第一章「貧乏王子と盗賊少女」その2
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「ト、トロキアの王子様~~~ぁ!?」
「ああ、そしてこちらが俺の守り役であるガウェイン卿だ」
恐れ入ったか、とばかりに昂然と胸を張るジーク。
が、
「うっそだぁー!」
ずるぅ! 実に鮮やかに否定されて、思わずジークがずっこける。
「キミなんかが王子様なわけないでしょ。冗談も休み休み言ってよね」
「冗談なんかじゃない! 俺は本当にトロキアの王子だ!」
ムキになるジークに少女は思いっきりいぶかしげな視線を送ってみせる。
「どこの世界に金欠で行き倒れになりかかる王子様がいるっていうのよ」
「うっ……そ、それはだな」
痛いところを突かれて口ごもるジーク。
「ほーら、答えられないじゃない」
「わ、悪かったな! うちの国は貧乏なんだよ!」
「ふーん」
少女はあからさまに信用してない表情を浮かべ、更に追い打ちをかけた。
「大体、その『トロキア』ってどこの国なのさ。ボクそんな国知らないよ」
「……し、知らないっておまえ……」
「若、地図を見せてはいかがですじゃ?」
少なからずショックを受けた様子のジークを見かねてか、老ガウェイン卿が懐からもそもそと一枚の大陸地図を取り出し、テーブルの上に拡げてみせた。
「見ろよ、ここがこのアルカディアだろ、ちょっと北に行ってライデルだろ……東に行ってグラードだろ、アルサスだろ……そしてここが!」
ジークはビシッ! と地図の一点を指差した。
「我がトロキアだ!!」
「わかんない」
シレッと言われて再びジークがつんのめる。
「ここだよ! ここ! よく見ろって!!」
「あのー、若……」
興奮するジークの肩を、ガウェインがそっと指でつついた。
「指で隠れておりますじゃ……」
「……」
無言で指を離すジーク。
すると今まで指があった場所に小さな丸印があり、確かにそれには小さく『トロキア王国』と書いてあった。
「えーーーーーっ、これ国なのーーー!? ほとんど村じゃない!!」
「ち、小さくて悪かったな! 昔はこれでも大陸全土を支配してたんだぜ!」
絶句する少女に向かって、力説するジークだったが、
「昔、っていつさ?」
「……じい、いつだっけ?」
「二千年ぐらい前のことですじゃ……」
「『昔』……ねぇ……」
少女が呆れたようにつぶやく。
「……何か言いたげだな」
「いや、何となく納得はしたから信じたげるけどさ」
やれやれ、と少女はため息をついた。
「なーんか、ボクの抱いてた王子様のイメージとは違うなーって、ね」
「余計なお世話だ! 悔しいがトロキアは弱小国の上に『超』がつくような国だからな。おまえらが考えているような王族の暮らしぶりとはワケが違うんだよ!」
「うっ……うっ……おいたわしい……これまでもトロキアの王位継承者であらされる若、御自らが、国の会計を助けるために内職に精を出してこられたのですじゃ……」
ガウェインは感極まって、とうとう泣き出してしまった。
「泣くな、じい。俺達が『この冒険』を成し遂げさえすれば、トロキアは救われるんだ」
「冒険って何なのさ?」
少女の問いに、ジークの表情が一変して真顔になった。
「おまえもアルカディアの人間なら、アルカディア王女ティアナ姫のことは知っているだろ?」
「うん、そりゃ会ったこともないケド、アースラル一って言われる綺麗なお姫様だってことは知ってる。でも、確かつい最近さらわれ……」
そこまで言って、少女はハッ、と言葉を止めた。
「ま・さ・か?」
「そう、その『まさか』だ」
不敵に微笑むジークを前にして、少女は噂に聞いた一ヶ月前の大事件のことを思い出していた。
※ ※
「王様……塔の守備隊は壊滅しましたっ……」
肩にひどい火傷を負った兵士は、それだけ告げると力尽き、その場に崩れ落ちる。
「お……おのれ、一体何者だ!?」
アルカディア王ホルス十四世は拳を握りしめると、燃え盛る塔をにらみつけた。
「お、王様! あれを!!」
家来の叫びに上空を見上げたホルス王の目が、その瞬間驚愕に見開かれた!
そこに飛んでいたのは一頭の巨大な黒竜! そしてその背中には愛娘であるティアナ王女が、ぐったりしたまま一人の男に抱きかかえられているではないか!?
