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葛藤

 俺はもうしばらくすると、この世からいなくなる人間だ。俺と2人だけの記憶を増やすのは、二宮にとっては辛いことになるだろう。かといって、楽しそうな様子の二宮にもう帰ろうとは言い難い。

 二宮が好きな人を諦めることになったのは俺の計画外だった。考え過ぎかもしれないが、彼女の傷ついた心を癒すだけで済まないかもしれない。彼女が優しくする俺に必要以上の好意を持つとまずいことになる。


「……ですよね」

「ん? ああ、すまない。少し考え事をしていた」

「店長さん。……あたしと2人なのは楽しくないですか?」


 二宮が俺にそう言った。二宮にしては随分ストレートな質問だ。俺はどう答えるべきか考えたが、やはりこの手の問題では俺の頭は上手く働かなかった。だが今は、安西に相談することはできない。


「あっ、店長さんだ」


 突然の声に俺が聞こえた方を見ると、見覚えのある3人の女の子が俺たちの方を見ていた。何度か店に来てくれたことのある客だった。そのうちの1人がこちらに駆け寄ってきた。他の2人も後を追ってこちらに歩いてくる。

 俺は接客モードの口調になって、その子にこちらから話しかけた。


「こんにちは。意外なところでお会いしましたね」

「アタシが誰か分かります?」

「向こうにいるお2人と何度か店に来ていただきましたね」

「そうです! 今日は彼女とデートですか?」

「ここへは7人で来たのですが、他の人たちとは逸れてしまいました」

「そうなんですか。じゃあ、アタシたちもご一緒していいですか?」

「ダメに決まってるでしょ!」


 彼女の連れの1人が少し離れたところから叫んだ。


「アンタはホントに常識がないんだから。人のデートのジャマをしてどうすんの」

「でもここには7人で来たって」

「だったらどうして今は2人なの。気を利かせたに決まってるでしょ」

「そうなんですか?」

「やめなさいって! 本当にすみません。悪気はないんだけど馬鹿だから」

「ひっどーい」

「いえ。よくご利用いただいているお客様ですから、店以外でも声をかけていただいてかまいませんよ」

「そうですか」

「いつまでも一緒というのは、さすがにご遠慮していただきたいですが」

「それはもう。……あ、二宮さん。いつも美味しい料理をいただいてます」

「あ、はい。そう言っていただけると嬉しいです」


 予想外の展開だが、二宮への返事に困っていた俺は彼女たちに助けられた気分でもあった。


「せっかくこんな所でお会いできたのですから、次にお店に来ていただいた時は何か一品をサービスしましょう」

「それだったら、今度店に行ったときにあの顔を見せて欲しい」

「あの顔?」

「高校で撮った写真の顔。あごに手を当ててこんな風にしてるの」

「ああ、そのようなことでいいんですか? 私はかまいませんが」

「それから。その時に常連の人と話すみたいに、アタシの名前を呼んで欲しい。1度だけでいいから」

「それくらいなら。ええと、お名前は?」

「木村です。『よう、木村。いつものでいいか?』とか言って欲しい」

「それでは、私を真っ直ぐに見てください?」

「こう?」

「……はい。木村さんですね。ではまた次のご来店のときに」

「もしかして、今ので名前を覚えてもらえたの?」

「はい。これは私が人の顔と名前を覚えるときのくせなんです」

「あの、……わたしも同じことをお願いしていいですか?」

「かまいませんよ。でも、それより――」

「だったら、あたしも」


 他の2人からも名前を聞いて、俺たちはその3人と別れた。木村さんの一緒に行動したいという申し出には困ったが、おそらくあれは冗談なんだろう。

 料理を無料にすると言ったのに、彼女はそれを他愛もない挨拶に変えて欲しいと言った。意外にといえば失礼だが、気遣いのできる人だった。




「こうやって探すつもりで見ていると、(うち)の客が何人か来ているな。向こうも俺たちに気付いているようだ。午前中は見かけなかったはずだが」

「店長さんって、お店に来るお客さんの顔をみんな覚えているんですか?」

「1回来ただけの人だと、店以外で会っても分からないだろうな。2回目でまた来てくれたと思った時に覚えている感じかな」

「もしかして、午前中と店長さんの様子が違ってたのはそのせいですか。……そうですよね。知り合いに見られてたら、あたしだってちょっと気まずいです」


 どうやら俺に都合がいいように誤解してくれたようだ。


「そうだな。何か最後に乗ってから帰ることにするか」

「それだったら観覧車に乗りたいです」

「そうか。それなら知り合いにも見られないな」




 俺が先にゴンドラに乗り込み、後から乗った二宮は俺の正面に座った。この観覧車自体はさほどの高さではないが、遊園地のある山間部の一番高い場所に建てられているので、かなり遠くまで一望できる。


