第一章「貧乏王子と盗賊少女」その3
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ザワザワザワザワザワ、店の前には大勢の人が集まって、遠巻きに丸い輪を作っていた。
その輪の中央で、ジークにクリス、そしてゴードンと手下達が互いに向き合っている。
ゴードン達は薄笑いさえ浮かべて、彼らの前に立っている--彼らに言わせれば無謀なガキどもを眺めていた。
「ふっふっ、小僧。騎士ぶるのもいいが、ガキはミルクの時間だぜ?」
一人がからかうと、たちまち笑いの波が広がっていく。
「おまえら……『ノーブレス・オブリージュ』って言葉を知っているか?」
そんなからかいには顔色一つ変えず、ジークが口を開いた。
「はぁん? なんだそりゃ?」
「『高貴な者にはそれにふさわしい義務がある』ってことさ」
そう言いながら、ジークは鞘から剣をスラリと抜き放った。
「俺はこいつにさっき助けてもらった。誇り高きトロキア聖王家の名にかけて、その礼はしないとな。だから、俺はこいつの味方だ!」
(……って言ってることはカッコいいけど、でも平たく言えば「ご飯のお礼」&「金を借りたお礼」なんだけどね。どこが「高貴」なんだか……)
と、その言葉に心の中で軽くツッコミを入れつつも、クリスは思わず胸がキュンとするのを感じていた。
何せ母親を亡くしてから、これまで自分一人の力で生きてきたのだ。そんな少女にとって、これほどのピンチの時に「俺は味方だ!」と力強く宣言されたことは、内に秘めた乙女心を刺激されるのに、充分すぎる出来事であったのだ。
「フン、たいした騎士ぶりだな」
そんな二人を見てゴードンが憎々しげに吐き捨てる。
「まぁ『お姫様』がそんなに可愛いけりゃ、やる気にもなるだろうがよ!」
「……さっきから不思議だったんだけどな」
そのとき、ジークが不意にけげんそうな顔で問いかけた。
「何が『お姫様』だよ。こいつ『男』だろ?」
「はぁ……?」
し~~~~~ん。
しばしの空白の後、ジークを除いて、一同きれいにぶっ飛んだ。
「あ、あれ? ち、違ったのか??」
「まだわかってなかったの!? キミはっ!?」
うろたえるジークに、せっかくの乙女心を台無しにされたクリスが猛然と食ってかかる!
「え……じゃあ……おまえは……ひょっとして……??」
「ひょっとしなくても、ボクは正真正銘、女の子ですっっっ!!」
さ---、その瞬間、急にジークの顔から音を立てて血の気が引いていった。
「……? ど、どうしたの?」
目を丸くするクリスの顔を、ジークはぶるぶる震える手で指差した。
「……お、女……、お、女の子……」
そしてそのまま、全身をひきつりまくらせて、じりじりとクリスから離れていく。
「ねぇ、一体どうしたってゆーのよ?」
「実は……」
野次馬と一緒に固唾を呑んで見守っていたガウェインが、そっとクリスにささやきかけた。
「ジーク様は女……と言うか、『美女恐怖症』なんですじゃ……」
「『美女恐怖症』~!?」
クリスは思わず素っ頓狂な叫びを上げて、おびえるジークの姿をまじまじと見つめた。
ジークはさっきまでの不敵な態度はどこへやら、まるで雷を怖がる子どものように、頭を抱えてうずくまって震えている。
「実は少しばかり忌まわしい思い出がジーク様にはございますのじゃ……」
※ ※
それは今から八年前のことだった。
「ジークよ、この人が今日からお前の先生となられる、シーラ・ブラックウッドさんだ。どーだ、美人だろう!」
アルバトロス王がまだ九つのジーク少年に引き合わせたのは、二十歳を少し過ぎたぐらいの知的で清楚な印象の長い黒髪の女性だった。
「なんでも格安で教えてくれるそうだ。しっかり勉強するんだぞ」
「よろしくね、ジーク王子。あなた可愛いから教え甲斐がありそう☆」
シーラ先生がにっこりと微笑むと、まだ幼いジーク少年は真っ赤になってうつむいてしまった。
赤ん坊の頃に母親を亡くし、貧乏で若い女官などとても雇う余裕のないトロキア王家で育った彼が、その初めてのときめきに心を奪われてしまったのも無理はない。
そう、それはまさにジーク少年にとっての初恋だったのだ。
が、彼の初恋は一瞬にして崩れ去った。
なんと、このシーラ先生は美少年専門の--サドだったのである!!
