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原因

 深い霧で包まれたように周囲は何も見えない。その霧は<ボク>の頭の中にもかかっているようで、ほとんど何も思い出せない。

 一体いつからここにいるのか、どうしてここにいるのかさえ<ボク>には分からなかった。


 <ボク>が覚えているのは僕と家族との記憶、僕が家族を失った時の記憶だけだった。でも記憶の中の僕は、本当に今ここにいる<ボク>なんだろうか。僕が何をしたかは思い出せるのに、その時に僕がどう感じていたかは思い出せない。


 やがてどこからか声が聞こえた。


「父さんと母さんとユキを、どうして僕は助けられなかったんだ?」


 これは僕からの質問だ。そして<ボク>には答えることのできない質問だ。


「……分からない」


 <ボク>にはそう言うしかなかった。


「どうしてみんなは死んだんだ? 死ななければならない理由があったのか? それとも意味もなく死んだのか?」


 答えられないと分かっているのに、どうして僕はこんな質問をするんだろう。


「これからどうするつもりだ?」


 この質問なら<ボク>にも考えることができる。覚えているのは家族のことだけだから、そこから答えを探さないといけない。




 僕は自分に対して失望していた。


 自分のできる限りを尽くして僕は家族を救おうとした。みんな僕にとってかけがえのない存在だ。あれ以上のことはできないと断言できるほど力を出し切った。何か選択を誤ったという覚えもなかった。

 それなのに僕は、何一つ意味のあることをできなかった。僕はその程度の人間だった。死ぬべきではない人間が死んで、役に立たない者が生き残った。こんなことが許されるはずがない。

 だけどもう結果は出てしまった。いくら許されないことでも、過去は誰にも変えられない。どれだけ考えても無理なものは無理だ。


 だから諦めてこのまま何もしないのか。それだと<ボク>は自分の無力さを許せないままだ。<ボク>にできることが何かあるんじゃないか。それから<ボク>は、そのことをずっと考え続けた。




 結果には必ず<原因>がある。許されない結果には、許されない<原因>があるはずだ。僕に何かすべきことがあるなら、それは<原因>に対してだ。


 家族の命を奪った<原因>はどうなったんだろう。この<原因>はまた誰かの命を奪うかもしれない。それを止める者が必要だ。


 <原因>がもたらす結果の悲惨さを、一番よく知っているのが僕だ。僕はそれを家族の死によって知った。その僕が何もしなかったら、それは家族の死を無駄にすることだ。何よりも家族が大切だった僕がそんなことをするはずがない。


 僕は<原因>を無害にする。最も確実な方法は<原因>をこの世から消すことだ。僕は生き残ってその役目を与えられた。僕が最初にすべきなのは、その<原因>を見つけることだ。

 すぐに<原因>を探そうとしたが、何もないこの世界に<原因>があるはずがない。この世界を出たい。<ボク>がそう願ったとき、僕自身が作ったこの世界は消えた。





 <ボク>が目覚めたのは、白い人のいる白い場所だった。相変わらず僕は知識を失ったままだった。白い人に<原因>のことを尋ねようとしたけど、<ボク>の言葉は相手に伝わらなかった。


『君の言葉は誰にも通じないよ』


 そう言ったのは、いつの間にか現れたもう一人の<ぼく>だ。


『どうして?』

『君は色々と欠けてるから』


 どうやら<ボク>は、話しかけてきた<ぼく>と違って何かが足りないらしい。


『じゃあ<ボク>の代わりに聞いてくれ』

『<ぼく>は他の人には見えないんだ』

『どうして?』

『<ぼく>が臆病だから、かな?』


 言葉の意味が分からずに尋ねると、<ぼく>はもっと詳しく説明してくれた。ただし<ぼく>も全てを知っているわけではなかった。話してくれたのはあくまで<ぼく>の推測だった。


 <ボク>にほとんど記憶がないのは、自分の心を守るためだ。心を壊すほどの激しい感情を抑えるためだ。人の感情は経験によって強く複雑になる。その経験を記憶ごと封じれば、感情は赤ん坊の時のレベルに戻る。


 普通ならこういう場合、強い感情を呼び起こす記憶だけが思い出せなくなる。僕の場合は家族との記憶、特に僕が家族を助けられなかったという記憶がそれだ。

 でも僕は家族の記憶を手放そうとしなかった。そのせいで僕は『おかしな具合に壊れた』<ボク>になってしまった。


 <ボク>に話しかけてきた<ぼく>は別人格というやつらしい。僕の記憶を読み出せるけど、あくまで他人として記憶を眺めているので感情はほとんど生まれない。そのためか、僕の体を動かせる主体にはなれない。


