第二章「二枚目王子の挑戦」その3
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「おい、ヒョウ、ちょっとこっちに来い!」
さすがにたまりかねて、ジークがヒョウをクリスから引き離した。
「何だよ」
汚い手で人の腕をつかむんじゃない、とばかりに、ヒョウはジークの手を乱暴に振りほどいた。
そんなヒョウに、ジークが噛みつくように叫ぶ。
「おまえ……さっきから黙って見てりゃあ、どういうつもりだ!?」
「どういうつもり……何のことだ?」
「とぼけんな! クリスのことだ!」
「ああ、クリスちゃんのことか。それが何か?」
「てめぇ、まさかクリスにちょっかい出すつもりじゃねぇだろうな!?」
ギロッとにらみつけるジーク。だがヒョウは平然としたものである。
「何ムキになってるんだか。……はっはーん」
なーるーほどー、ヒョウはジークとクリスを見比べてニヤリと笑った。
「な、何だよ」
思わずたじろぐジーク。
「お前、さてはあの娘に気があるな? そーだろ?」
「バ……バカ言え!」
思わぬ反撃を受け、ジークがうろたえる。
「フッ、どうやら図星みたいだな」
「ち、違う! そんなんじゃねぇ!!」
ムキになって否定するジークを、ヒョウはニヤニヤしながら眺めていたが、不意に真顔に戻って言った。
「なーんだ、違うのかぁ」
「当たり前だっっっ!!」
ジークは真っ赤になって力説しまくった。
「なら……」
その瞬間、フッ、とヒョウの顔に妖しい薄笑いが浮かぶ。
「遠慮する必要は無いわけだな。安心してあの娘を口説かせてもらうとするか」
「……なっ!?」
一瞬、唖然としたジークだったが、すぐに猛然と食ってかかった。
「じょ、冗談じゃねぇ! クリスに手を出しやがったら、俺が許さねぇぞ!!」
「別におまえには関係ないだろ? 人の自由恋愛に口を挟んでもらいたくないな」
ヒョウは真っ向からジークと視線をぶつけ合うと、挑発するように顔を近付けて言い放った。
「悪いけど、あの娘はオレがいただくぜ」
それだけ告げると、ヒョウはまだ何か言おうとしているジークには目もくれず、スタスタとクリスの方へと歩いていってしまった。
後にはただ、ジークが呆然としたまま、一人取り残されていた--
※ ※
いちゃいちゃいちゃいちゃ。
いらいらいらいらいらいら。
(だ~~!! うっとうしい!!)
楽しげに談笑するヒョウとクリスに対して、ジークの苛立ちは募るばかりであった。
(くっそ~! 何でこんなにイライラするんだっ!)
それがわからないから、ますます健康に悪い!
理由はある。いやあるつもりだった。
(俺はクリスの保護者だ。そのクリスが、あんな『けだもの』みたいな野郎の餌食になるのを黙って見ていられっか!)
だが、いちゃつく二人を見ていると、そんな保護者としての気持ちだけでは説明できない何かが心の中で渦巻くのを感じて、ジークはやたらとイライラしてしまうのだった。
そんなジークの前で、ヒョウのモーションはますますエスカレートしていった。
「おや、クリスさん。そのお怪我は?」
「えっ、ああ、これ? 何でも無いですよー、さっきちょっとかすっただけです」
ドジ踏んじゃった、ペロリと舌を出すクリスの腕に、不意にヒョウがそっと手を触れた。
(なっ!?)
「えっ?」
いきなりのボディタッチにジークの顔がひきつり、クリスがかすかに頬を赤らめる。
「ジッとしていてください」
そんなクリスにヒョウが優しくささやきかける。
「安心して、力を抜いて」
スッとヒョウの目が閉じられると同時に、口から静かに呪文の詠唱がもれる。
「最愛なる慈母神ラーシャの名において……」
呪文の詠唱についれて、次第にヒョウの傷口に触れた手のひらが金色の霊光を放ち始め、やがてその光がクリスの傷全体を包み込んだ。
「光よ、傷を癒せ!」
瞬間、金色の光が一瞬まばゆく煌めくと、傷はまるで光に飲み込まれるようにして消え去ってしまった。もちろん軽くうずいていた傷の痛みも同様である。
「えっ!?」
驚きに目を丸くするクリスに向かって、ヒョウがフッと微笑んでみせる。
「《治癒》の呪文です。これぐらい大したことではありませんよ」
「すっごーい!!」
そんけー☆ と歓声をあげるクリスの前で、ヒョウはキザに髪を払ってみせた。
(なーにカッコつけてやがる。《治癒》たって、ほんのかすり傷治しただけじゃねぇか! とんでもねぇ三流魔道士のくせしやがって!!)
