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訪問者

 事故の公判が始まる前、正気に戻った俺は病室で警官からの質問を受けた。それまで事故の状況を犯人からしか聴取できなかったので、被害者からも話を聞きたいということだった。

 警官が被疑者と呼んだ犯人のことを俺は詳しく知りたかったが、その時は雑誌で読んだ以上のことは教えてもらえなかった。


 驚いたことに、今回の事故は追突ではなく正面衝突だと思われていた。つまり俺たちの車は山上へ向う途中で対向車線にはみ出して、そこで事故に遭ったということだ。


 どうしてそんな話になったのか。まず犯人が事故の状況をそう説明していた。


 俺たちの車は、前の方が後ろより激しく破損していた。これは崖から落ちた衝撃で壊れたからだが、正面衝突ならこんな風だろうという壊れ方でもあった。

 普通は衝突時に加害者の車の塗料が被害者の車に付着して、それを確認することで衝突した場所は特定できる。しかし犯人の車の衝突した部分、バンパーやフロントグリルには、塗装のいらない着色された樹脂部品が使われていた。


 犯人は、事故の時に俺たちの車がヘッドライトを点けていなかったと言ったそうだ。だから気付くのが遅れたと言いたいんだろうが、車の後ろにヘッドライトがないのは当然だ。

 俺は落ち着いた言葉で犯人の間違いを指摘した。こんな嘘で冷静さを失うほど俺の犯人に対する怒りは小さくない。変化がないとまでは言わないが、せいぜい誤差のレベルだ。


「疑うわけではありませんが、勘違いということはないのですか?」


 警官から聞かれた俺は、少し考えてからこう答えた。


「レストランからの帰りだったので、父の財布にその時のレシートが入ってるはずです。日付や時刻も印刷されてるんじゃないですか?」


 俺はさらにその時に食べた料理の内容や、隣りのテーブルにいて会話をした少女と老人についても説明した。警官は俺に礼を言って病室を出て行った。




 警官に会った次の日、病院の中庭にいた俺のところに見慣れない男が現れた。


「君が貴弘君だな。ご家族はお気の毒だったね」

「どうも」


 なれなれしくて不愉快な男だと思い、俺は雑な返事をした。


「僕はニュースサイトで記事を書いているんだ」

「記者なんですか?」

「まあそうだ。大手の記者と違って、企業や警察の提灯記事は書かないけどね」

「それで?」

「今回の事故について、君から何か言いたいことは無いのかな? 犯人とか警察とかに対して」

「ありません」


 自分の名前も告げずに人から話を聞こうとする。そんな自称記者に、俺はわざと素っ気ない返事をした。男はムッとした表情を見せた。


「犯人について、何も聞かされていませんから」


 俺が期待した通り、それを聞いた男は犯人について知っていることを話し始めた。雑誌に書かれていなかったことが幾つかあったが、その口ぶりから信憑性は低いとも思った。


「普段のお父さんの運転はどうだった? 同乗してて怖いと思うようなことはなかったかな」


 情報の提供で僕が心を開いたと思ったのか、益々なれなれしい口調になった。しかしハンドルを握っていたのが母さんだということも知らないのか。この男の情報には価値がなさそうだ。


「そんなことを聞いても意味はないよ」

「どうしてかな?」

「記者なら少しは調べてから話を聞きにくるべきじゃないのか。あの日父さんは酒を飲んでいたんだ」


 男は驚いた顔になり、それから嫌な感じの笑みを見せた。


「事故の一番の原因は何だと思う」

「スピードの出し過ぎだろう」


 この男との受け答えが無駄だと思った俺は、そっけなく答えた。


「警察がもっと早く君たちの車を見つけてたら、お母さんや貴幸くんは助かってた。そう思わないか?」


 俺はその言葉に答えず男に背を向けた。呼び止める男を無視して俺は病室に戻った。




 男は記事を書いていたのは彼個人のニュースサイトで、大手マスコミの記事と自分で調べた幾つかの記事を、はっきり区別できない状態で掲載していた。

 そこにスクープと称して載せたのが俺へのインタビュー記事だった。要約するとこんな内容だった。


--------


 事故死した父親は、酒を飲んでスピードを出しすぎたあげく対向車線に飛び出した。しかし警察は飲酒の事実を秘匿した。遺族と取引するためだ。

 最初に駆けつけた時、警察は被害者の車を発見できなかった。被害者のうち2人は、救命が遅れたために死亡した。その警察のミスを訴えないというのが、遺族との取引の条件だ。

 最後に記者が警察の失態について問いかけると、遺族は動揺してその場を離れた。


--------


 この記事は、公開直後にはそこそこ話題になった。確認せずにうわさとして記事を書いた大手サイトもあった。

 しかし記事のすぐ後で、警察からその記事を否定する内容の発表があった。事故は犯人の追突によるものだという発表だ。


 記者に何を話したのかを確認するため、俺に会いにまた警官がきた。それに協力する義務は俺にはない。俺は警官と交渉をして、話をする代わりに情報を提供してもらった。


 俺の言葉通り、証拠品の財布に入ったレシートには店名と日時が印刷されていた。俺たち4人の写真を見せられたレストランの店員や、俺が話した隣席の客からも証言がとれたそうだ。他にも鑑識が撮影した現場写真や遺体を確認した医師の証言など、記事が嘘だという証拠はいくらでもあった。

