第七章「激突!《竜の台地》」(前編)」その3
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「う……うう……負けたぁぁ」
いつもは勝ち気な瞳を涙に潤ませて、ぐったりとのびた状態のままフレイがつぶやく。朦朧とする意識の中、ヒヨコの幻覚が頭の上をピヨピヨ鳴きながら回っていた。
「く、悔しいですぅぅぅ」
同じくのびたままのウインも、ぐるぐる巻きにした目に涙をにじませる。
寝ころんでもまるで形が崩れない、幼さの残る顔立ちに似合わぬ立派な双丘をむきだしにしたまま、×の字の形で折り重なって倒れるフレイとウインであったが、不意にその身体にすっと影が差した。
(……誰!?)
戸惑いの中、弱々しく影の主に視線を向けるフレイの目に飛び込んできたのは、自分をジッと見下ろすヒョウの姿だった。
「…………」
ヒョウはしばらくは何も言わずに、フレイのあらわな胸を眺めていたが、やがてその口元に、薄く笑みが浮かんだ。
(……!?)
続いてその右手がゆっくりとこちらに向かって伸びてくると、フレイは自分の左の乳房がその掌に包まれたのを感じた。
(お、襲われちゃう……!?)
そこは魔竜とはいえやはり乙女である。裸の胸を触られた感触に思わず本能的な恐怖を感じ、ギュッと目をつむったフレイであったが、しばらくすると今度はその目が驚きに見開かれた!
胸に重ねられたヒョウの右の手の平が金色の霊光を放ち、そこから暖かな波動がフレイの全身へと伝わってくる。それと同時に、フレイはわずかではあるがその身体に力が宿っていくのを感じた。
「光よ、傷を癒せ……!」
ヒョウの詠唱と共に、《治癒》の呪文が完成し、フレイは自分が身体を動かせる程度には回復したことを感じた。
「ど、どうしてあたしを助けるんだ!?」
ヒョウの真意を図りかねて、フレイが身を起こしつつ叫ぶ。
「あたしは敵だぞ! 治したりなんかしたらまた襲ってくるかもだぞ!」
「……もう勝負はつきました。あなた達も誇り高き『武闘家』なら、それは分かっているはずです」
そんなフレイの困惑を、ヒョウは微笑みを浮かべて優しく受け止めると、そのルビーのように赤い瞳をじっと見つめながら続けた。
「そして、そうなったからには、可愛い女の子の傷付いた心と身体を癒すのは、男として当然のことですよ」
「…………!!!」
その輝くような笑顔に思わずキュンとなると、フレイは頬を赤く染めてぷいと横を向いてしまった。同時に、バトルの最中に唇を奪われたことを思い出し、更にその顔が真っ赤になる。
「じゃあ、次はウインさんの方を……♪」
続いてヒョウの手が、フレイに負けず劣らず立派なウインの胸へと伸びる。
……ウブなフレイはその優しい笑顔にあっさりと籠絡されて気が付かなかったが、ヒョウの目は明らかに「医療行為」と称して美少女の巨乳の感触を楽しめる喜びにほくそ笑んでいた。
「……私なら心配はご無用ですぅ」
だがウインはその掌が胸に触れる前に、ヒョウの手首をガシッと掴むと、それをぎゅううと締め上げながら身を起こした。
「それよりどさくさにまぎれてフレイの胸を触るなんて、いい度胸じゃないですかぁぁぁ???」
うふふふふふ、両目を妖しく光らせて、低い声で笑うウイン。どうやら怒りのあまり、尽きかけていた気力が回復したらしい。
「いだだだだだ……そ、それは治すために仕方なく!!」
「《治癒》かけるだけなら別に胸じゃなくてもいいですよね~!!」
激痛に悲鳴をあげるヒョウに一切容赦することなく、更に力を込めようとするウイン。
「あわわわ、ウインやめなよぉぉ!」