むっか~~っ! もはやジークは爆発寸前だった。
そのジークの前で--
「あ、あの、ありがとうございます☆」
クリスはジークには見せたこともないような可愛らしい笑顔を浮かべて、ヒョウを上目遣いで見つめた。
「いえ、それより礼を言わねばならないのはこちらの方です。あなたのような可憐な人に、私を助けるためにこんな怪我を負わせてしまうなんて……」
そう言うと、ヒョウはクリスの前にひざまづき、ごく自然な動きでその小さな手のひらをとって軽く口づけをした。
(あっ、のっ、やっ、ろぉ~~!!)
どっかーん!! 遂にジークは爆発した!!
「やい、ヒョウ! てめぇっ!!」
剣の柄に手をかけたままずんずん歩み寄るジークに、突然クリスがあっ、と何か思い付いたように声をかけた。
「そうだ、ジークもヒョウさんに治してもらいなよ! さっき怪我してたでしょ?」
「いやだね」「いやですね」
二人は同時に答えると、お互いににらみ合った。
「だーれがてめぇみたいな三流魔道士に癒してもらうかよ。命が惜しいぜ!」
「ふん、あいにくお前なんかの為に魔力を無駄にするほど、オレは酔狂じゃないんでね」
「へっ、てめぇの実力じゃあ、そもそももう魔力切れなんじゃねぇのか?」
「フッ、魔道の『ま』の字も知らない戦闘バカに大きな口を叩いて欲しくないね」
バチッ、バチバチッ! 二人の視線が火花を散らす!
にらみ合う二人をしばらく置いておいて、少し『魔道』について説明しよう。
『魔道』とは、術者が呪文の詠唱と、「魔力」と呼ばれる精神の力によって、世界そのものに満ちる大いなる力を引き出し、超自然的な行いを為すことである。その意味で、ジークの使う『闘気』が、戦士としてのとぎすまされた精神力により、己の内側にある力を引き出すものであるのとは、実に好対照な能力と言える。
もちろん『闘気』と同じく『魔道』も誰にでも使えるものではない。それを使いこなすには、持って生まれた「魔道士」としての素質と、特別な学問・修行による鍛錬の二つが必要だった。だからクリスなどのように、『魔道』そのものを見たことがない人間も、世間一般には数多く存在している。
ヒョウの場合は、「魔道王国」の名を冠するライデル王家の血筋もあり、素質は充分であったが、ただ何分本人が堅苦しい学問や修行を嫌い、女遊びにうつつを抜かしていたので、ろくに『魔道』を使えない。ジークが「三流」と揶揄するのも、単なる悪口だけではないのである。
……と説明している内に、見かねてクリスが二人の間に割って入った。
「ねぇ、お願い、ヒョウさん。そんなこと言わないでジークの怪我も治してあげてよ」
クリスが頼み込むと、ヒョウはしぶしぶうなづいた。
「まぁ、クリスさんの頼みなら……」
「ね、ジークもつまんない意地張ってないで、治してもらいなよ」
「……分かったよ」
ジークも仕方なく答えると、投げやりに傷口をヒョウにさし出した。
「ほらよ」
「……ならいくぜ」
ヒョウは傷口に乱暴に手を重ねると、呪文の詠唱に入った。
が、今度は呪文の詠唱と共に、金色の光ならぬ青白い火花のようなものが激しくヒョウの手の平に集いだして--!
「あぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
バーキバキバキバキバキバキッ!!
ヒョウの手の平からほとばしり出た電撃が、ジークの全身を包み込む!
