第三章「魔道を使う妙なネコ」その3
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(あれ……?)
クリスはいつまでたっても痛みが襲ってこないのを不思議に思って、うっすらと目を開いてみた。
「えっ?」
そのクリスは目が驚きで見開かれる!
「な、何だとぅ!?」
一方、上空ではシグマが驚愕の叫びを上げる!
タナシスの口からほとばしった閃光のブレスが、ジーク達に命中する直前、まるでそこに見えない壁でもあるかのようにして、すべて弾き返されているのである!
「ば、馬鹿な……これは一体!?」
結局、タナシスのブレス連射はジーク達に傷一つ付けるでなく、完全に防ぎきられてしまっていた。
「アレハ……間違イナイ。《結界》ノ呪文ダ」
「《結界》だと!? では敵にはそれ程強力な魔道士がいるというのか!?」
「イヤ、オソラクアノ三人デハナイ。何カ別ノ--ソレモトテツモナク巨大ナ力ノ存在ヲ感ジル……」
《竜の支配者》ガロウ伯爵配下のドラゴン族の中でも最強を誇る《天魔竜》タナシス--だが、今その声の中には明らかな戦慄の色があった。
「しぐまヨ……悪イコトハ言ワン、ココハ一旦引クベキダ……敵ノ正体ガワカラン以上、ウカツニ手ヲ出スノハマズイ」
「くっ、おのれ!」
シグマは歯がみをしたが、理性がタナシスの意見の正しさを認めていた。それにこれ以上時間を費やせば、ダルシスの命にも関わってくる。
「チッ、仕方ない。奴らはまた次の機会にしとめてやることにしよう……」
行くぞタナシス! シグマがグイッと手綱を引くと、タナシスはその巨体を旋回させて、元来た方向--《竜の台地》へと飛び去って行った。
「何が起こったんだぁ? 一体……」
後には思わぬ展開に唖然としたままのジーク達が、ポツンと取り残された。
「とにかく助かったのよね……?」
恐る恐るクリスはつぶやくと、自分たちの周りをぐるりと取り囲むようにしてほのかに輝いていた薄い青色の光の膜を眺めた。それこそが、タナシスのブレスを弾き返した見えない壁の正体であった。
「これは魔道の力だ……恐らく《結界》の呪文だな。それもかなり強力な」
ヒョウが思わず感嘆の声を漏らしたその瞬間、光の膜がまるで役目を終えたとばかりに砕け散った。
しかしそれだけではない。砕け散った光の膜がまるで柔らかな雨のようにジーク達に降り注いだかと思うと、何と三人の受けた傷がたちどころに癒えていく! 光が完全に消え去った時には、かなりの重傷であったジークでさえ、普通に動けるレベルにまで回復していた。
「さらに《回復の光雨》まで!? い、一体どこの誰がこれほどの大呪文を連発してるんだ!?」
ヒョウの感嘆がいまや驚愕に変わる。
「まぁとりあえずお前じゃないことだけはわかるけどな。どう考えてもお前のレベルじゃ逆立ちしたって無理そうだし」
「……えらく言いたい事を言ってくれるじゃないか、ジーク」
「事実だろ?」
バチバチ、久しぶりに二人が火花を散らす。
「もう……助かったと思ったらすぐケンカするんだからぁ」
呆れ半分で二人を分けるクリス。
「でも、本当に一体誰が助けてくれたんだろう?」
その時であった。
「ワシじゃよ、ワシ。ワシが《結界》を敷いてやったんじゃ」
不意にまるでとぼけたような、のんびりした声がした。
「え、誰だ今の?」
「どこにいるんだ?」
三人はキョロキョロと辺りを見回した。しかし誰もいない。
「ココ、ココじゃよ、若いの」
ジークの背中を誰かがコツコツと杖でつついた。
ジークはくるりと後ろを振り向いた。が、やはり誰もいない。
「あれっ? おっかしいなぁ……」
「えーい、鈍い奴らじゃな! さっきからどこを見ておる! ココじゃと言っておろうが!!」
少し怒った声が、下から聞こえてきた。
「えっ?」
ジーク達は慌てて足下を見下ろした。
そこにいたのは一匹の猫だった。
真っ白な毛並みの美しい、丸々太った立派な外見の猫である。首にはピンク色の首輪を巻き、そこにはやけに大きな黄色い鈴が一つ付けられ、キラリと光っている。
そしてその白猫は、自分の背丈よりも長い杖を片手に、二本足で--立っていた!