「高いところは大丈夫だな」

「こんなにゆっくり動いているのは平気です」


 俺は外を眺めるふりをしながら考えた。二宮が俺に好意を持っていることは分かる。問題はそれがどの程度のものかだ。俺がいなくなることで、彼女はどの位傷つくだろうか。

 今の二宮には彼女を本気で支えてくれる人がたくさんいる。たとえ深く傷ついたとしても、いずれは立ち直ることができる。だからといって傷つけていいわけではない。全く傷つけないのは無理だとしても、傷は浅ければ浅いほどいい。


 二宮はこれまで、俺が知る範囲だけでも多くの悪意に向かい合ってきた。それなのに彼女からは、悪意に対して生まれるはずの怒りや憎しみをほとんど感じない。他人の悪意に対して鈍感だともいえる。

 他人の気持ちに鈍感なわけではない。相手が悲しんでいれば、それを察するだけでなく感情移入までしてしまう。他人の喜びを自分の喜びにすることもできる。


 幼い頃から自分を責め続けた結果とはいえ、基本的に彼女は善人なのだ。誰かを実際に殺してしまうような憎しみを二宮は理解できないだろう。

 二宮と違って俺は怒りや憎しみに囚われている人間だ。それを理解した時に、彼女にとって俺の存在はもっと軽くなるはずだ。


 俺の印象を急に変えようとすれば、頭のいい二宮はそれに気付くだろう。そのために俺は、彼女の心を俺から離すための方法を考えている。


 特に効果がありそうなのは安西の動画だ。飛び下り騒ぎの後、俺もあの動画を見せてもらったが、俺の酷薄さがよく現れた動画だった。あの動画の俺なら、かっとなって犯人を殺したとしても不自然には思われない。

 二宮にあの動画を見せた後、『死んで当然の奴らだ』『殺してやれば良かった』などと言葉を付け加えれば、彼女の俺に対するイメージは急落するはずだ。


 その前に二宮の前で安西を叩きのめしておく。それも理不尽な理由でだ。二宮は安西を好きな葉山と一緒に俺を止めようとするだろうが、もちろん俺はその言葉を無視する。

 葉山もすでにあの動画は見ている。少なくともあの動画を見た時は俺に怯えていた。校舎の屋上で二宮を助けた時に、俺への印象が一変したようだ。しかし好きな相手が俺に傷つけられるのを見たら、その印象もまた変わるだろう。


「あの山は店からも見える山だな。見ている方向は反対だが」


 俺がそう言っても二宮からの返事はなかった。もしかして居眠りしているのかと思って俺は正面を向いた。二宮は起きていたが、その目は窓の外ではなく俺を見ていた。

 俺と二宮の目が合った。二宮はそれでも俺を見つめ続けている。それを見ていた俺も彼女から目を離せなくなっていた。2人とも何も話さなかったが、俺はその必要がないと感じていた。


 観覧車を降りると、俺は真っ直ぐに遊園地の出口へと向かった。2人が車に乗り込むまで、互いの口数は極端に少なくなっていた。


 帰り道。俺が行きと同じように小声で『ブレーキ』と言うと、ほとんど同時に二宮も『ブレーキ』と言った。不思議なほどそのタイミングはピッタリだった。

 それからも二宮は『ブレーキ』と言い続けた。そのタイミングは、もう俺が『ブレーキ』と言う必要が無いほどだった。


「今日のことは一生忘れません」


 二宮はそう言って車を降りた。俺は車を返すためにレンタカー屋に向かった。()()()()を実行することは、俺にとって予想以上に辛いことになるだろう。




 翌日、さっそくその3人が店に来てくれた。俺が彼女たちと約束をしていたことをすると、何故か周りの客が騒ぎ出した。安西までもが俺の行動に対して質問してきた。


「……ということだ。しかし、どうしてこんな騒ぎになるんだ?」

「湊河さんが人気者だからですよ。特定の客だけ扱いを変えるのは、接客として良くないと思いますが」

「心配するな。今回だけの約束だ」


 その次に彼女たちが来店したときは、あの顔はせずに口調も元に戻した。ただし名前で呼ぶことと、いつものメニューでいいかと確認することは止めなかった。彼女たちはそれが意外だったようで、俺に笑顔を見せた。


 するとその後で、俺は他の客から質問をされた。


「他の人でも外で店長さんに会えたら、あんな風にしてもらえるんですか?」

「それはちょっと。あの時は私にとって特別な状況でしたから」

「だったら、同じように店長さんが2人でデートしている時ならいいんですか?」「……ええ、そういうことでしたら」


 あれはデートではないのだが、今後は俺があのようなイベントをすることはないだろう。俺が彼女たちの言葉に頷いたのは、そう考えたからだった。

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