フレイが慌ててかばおうとするも、ウインは聞いちゃいない。不意にその手を離したかと思うと、手首の痛みにのたうつヒョウに向かって、両手に竜巻を生み出しながら物騒な声で言い放った。
「これ以上、私のフレイをたぶらかすなら、今すぐ八つ裂きにしてあげますよぉぉ??」
「わっ、や、やめ……!!」
ウインの声の響きに真剣な殺意を感じて、真っ青になって震え上がるヒョウ。
「……まぁまぁ、それぐらいにしてあげてよ」
そのとき、背後から苦笑いするかのような声がして、思わずフレイとウインが振り返る。
そこに立っていたのは、まるでシーツのように大きく白い布を手にしたクリスだった。
「それより、女の子がいつまでもそんな格好してちゃダメだよ」
クリスはそう言うと、上半身剥き出し状態のウインとフレイに、優しくその布をかけてあげた。
「「あ、あり……がとう」」
クリスの同性としての優しい気配りに、二人の口から素直な感謝の言葉がもれる。
「まぁボクもさぁ、この冒険の中でけっこー散々な目に会ってきたからねぇ……」
これまであった恥ずかしい過去の数々が思い出されて、一瞬遠い目になるクリスだったが、気を取り直したようにニコッと笑うと、ウインとフレイに話しかけた。
「でもさぁ、キミたちって『バトルが好き!』って感じではあるケド、見た感じあんまり悪い子たちじゃなさそうだよね」
ね、ニャーゴロ? と同意を求めるように振り返ったクリスに、ニャーゴロは小さくうなずいてみせた。
「まぁ女の子相手ということで、多少手加減もしたんじゃろうが、それでも本当に悪い奴なら、いくら魔竜といえシェルザードの浄化の光は致命傷になるハズじゃしな」
「だよね、だよね! ねぇ、だからさ、それこそ闘いは終わったんだし、同じ女の子同士、仲良くしようよ、ね☆」
ボクずーっと前から女の子の友達欲しかったんだぁ♪ そう言ってあっけらかんと笑うクリスに、しばらく唖然と顔を見合わせていたフレイとウインだったが、やがて二人同時にプッと噴き出すと、そのままさも可笑しそうに、そして楽しそうに笑い出した。
「……変な奴らだな、おまえらって」
「何だか闘う気がうせちゃいましたぁ」
いくら魔竜とはいえ、精神年齢的にはまだクリスとさほど変わらない少女たちである。これまでの修行の日々は、拳法とバトルをこよなく愛する彼女たちにとって、決して苦しいばかりのものではなかったが、でもこんなに心から笑ったのは一体いつ以来だろう? まして、魔竜である自分たちに「友達になろう」だなんて……!
(どうやら完璧にあたしたちの負けみたいだな……)
だが不思議と悔しい気持ちはしない。むしろ力を存分に出し切った後の清々しい充実感がフレイを包んでいた。そして同じ気持ちなのか、ウインもまたすっきりした表情を浮かべている。
「じゃ、決まりだね♪ あ、そういえば自己紹介がまだだった! ボクの名前はクリス、よろしくね☆」
「ああ、よろしくな、クリス」
「よろしくですぅ☆」
フレイとウイン、そしてクリス--三人の少女たちが顔を見合わせて笑い合う。
それは実に微笑ましく、見ているだけで心が和むような情景であった。
……だが、そんな暖かな情景を前にして、その場にいる全員からすっかり存在を忘れ去られたまま、怒り心頭の男が一人いた!
「うおのれ~! 敵に負けてしかもその情けを受けるとは~!」
忘れ去られていた男--ガロウ四天王ダルシスは、あまりの怒りにほとんど血管が切れそうになっていたが、ギロリと不肖の弟子たちをにらむと、右手に力を込め始めた。
「コオオオオオオッ!」
不気味な呼吸音と共に、ダルシスの右手に《闘気》が集い、そして鋭い槍の形をなした!
「許さぬ! カイザン龍皇拳奥義、《襲牙突槍》!」
門の上からまるで水の中へと飛び込むように、ダルシスが襲いかかる!