 この世界のことを<ぼく>は教えてくれた。この白い場所は『病院』で、白い人は『医者』だそうだ。ここにいる医者たちは、<ボク>が探している<原因>のことを知らないそうだ。


 <ぼく>は<原因>のことを、医者に聞くより本で調べるように勧めた。<ボク>は病院で見つけた本を、片っ端から読むことにした。どの本も言葉を読むことはできたけど、<ボク>にはそれを理解する知識がなかった。

 <ボク>はそういう時、<ぼく>に分からないことを教えてもらった。話すことが好きな<ぼく>は、聞いていないことまで<ボク>に話してくれた。


 しばらくすると<ボク>は、自分の中の<原因>を探したいという気持ちが薄れていることに気付いた。色々と聞いた楽しいことを体験したくなっていた。

 それは<ぼく>がわざとやったことだ。<ボク>に色々なことを話したのは、<ボク>の関心を<原因>以外に向けるためだった。


 <ボク>はそうなった自分を許せなかった。そして<原因>を消すために必要なものだけでもう1人の自分を作った。

 他のことに気を取られないように何かを楽しむ心は捨てた。

 どんなことにも怯まないように何かをためらう心も捨てた。

 <オレ>と名付けた新しい自分だけを残して、<ボク>が消えることを<ボク>は望んだ。




 <オレ>はそれから<ぼく>の言葉を無視して<原因>を探した。時間をかけて色々な本を少しずつ読み進めた<オレ>は、ついに<原因>を見つけることができた。

 『週刊誌』と呼ばれる本には、色々な出来事が文章や写真で記録してあった。その中に家族の名前を見つけた<オレ>は、探していた<原因>の情報も見つけることができた。

 <原因>は<オレ>たちのいる病院の外、『社会』と呼ばれる世界に存在した。


 <オレ>は医者から、その世界へ行く資格を認めてもらう必要があった。そのためには、まず失った記憶を取り戻さなければいけない。<オレ>は<ぼく>を自分の中に取り込むことにした。方法は聞かなくても分かる。心の中のことなら、本気で強く願えば叶うはずだ。


 だが臆病な<ぼく>は、<オレ>と1つになることを嫌がった。家族を失ったことによる激しい苦しみが甦ることを恐れていた。しかし<原因>を消すという目的こそ<オレ>の存在理由だ。<オレ>の単純で強い意志は<ぼく>の抵抗を上回った。




 そして俺は自分の記憶を取り戻した。記憶が甦ると共に、それまで凍っていた様々な感情も一気に溶けだした。家族を失ったことで心に生まれた巨大な穴に、様々な感情が流れ込んで俺の心の中心になった。


 その感情中で最も強かったのは怒りだった。家族を助けられなかった自分に対する怒りと、家族を殺した<原因(はんにん)>に対する怒りだ。どちらも心を壊してしまえるほど強かった。


 俺はもう<原因(はんにん)>を(ころ)すと決めていた。だから犯人に対する激しい怒りを従わせることができた。犯人を殺した後に自分も死ぬ。そう決めたことで自分に対する怒りは矛先を失った。


 この2つの誓いを破るには俺を壊すしかない。つまり俺には誓いを破れないということだ。万が一にも俺を壊さないため、俺はルールを決めた。


 どんな理由があっても、人を殺した者はその報いを受けなくてはならない。




 こうして不完全ながら俺は正気を取り戻した。俺が生まれたときには無かった楽しむ心やためらう心は、甦った記憶と感情によってゼロではなくなった。しかし事故の前の僕とは別の人格になっていた。


 人格だけでなく記憶も完全には戻っていなかった。それに気付いたのは、クラスメイトたちが初めて見舞いに来てくれた時だ。


「何だよ。急に自分のことを俺とか言いだして。この病院、きれいな人が多いからカッコつけてんのか?」


 そう言ったのは俺の小学校からの友人だった。


「サンズイはあんたと違うの。そんなことで色気づいたりしないから」


 そう言った女子に俺は見覚えがなかった。同じ学校の制服を着ていたことや、何より俺に対する口調からかなり親しい関係だったはずだ。


「誰だっけ、君は?」


 俺がそう言った時、病室にいた全員が黙り込んだ。どうも良くない言い方だったようだ。


「ええ~。あたし振られただけじゃなくて、記憶からも抹消されちゃったの?」


 俺の記憶になかった子はおどけたようにそう言ったが、ショックを受けていたのは俺にも分かった。


 過去を思い返してみた俺は、恋愛関係の記憶が全くないことに気付いた。<オレ>を作った時に、<ボク>は目的を果たすために恋愛感情はじゃまだと考えたのだろう。幼稚園で年長だった時の先生が誰だったのか思い出せないのは、もしかすると初恋の相手だったからか。




