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生い立ち - 二宮透花

 在校生が並んで作った花道を、あたしたち6年生が通り抜ける。今日であたし、二宮(にのみや)透花(ゆきか)はこの学校を卒業する。


 泣いている同級生のみんなを見ていると、あたしは泣けない自分が寂しくなる。あたしはこの学校で別れるのが悲しいと思う相手を作れなかった。

 在校生として卒業生を見送った去年までの卒業式も同じだった。あたしの周りには、あたしをいじめる人と無視する人しかいなかった。


 でも一度だけ、他とは違う卒業式になるはずだった。あたしが勘違いさえしなければ。




 あたしがもうすぐ5歳になる頃だった。


 幼稚園のない日は、ママに近所の公園へ連れて行ってもらっていた。妹の彩花(あやか)が生まれると、彩花も一緒に公園に行くようになった。

 あたしにはサキちゃんという友達がいて、違う幼稚園に通っているその子と会えるのは公園だけだった。


 急な用事ができたから今日は公園に連れて行けない。いつものように出かける用意をしていたあたしは、そうママに言われた。

 どうしても公園に行きたかったあたしは、泣きじゃくって抗議をした。その日はサキちゃんに、誕生日の手作りプレゼントを渡すと約束していたからだ。

 だけどママには聞いてもらえなかった。1人で公園に行くことも許してもらえなかった。公園までは信号のない横断歩道を何度か渡るので、4歳のあたしには危険だと言われた。


 あたしはママに黙って、プレゼントを持って公園に行くことにした。玄関を出ようとした時、彩花があたしを見つけて一緒についていくと言った。あたしがダメだというと、彩花は今にも泣き出しそうな顔になった。

 ここで泣かれたらママに見つかってしまう。あたしは仕方なく彩花を連れて行くことにした。


 あたしはプレゼントを入れた紙袋を左手に持ち、右手で彩花の手をつかんで公園まで歩いた。彩花が事故にあわないように、ずっとその手は離さなかった。

 公園前の横断歩道で車が通らなくなるのを待っていた時、公園の中にいたサキちゃんがあたしを見つけて手を振った。あたしは手を振り返すために、彩花の手を離した。

 その時、彩花が公園に向かってかけ出した。彩花がそんなに早く走れると知らなかったあたしは彩花を止めることができなかった。


 あたしの目の前で、彩花が車にひかれた。


 気が付くと、あたしは倒れている彩花のすぐそばに立っていた。

 彩花の小さな体から信じられないほどたくさんの血が流れ出していた。

 それは血だまりになってあたしの靴を濡らしていた。




 あたしが彩花を家から連れ出した。あたしがずっと握ってた手を離したから、彩花はそれを合図にかけ出した。彩花が死んだのはあたしのせいだった。


 ママは彩花が死んだことであたしを怒らなかった。あたしに笑顔で話しかけようとしてくれた。でも本当はいつも、心の中ですごく悲しんでいた。あたしにはママのそんな気持ちがよく分かった。

 その日からあたしは、ママの笑顔を見ると胸が苦しくなった。


「ユキちゃん。ほら、きれいなお花でしょ」

「ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

「ごめんなさい」


 あたしのせいでママは悲しんでる。だからママに何か話しかけられると『ごめんなさい』と言うようになった。それしか言えなかった。

 お父さんも悲しんでいたけど、無理に優しいことは言わなかった。ママと違って仕事でいないことが多かった。ただ、ときどき黙って抱きしめてくれた。だからお父さんには『ごめんなさい』と言わなかった。