「馬鹿者どもめが! この俺が直々に仕置きを与えてくれる!」
ダルシスの魔拳がフレイとウインに迫る!
--が!
「ウガァァァァァッ!」
そんなダルシスの身体を、シェルザードの刀身から伸びた緑の光が、まるでバットのように横殴りにぶちのめした!
「ぐほぉぉぉぉ!?」
魔竜少女たちとは違い、『根っからの悪であるおっさん』にはまるで容赦しないその一撃に、ダルシスの身体が軽々と吹き飛ぶと、洞窟の壁にたたきつけられる。
そして跳ね返ってくるその身体をさらに再び、今度は逆側から返ってきた緑光のバットが豪快に弾き飛ばした!
「ぶべらぁぁぁぁ!?」
再び激しく壁にたたきつけられたダルシスが、まるでボロ雑巾のようになって落下する。そしてその身体は土煙と共に地面にたたきつけられ、ピクリとも動かなくなった。
〈あのーさすがにちょっとやりすぎじゃぁないかと……〉
初めて《バーサーク》を凄まじさを目の当たりにしたシェルザードが、恐る恐るそうつぶやいてみたものの、ジークは意に止めるそぶりさえみせずに、ずんずんとダルシスに向かって歩み寄る。
「おいおい、何やってんだよ? その程度でくたばられたら……」
破壊の衝動に瞳をぎらつかせて、ジークはニヤリと笑うと、シェルザードを大きく振りかぶった!
「面白くねぇだろうがぁ!!」
ドゴーーーーーン!! 振り下ろされたシェルザードの一撃が、地面に大きな穴を開ける。それまで死んだふりをして反撃の隙を伺っていたダルシスだったが、間一髪それを避けると、全身を総毛立たせながら、大きく後ろに飛び退いた。
「へっ、やっぱり生きてるじゃねぇかよ」
「お……おのれぇ……!」
かろうじて構えを取るダルシスだったが、その背中には冷たい汗が幾筋も流れていた。
「さぁどうするよ? まだやんのか?」
そんなダルシスにシェルザードの切っ先を向け、ジークが挑発的に言い放つ。
「言っとくがもうどうあがいても勝ち目はねぇぞ? 今となったら俺とお前じゃ力の差がありすぎる。大人しく負けを認めるんだな!」
だがそのとき、ダルシスの口から低い笑い声がもれた。
「……くっくっくっ……」
「……!? 何がおかしい!」
そんなジークの詰問に答えるかのように、ダルシスの顔が不敵な笑みに歪んだ!
「--なめるな、小僧めがっ!」
その瞬間、不意にダルシスの姿が消えた!
「何っ!?」
〈ジークさん、上っ!〉
シェルザードが叫ぶ!
「ふははははは!」
ダルシスは軽々と宙を舞うと、そのままクリスの後ろに降り立った!
「!?」
咄嗟にナイフを抜こうとするクリス。だが、ダルシスはそれを易々とたたき落とすと、クリスをぐいと左腕でしめつけた。
「きゃっ……!!」
クリスはじたばたともがいたが、ダルシスは万力のような力で締め付けてくる!
「くっくっくっくっ……」
再びダルシスが不敵に笑う。
「これで形勢逆転だな小僧。さぁ武器を捨てろ! この娘の命が惜しかったらな!」
5
「ク、クリス!?」
愕然とするジークの前で、クリスを人質にとったダルシスがニヤリと笑う。
「フッ、油断したな小僧」
「は、離してっ! 離してったら!」
何とか振りほどこうと懸命に暴れるクリスだったが、ダルシスの怪力の前には全く通用しない。
「うるさい小娘だな……」
ダルシスはチッと舌打ちすると、クリスを締め上げていた左腕の指先を、その右肩にいきなり食い込ませた!
