2人の邂逅
「ねぇ、魔王軍弱すぎない?勇者1人でもイケそうよね〜」
アクアマリンのような長く蒼い髪を後ろで高く結っているまだあどけなさも残る美少女が、その華奢な身体からは想像もつかない剣撃を魔王軍兵士へと繰り出しつつ隣で闘う緑髪の魔法使いに声をかけた。
「…確かに手応えは薄い…が、魔王は別だろう。今回の魔王はかなり強いと噂もある」
彼女とは打って変わって声のトーンが低いが、しっかりとした声色で返答し無詠唱で強力な攻撃魔法を仕掛け兵士達を吹き飛ばした。
「リーティ、マルア、油断は禁物ですよ?ほら、勇者さんなんてこちらの話は聞いてませんもの。集中してらっしゃるわね」
僧侶であろう白い衣装が似合う銀髪の女性が、辺りに小結界を張りながらにこやかにそう2人に声掛けた。
その目線の先には悠然と、だが激しいまでの魔力が込められた剣撃を繰り出す魔王の宿敵である勇者がいた。
無駄の無い動きで兵士を倒し、その美しい金髪が吹き抜ける風と共に揺れる。
「サラ、それ暗にお喋りすんなって言ってんでしょ」
「あら、そのような事は決して」
戦闘中にも関わらず場はどこか和やかでかつ余裕がある。それほど勇者一行は強く、形勢はかなりこちらが優勢であった。その強さの一番の理由たる勇者が、敵を蹴散らした先をまっすぐ見つめて呟いた。
「ーー何か、来る」
彼の宝石のような翡翠色の瞳が、前方からやって来る大きな魔力の存在を捉えた。
「強い魔力…まさか魔王自ら来たってわけ?」
今までとは比べ物にならない程の強力な魔力を持つ何かが此方に近づいて来ていた。
一同が各々身構えると同時、前方から誰かの駆ける音と若い女の子の悲鳴に近い声が廊下に響いた。
「ついてくんなぁぁぁぁっ‼︎」
「こっちへ来いバカ魔王ぉぉぉぉ‼︎」
およそ戦闘中とは思えない状況が長い廊下の先で起こっていた。背中までありそうな長い黒髪の少女を真っ青な長髪の男性が鬼の形相で追いかけている。少女は半ば泣きそうに見えるが、捕まるまいと必死に駆けながらその顔を歪ませていた。
勇者一行は思わず瞠目しながら遠方に見える謎の追いかけっこを凝視する。いや、せずにはいられなかった。
何故なら先程聞こえた声の中に、彼等の最大の敵である魔王の存在があったからだ。
…あったのだが。
「ねぇ誰よ…魔王はムッキムきのゴリゴリマッチョ野郎だって言ったの」
「それはお前だろうリーティ。…だが歴代魔王は必ず男で大きな体躯を持っていたと聞いたが」
「まぁ…今回の魔王は可愛らしいですわね」
微妙な空気が場を流れる。
まさかあのような少女が魔王だとは誰1人として予想していなかった。
「………あれが、魔王…」
ただ1人勇者だけが、その目を強く魔王に向けていた。
「ーーはっ‼︎あれ勇者…っ」
後ろにばかり気を取られている内に、あっという間に勇者達の姿が目と鼻の先にあった。
銀の鎧に身を包んだ勇者らしき金髪の男性が此方を見ている。
その距離はおよそ10mほど。魔王は走っていた足を止めて苦渋の表情を浮かべた。
「……っこんな所で止まりたくないのに…」
そうしているとあっという間にローカも魔王の10m以内にまでやって来てようやく足を止める。彼もまた勇者達の姿を捉え眉間に皺を寄せた。
「…勇者か、思った以上に強いようだな」
勇者から感じる強大な魔力にローカは密かに汗を滲ませる。
このままではあまりに危険だ。勇者の後ろにはもう立てる兵士はおらず、こちらには魔王と己と後から来ているフェルの部隊のみだ。おまけに勇者一行は全員無事、劣勢すぎるにも程がある。
