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暴力

 外がすっかり暗くなった頃に、タイヤの滑る甲高い音が聞こえた。俺の頭に事故の記憶が甦った。

 ただしこれはカーブでタイヤが滑る音ではない。今では演出の効果音でしか聞けない急ブレーキの音だ。最近の車はABSが付いているため、ブレーキを思い切り踏んでもこんな音はしない。


 店から外に出た俺の前を、太いエンジン音を上げて車が走り過ぎていった。アメリカのドラマや映画によく出てくる、ピックアップトラックという車種だ。後部には街灯の明かりでもわかるほどのへこみがあった。


 車が走ってきた方を見ると、少し先の電柱の根元に女の子と自転車が倒れていた。もしかしてさっきの車に当てられたのか。俺がその子の方へ走っていくと、その前に近くにいた初老の女性がその子に寄って声を掛けていた。

 女性は何処かへ電話をかけたが、たぶん救急車を呼んだのだろう。女の子は気を失っているようで全く動かなかった。


 俺は集まってきた野次馬と一緒にその様子を見ていた。気を失った子に対する対応は適切で、俺が口を出す必要はなさそうだ。倒れている自転車は一見すると無傷だったので、さっきの車との事故だとしても強く当たったわけではない。


 やがてやってきた救急車はその子を乗せ、またサイレン音と共に走り出した。サイレン音はすぐに止まったので、俺はその方向からどこの病院に入ったのかが分かった。

 子どもが倒れていた場所に、一枚の小さな紙が落ちていた。確かあの子の指に挟んでいた紙だ。拾い上げると名前と住所と電話番号が書いてあった。


 もしかするとあの子は、ここに書いてある住所に向かっていたんだろうか。このまま夜遅くになってもあの子が着かなかったら、訪問先の人が心配をするかもしれない。一言くらい連絡しておいた方がいいだろう。

 俺はその紙に書かれた携帯の番号に電話をかけてみた。一度呼び出し音が鳴っただけで相手は電話に出た。


「はい、岩本です」


 紙には女性の名が書いてあったが、電話に出たのは男の声だった。


「もしもし。これからそちらに伺うことになっている――」

「すみません。妻は出産が早まってすでに病院に向かっています。要件は後でお願いします。この電話にはしばらく出られません」


 だとすると、あの子は出産に立ち会うためにこの家へ向かっていたのか。


「どちらの病院でしょうか?」

「賀川病院です。すみません。急ぎますので失礼します」


 あの気を失った子が病院で気付いたら、まず気になるのは子供が無事生まれたかということだろう。この番号に電話をして誰も出なければ、ケガに加えて不安を感じることになる。俺はそれを放っておきたくない。


 俺はタクシーで賀川病院へ行き、紙の名前の女性が入院していることを確認した。そして産婦人科の出産を待つ人たちにこっそりと混じって、子供が生まれるまで3時間ほど待った。

 あの子がいる病院に着いたのは日付けが変わる時刻だった。あの紙の裏にメッセージを書き加えて、それを救急窓口の人に預けた。


 紙一枚でここまでする人はまずいないだろう。しかし俺には交通事故の被害者に対して思い入れがある。普段から暇を持て余している俺だ。これも有意義な時間だったと言えるだろう。




 数日後、脇道から同じような車が飛び出すところを目撃した。あの子が倒れていた場所の近くだった。直進車の直前だったため、前を塞がれた直進車は急ブレーキを踏んだ。


 飛び出した方の車は、すぐにまた急ブレーキを踏んで停車した。直進車もまた急ブレーキを踏まされ、怒ったようにクラクションを鳴らした。怒って当然だと俺は思った。


 するとピックアップトラックから男が降りてきた。がっしりとした体つきで、腕に鍛えられた筋肉が見えた。クラクションを鳴らした車の運転席に近付くと、大声で怒鳴り出した。


 食料の買い出しに行った帰りの俺は、買い物袋を通行のじゃまにならない場所に置いてから、その男に近付いていった。

 こちらに気付いて振り返った男の顔を、俺は思い切り殴りつけた。俺はこめかみを狙ったが、男がわずかに避けたので当たったのは頬だった。人を殴ったのは初めてだ。

 男が倒れなかったので今度は腹を殴った。俺はその強い手ごたえに、男の鍛えられた腹筋を感じた。


 男は俺の腹を殴り返した。痛覚のない俺は衝撃だけを感じた。これほど強く殴られたことがなかった俺は、しばらく動きを止めて自分の体に異常がないことを確認した。自分のパンチが効いたと思ったのか、男の顔に笑みが浮かんだ。

 男が同じ場所をもう一度殴ろうとした時、俺は無防備な男の顔を殴った。互いの攻撃がほぼ同時に当たったが、姿勢を崩したのは相手だけだった。前かがみになった男の頭を俺は肘で強打した。男は倒れると動かなくなった。