「……!!」
あまりの激痛にクリスが息を飲む。その肩から5本の血の筋がゆっくりと流れていった。
〈クリスさん!?〉
「て、てめぇ!!」
激高したジークがシェルザードで斬りかかろうとするのを、残忍な笑みを浮かべてダルシスが止める。
「おっと、動くなよ。それ以上近寄れば……」
そう言うと、今度はダルシスの右の人差し指がクリスの柔らかな頬をスッと撫でた。
ツツ……指の動きに合わせて、まるで鋭利な剃刀で切られたかのように、血がこぼれてゆく。
「ヒッ……」
クリスの愛らしい顔が、痛みと恐怖に青ざめる。足がガクガクと震えるのを、少女はどうすることもできなかった。
「この娘がますます痛い目をみるぞ。それでもいいのか、小僧?」
「……くっ!!」
怒りと悔しさに歯がみをするジークを、楽しそうに眺めるダルシス。
「やめてください師匠! そんなの武闘家として卑怯すぎます!」
「そうですよ、しかも女の子を人質にするなんていけないですぅ!」
拳の師と仰ぐ男のあまりな行動に、たまりかねたフレイとウインが口々に非難するも、ダルシスは平然と言い放った。
「うるさいわ、この負け犬どもが! よいか、拳法において大事なのは勝つこと! どんな手段を用いようが、勝てばよいのだ!」
「そ……そんな……」
「あんまりですぅ……」
師匠の暴言にガックリとうなだれるフレイとウイン。そんな弟子達の純真さを鼻で笑いながら、ダルシスは嬲るような口調でジークに命じた。
「さぁ、どうした武器を捨てろ。さもなくば次は……」
ダルシスの手刀がクリスの震えるのどにあてられる。
「首が飛ぶぞ?」
「…………」
しばらくジークは無言でダルシスをにらみつけていたが、やがてその全身からスッと《闘気》が消えた。そしてその黒い瞳の輝きも闘志に荒れ狂う《狂戦士》のそれから、まるで腹を括ったかのような冷静な色へと変わる。
そしてジークは、シェルザードを地面へと放り投げた。
〈ジ、ジークさん?〉
「よーし」
クックックッ、蛇のように笑うと、ダルシスはジークをにらんだ。
「いいだろう。ならそのままこっちへ来い」
ダルシスの瞳が不気味に光る。
無言で前に出るジーク。後数歩の距離まで近付いた所で、ダルシスは再びジークに命じた。
「よーし、そこで止まれ。そうしたら鎧を外すんだ」
やはり無言で、ジークは鎧の留め金を外していく。
「ふっふっ、素直だな。脱いだら動くなよ」
上半身を黒い肌着一枚にして、ジークはジッとダルシスの顔をにらんだ。
「フフ……いい面構えだ」
不気味に笑うダルシス。
--その瞬間、ダルシスの右手が動いた!
「実に気にくわん!」
ズバッ! ダルシスの放った真空波に、ジークの右頬がザックリと割れた!
「キャアッ! ジーク!」
クリスが悲鳴を上げる。
「お願い! ボクのことなんかより、こいつを……!」
「黙れっ! 小娘が!」
ダルシスの爪が再びクリスの肩に食い込む。
「痛いっ!」
クリスの顔が激痛に歪む。
「止めろっ!」
ジークは流れる血をぬぐおうともせずに叫んだ!
「やるなら俺をやれ! クリスに手を出すなっ!」
「きれい事をぬかすなーっ!」
ダルシスの手刀が宙を切る!
真空波が空を裂き、ジークの右肩から血がしぶいた!
「ふっふっふ……小僧、お望み通りに切り刻んでやるぞ。今度こそズタズタにしてくれる!」
ダルシスの顔が狂気に歪む。そして再びジークめがけて憎悪の手刀が飛んだ!
ズシュウッ! 真空波は鎧を着けていないジークの身体を易々と切り裂いていく。
だが、ジークは身じろぎすらせず立っていた。
「いい根性だ。だがな……貴様のそういう所がますます……気にくわんのだ!」
また一撃!
「く、くそっ!」
ついにしびれを切らせて、ヒョウが呪文を唱えようとした--が!