「ほら、この服に着替えて」

「ごめんなさい」

「謝るのはやめなさい。……はい、じゃあカバンを持って」

「ごめんなさい」

「ねえ? ユキちゃん。ママ、怒ってないでしょ?」

「ごめんなさい」

「ユキ! もう……いい加減にしなさい!」

「ごめんなさい」


 ママは、あたしが『ごめんなさい』と言うのを止めさせようとした。あたしが言うのを止めないから、それを怒るようになった。

 怒っているときのママは悲しんでいなかった。彩花を死なせたあたしは、もっと怒られるべきだった。だからあたしは『ごめんなさい』と言うのを止めなかった。


「ほら。……これ!」

「ごめんなさい」

「……わかってる、この子がこんな風なのは、あたしが本当は怒ってるから。優しくしても、そのつもりでも……、どうして……」

「ごめんなさい」

「あんたに言ってないでしょ!」

「ごめんなさい」

「もうやめて! あっ――」


 ママが怒って手を振った時、その手があたしにぶつかった。その時あたしは『ごめんなさい』と言わなかった。叩かれるという罰をすでに受けているから。


 それからあたしはママに叩かれるようになった。繰り返すうちにママとあたしは慣れていった、だんだんママがあたしを叩く力が強くなっていった。

 ある日ママに叩かれた時、あたしは地面に倒れて頭を打った。気を失っている間に連れて行かれた病院で、あたしの体に幾つもあざがあるのが見つかった。


 それから家には、お父さんとあたししかいなくなった。お父さんからママは病院にいると教えられたけど、お見舞いには行かせてもらえなかった。

 お父さんも、悲しいのにそうじゃないふりをするようになった。でもあたしは、もう『ごめんなさい』と言わなかった。


 ずっとママに会えない日が続いた。1年以上経ってから、ママは別の人と結婚したとお父さんに教えられた。あたしは彩花だけじゃなくママもなくしてしまった。


 あの頃のあたしには何が悪かったのかさえ分からなかった。今のあたしならそれが分かる。あたしはママに謝るのではなく甘えるべきだった。あたしは謝ることでママを傷つけていた。




 小学校に入ってすぐ、あたしが妹を事故で死なせたことをたくさんの人が知った。同じ小学校に入ったサキちゃんが、目撃した事故のことをみんなに話した。

 そのうわさを聞いて、6年のお姉さんが1年の教室まで来た。お姉さんは怖い顔をしていたけど、あたしにはお姉さんが怒っているより悲しんでいると分かった。


「あなたが二宮さん?」

「……はい」

「あなたの妹をひいたのはわたしのお父さんよ。だから今、刑務所に入ってる。でもお父さんはみんなが言うような悪い人じゃない。事故の時に何があったの。教えて」


 あたしはそのことを知らなかった。車を運転していた人のせいで、あの事故が起きたとは思っていなかった。

 横断歩道では左右をよく見て、車が近付いていたら絶対渡っちゃいけない。車が急に止まれないことは誰でも知ってる。あたしが横断歩道で渡るのを待っている時も、ほとんどの車は止まらないで通り過ぎている。

 あのときみたいに急に飛び出したら、運転していたのが誰でも彩花はひかれていた。


「お姉さんのお父さんは悪くない。あたしが悪いの」

「どういうこと? あなたのせいでお父さんは刑務所に入ったの!?」


 お姉さんの言う通りなんだろうか。あたしには刑務所のことはよく分からなかった。あたしが黙っていると、お姉さんはだんだん怖い顔になっていった。


「ねえ! どうなの!?」

「……」

「どうして黙ってるの! 何か言いなさいよ!」


 お姉さんはあたしをひっぱたいた。そしてお姉さんは、驚いたように叩いた自分の手を見た。


 叩かれた頬はそんなに痛くなかった。少なくともあざができるほどじゃなかった。あたしはお姉さんに『ごめんなさい』といわなかった。誰にもその言葉は言いたくなかった。




 失敗や勘違いで謝るべきときでも、あたしは『ごめんなさい』や『すみません』が言えなかった。たとえ先生に怒られても、謝る言葉は口から出てこなかった。


 あたしがわざと妹を死なせたと誰かが言った。あたしにしか違うと言えないうわさなのに、あたしは何も言わなかった。だからそのうわさを本当のことだと思う人が増えていった。

 あたしは無視されたり、嫌なことを言われたりするようになった。持ち物にいたずらをされることもあった。でもあたしが知っている本当に辛いことと比べたら、そんなことは我慢ができた。


 ある日あたしは、サキちゃんがあのうわさを嘘だと言ってるのを聞いた。すごく嬉しかったけど、あたしはそれを見なかったことにした。サキちゃんを巻き込みたくなかった。あたしのために辛い思いをする人を、これ以上増やしたくなかった。




