
1
文化祭当日、お化け屋敷を出し物にしていた俺たちのクラスは最初から盛況だった。入り口の前で受付をしていると、俺の前に男が立つ。
顔を上げると、そこにいたのは二ヶ月ぶりの椎名だった。
「久しぶり、依澄」
「……お前、何しに来た」
「遊びに決まってるだろ。お化け屋敷、入っていいか?」
椎名の受付をすばやくすませて、俺は椎名を中に入れた。椎名とはもう二度と会わないと思っていた俺は、椎名の唐突の訪問に頭を痛める。
椎名の事だ。ただ遊びに来たわけではないだろう。
椎名が来る理由はすぐに思い当たった。"坂倉"だ。
坂倉がどこにいるかなんて思い出さなくても知っている。俺は高橋に受付を丸投げして、お化け屋敷と化した教室に飛び込んだ。
「ッ!」
初めて中に入ったが、邪魔な物が多すぎる。
お化け役の坂倉がいる場所はもう少し先だというのに。
『椎名くん、何で……』
『天音の事だから、"侑李"の事で悩んでんじゃないかって思って』
『…………そりゃ、悩むよ。ずっと頭の中が混乱してて、でも私にはどうする事も出来なくて。……依澄くんと一緒にいる時間が増えると、ますます彼が"侑李くん"に見えてしまうの。違うって本人が言ってるのに』
苦しさを押し殺した声がわずかに聞こえた。
坂倉は八月からずっと、悩んで、苦しんで、ボロボロになっていたんだ。
暗くてよく見えない。
俺が作った暗幕代わりの画用紙がいい働きをし過ぎている。
『--じゃあ、忘れろよ』
暗闇に閉ざされた気分になる中、その言葉が無情に俺の心に響いた。
『忘れ……る? そんな、無理だよ』
坂倉の声が震えていた。
今すぐにでも坂倉の元へ行きたい。その為には手探りで進むしかなかった。
『だって苦しいんだろ? 侑李だって、そんなのを望んでいなくなったわけじゃないって』
なぁ、椎名。
『そんなの私が一番わかってる! でも、忘れられないの。……"絶対忘れちゃいけないの"』
お前はどうやってここから前に進んだんだ。
『ずるいよ椎名くん。椎名くんはずっと覚えているつもりなんでしょ?』
なぁ、立花侑李。
『……ちょっと違うな。俺が天音に対してそうであるように、忘れられないだけだ』
お前はどうやってこいつらの記憶の中に居続ける事が出来たんだ。
--こういう時くらい、何か言えよ。
刹那、答えるように俺の携帯が鳴った。
その音であいつらの会話の雨が止む。
携帯を開くと立花侑李からだった。このタイミングはまるで、俺たちの側にずっといるみたいだ。
手探りのままもう少し歩くと、二人の姿が見えた。
二人も俺を見て、お化けでも見たかのように驚く。少なくともお化けメイクをしている坂倉には驚かれたくなかった。
「依澄、何で……」
「お前らがごちゃごちゃうるせぇからだろ」
「……ご、ごめんなさい」
本文を見なくても内容くらいわかる。そこまで俺と侑李クンが似ているのなら、今ここで--
「《ごちゃごちゃと悩んでんじゃねぇよ、バァカ》」
--読み上げてやるよ。
「は?!」
「《椎名、バカが何言ってんだ。バカなりに考えたのかもしれねぇけどな、出来ねぇなら言うんじゃねぇよ》」
「なんだと侑李! 俺たちを置いてったバカにんな事言われたくねぇよ!」
初めて椎名の怒鳴り声を聞いた。お前って本当は、こんなキャラだったんだな。
「《天音だってそうだ。たいして悩むモンじゃねぇだろ》」
「な、悩むよ! 人の気も知らないで!」
「《俺は知ってる》」
不意に、俺は立花侑李を見た気がした。
「……え?」
俺はこいつらと違ってバカじゃない。だから、立花侑李の過去に何があったのか、だいたい読めた。
「《俺も"あいつ"が死んだ時は似たような感じだった》」
立花侑李は過去に誰かを亡くしている、と。
「……あいつ?」
誰だって顔をされても、俺だって知らねぇよ。
「《忘れられない気持ちはわかる。だから無理に忘れろとは言わない》」
俺は次の文を見た瞬間、立花侑李の事がまたわからなくなってしまった。
どうして、俺の双子と名乗ったお前が俺が到底言いそうにないそれをこの二人に向けるのだ。
「《--その代わり、"前"を向いて生きろ》」
何でこんな台詞が出てくるんだ。
お前は本当に、"俺じゃない"んだな。
「《前を向けば、俺はいつでもお前の側にいるだろーが》」
手紙のような文はそこで終わっていた。顔を上げると、お化けメイクを崩した坂倉がいた。崩したのではなく崩れたメイクは、涙の跡をくっきりと作っていた。
椎名も椎名で、立花侑李から何を受け取ったのかは知らねぇが泣いていた。
2
文化祭が終わり、日常を取り戻しはじめた十一月。文字通り前を向いて生きている坂倉は、自分の不注意で転んでいた。……頼むからこれ以上不幸を飛び火させんな。
体育館で転んだまま立ち上がらない坂倉を見下ろす。
「おい、さっさと立て」
「"侑李くん"!」
吹っ切れたのか、坂倉は呼び名を元に戻していた。それで仲直りと判断したのか、高橋はニヤニヤと笑っている。
立ち上がった坂倉は嫌な顔一つせずに俺の後をついてきた。
「んだよ」
「マネージャーだから、バスケ部のアシスタントコーチで主将の侑李くんの"側にいる"のは当たり前でしょ?」