 さらに自称記者は、病院が立ち入りを禁じている場所に無許可で入り込んでいた。


 発表に対して、そのサイトには警察の陰謀だとする内容の記事が掲載された。男が本気でそう思ったのかどうか俺には分からない。俺はただ知っている事実にそれを確認するための情報も添えて色々なサイトに書き込んだだけだ。


 その後で、自称記者の間違いを指摘する記事が色々なサイトに載った。病院への無許可侵入が明らかにされると、大手の匿名掲示板でも炎上した。それ以降、男のニュースサイトは更新が止まった。


 俺はレコーダー代わりのスマホを持ち歩いて、会話を全て録音することにした。




 次に現れたのは園田という弁護士だった。色々回りくどい説明をしていたが、要するに犯人から慰謝料を取るための民事訴訟を任せろということだった。俺に殺される犯人から慰謝料を取るつもりはない。もちろん他人にそんなことは言えない。


「どれほど大金を受け取っても、俺の気持ちは全く晴れない」

「お金だけじゃありません。民事裁判なら刑事と違って被害者も当事者として扱われます。犯人がどうしてあんな真似をしたのか、もっと詳しく知りたいと思いませんか?」

「金で犯人が代償を払った気になったら、俺にはその方が我慢できないほど不愉快だ。それに実際に金を払うのは親の方だろう。親を困らせるためにあんな――」


 冷静に話していたつもりだったが、演技ではなく突然怒りが爆発しそうになった。俺は言葉を止めると、ゆっくり大きく息をしながら気持ちが落ち着くのを待った。


「許せない事故を起こした犯人の、その思惑に乗るようなことはできない」


 それは一番の理由ではないが嘘は言っていない。俺の様子からその意思を覆せないと思ったのだろう。園田は解りましたと言って思ったより素直に病室を出て行った。




 退院した後に次の訪問者が現れた。犯人の父親だった。土下座をして謝られたが、その行為は俺の心にさざ波さえ立てなかった。


 しかしその後に彼の口から出た言葉は、俺を大いに驚かせた。俺に犯人の減刑嘆願書を書いてくれと言ったのだ。心労で頭がおかしくなってしまったのか? 彼の頭の中にいる俺は、犯人が更生することを願っている天使のような人物らしい。

 続けて話を聞いてみると、民事訴訟を起こすのを俺が断ったことが、彼を勘違いさせた原因になったようだ。


「実を言うと、園田先生には何も言わずにここへ来ました。息子の罪は刑事罰で償えばいいと言っていただきながら、さらにその刑事罰まで軽くして欲しいと望む。それは園田先生が誠意を持ってご説明してきたことを無駄にする行為だ。そう言われました」


 園田先生? ……ああ、あの弁護士か。なるほど、話が見えてきた。


 自分の努力で俺が民事訴訟を諦めたことにして、この男から礼金を手に入れたわけだ。彼なら、俺が減刑嘆願書を書くはずはないと知っているから、俺の説得を頼まれても断るだろう。この男が俺に直接会うと言えば、それも止めようとするだろう。


 しかしよく考えてみれば、これは悪い話じゃなかった。刑期が短くなるほど、俺が待たされる時間も短くなる。


 俺が殺す時には、誰がどんな理由で自分の命を奪おうとしているのかを犯人にはっきりと理解させる。そして犯人の死体もできれば無駄にしたくない。犯人を殺す時には後で遺体を臓器移植に使えるような方法を選ぶつもりだ。


 手間をかける分だけ、一度失敗したら次の機会を得るのは非常に難しくなる。できるだけ失敗する可能性を減らしておきたい。相手が被害者遺族でも、それが減刑嘆願書を書いてくれた相手なら犯人は警戒心を緩めるだろう。

 とはいっても、その場で減刑嘆願書を書くとは言わなかった。いくらなんでも不自然だ。後で決心がついたと連絡する時には、園田弁護士にも立ち会ってもらうように頼んでおこう。




「おひさしぶりです、園田さん。色々とお話できることがあると思いまして、小延さんにお呼びいただきました」

「お体の調子が気になっていたんですが、すっかり元気になられたようですね」

「ありがとうございます。ただ、少し気になることもあります」

「何でしょうか?」

「どうも自分で話したことを忘れてしまうことがあるようなんです」

「それは大変ですね。話しながらメモをとる習慣をつけると良いそうですよ」

「記憶力は良い方だと思っていたんですが」

「他からお聞きしたことですが、事故のことが心の負担になってしばらく入院されていたようですね。その影響ではないでしょうか」

「なるほど。園田さんはそう思われるわけですね」

「違いますか? ほとんどの方はその説明で納得していただけると思いますよ」

「そうですか。納得しました」

「それは何よりです」


 園田弁護士はにこやかな笑顔を見せた。


「ところで、さっきいただいたアドバイスですが」

「何だったでしょうか?」

「メモをとると良いという話です。私は入院しているときにおかしな男からインタビューを受けました」

「その件は存じています」

「それから私は他人との会話に気をつけるようになりました。具体的に言うと全ての会話をスマホで録音するようにしたんです。これならメモの必要はありませんね?」


 園田弁護士の笑顔が不自然なものに変わった。


「……そうですね。良い考えだと思います。ところで、私をお呼びになった理由は何でしょうか?」

「これもご存知でしょうが、私には死んだ家族以外に身寄りがありません。後見人になっていただく方が必要なんです」

「それを私に、と?」

「はい。お願いできますでしょうか」

「……すぐにはお答えできません。少しお時間をいただけますか?」

「はい。良い回答を期待しています」

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