「ほらっ、こーんな簡単な問題も解けないの!? おしおき、おしおきーっ!」
ロープで縛られ木に吊されたジーク少年に、シーラ先生の容赦ないムチが飛ぶ!
「わーん、先生、ごめんなさーい」
「先生じゃありません! 女王様とお呼びっ!」
ビシッ、ビシッ! 妖艶な黒い下着姿に蝶の仮面をつけたシーラ先生の顔は、泣き叫ぶジーク少年を前に嗜虐心に満ちあふれていた。
「さぁ、もう一回よ! 9×7はっ!?」
「ろ……63です」
「よーくできたわね。正解よ。じゃあ、ご褒美をあげましょうね☆」
にっこりと微笑むシーラ先生を見て、期待に目を輝かせるジーク少年。
(や、やっと降ろしてもらえるのかな……)
が、少年の純真な心はあっさりと踏みにじられた。
「ほーら、ごほーびよ!!」
何とシーラ先生はサディスティックに笑ったかと思うと、再びジーク少年の身体を激しくムチで打ちまくったのだ!
(お……女の人なんて……きれいな人なんて……)
ジーク少年は遠のく意識の中で絶叫した!
(だいっきらいだぁぁぁぁぁぁ!!!)
その後もジーク少年は毎日毎日シーラ先生から様々な方法でいたぶられ続け、ガサツなアルバトロス王がやっと気付いた頃には、この事はすでにジークの心にトラウマとなって、深く、深~~~く、残ってしまったのである……
「それ以来、若は女性--しかも特に若くて美人の女性を見ると、恐怖を覚えてしまうのですじゃ……」
「………………」
美人と言われて悪い気はしなかったが、頼みの綱のジークがあの有り様なのは、クリスにとってはあまりにも情けなかった。
「ギャーッハッハッハッ、おい、クリス! とんだ助っ人もあったもんだな!」
ゴードン達だけでなく、やじ馬までもが腹を抱えて笑い転げていた。
「えーい、うるさいなーっ! こんな大ボケに期待したボクがバカだったよ! もうボク一人で相手してやるからかかってこい!」
顔を真っ赤にしてクリスは怒鳴った!
「ふっ……いい度胸だな」
ゴードンは笑いをかみ殺してすごもうとしたが、相変わらず青くなって震えているジークを見てたまらず吹き出した。
「いつまでも笑ってるんじゃないわよ!」
クリスの手から銀色の光の軌跡を描いてナイフが飛んだ! ぐえっ、と叫びをあげてゴロツキの一人が倒れる。
「て、てめぇ! 野郎ども、かかれっ!」
ゴードンの怒りの叫びと共に、三人の手下が一斉にクリスに襲いかかった。
だが、クリスは慌てることなく、腰から四本のナイフを引き抜くと、すかさずその内二本を立て続けに投げ放つ!
「ぐはっ!?」「うぐっ!」
狙い過たず、まず二人が膝と肩をそれぞれ押さえて崩れ落ちる。
「このガキィ!」
そして残る一人が怒りと共に打ち下ろした剣も、少女は右手に握ったナイフで楽々受け流すと、そのまま左のナイフで男の脇腹を切り裂き、仕留めて退けた!