「……………………」
凝固したジーク達を見て、その白い猫はおもむろに口を開いた。
「なんじゃ? 命の恩人に対して礼も無しか?」
凝固が解けた。
「うわぁぁぁ、猫がしゃべったぁ!!??」
「うそ、うそっ、うそ~~~!?」
「し、しかも立ってるし!!??」
たちまちパニックに陥るジーク達。
「やれやれ、しょうがない奴らじゃのぅ」
猫は呆れたようにして右手でひげを引っ張っていたが、やがて杖をかかげて何やら呪文を唱え始めた。
ボッ! ごく小さな火の玉が杖の先から空めがけて飛び出す。
ひゅるるるる、火球は次第に大きさを増しながら昇って行き、遂には何十倍もの大きさに膨れ上がった!
「爆裂!」
猫がスッと杖を振ると同時に、火の玉が光った!
どっぐわぁぁぁぁぁぁん!!
「わっ、わ~~~っ!?」
突然の閃光と大音響に、ジーク達は肝を潰してひっくり返ってしまった。
「う~む、《爆裂火球》はやはり打ち上げ花火の代わりに使っても風情があるのぉ。まぁまだ昼間なのが残念じゃが」
猫はそんな三人を尻目にしみじみとつぶやいた。
「あ……あなたは一体何者なのですか?」
驚きでパニックが解けたヒョウが、同じ魔道使いとして畏敬の念を込めて尋ねた。
「あれだけの魔道を使うところを拝見すると、もしやどこぞの大魔道士様が変化しておられるのですか? それとも猫の身体に憑依しておられるとか?」
「いや、ワシはただの猫じゃが」
あっさりと答える猫。
「……ただの猫が二本足で立ったり、杖持ったり、しゃべったり、魔道使ったりはできるってのかよ」
ジークが思いっきりいぶかしげな視線を猫に送りつけた。
「細かいことを気にするのぅ。お主は」
「どこが細かいんだよ!」
「まぁいいわい。話してやろう。確かにただの猫というのはウソじゃがな」
ホッホッホッ、猫が気楽に笑ってみせる。
「さてと、じゃがその前に……おい、そこの小娘や」
「は、はい!」
びくっ、突然声を掛けられたクリスが、何を言われるのかと身構えた。
「……茶を入れてくれんかの。後、お茶受けに干し魚などもな」
ずりっ、思わず三人がずっこける。
「え、あ、あの、そんなの無いんですけど……」
おずおずと答えるクリス。
「そうか、まぁ仕方がないのぅ」
残念そうに首を振る猫にクリスが尋ねた。
「それくらい魔道で何とかならないの?」
「おお、そうじゃ忘れておったわい!」
猫はポンと手を打つと、続いてとんでもないことを口走った。
「どーもいかんのー、三千年も生きておるとボケてしもうて」
(さ、三千年……!?)
三人は唖然と息を飲んだ。
「さて、では一丁いくとするかの……」
自称三千歳の猫は、そんなジーク達の視線を気にも留めずに、杖を高々と掲げた。
「--天と地の狭間に潜みし偉大なるものよ! 我、望む!」
その瞬間、猫の全身が青白い霊光に包まれる!
「あっ、あの呪文はっ!?」
猫の唱え始めた呪文にヒョウが思わずのけぞった。
「ヒョウ、知ってるのか!?」
「で……伝説の《祈願》の呪文だっ、上位精霊に働きかけることによってどんな望みでも叶えるという、数ある魔道の中でも究極と言われる呪文の一つ! あ、あの猫、一体どんなレベルの使い手なんだぁ!?」
ヒョウの驚愕をよそに、猫の呪文の詠唱は続く。
「願わくば我が望みを聞きとげよ、偉大なる天地の精霊よ!!」
カカッ!! 猫が叫ぶと共に天の一角が激しく光った!