「やめろっ! ヒョウ!」
鋭くジークがそれを制する。
「だが……お前!」
「これは俺とこいつの闘いだ。おまえは手を出すな!」
「ふっふっその通りだ。いかに魔道といえども、発動させる時間を考えれば、この娘をその前に仕留める事など造作もないことよ」
「ぐっ……!」
ヒョウは拳を握りしめると、その場で立ちすくんだ。ニャーゴロもまた無言で成り行きを見守っている。
「くっくっく……どんな気持ちだ? 自分の女を目の前で人質にされて、どうすることもできんと言うのは??」
ニヤニヤとあざ笑うと、ダルシスは今度は羽交い締めにした左腕をゆっくりとずらしていく。
そしてダルシスがその左の掌をクリスの胸当ての中に潜り込ませたかと思うと、これみよがしにその膨らみを揉みしだいてみせた。
「いや……いやだぁ……!!」
たまらない嫌悪にクリスが涙ぐみながら首を振る。
だが、ダルシスはそんな反応さえ心地良いとばかりに、少女の柔らかな胸の感触を堪能すると、更に挑発を重ねるように、その指を服の中にまで滑り込ませた!
「……くだらねぇ挑発だな」
だが、そんなダルシスに向かって、内心の憤激を押し殺しながら、ジークが冷ややかに言い放つ。
「いいから早く打ってこいよ。まぁ、てめぇごときの技が俺に効くなら、だけどな」
「……フッ、言いおるわ。小僧」
そんなジークの前で、ダルシスの右腕が不気味にゆらめく。
「なるほど、ここまではよく耐えたものよ。だが、いつまでそれが続くかな……?」
ダルシスの瞳が残忍な光を帯び--そしてその瞬間、その右手がうなりをあげた!
「ま、まさかあの技は!?」
「せ、《千手竜爪斬》ですかぁ!?」
フレイとウインが息を飲んだ瞬間、ダルシスの右手が何十もの数に膨れあがるように見えたかと思うと、無数の手刀がジークめがけて襲いかかった!
凄まじい数の真空波がジークの身体を四方八方から切り刻む! 鮮血がまるでスコールのように辺りを手に染めていった。
「いやぁぁぁぁ! ジーク! やめて、やめてぇ!!」
クリスは攻撃を止めようと必死に暴れたが、ダルシスの腕はびくともしない。
(ああ……)
自分のあまりもの無力さに、クリスの目から涙がこぼれる。
ジークの身体はもはやズタボロだった。
(やめて……もう……倒れてよぉ……)
しかしジークはまだ倒れなかった。
そしてその身体を情け容赦なく、ダルシスの手刀が切り刻む!
(お願いよ……これ以上、もうボクなんかのために傷付かないで……!)
バシュウッ! ジークの左腕から噴き出した血が、返り血となってクリスの頬にもかかってきた。
「……!」
たまらず目を背けるクリス。その閉じられた瞳から涙が頬を伝わり、流れていく。
(お願いよ……もう、もう、やめてーーーーーーっ!!)
心の中で絶叫するクリス!
だが--ジークは倒れなかった。
身体中を切り刻まれて、ズタボロになりながらも、ジークはなお身じろぎ一つしない。
(ば、馬鹿な……俺の拳をこれだけ喰らって生きているわけが……)
攻め続けているはずのダルシスの頬を、一筋の汗が流れる。
そのとき、朱に染まった顔に不敵な笑いを浮かべて、ジークがボソッとつぶやいた。
「どうした、この程度かよ……? てめぇのカイザン龍皇拳とやらは……」
「な、何だと!?」
「ほら、もっと打ってみろよ……」
ジークがせせら笑う。その瞳は挑発するようにダルシスの目を見据えていた。
「何百発打とうが、てめぇじゃ俺を倒せやしねぇ! 女を盾にしなきゃ何もできねぇような腐った拳じゃあなっ!」
「お……おのれぇ!」
ダルシスの額に血管が浮かび上がった!