「つ、強ぇぞ……この小娘……」
仲間のうち四人が瞬く間に倒されたのを見て、残りのゴロツキどもは、さすがにクリスに斬りかかるのにためらいを見せた。
「どうしたのさ、かかってきなよ。こっちも伊達に一匹狼で生きてきたわけじゃないんだからね」
クリスは両手にナイフを構えたまま、不敵に笑って見せた。
「フフ……やるじゃねぇかクリス。だがいつまでその威勢の良さが続くかな?」
ゴードンは不気味に笑うと、腰の半月刀を抜いた。
「面白い。俺が相手をしてやろう。お前ら下がってろ」
ゴードンがゆっくりと歩を進めると、手下のゴロツキどもが慌てて道を空ける。
(お、おい……ゴードンじきじきのお出ましだってよ……)
(ゴードンって言えば、剣一本で裏社会をのし上がってきた奴なんだろ? 何でも腕前はこのラコール一だとか……)
(ああ、可哀想に……はっきり言ってあの娘じゃ、万に一つの勝ち目も無いよ)
ザワザワとやじ馬達が沸き立つ。その声はどれも少女への同情の声だった。
「さぁ、どっからでもかかってきな」
ゴードンは剣を中段に構えると、ギロリとクリスを見据えた。しかしその顔には余裕の笑みすら浮かんでいる。
(す、隙が無い……)
クリスはゴクリと息を飲んだ。こうして対峙しているだけで、冷たい汗が流れるのを感じる。
(こうなったら、一か八か……)
クリスの左手がスッと下がった。
(勝負ッ!)
少女の左手からナイフが飛んだ!
うなりを上げてナイフはゴードンの顔めがけて突き進む!
そして同時に、クリスは残る右のナイフを両手に構え直すと、ゴードンめがけて切りかかった!
「甘いわっ!」
ゴードンの半月刀が一閃した!
ガキィィン! あやまたず弾き飛ばされたナイフが、逆にクリスめがけて突き進む!
「きゃっ!?」
クリスが戻ってきたナイフを辛うじてかわす。
が、次の瞬間、しびれるような痛みと共に、右手のナイフがゴードンの剣に弾かれ、宙を舞っていた!
カラーン、音を立ててナイフが少女の足下に転がった。
「あっ!」
クリスは慌てて手を伸ばしたが、すかさずゴードンはそれを蹴り飛ばした。
「惜しかったな、クリス」
ゴードンはクッ、クッと蛇のように笑った。
「さぁ……どうしてほしい? これでもまだ俺の物にならねぇってのか?」
「だ、誰が……! 死んだってなるもんか!」
クリスは精一杯の勇気を込めて叫んだ!
その瞬間--少女の肩をゴードンの剣がかすめた。
「キャァ!」
服が切れ、白い肌に血がにじむ。
「いいだろう、なら『はい』と言わせるまでさ」
ゴードンの剣が次々と宙を斬った。その度に少女の服が裂け、身体に軽く傷が付いてゆく。
あきらかにゴードンは少女をなぶっていた。
「や……やめてっ!」
初めてクリスの顔に恐怖が浮かぶ。
「どうしよぉっかなー!」
ゴードンの剣が大きくうなり、クリスの胸元が大きく横に裂けた!
少女は恐怖と痛みによろめくと、そのままガクッと崩れ落ちてしまった。
「どうだ? 痛いだろ? これでもまだ強がりが言えるか?」
ゴードンはクリスを見下ろすと、ニタリと笑って剣を構えた。
(--!!)
クリスは目をつむった。もはや身体を動かすこともできない。
「そぉぉぉら、これでどうだぁぁぁ!!」
ゴードンが叫んだ、まさにその時!
「待てよ。その剣を下ろしたら、てめぇの首が飛ぶぜ?」
(な、何だと……!?)
少女をいたぶる高揚感が一瞬にして吹き飛ぶのを感じ、ゴードンは後ろを振り返った。
そこにはジークが剣を片手に立っていた。
「ジ……ジーク!」
クリスの目が輝く。
「て、てめぇいつの間に立ち直りやがった!?」
ゴードンは素早く剣を構え直すと、ジークに向かって叫んだ。
「コツをつかんだのさ」
「コツだと~!?」
「要するに、女の子だと思うから怖いんだ」
ニヤリ、とジークが不敵に笑う。
「だから、初めっから『女みたいな男の子』だと思っちまえば、ガマンできねぇほどじゃあない!!」
大いばりのジークに向かって、次々にナイフが飛んできた。
「わ、バカ! よせっ! 俺はお前を助けに来たんだぞ!?」
「お……女の子らしくなくて悪かったわね!!!」
ジークが怒りのナイフの雨をよけているその隙に、ゴードンはすかさず距離を空けると、手下達に向かって命じた。
「今だ! てめぇら、殺っちまえ!!」
「おおっ!!」
親分の命令に一斉にゴロツキどもが襲いかかる!