 俺はその体を車に轢かれない場所まで引きずっていった。そして買い物袋を拾って家に帰った。他人を害するような運転をする者は、とりあえず危険ではない状態にする。それは俺にとってごく自然な行為だった。


 暴力を振るうことに躊躇する気持ちもあった。人を殺してしまったら、そのつもりでなくても、それがどんな相手でも、俺には生きる資格が無くなる。犯人は許せなくても自分なら許せるという考えは俺の中に無い。

 ネットで調べてみると、素手で闘って意図せず相手を殺してしまった例は非常に低かった。警察に検挙されたケースで万単位に1件、それ以外も含めるとその数十分の1だろう。


 この痛みを感じない体はユキから与えられたモノだ。だから俺が目的を果たすまでそんなことは起こらないはずだ。もしそんな奇跡のような確率のことが起こったのなら、それは家族を助けられなかった僕への天罰だ。


 手加減なしで人を殴った手は、後になってかなり腫れた。




 半月ほど後にも同じような状況に出会い、俺は同じように行動した。人も車も別だったが、ピックアップトラックという車種は同じだった。蹴りも試してみたが効果的には使えなかった。

 この時は相手の無力化に失敗して、男は車に乗り込むと罵声と共に去っていった。


 後で思い出したことだが車には同じステッカーが貼ってあった。俺は後見人の園田弁護士に頼んでそのステッカーについて調べてもらった。

 レッドストーンという名のチームのステッカーだった。スポーツのチームではなく、反社会的集団の予備軍みたいなものだ。


 このチームはいわゆる武闘派で、互いの上下関係をケンカの強さで決めている。あの暴走行為は、他のチームや個人にケンカを売るための手段だった。

 レッドストーンのケンカは基本的には1対1だが、無関係の相手とその状況に持ち込むのは意外と難しい。その点、1人で運転している所を狙えば挑発は簡単で、普通なら他からじゃまが入ることもない。


 店の前の通りは長い直線路で、交通量はほどほどだ。あの脇道からは本道がよく見通せる。タイミングを見計らって飛び出すのには向いているのだろう。




 その一週間後にまた同じような場面に出くわした。俺は前の2回の実戦で、日常の訓練をどうすれば実戦に生かせるかが分かってきた。訓練もこの状況を想定したものにして、相手の攻撃をある程度は避けることができるようになっていた。

 闘いが一方的になった時、突然俺は背中に強い衝撃を受けた。別の男がいつの間にか後ろにいて俺を蹴ったのだ。


 止められた車に乗っていたのも仲間だった。俺を狙った罠だ。複数を相手にするのは予想以上に難しかった。優勢に持ち込むことはできたがパトカーのサイレンが聞こえるまでに決着はつかなかった。


 男たちは車で逃げていった。俺は初めてパトカーに乗った。取調室で刑事らしい人と話をしたが特に厳しい口調ではなかった。しばらくすると園田弁護士が来て俺を警察から連れ出してくれた。




 数日後、レッドストーンのメンバーが俺の店を訪れた。身構えた俺にその男は言った。


「ここで暴れるつもりはねえよ。ケーサツも近いからな」


 そう言うと男はカウンターの上に1枚の紙を置いた。その紙にはこう書かれていた。


『7月28日、午後10時、第二埠頭』


 7月28日は、来週、浜手の地区で祭りが行われる日だ。第二埠頭は神社から少し離れた場所で、毎年のように暴れたい人間とそのギャラリーが集まってくる。ここで何かするつもりなら見物客には事欠かないだろう。


「何の用事か書いてないな」

「話し合いになるかそうじゃないかは、お前次第だ」

「そうか。解った」


 俺がそう言うと、男は店を出て行った。


 あの連中の意図はおおよそ見当がついた。大勢のギャラリーの前で俺を叩きのめすか土下座させるかして、チームの汚名を返上したいのだろう。

 この前は2人がかりで俺に負けたから、もう1対1にはこだわっていないはずだ。次は3人かそれ以上で待ち構えて確実な勝利を狙ってくるだろう。


 俺はこの件を上手く利用できないかと考えた。俺がその何人かを病院送りにできれば、告訴されて実刑がつく可能性は十分にある。そうすれば、出所まで待たずに収監先の犯人に出会えるかもしれない。


 犯人を憎みながらただ待ち続ける時間は長かった。家族を見殺しにした自分の無力さを呪う日々から、少しでも早く解放されたかった。俺にもできることがあると早く証明したかった。


 殺すわけにはいかないから手加減の難しい刃物は使わない。それに刃物を持っていれば、殺意があったとみなされて刑期が長くなる。犯人と同じ刑務所に入れなければ、大人しく待っているより犯人に会う日が遅くなる。


 俺の年齢で初犯から実刑を食らうのはなかなか難しい。素手のケンカで相手に致命的なダメージを与えないという条件ならなおさらだ。たとえ相手にケガをさせても最後に負けたのではダメだろう。勝負には勝って相手を無抵抗にした後で、さらに痛めつける必要がある。

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