「よくも我が拳を……殺してやる!!」
叫ぶやいなや、ダルシスはクリスを突き飛ばした。勢いのあまり転倒するクリスにはもはや気にもとめず、ダルシスは全身から強大な《闘気》をほとばしらせる!
「いいだろう……ならば俺の《竜殺し》の拳の名にかけて……奥義で葬ってくれるわ!」
自分の拳を侮辱された怒りに我を忘れたダルシスの瞳が、凄まじい殺気に濁る。
「死ね小僧! カイザン龍皇拳奥義、《竜激破斬拳》!」
ダルシスの足が地面を蹴る。そして一気に間合いをつめたその必殺の一撃が、ジークの心臓を過たず刺し貫くかと思われた--まさにそのとき!
「シェルザード!!」
ジークが叫ぶ! そしてその瞬間、ジークの間合いへと踏み込んだダルシスの右腕を、叫びに応じて飛来したシェルザードが、うなりをあげて切断した!
「ぎゃぁぁぁぁっ!?」
ダルシスの顔が激痛に歪む。
そしてジークの右手にしっか!とシェルザードが握られた!
「いくぜ、ダルシス!」
「お、おのれぇぇぇ!! 死ねっ!!」
憎悪に燃えるダルシスの左の手刀がジークめがけて突き出される!
「死ぬのはてめぇだっ! この……」
シェルザードがうなる!
「腐れ外道がっ!!」
ビキイイッッ! ダルシスの拳とシェルザードの刃が交差した!
ズバッ! ジークの左の脇腹が大きく裂ける。
「いやああっ!?」
泣き叫ぶクリス。
だが、次の瞬間、ダルシスがうめくようにつぶやいた。
「ぐっ……見事……だっ……」
よろっ、とダルシスがよろめく。
「確かに貴様は強い……そして恐るべきはシェルザードよ……だがっ!」
ギラッ! ダルシスの瞳が狂気に近い執念の炎に燃え上がった。
「だがっ! いくらその剣を持ってしても、絶対にガロウ様には勝てん! 勝てん訳があるのだ!」
グハハハハハッ! ダルシスが哄笑する。
「俺に勝ったからといって、貴様らに明日はない。貴様らはみなガロウ様のあの剣のえじきとなるのだ! それまでせいぜいつかの間の勝利を味わうのだな! 先に地獄で待っているぞ……グハッ!」
ダルシスの身体に右肩から腰の左側にかけて赤い線が走り--
バシュウッ……! 大量の血を噴き出して、ダルシスは絶命した。
〈やりましたね……〉
「ああ……」
ジークは静かに答えた。
〈カッコ……良かったですよ〉
「ありがとよ」
その瞬間、ジークはフラッとよろめくと、そのまま崩れ落ちた。
「ジ……ジーク!」
慌ててジークのもとに駆け寄るクリス。
「死んじゃ……死んじゃいやだぁぁ!」
泣きながらクリスがジークの身体を抱き起こす。
「ばか……ジークのばか……」
あふれる涙に突き動かされるようにして、クリスは叫んだ。
「なんで……なんで……ボクなんかのために……ばかぁぁぁぁ!!」
後は声にならない。クリスはジークの胸にしがみつくと、わんわんとただひたすら泣きじゃくった。
(柔らかいな……それに……暖かい……)
朦朧とする意識の中で、ジークはぼんやりとそんな事を思っていた。
もう少しも怖いなどという気持ちはわいてこない。それどころか少しでも長くこの温もりを感じていたかった。
(いいもんだな……女の子って……)
ジークは不意に、今自分の胸で泣いている少女を抱きしめたい衝動に強く駆られた。
もっと強く、クリスの身体を感じたい。できるなら、離したくないぐらい。
今のジークには、クリスの事がまるで宝物のように大事なものに思われた。
(そうか……これが……)
ジークがおずおずといった手つきで、そっとクリスの背に手を回す。
(『愛しい』……って気持ちなのか……)
ぎこちない動作で、ジークがクリスを抱きしめる。
クリスは一瞬驚いたようだったが、それに答えるかのようにして、ますます強くジークの胸にしがみついた。
(クリス……)
あふれる想いを込めて、ジークは泣きじゃくるクリスをじっと抱きしめ続けた。
だが--そのとき、不意にジークの視線が、クリスの肩に止まった。
ダルシスによって穿たれた傷口から、赤い血がにじんでいる。そして切り裂かれた頬からも。
(……!)