「き、貴様! ティアナをどうする気だ!?」
しかし男は酷薄な笑みを浮かべるのみで耳も貸そうとしない。
「おのれっ!」
激昂した兵士達が矢を放とうとするのを、王はかろうじて残っている理性でおしとどめた。
「いかん! 下手をすればティアナに当たる……」
「く、くそぅ!」
歯がみをして悔しがる兵士達を男はニヤニヤと上空から見下ろしていたが、不意に騎竜に向かって叫んだ。
「やれっ! タナシス!」
刹那、黒竜の口から目もくらむ閃光がほとばしると、唖然とする兵士達に直撃した!
「ぎゃあああああっっ!!」
凄まじい絶叫と爆風が収まると、そこにはすでに何も残されてはいなかった。
「な……なんという事を……」
がっくりと膝をつくホルス王をあざ笑うかのように、男は高々と叫んだ。
「王女は頂いていくぞ! 返して欲しくば《竜の台地》まで来るがよい!」
「ま、待て、貴様は一体何者だっ!?」
「教えてやろうか?」
残忍に笑う男の口から出た名は、王を更なる驚愕の淵へとたたき落とした。
「俺の名は《竜の支配者》、ガロウ伯爵の四天王の一人シグマよ!」
「ガ……ガロウだと!?」
「ふっ、伯爵様からのお言葉だ。『王よ、オレは貴様に復讐する。オレが見てきたのと同じ地獄を味わわせてやろう……』とな、確かに伝えたぞ!」
そう叫ぶとシグマは騎竜タナシスの手綱をぐい、と引き絞った。
黒き魔竜は一声咆哮すると、西に向けて力強く翼を羽ばたかせていった。--ティアナ王女をその背に乗せたまま。
「そんな……あのガロウが……何故だ……」
後にはただ、あまりの衝撃の連続に打ちのめされて、一挙に老人と化してしまったかのようなホルス王だけが、一人残されていた。
※ ※
もちろん王はそのまま手をこまねいていたわけではない。すぐにアルカディア騎士団でも屈強な者をよりすぐって《竜の台地》へと向かわせたが、ただ一人を除いて帰ってきた者はいなかった。そしてその一人もまた、ただうわ言のように、『竜が……竜が……』と口走るだけの廃人と化していた。
ホルス王は半ば絶望したが、最後の望みをかけてアースラル大陸全土に、王女を助け出した者には王国の半分とティアナ姫を与える、との触れを出したのであった。
※ ※
「はっきり言っとくよ。やめときな」
少女はキッパリと言い放った。
「相手はハンパじゃないよ。ガロウ伯爵と言えば、かつてはアルカディアの若き魔狼将軍として名をはせた使い手だよ。王様の信頼も厚く、王女様の婚約者候補にもうわさされてたんだ」
少女の口調は、まるで物を知らない子どもに言い聞かせるかのようだった。
「なんで裏切っちゃったかは知らないけどさ、とにかく敵に回したらあれほど恐ろしい人はいない。キミじゃあムリだよ」
「随分キッパリと言い切ってくれるな」
ジークは苦笑したが、断固とした意志をこめて続けた。
「だけどな、俺にはどうしてもやらなきゃならないワケがあるんだ」
5
時をさかのぼること三週間。トロキア城--聖王の間。
「王子ジーク・アルザード、参上しました」
玉座の下でジークがうやうやしく一礼する。
「うむ、よくぞ参った、我が息子よ。壮健そうで何よりだ」
王、アルバトロス・アルザードが満足げにうなづいた。
その後、親子の間にしばし沈黙が流れた。
「お……親父……」
たまりかねたようにジークが口を開いた。
「何だその口の利き方は!? 父上と呼べ! 父上様と!」
「……誰も見てねぇのに儀式張ってどーすんだよ……」
確かに聖王の間には、二人を除いてだーれもいなかった。
「それはだな……おまえ……内密の話なんで家来達には控えておくよう……」
慌てて言い訳をする父王に、ジークは冷たく言い放った。
「ウソつけよ。どいつもこいつもやめちまったんだろうが! 一体、何ヶ月給料払ってなかったと思ってんだ」
「ううっ……」
「城はボロボロ、聖王家の家宝はほとんど売っちまった。家臣はもはやガウェインだけ……しかもヨボヨボのじいさんときてる」
ため息をつきながら続けるジーク。