 あたしが彩花を死なせた。そう言われるのがあたしは一番辛かった。それは本当のことだったから、言われたあたしは言葉が出なくなった。そのことを知っている人は、あたしに何か言い返されそうになると彩花のことを言ってあたしを黙らせた。

 何か他のことを言われたならあたしはがまんすることができた。言われたことが間違っていたら嘘だと言い返すこともできた。

 でも彩花のことを言われたすぐ後にウソをつかれても、あたしは言葉が出ないままだった。周りで聞いていた人たちは、言い返せないあたしがウソをついていると思った。


 あたしの悪いうわさはどんどん増えていった。そのうわさを聞いた人が本当のことだと思ってあたしを責めるようになった。悪いあたしをこらしめるためだからその人にとってはイジメじゃなかった。ウソつきと言われたあたしは誰にも信じてもらえなかった。 


 あたしは学校にいるのがいつも辛かった。学校が終わるとあたしはすぐ家に帰った。あたしは家にいて掃除や洗濯をするのが好きになっていた。




 ママがいなくなってから、近所のおばさんがご飯の用意や掃除や洗濯をしてくれた。


「そんなに遠慮しないで。あんたのお父さんからちゃんとお給料をもらってるんだから」


 あたしはおばさんによくそう言われた。でもお父さんの話だと、払っているお金は家政婦さんを頼むよりずっと少ないらしい。


「子供が大きくなって手が開いたからね。暇つぶしみたいなもんさ」


 おばさんはそう言って、いつも楽しそうに仕事をしていた。あたしはそれを見ていると手伝いたくなった。おはさんはあたしに色々な家事のコツを教えてくれた。あたしは掃除や洗濯をするのが好きになった。

 ご飯の用意も刃物や火を使わないことなら手伝わせてくれた。あたしはもっと色んなことがしたくておばさんに頼んだ。


「アタシの仕事がなくなっちゃうよ。そうだね。もっと背が伸びたら教えてあげる。まだ手が届かないだろ。踏み台を使うのは危ないからね」


 学校の身体検査で130センチを超えたら何でも教えてもらえる。おばさんとそう約束した。

 あたしはクラスでも背の低いほうだった。みんなより成長が遅くて、列に並ぶときの順番はどんどん前になっていった。

 お父さんはあたしに遺伝だろうと言った。ママも背が伸びるのは遅かったと教えてもらった。ママはそんなに背が低い方じゃなかったから、あたしも背の伸びるのが遅いだけだと思う。


 身長だけでなく、他の見た目も歳をとるのが遅かった。ママがあたしを連れて公園に行っていた頃、初めて会った人によく『若いお母さんね』と言われていた。もう30を過ぎていると聞くと、みんなは驚いた顔をした。




 2年の時に、いじめられているあたしを上級生の人が庇ってくれた。先生がいじめる子を叱ってくれたことはあったけど、同じ小学生にそんなことをしてもらったのは初めてだった。


「ありがとう」

「お礼は言わなくていいよ。僕が気に食わなかっただけだから」


 あたしとその人が話をしていると、そこにあたしをいじめていた人たちが何人かの上級生を連れて戻ってきた。上級生の1人はいじめていた人のお兄さんで、いじめた人が大げさに言ったことをそのまま信じていた。


「サンズイ。お前そいつのこと知ってんのか?」

「いや。だけど誰だろうと言ったらダメなことはダメだ」

「だからっていくらなんでもやりすぎだろ。コイツに謝れよ」

「僕はやりすぎたと思ってない」

「なに!」

「ここは謝っとけよ。俺もちょっとひどいと思うぞ」

「大野はそう思うのか。だったら僕とは考え方が違うんだな」

「謝る気はないんだな」

「そうだ」


 サンズイさんと他の人たちはしばらくにらみ合っていた。そしてサンズイさんだけ残してどこかへ行ってしまった。


「いいの? みんな怒ってた」

「いいよ。僕は間違ったことは言ってない。あいつも自分の弟と同級生となら弟の方を信じるのが当たり前だから、今は僕が何が言ってもムダだよ。……大丈夫だって。そんなに気にするな」


 サンズイさんはあたしにそう言ってくれた。

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