 不完全な部分は体にもあった。俺の体から痛覚が消えていた。最初に気付いたのは、定期検査のために注射をされた時だった。


「少し痛みますよ」


 医者にはそう言われたが、俺には針先が触れたという感覚しかなかった。不思議に思った俺の頭にユキの声が甦った。最後にユキがつぶやき続けていた『痛くない、痛くない』という声だ。


 ユキが俺の体から痛みを持ち去ってしまった。痛みが俺のこれからの行動を邪魔しないように。何の根拠もなかったが、俺にはそれが真実だと思えた。




 事故現場から助け出された時のことは、未だに思い出すことができない。僕が知っているのは全て他人から聞いた話だ。事故の裁判が始まると、検察の人からも色々な話を聞けるようになった。


 それらの話をまとめるとこういうことだった。




 崖下にあった俺たちの車が発見されたときには事故から5時間が経っていた。

 生き残ったのは俺だけだった。発見された時の俺はまだ金属棒をハンカチでこすり続けていた。ハンカチは指から滲んだ血で染まっていた。かすれた声で何かをつぶやきながら、止めようとした警官に抵抗し続けたそうだ。


 父さんは即死だった。母さんは事故から1時間ほどは生きていたらしい。救助が到着した時には、ユキもすでに冷たくなっていた。

 ユキを死なせたのは背中に受けた傷だった。衝突で車の荷室が押し潰された時、そこに置いてあった折り畳み傘が座席の背もたれに刺さった。傘の最も頑丈な中棒は、背もたれを突き抜けてユキの背中に刺さり、内蔵深くにまで届く傷を作った。


 俺が最後までユキの鼓動だと思っていたのは、ウインカーの出す電子音だった。

 ウインカーを止めた途端に俺の抵抗も止まった。そのことを聞いた俺は、俺に同情的だった人に頼んで色々と確認してもらった。

 僕がウインカーの音だと思わなかったのは、電子音を出すスピーカーが歪んで低い小さな音しか出なかったからだ。車体のターンランプが壊れていたため、音と一緒に点滅するはずの光もなかった。


 家族の体は全て火葬場の灰になっていた。母が過去に移植を受けたこともあり、俺たちは全員がドナーカードを所持していた。だけど心肺停止から時間が経っていた家族の体は、誰の命も救えなかった。


 犯人は勝手に親の車を持ち出した俺と同じ16歳の少年だった。

 事故の後、乗り捨てられた車を発見した警察が父親に連絡したが、犯人はまだ家に戻っていなかった。友人に説得された犯人が警察に出頭して、ようやく単独の事故ではないと分かった。話を聞いた警察官たちが現場に急行したときは、すでに5時間近く経っていた。


 犯人が自供するより前に警察への通報はされていた。事故の直前に犯人の車に追い抜かれた人が、衝突音を聞いていてすぐに電話をしていたのだ。

 十数分後に到着したパトカーは事故の状況を確認したが、俺たちの車が崖下に落ちていたことには気付かなかった。ガードレールに傷はあったが破れてはいなかった。


 犯人の車は2トン近い外車のセダンだった。俺たちの乗った軽自動車は、その車に時速100キロを超えるスピードで追突された。

 大型車の衝突にも耐える頑丈なガードレールは破れなかった。背の高い軽自動車は、ガードレールに跳ね返された衝撃で車体の片方が浮き上がり、そこにまた犯人の車がぶつかった。

 突き上げられた俺たちの車は、ガードレールを乗り越えて崖に落ちた。


 最初に駆け付けた警官は、ガードレールの傷を犯人の車だけがぶつかった跡だと考えて、他にも事故車があるとは思わなかった。

 俺たちの車は、60度の傾斜がある崖を30メートル近く落ちていた。道沿いに生えた灌木がじゃまになって昼間でも見つけるのが難しい場所だった。

 後で現場検証に立ち会った俺も、見つけられなかったことを警察のミスだとは思わなかった。

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