「そもそも『聖王国』って言ったって、今やこの城の周辺ぐらいしか領地は無いし、はっきり言えばあっても無くても似たようなもんだから、まわりの国々からお情けで生かしてもらってるよーなもんだ。俺、情けねーぜ……」
親子の間を夏だというのに冷たい風が、ひゅるるるると音を立てて吹き抜けていった。
「ジーク、そこでおまえに頼みがある」
アルバトロス王はわざとらしくコホンと咳き込むと、気を取り直して言った。
「頼み?」
「巷のうわさによると大国アルカディアの王女がさらわれ、もし王女を助けたのならなんと! 王国の半分を褒美としてもらえるということだ!」
王はぐぐっ、と気合いを入れると続けた。
「はっきり言ってこれはチャンスだぞ! アルカディアの半分がもらえるとなれば……このトロキアも一気に大王国になれる!!」
野望に瞳を燃やす父王の前で、ジークはあきれ果ててつぶやいた。
「な……情けねーぇ……」
「何を言う! 今や時代は下克上だ! 一気に成り上がってみせるのだ!」
「それはさー王家の言うセリフじゃないだろー。聖王家のプライドってのはねーのかよ」
「場合が場合だからな。それに急がないと、今度大風でも吹いたら城が吹っ飛ぶぞ」
「……」
「ジークよ、もはやトロキアが復活する道はこれしかないのだ!」
「た、頼むから断言しないでくれ。俺、情けなくて、情けなくて……」
「ええい、うるさいわ! とにかく!!」
アルバトロス王はビシッ! とジークを指差すと、ここぞとばかりに威厳を込めて命じた。
「聖王の名において命じる! ティアナ王女を《竜の台地》より救い出して参れ!!」
※ ※
「キャーハッハッハッハッ」
涙を流し流し笑い転げる少女に、真っ赤になってジークが怒鳴る。
「え--い、てめぇそんなに人の不幸がおかしいかっ!? 我がトロキアにとっては死活問題なんだぞっ!」
「だって……だって……グスッ……おっかしーい!」
「お……おまえなんかに貧乏な王族の気持ちがわかってたまるかっ! 最初にもらったなけなしの金は十日で底をつき、後は兜や馬を売ってまで旅してるんだぞ!」
「うう……若、じいは情けのうございまする。これでは敵と戦う前にのたれ死んでしまいますじゃ……」
泣き崩れる老がウェインを見て、さすがに哀れに思ったか、少女は笑うのをやめた。
「……仕方のない人達だなァ……事情はわかったけど、大体そんな装備、しかもたった二人で生きて帰れると思ってるの?」
「いや……途中で傭兵でも雇おうかと……」
「どこにそんなお金があるんだよ?」
「うっ……」
言葉に詰まるジークたちを見て、少女はやれやれ、とばかりに髪をかき上げた。
「まったく……しょうがない、ボクがお金を貸してあげようか?」
「えっ!? 本当か!」
二人の目が輝く。
「まぁ王子様にお金を貸すなんて滅多にできる経験じゃないしね。でもその代わり、もし成功したらそれ相応の礼はしてもらうよ」
「うう……もちろんだとも。ありがとー、ありがとー」
ジークは目をウルウルさせて感動していたが、ふと思い出したように少女に問いかけた。
「そう言えば喰うのに夢中で、まだおまえの名前を聞いてなかったな。何て言うんだ?」
「あれ、そういやぁ言ってなかったけ?」
少女は照れたように笑うと、口を開いた。
「ボクの名前はクリ……」
そのとき、不意に後ろで別の声がした。
「よぅ、クリス。久しぶりじゃねーか」
6
「どうしたよ、クリスちゃん。男連れたぁ珍しいじゃねぇか」
クリスの後ろに立っている、見るからに人の悪そうな中年の男が下品に笑った。
「なんだ、ゴードンか。消えな」
クリスは男に気付くと、冷ややかに一瞥し、吐き捨てるような口調で言う。
「可愛い顔して相変わらずご愛想だな」
ゴードンと呼ばれた男は苦笑すると、なれなれしくクリスの肩に手を回してきた。
「汚い手で触らないでよ!」
クリスは冷たくゴードンの手を払った。
「そうつれなくすんなよ、クリスちゃん」
ゴードンは猫撫で声になるとクリスに顔を近付けた。