「バカ野郎、てめぇらごときが……」
その瞬間、クリスは見た。ジークの身体から何か淡い光のようなものが噴き出るのを!
そしてジークは剣を振りかぶると、敵のまっただ中に向けて突進する!
「俺の相手になるかァ---ッ!」
ジークの剣が一刀のもとに最前列のゴロツキを斬り捨てる!
「!?」
そして驚愕して動きの止まる次の敵をこれまたたった一撃で斬り捨てると、返す刃でそのすぐ後ろの男も横一文字に斬り倒してしまった。
「す……すごい……!」
クリスは思わず目を見張った。動体視力には自信があるクリスだったが、ほとんど目にもとまらぬジークの剣技である。
「へっ……トロキアは貧乏王国だから、剣術ぐらいしかすることが無くてな。親父もヒマなもんだから、小さい頃からさんざん鍛えられたもんさ。だから俺は……」
そう言いながらまた一人斬り倒すジーク。
「ちょっと、強いぜっ!!」
「くっ……この小僧め!!」
ジークの圧倒的な強さにゴードン達が目に見えてたじろぐ。
その光景に目を輝かせながら、少し心に余裕ができたクリスはジークに向かって問いかけた。
「ねぇ、ところで何? その光みたいなの??」
「あ、これか? これは《闘気》って言ってな。我がトロキア聖王家に代々伝わる剣術の奥義さ。戦うぜ!っていう気迫をコントロールすることで、身体の中から通常の何倍もの力を引き出すことができる。ホントはこんなザコ相手に使う必要はねぇんだが……」
ジークはそう答えると、視線をゴードン達に向け、怒りの表情とともに叫んだ。
「あいにく俺は怒ってるんだよ! てめぇらよくもこいつをいたぶってくれたな! ただじゃすませねぇぞ!!」
(と……《闘気》だと……!? 超一流の戦士だけが使える技だと話には聞いたことはあるが……まさかこんなガキがその使い手だとは……)
ゴードンもそこは一流の剣士である。ジークがなみの相手ではないことを瞬時に理解すると、突然ピィィと口笛を吹いた。
それを合図に、新たに30人近いゴロツキが野次馬達をかき分けてその姿を現す。
ラコールの裏社会を牛耳るゴードン一味の全戦力である。それがグルリとジークを取り囲み、銘々に武器を構えてにじり寄った。
「へっ、何人来ようが一緒だぜ」
しかしジークは全く動じることも無く、不敵に剣を八双に構える。
「ちなみに教えといてやるケドな。この剣もただの剣じゃねぇぜ。聖王家に代々伝わる伝説の聖剣だ。さぁ……どいつからこの剣のサビになるんだ?」
「調子に乗りやがって……」
ゴードンはギリリと歯がみをすると、手下どもに向かって一喝した!
「おまえら、何をビビッてやがる! 袋にしちまえ!!」
ゴードンの怒号の前に、弾かれたように飛び出したゴロツキどもが、一斉にジークに襲いかかる!!
「フッ……悪いがてめぇらの剣なんぞは止まって見えるぜ!」
ジークは余裕たっぷりで、最初に迫る男のメイスの一撃を剣で受け止めようとした。
が、
ボキッ! その瞬間、やけにいい音がした。
(え”っ!?)
思わずクリスの目が点になる。
剣は、ものの見事に--折れていた。
「あ、あのクソ親父---!? この安物のどこが伝説の聖剣だぁぁぁ!?」
焦りまくるジークの後頭部に、硬い棍棒が打ち下ろされた!
衝撃によろめいた瞬間、殺到したゴロツキたちの怒濤の攻撃によってたちまちボコボコにされるジーク!
「わ……若っ! 今、参りますぞ!」
それまで様子をうかがっていた老ガウェインが、ジークの危機と見て、杖を片手に飛び出していく。彼もまた老いたりとはいえ、「トロキアにガウェインあり!」と言われた歴戦の強者であった。
が、
ボキッ! 今度はやけに鈍い音がした。
「ギ……ギックリ腰が……」
む、無念……、老がウェインもまたへたへたとその場にしゃがみこんでしまったのであった。