ローカはある種の覚悟を決め、その足を一歩前へ進ませた。
「ーー近づかないで‼︎」
不意に魔王の全身から強い魔力が溢れ出た。魔王の長い黒髪が魔力の波に煽られて揺れる。
「ローカも、勇者も、…魔王も…。もう全部嫌だ‼︎」
ビリビリと魔王から溢れる魔力が廊下全体を震わせ始めた。その力にローカ達も勇者一行も思わず体制を崩され、驚きながら魔王の動向を伺う。
「ま、魔王様落ち着け!」
「そうです魔王様、どうかお気を鎮めて下さい!」
ローカとフェルが尋常でない様子の魔王に声を投げ掛けるが、当の魔王はその声にまた顔を歪ませた。
「魔王魔王魔王、…もうやめて‼︎私は…私だって…っ」
両耳を押さえて魔王は頭を振る。
まるで幼い子供のように、魔王は何もかもを否定した。
「ーーなりたくて、魔王になったんじゃないっ‼︎」
その瞬間、闇色の衝撃波がローカ達を吹き飛ばした。
それに耐えられたのは勇者だけだったが、彼も額に汗を滲ませていた。それでも魔王の衝撃波を防げたのは彼が勇者たる所以だろう。
勇者は構えを解いて先に見える魔王を見つめた。その目には、どうしてか敵意はなかった。
「…ごめんなさい。私、弱虫だから。こうでもしなきゃ逃げられない。ううん、…逃げる選択肢を選んで、ごめんなさい」
起き上がり始めたローカ達に目を配り、すまなそうに目を伏せる。その目には涙が溢れてきていた。
「みんなに恨まれてもいい…。でも私だって、…生きたいよ…!」
そう叫んだ途端、魔王は右手を翳して廊下の壁を魔法で吹き飛ばした。轟音と共に大きく穿たれたそこから強い風が舞い込んでくる。
静かに外を見つめる魔王の目から涙が溢れて流れ落ちた。
そして勇者もローカもみんな、その光景に何も言えず動けもしなかった。泣いているのだ、魔王が。魔王を辞めたいと。こんな展開、勇者一行どころかローカ達配下も予想だにしていなかった。
元々弱気な魔王ではあったが、勇者が攻めてきている内は自分の国や魔族を守るためにも彼らに堂々と立ち向かってくれるものかと思っていた。多少駄々をこねても最後にはちゃんと彼らの為に闘ってくれるとも思っていたのに。
魔王は、魔王であるのをやめようとしていた。
ただの人間の少女のように泣いていた。
「魔王…様」
「……ローカ、今までありがとう。こんな出来損ないを魔王として育ててくれて。フェルもみんな、私なんかに使えてくれてありがとう」
「魔王様、駄目です…!」
ローカとフェルが悲痛な面持ちでそれぞれ声を漏らす。
だが魔王はそれ以降ローカ達から目線を外し、滲んだ視界のまま勇者を見た。
「…勇者さん、私に時間をちょうだい。私が満足するまで自由を生きれたらその時は、私を殺してくれて構わないから。だから今は、見逃してほしい」
「……君の自由とは?」
勇者は武器を構えることもなく、静かに魔王に問うた。
「ーー魔王じゃない私になること」
魔王はそう、目を閉じてどこか想いを馳せるように呟いた。同時に綺麗な涙が頬を伝う。
ローカも勇者もみんな、彼女の震える声にどうしてか心奪われた。魔王の儚い夢に一種の希望を見出したのか、それともただの絶望だったのか分からない。だが、彼らの心は揺れていた。だからこそ、魔王が空へ身を投じる瞬間に何もできなかった。
「私は、私の自由を生きたい…‼︎」
壁に穿たれた大穴から、彼女はその身を投げ出した。
そして下にある屋根を足に魔力を込めてひと蹴りすると、常人には不可能な大きな跳躍をして別の屋根へと次々と飛び移った。そしてあっという間に魔王城から離脱して行ったのだった。