クリスはブイと顔を背ける。
「どうでぇ、いつまでもけちなスリなんかやってねぇで、俺のイロにならねぇか? そしたら今たぁ比べもんにならねぇぐれぇ、いい暮らしができるってもんだぜ?」
「フン、うまい事言ったって結局はボクをいいようにもて遊ぶ気だろ。やなこったい」
顔中に嫌悪感を露わにしてクリスは言った。
「そうつれなくすんなよ。俺のイロになるのが嫌だってのなら俺の店で働かねぇか? おまえみてぇな上玉だったらすぐに看板になれるぜ。なんなら俺が役に立つ事を二、三教えてやってもいいしな」
げへへへへ、といやらしくゴードンは笑う。
クリスは顔を背けたまま何も言わない。
「おっと、その可愛いお顔を見せてくれよ」
ゴードンは少女のあごをつかむと強引に自分の方を向かせた。クリスはまたもやその手を払いのける。
「いやだよ。ボクは男相手に商売する気は無いし、これからもあんたなんかの指示を受ける気なんかこれっぽっちも無いね」
クリスはあくまでも冷ややかな姿勢を崩さず言い放った。
「だから、とっとと失せな」
ゴードンはそんな少女を見て舌打ちしたが、やがて揶揄するように口を開いた。
「へっ、何純情ぶってんでぇ。おまえの死んだ母親がどういう女だったか、知らねぇわけじゃねぇだろ? 俺がちょっと金を弾んでやったらそりゃあもう……ギャァッ!」
ゴードンは思わず頬に鋭い痛みを覚えて叫んだ!
「ク、クリス……てめぇ……!」
血があふれる左頬を押さえながら、ゴードンは怒りに震えてクリスを睨んだ。
少女の右手にはいつの間に抜いたのか、一本のナイフが握られていた。その刃先からは、鮮血がしたたり落ちている。
「帰れっ! ボクのお母さんをそれ以上侮辱するなら……今度は額にナイフを突き刺してやるからぁ!!」
クリスの目にはゴードンよりもはるかに強い怒りの炎が燃え盛っていた。その迫力に思わずゴードンも後ずさってしまう。
しかしゴードンはすぐに不敵に笑い出すと、手に付いた血をペロリと舐めた。
「この借りは高くつくぜぇ、クリス……」
パチリとゴードンが指を鳴らすと、どこから湧いてきたのか、十数人ばかりの影がテーブルの周りをぐるりと取り囲んだ。
「表に出な、クリス。このラコールの町で俺様に逆らったらどうなるか……この町の掟って奴をたっぷり教えてやるぜ」
今度はクリスの顔に緊張が走る番だった。思わず背中を冷たい汗が流れるが、今更引き下がるわけにはいかない。ここで弱みをみせたら、しょせん少女にすぎない自分などは後は骨までしゃぶられてしまう。そのことをこれまで一匹狼で生きてきたクリスはよくよく理解していた。
(こうなったらやるしかない……!)
クリスがゴクリと息を飲み込んだ、そのときだった。
「ちょっと待った」
それまで何が何だかわからん、と言った顔をして成り行きを見守っていたジークが、唐突に口を開いた。
「何か用か、小僧? 関係ねぇ奴はすっこんでろ!」
ギロリ、とゴードンがすごむ。さっきまでのヘラヘラした態度が一変し、普通の人ならそれだけで腰を抜かすほどの迫力である。
しかしジークは眉一つ動かさずに言った。
「事情はよくわからねぇけどさ。でもたかがガキ一人に大の男が十数人たぁ、ちょっと理不尽ってやつじゃないか?」
「なにゃと、コラァ!」
ゴロツキの一人がジークの首下をつかみ、荒々しく引き寄せようとした--が!
バキィィ! 突然ジークの右腕が動いたかと思うと、鋭い一撃が男のあごをとらえる!
「何ぃ!?」
驚愕に目をむくゴードン達の前で、鈍い音と共に男の体が宙に舞うと、床にたたきつけられて動かなくなった。アゴの骨が一撃で砕けている。
「本来おまえらなんぞに名乗る名じゃないんだが……」
ジークは不敵に笑うと、声高らかに言い放った。
「ジーク・アルザード、助太刀するぜっ!」
「な……なんだとぉ!?」
それまでジークの拳の速さと鋭さに呆然としていたゴードン達であったが、その言葉にサッと表情を変えると、うなるような声で怒鳴り返した!
「いいだろう、てめぇも表に出な!!」