「んな訳ねぇだろ」
と言いつつ、"側にいる"という台詞が妙に引っかかていた。
「ついて来んな」
「私の好きにしちゃダメなの?」
「ダメに決まってんだろ」
すると、坂倉は本当に足を止めた。
一応振り向くと、「じゃあ止めるね」と坂倉は諦めている。
「……お前は……」
二ヶ月に及ぶ坂倉の悩みは解決されたらしい。
なら、俺のはいつまで続くのか。
「私は?」
悩む事がバカバカしいと思うなら、今、この場で聞いても構わないはずだ。覚悟を決めた俺は、だから尋ねた。
「……お前は今でも、俺の事を立花侑李だと思ってるのか?」
文化祭の後、椎名が帰り際にこう言った。
『あの時すっげー暗かったからさ、依澄が侑李に見えちまったよ。言ってる事もまんまあいつが言いそうな事だったし、立花侑李が目の前にいるのかと思った』
立花侑李からのメールをそっくりな俺が読み上げたんだ。それは仕方のない事だと理解している。が、椎名が言うのと坂倉が言うのとでは話が違った。
「わかんない」
即答だった。
「は?」
嘘でもそこは「そんな事ない」と否定するだろ。
だが、正直者の坂倉だからこそ、その言葉は信用出来た。
「だって、立花侑李くんは側にいるって言ってくれたから。それで私が前を向くと、必ずって言っていいほど依澄侑李くんが側にいるの。これって偶然じゃないでしょ?」
坂倉の言い分は理解できた。
「私は必然だって思う。二人は別人だってわかってるけど、根底は一緒って事もわかってる。でもこれって矛盾でしょ? だから私はわからない」
坂倉は、息を吸った。
「頭では別人って思っていても心は違うかもしれない。言葉にしてもよくわからないから、多分この問題は理屈じゃないんだよ」
「…………」
自分で聞いておいてあれだが、俺もこんがらがってきた。頭を押さえていると、坂倉が急にもじもじし出す。……なんだ、トイレか?
「理屈じゃない、理屈じゃないの」
そう、ぶつぶつと呟いている。バカな坂倉はこの話についていけなくなって、頭のねじが飛んだのかもな。
「--私は、"依澄"侑李くんが好きです」
本当にこの話についていけなくなったのは、俺の方だった。
「初めて"桜の木の下で出逢った時"から、私はずっと侑李くんが好きです。いわゆる"一目惚れ"です」
恥ずかしそうな、部活が終わり俺たち以外の奴らが出ていった体育館に坂倉の声が溶けた。
「もう一年以上も待ったんだから……」
そう枕詞を置いて
「……私と付き合ってください」
一気に頭を下げた。
「お前、正気か?」
出てきた言葉は失礼な台詞かもしれない。
「正気だよ」
けど、確かめたかった。
自分で言うのもあれだが、"素"の俺に惚れるなんて正気じゃない。
「嫌なら嫌って、ちゃんと言ってね」
言われて俺は、四月から過ごしてきた坂倉との思い出を思い返した。たった一人の女の存在だけで、日常が少しずつ変わっていく様を俺は見ていた。
「……別に嫌じゃねぇよ」
どんなに変わっていてもまぁまぁ楽しめた日々がある。
俺がそう返すと、坂倉は初めて出逢った時のように
ちょっぴり泣きながら笑っていた--。
*
辺りにはメモ用紙が散乱している。
まるで数日前、俺自身がちぎった花弁のようだった。
ガラスの小瓶を海に投げ入れ続けて何時間が経っただろう。俺は不気味なほどに澄みきった青空を見上げた。
チリンッ
鈴のような音がして、俺は海に視線を戻す。すると、水底から小瓶が浮かび上がった。
「……なんだあれ」
呟いて、きしむ体を動かしながらそれを拾う。
元の位置まで戻って見れば、それは俺のとは違うデザインをしている事に気づいた。中に入っているのは紙と鈴とどんぐりで、俺は紙だけを取り出して広げる。
初めて見る筆跡だったが、"花のような甘い匂い"は懐かしかった。
《侑李くんへ。
この世界は十一月十八日になりました。
貴方と天音ちゃんがお付き合い出来たかはわかりませんが、私はそうなっていると信じています。
あの日からもう、七ヶ月は経ったのね。
侑李くんがいなくなる前、私に頼み事をしてくれたのを今でも覚えています。
『俺は死んだと伝えてくれ』
『捜索願いは出さなくていい。出すだけ無駄だ』
それと……
『"届いた手紙の内容を、このメアドにそっくりそのままメールしてくれ"』
……だったわね。
桜の木の下で、メアドが書かれた紙を私に差し出しながらそう言われた時は、すごくすごく驚きました。
未来の貴方との奇妙なやり取りはまだ続くのかしら?
いつか大人になった侑李くんをこの目で見てみたいです。
宇佐見紫》
読み終わって、俺は小瓶に入っていたどんぐりを指で取り出す。こっちは春のままだというのに、そっちはもう秋なのか。
秋、十一月十八日。
今思えば、天音の言い分は痛いほどよくわかった。あれだけ色んな事があって、死なれた上に忘れろというのは無理な話だ。
"死んだ"という言い方は卑怯かもしれないが、俺の感情と同じ感情を天音に少しでも知ってほしかった。だから仕方がない。
「ハハッ」
失笑した。
--思い返せば返すほど、俺たちは傷つけあっている。
それでも隣を歩いてこれたのは奇跡だ。
「……あと、二年と数ヵ月か」
世界が、終わるのは。