「きゃぁぁぁ!? ジ、ジーク!?」
悲鳴をあげるクリスの前で、ジークは骨まで透けて踊るようにのたうっていたが、放電が止むと同時に勢いよくぶっ倒れた。
「あはは、悪い悪い。『ちょっと』呪文を間違えてしまったよ」
「て……てめぇはなぁ~~~!!」
プスプスと噴煙を上げながら、ジークが殺気に満ちた目を向ける。
「ね、ねぇ、ヒョウさん」
クリスは何とか場の気まずさを救おうと、努めて明るく話題を変えた。
「そう言えば、ヒョウさんはライデルみたいな大きな国の王子様なのに、こんな所で何をしていたんですか? 全滅しちゃったけどお供の人達まで連れて。何かの旅の途中?」
(そう言やぁ、こいつが何でこんな辺境にいやがるんだ? なーんかヤな予感だぜ……)
いぶかしがるジークの前で、ヒョウは気取った口調でクリスに答えた。
「いえね、実は正義の名の下、《竜の台地》に捕らえられている不幸な姫君を助けに行く途中なのですよ」
フッ、意味も無く前髪を払うヒョウに、クリスは驚きの声を上げた。
「えっ!? じゃあボク達と同じじゃないですか!」
「何、するとお前もか!?」
今度はヒョウが驚く番だった。
「そーだよ、悪いかよ」
ぶっきらぼうに答えるジーク。
「ははーん、わかったぞ。どうせ王国の半分が目当てだろ? 弱小国トロキアの『貧乏王子』が考えそうなことだな」
「うるせー、そういうてめえだって大国って言ったって四男坊じゃねぇか。どうせ分けてやる領地もねぇから厄介払いされたんだろ」
図星。
「いや、それともそのまんまズバリ王女目当てだろ。アルカディアのティアナ姫は美人だもんなー」
「ひ、人聞きの悪いことを言うんじゃない! そんなくだらない理由でこの誇り高き『太陽の王子』ヒョウ・アウグトースが冒険の旅に出るものか!! もっと純粋な……」
「わかった。どうせてめぇのことだ。兄貴の許嫁にでも手を出して国にいられなくなったんだろ?」
「ぐっ……」
さしものヒョウも言葉に詰まった。何せどれもこれも全部当たっていたりするのである。
「となるとこの騎士達も、『護衛』何かじゃなくて、てめぇが旅先で何かしでかさないための『見張り』だったんだろ? どーりであんまり悲しんでる風に見えないと思った。しかもやられてる人数がやけに少ないのを見ると、ほとんどは逃げちまったんだろ? さすがライデルの『軽薄王子』、身内からも全然信用されてねぇんだな」
「うっ……うるさい! 良く考えてみたら物目当てのお前に人の事が言えるかっ!」
「………………」
今度はジークが黙る番だった。
そのまま無言で火花を散らす二人。
「……あのさー、にらめっこはどーでもいいからー」
いささかげんなりしつつも、クリスが二人を分けた。
「ねぇ、ここはお互い手を組まない? だってヒョウさんのお供はみんなやられちゃったみたいだし、どうせ目的が一緒なら三人で協力した方が絶対にいいと思うよ!」
「俺やだね」
間髪入れずにジークが答えた。
「何でこんな奴と一緒に行動しなきゃならないんだ。冗談じゃないぜ」
「オレだってお前を助けてやるなんて真っ平だね」
二人はまたもやにらみ合いに入った。
「も~すぐケンカする~」
さすがに呆れて果てて、がっくりと肩を落とすクリス。
だがその頃、そう言いつつもヒョウの頭の中では一つの考えがまとまりつつあった。
(……確かに気にはいらないが、ジークのバカのあのでたらめな強さは貴重な戦力だな。それにここでOKしないことには、あの娘をモノにするチャンスがなくなるか。ここのところ鬱陶しい見張りどものせいで随分禁欲生活を強いられてたことだし……ここで逃がすには惜しいってものだな……)
「わかりました。ここは我々の大義のために小さな私情は捨てましょう」
そしてヒョウは、心の中の悪巧みなどはカケラも感じさせない爽やかな笑顔を浮かべると、スッと右手をジークに向かって差し出した。
「う……」
こうなるとさすがのジークもちょっと断れる状況ではない。
(仕方ねぇな……)
ジークは諦めると、ヒョウの手を握った。
「じゃあ、とりあえず『目的を達成するまでは』仲間だぜ。ヒョウ」
「ああ、『目的を達成するまでは』よろしくな、ジーク」
ここにめでたくジークとヒョウの『王子コンビ』が結成された。
仲良きことは美しきかな、であった。
※ ※
五分後。
「俺だよ、俺! 俺が一番強いだろ!」
「いーや、どう考えてもオレの方が頭がいいし、『魔道』だって使えるぜ!」
「てめぇの『魔道』なんて子供だましレベルじゃねぇか!」
「なら公平にどっちがモテるかで決めようぜ!」
「そんなことが冒険に何の関係がある!?」
二人はどちらが一行のリーダーになるかで、早くも大喧嘩を始めていた。
「あ……あの二人、ホントどーしようもないなぁ……先行き不安だよ、ボクは……」
クリスは正直、頭が痛かった。