--我……聞けり……。
天から響く何者かの声と共に、まばゆい光に包まれた何かがらゆっくりと猫の前へと降りてくる。
その何かとは……もうもうと湯気を立てている--湯飲みであった!
「うーむ、うまいわい。やはり偉大なるもののたてたお茶は一味違うのぅ」
そこはやはり猫舌らしくふうふう息を吹きかけると、猫はズズッとお茶をすすった。
(ま……魔道を志す者多しといえども、それを修得できる者は数える程しかいないという《祈願》の呪文を……た、たかがお茶を出すために使うとは……)
もはや開いた口がふさがらないヒョウの前で、猫はあくまでもお気楽な様子で、うまそうにお茶をすすっていた。
※ ※
「そろそろ種明かしをするとの」
お茶を飲み終わって満足気な様子の猫が、ひげを引っ張りながら語り始める。
「ワシは実はルーマ神の飼い猫なのじゃよ」
「ル、ルーマ神だってぇ!?」
その言葉に、三人は同時に驚きの声を上げた。
「ル、ルーマ神て……まさか《光》の最高神ルーマのことかよ!?」
「そうじゃよ」
事も無げに猫がうなづく。
「まぁワシももともとは普通の猫だったのじゃが、子猫の頃捨てられていたのをルーマ様に拾っていただいたのじゃ。懐かしいのぉ」
あの日は冷たい雨が降っていたのぉ……まるではるか遠くを見つめるように、猫が目を細める。
(雨の日に捨て猫を拾う神様って……)
クリスは一瞬想像しかけたものの、やっぱりどうしてもイメージが浮かばない。
「それからワシはルーマ様からペットとして可愛がられる一方で、魔道の力をも授かったのじゃ。そして《神魔戦争》によってこの世界からルーマ様が去られた後は、その『代理人』として働いておる」
「……なるほど、ふつーの猫じゃないことは良く分かったけどよ、じゃあ何でまた俺達を助けてくれたんだ?」
ジークがズバリと切り込んだ。何か裏にありそうだ、と直感が告げている。
「今言ったじゃろ? ワシはルーマ様の『代理人』。ルーマ様からお主達を助けてやるように命じられたのじゃ。そして同時に、お主達に資格があるかどうかを試してくるように、とな」
「え、資格って?」
クリスが興味をひかれて尋ねる。
「お主らが《竜の支配者》を倒せるかどうか。そしてそのために……」
猫はそこで一旦言葉を切った。
「そして……?」
だが猫はすぐには答えずに、後ろを向いて何かごそごそやっていたが、やがてどこから取り出したのか小さな箱を手にして振り返った。
「ほら、開けてみるがよい」
ポンとジークに向かって放ってみせる。
ジークが箱を開けると、三人は顔を並べるようにしてその中をのぞき込んだ。
箱の中には、剣の柄のような物が納められていた。
それは太陽神であるルーマの紋章が彫り込まれた実に美しい柄だった。だが、当然それに付けられているはずの刃の部分が全く存在せず、そしてルーマの紋章の中央、日輪を形どる円の部分がまるで穿たれたようにくぼんでいる。
「何だよこれ? これがどうしたって言うんだよ?」
戸惑うジーク達に、猫が答える。
「資格というのはな、その剣を使いこなすことができるかということじゃ」
「剣……て、柄だけじゃねぇか?」
ジークは柄を手にとって色々と調べてみたが、別に突然刃がせり出してくるとか、光がほとばしって刃になるとかいうリアクションは起こらない。
「今はそうじゃ。だが、その剣が完成した時……その力は天を裂き、地を砕く」
猫の言葉にジーク達は思わず息を飲んだ。
「その剣はかつてルーマ様がその手にし、《闇》の神々と闘った伝説の超聖剣--」
猫は重々しく三人に向かって、その剣の名を告げた。
「その剣の名は、退魔光剣シェルザード。またの名を《神の右手》と呼ばれる剣じゃ!」