その瞬間、ジークの胸にズキッと痛みにも似た感覚が走り抜ける。
それはまるで自分が傷付けられたような--いやそれどころかその何倍にも及ぶ痛みであった。
(……)
しばらくジークは無言で、その痛々しい傷口を見つめていたが、やがて、ほとんど突然とも言える荒々しさで叫んだ!
「もう……たくさんだっ!」
そしていきなりクリスの身体を突き飛ばす!
「……!?」
突然のジークの豹変に戸惑うクリスに、ジークは叩き付けるように叫んだ!
「どうしておまえはいつもいつも俺の足を引っ張るんだよ! どれだけ迷惑かけりゃ気がすむんだ!?」
「……ジ、ジーク……!?」
そのあまりの激しさに、クリスの目に今までとは違う涙がにじむ。
「お、おいジーク、それは言い過ぎだろ!?」
「うるせぇ! こいつのドジのおかげで俺がどんな目に会ったと思うんだ!」
間に入ろうとしたヒョウに向かって噛みつくジーク。そしてジークはクリスに視線を移すと、冷ややかな声で告げた。
「とにかく、もう俺はお前に振り回されるのはごめんだ。だからお前はこれ以上、俺についてくるんじゃねぇ」
「や……やだ!」
ジークの一言一言に心を深くえぐられながらも、クリスは必死の思いで叫んだ。
「ボクも行く! みんなが闘うのに、ここまで一緒に来たのに、ボクだけ置いてけぼりなんて……ひどいよ!」
クリスの顔は真剣だった。
「ボクだって闘えるよ! もう絶対邪魔になんかならない! ちゃんとみんなの役に立ってみせるから……! だから、だから、ジーク! お願いだよ!」
〈いいじゃないですか。こんなに行きたがってるのに可哀想ですよ〉
「てめーは黙ってろ!」
ジークに一喝されて、黙り込むシェルザード。
「ねぇ、ジークったら!」
「……まだわからねぇのか……」
ジークはギリッと歯の奥を噛みしめると、まるで必死なクリスの顔を見るのを避けるかのように、目をつむったまま絶叫した!
「おまえなんかがいたって、足手まといにしかならねぇんだよ!!」
それだけ言うと、ジークはすがりつくクリスの身体を突き飛ばして、クルリと背を向けた。
「いくぞっ、ヒョウ! ニャーゴロ!」
「ま、待って!? ジーク!」
だが、ジークは耳もかさずに歩き出した。
「ごめんね……」
そんなジークの背中を見つめながら、クリスの目から涙があふれる。
「ずっと……ずっと……ラコールで最初に会った時から……ずっと……迷惑かけてきたんだもんね……いつも……いつも……守ってもらってばかりいたんだもんね……」
(……!)
まるでクリスの声から逃げるように、ジークは歩調を速める。
「ごめんなさい……」
クリスはそのまま泣き崩れてしまった。
〈……クリスさん、泣いてますよ〉
非難するようにシェルザードが声をかけてくる。
〈正直言ってジークさんを見損ないましたよ! 女の子を泣かすなんて最低です!〉
「……」
無言のまま歩き続けるジーク。
〈まったく……他に言い方ってもんが……〉
だが、そこまで言ったとき、ハッとシェルザードは話すのを止めた。
シェルザードは見た。一瞬、ジークの目がシェルザードの緑光を浴びて煌めいたのを。
(これで……良かったんだ……)
ジークは無言のまま、クリスの泣き声から遠ざかっていった。