4
カツーン、カツーン。鋭い靴音を響かせながら、一人の男がガロウ伯爵の待つ《竜王の間》へと歩を速めていた。
中年ながらも少しの贅肉も無い鍛え抜かれた肉体に、オールバックの黒髪、そして額から右頬にかけて鋭い傷を持ったその男が通り過ぎると、ゴブリンの衛兵達が慌てて敬礼する。
男はその後、角を二回曲がると、三首の竜の紋章の彫られた巨大な扉の前で立ち止まった。
「ガロウ伯爵様、四天王ダルシス参りました」
男の野太い声に応え、扉の向こうから若い男の声が、入れ、と命じてきた。
ぎ、ぎいいいっ--重い音を立てて扉がゆっくりと開き、男は《竜王の間》へと足を踏み入れた。
見事な、しかし不気味な魔物たちの姿が彫られた大理石の柱が、血で染め上げたような真紅の絨毯を挟むようにして立ち並んでいる。
そしてその奥、巨大な闇の魔神バドウの立像の下、翼を広げた竜をかたどった黄金の玉座に、腰に大剣を携えた一人の男が座っていた。
まだ若い。おそらく二十を三つか四つ過ぎたくらいであろう。その掘りの深い顔立ちは端正ではあるが、まるで死人のように白く、また肩よりも長い銀色の髪が覆う瞳はルビーのように赤く輝いていて、その美貌の中ゾッとするような妖気を漂わせていた。
「よく来た。まぁ近くに来るがいい」
若者--ガロウ伯爵の命に、ダルシスは玉座の前にまで歩み寄った。
そこにはすでに三人の男が控えていた。一人はかつてアルカディア城を襲った竜騎将軍シグマ、そして後二人--一人はダークエルフ、そしてもう一人は漆黒のローブをまとった不気味な魔道士。その誰もが禍々しい邪悪な気を全身から放っていた。
「四天王が勢揃いとは穏やかではありませんな」
ニヤリと口元を歪めるダルシスに、ガロウが眉一つ動かさずに言った。
「辺境警備隊の一隊が全滅した。隊長のタースも戦死だ」
「ほぅ、それはそれは」
ダルシスの笑みがますます強まる。
「今度は少し歯ごたえがある奴らが来たようですなぁ」
「そこで卿に命じる。侵攻隊を率いてそ奴らを迎撃し……」
ガロウはそこで一旦言葉を切ると、何の感情もこもらぬ声で続けた。
「一人残らず、抹殺せよ」
「わかりました。我がガロウ侵攻隊の勇猛さ、とくとご覧にお入れいたしましょう」
ダルシスはその残忍な命に、むしろ嬉々として答えた。
「フッ、素手で竜をも倒す《竜殺し》たる卿の力……期待させてもらうぞ」
ガロウは軽く笑って見せたが、しかしその目は乾いたままだった。
「おまかせ下され。我が必殺の『カイザン龍皇拳』に勝てるものなど……」
刹那、ダルシスの右手が目にも止まらぬ速さで一閃した!
ビシッ! 玉座の右後方に立っていたガーゴイルの像の右肩から左脇にかけて、糸のような亀裂が走り抜ける! そして像は鈍い音を立てて砕け散った。
「あなた様の他にこの世には存在いたしませぬ。では」
ダルシスは不気味に微笑むと、一礼して退出していった。
「シグマ、ゴブ、ザイザロック、お前達も下がるがよい。余は少し一人になりたい」
ガロウの命に従って残りの四天王達も退出し、《竜王の間》には、その若き所有者だけが残された。
ガロウ伯爵--かつてはアルカディア王国の聖騎士であり、今では《闇》に魂を売り渡し、地上における魔族の司令官となったこの若者は、薄闇の中で視線を虚空にさまよわせたまま、一人黙然と玉座に腰掛けていた。
だが不意に、他には誰もいないはずの《竜王の間》に、ガロウとは別の声が響き渡った。
〈ククク、ガロウよ。何を考えている?〉
その声はガロウのすぐ側から聞こえてきた。しかしあたりには誰もいない。
「……お前には関係の無いことだ」
〈冷たい言われ様だな。オレとお前は一心同体のはずだろ?〉
せせら笑う声が《竜王の間》にこだまする。
「……」
ガロウは黙したまま答えなかったが、声はかまわずに続けた。
〈ククク、まあいい。しかしガロウよ、たかが侵入者の二人や三人如きに四天王の一人を出すとは、随分念の入ったことだな〉
「オレは油断して負けるのが最も嫌いだ」
ボソッとガロウが答えた。
「後顧の憂いは早い内に断つべきだ。それにそ奴らに無惨な死に様を与えてやれば、これからの勇者気取りどもにも良い見せしめになる。違うか?」
〈クックックッ、それでいい。それでこそ《竜の支配者》の二つ名にふさわしい冷徹さよ……〉
声は邪悪の度合いを増してゆき、ついには押さえきれない哄笑となった!
〈そうだ、殺してやれ! 闇の魔神バドウ様への供物として、最も残酷な死を与えてやるのだ! 一人残らずな! アーッハッハッハッ!〉
「……」
ガロウはその笑いには耳も貸さず、しばらく何事かに想いをはせていたようであったが、やがてその口からかすかなつぶやきが漏れた。
「ティアナ……」
邪悪な高笑いの響く中で、ガロウは一人物思いに沈むかのように、再び視線を虚空に漂わせていった。