「…えーと、あたし達どうすりゃいいワケ?」
手に持った短剣を手元でくるくる回しながらリーティが困ったように呟いた。
残された勇者達は、魔王のいなくなった空間でどうにも気まずい空気を噛み締めていた。それはローカ達も同じだったが、彼らの心はひとしお苦しいものであろうことは想像に難くない。
彼らの主であり魔族の頂点に立つ王がいなくなったのだ、魔王を辞めると宣言して。
しばらく魔王の消えていった穴を見つめていたローカは、おもむろに勇者の方へ向き直りその青い瞳を彼へと注いだ。強い覚悟を秘めて。
「…見ての通りだ。魔王は消えた、我々の王は…逃げてしまった。勇者よ、堂々と挑んで来たお前にまずは非礼を詫びておく…すまない」
「…いやいやいや、すっごい展開なんだけど〜」
「リーティ黙りなさい」
サラに小突かれ渋々リーティは押し黙る。
「このような状況で我らが物言える立場ではないのは分かっている。だが先程の魔王の要求、それを呑んではくれないだろうか」
「彼女の自由が満たされるまで、彼女を討たない…か」
勇者の言葉にローカは苦虫を噛み潰したような表情をして頷いた。
「必ず魔王は戻る。是が非でもこちらに戻らせる。こちらとて長き勇者との因縁をこんな結末で終わらせるわけにはいかない。…時間をくれ勇者よ」
「魔王といい貴方といい随分勝手ですわね。魔王を見逃し、目の前の貴方達も見逃せと?こちらとしては魔王幹部も討伐の対象になりうるのですけれど」
「ちょっとサラだけ口挟んでずるっ」
「黙って下さいリーティ」
またサラに叱咤され悔しそうに口を噤むリーティ。
「魔王を野放しにしては危険です。自由に生きたいなどと泣いて演技をしていた可能性だってあり得るのです。このまま街に行き暴虐の限りを尽くすかもしれません」
「………」
ローカは何も言わない。ただ苦しげに顔を歪ませるだけだ。
彼には分かっていた、魔王の涙に嘘はないと。魔王は昔から魔王であるのにとても素直で純粋だった。だからこそ自分が強くあるよう厳しく指導していたのだ。待ち受ける魔王の運命を受け入れられるように。
だが育てた魔王は、まだ未熟なまま外へと飛び出してしまった。
「ですからこのまま見過ごすことは…」
「分かった、要求を呑もう」
サラの声を遮り、勇者がひたと前を見据えてそう告げた。
その声にサラだけでなくローカも声を失った。まさか受け入れてくれるとは思ってなかったのだろう。
「な、正気ですか⁉︎」
「…彼女は言った、生きたいと。ただ自由を求めたいだけだと。俺は彼女の言葉に嘘偽りは感じなかった」
靴音を響かせ勇者はローカの前まで歩を進めた。
「だから要求は呑む」
「信じられませんわ勇者さん…」
フラつくサラを今度はリーティが小突きニヤニヤと口角を上げた。
「これがあいつっしょ?にひひっ」
「…仕方ないだろう。勇者の直感も働いていることだしな」
どこか慣れた様子の面々は、悪くないと言った様子で勇者に賛同した。
「…すまない、恩に切る勇者」
苦しそうに、だがどこか安堵の表情を入り交ぜたローカは一つ息を吐いた。
後ろのフェル達もホッとしているようだった。
「…一先ず、戦闘は中止ってことね〜?」
「あぁ、勝敗はいずれまた決着をつける」
リーティの呑気な声にローカは頷いた。
全てが解決したわけではないが場の雰囲気が少し和らぎ始め、彼らにも心の余裕が生まれてきていた。
「ーー要求を呑むとは言ったが…」
不意に勇者が皆を遮るように呟いた。
「こちらにも、条件がある」
そして告げられた条件に、一同はただただ声を失うばかりだった。