第三章「魔道を使う妙なネコ」その2
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拳がうなる。血しぶきが舞う。
ジークとダルシスの死闘はいよいよその激しさを増していった。
あたりはすでに真っ赤に血で染まっている。だが、そのほとんどはジークの身体から飛び散ったものだった。
今やジークはダルシスの猛攻の前に圧倒的に押されていた。二人の間を飛び交うのはほとんどがダルシスの拳のみで、ジークはそれをかろうじて受けるといった有り様である。
しかしこれも無理はない。いくら強いと言っても今日のジークは二日酔いの上、ダルシス配下の侵攻隊との闘いで受けた累積ダメージもある。むしろ、何とか渡り合えていることさえ奇跡に近かった!
「ぐははははは! 切れろ、切れろ、切れろぅ!」
返り血に染まった顔を歓喜に歪めて、ダルシスは次々と手刀を放つ!
その一撃一撃がジークの鎧を易々と切り裂き、新たなる流血を生んだ。
「ち……畜生!」
何とか隙を見てジークの剣が一閃するも、ダルシスに紙一重で見切られ、むなしく宙を斬る。
「無駄だ! 小僧!」
ダルシスの膝蹴りが容赦なくジークの腹に叩き込まれた! ぐふっ! たまらずジークの身体が後ろに吹き飛ぶ。
「いやあぁぁぁっ! ジーク!!」
二人の闘いを泣きそうな顔で見守っていたクリスが、たまらず顔を背ける。
「お願いヒョウさん! ジークを……ジークを助けてあげてぇ!」
ヒョウの腕にすがりつくクリス。だが、ヒョウは蒼白な顔で立ちつくしているだけで答えない。
「……ジーク!」
いてもたってもいられなくなって、クリスはナイフを抜くとジークを助けに駆け出そうとした。
だが、それをヒョウがすかさず止める。
「放して! ジークを助けなきゃ!!」
「ムリだ……」
じたばたと抵抗するクリスに、ヒョウは努めて冷静な口調で告げた。
「レベルが違いすぎる。オレ達では行っても奴に一撃で倒されるだけだ……」
今度は前回のような演技ではない。これはヒョウの偽らざる本心であった。
「ねぇ、なら魔道は!? ヒョウさんの魔道なら……」
「ダメだ……二人の位置が近すぎて、これではジークも巻き添えにしてしまう」
「そ、そんなぁ……」
クリスはとうとう絶望のあまり泣き出してしまった。
(弱ったな……)
「女泣かせ」を自負するヒョウだったが、こういう理由で泣かれるのには非常に弱かった。
「……くそっ、ジークが《バーサーク》でもしていれば……!」
それはヒョウがほとんど無意識の内に発したつぶやきだったが、それを耳にしてクリスはハッと息を飲んだ。
(そうだ、まだジークには《バーサーク》があった! そしたら勝てるかも!)
そのとき、クリスの脳裏にある一つの方法が閃いたが、しかしさすがに顔を赤くしてうつむいてしまう。
(そ、そんな……いくら何でも……)
だが、そんな想いをよそに、目の前の死闘はいよいよ決着の時を迎えつつあった!
「カイザン龍皇拳奥義! 《龍牙砲》!」
バキィィ、鈍い音を立ててダルシスの左肘がジークの胸元に炸裂する!
「ぐ……はっ……!」
あばらにヒビでも入ったのか、ジークの口から血があふれ出す。その瞬間、ジークの身体を包んでいた《闘気》がスッと消滅した。
「ジ、ジーク!」
そしてそのまま崩れ落ちるジークの姿を見た時、クリスの迷いは吹き飛んだ!
「くくく……どうやらここまでのようだな」
ダルシスは破壊された鎧の胸元を押さえて苦しげにのたうつジークを残忍な笑みと共に見下ろすと、手刀を高々と振り上げた。
「なかなか楽しませてもらったぞ。だがもうそろそろ死ぬがいい!」
ダルシスの手刀に《闘気》が集まり、巨大な刃を形どる!
「とどめだ! カイザン龍皇拳奥義……!」
ダルシスの必殺の手刀が今まさに振り下ろされようとした--その時だった!
「ジーク!!!」
突然のクリスの絶叫に、ジークは薄れかけていた意識を取り戻した。
(クリス……?)
そんなジークの耳にクリスの次の叫びが飛び込んできた。
「お願い……こっちを見て!!」
その必死の叫び声に、ジークは最後の力を振り絞って声のする方へと顔を向けた。
「………………えい!!」
その瞬間、クリスは激しい羞恥に頬を真っ赤に染めながらも、上半身の胸当てと服とを--勢いよく脱ぎ捨てた!
「なっ!?」
クリスの突然の行動に、ヒョウとダルシスの目が唖然と見開かれる。そんな男達の視線の先で、クリスの白く可憐な胸の膨らみがぷるんと小さく揺れていた。
「どわああぁぁぁ??」
鎧の下からこぼれ出たクリスの胸をモロに見てしまったジークの鼻から、大量の血が噴き出す。
「も……もうダメェェェッ!!」
我慢できたのはほんの一瞬で、クリスはたまらずに胸元を腕で覆ってしゃがみこんでしまったが、すでに彼女の愛らしい膨らみは、ジークの網膜にしっかり焼き付けられていた!
そしてジークの頭の中で、女性に対する恐怖と欲望が激しくぶつかり合い--次の瞬間、ジークの理性は砕け散った!!
「……何っ!?」
それまで思わず頬を緩めてクリスのあられも無い姿を眺めていたダルシスだったが、不意に真下から圧倒的な《闘気》の奔流を感じ、一瞬で我に返ると、視線を下に向けた。
そのダルシスの目が驚愕に見開かれる!
そこにいたのはそれまでの半死人のジークではない。目を飢えた狼のように光らせ、全身に殺気をみなぎらせたその姿は、まさに--《狂戦士》!
「ウ……ガァァァァァッッ!!」
ジークは勢いよく跳ね起きると、今までに数倍する爆発的なスピードでダルシスに斬りかかった!
「なっ!?」
かろうじてダルシスはその一撃を《闘気》をまとった左腕で受け止めたが、それまで傷一つ付かなかった腕から鮮血がほとばしる!
「ば、馬鹿な!?」
鋭い痛みにダルシスの顔が引きつる。しかしジークの反撃は、今始まったばかりであった!!
「ガァァァァァッ!」
野獣のような咆哮を上げて、ジークの斬撃が次々とダルシスに襲いかかる!
「ぐほっ! ぐはっ! ぐおっ!」
瞬く間にダルシスの鋼鉄の肉体が朱に染まっていく!
もはや形勢は完全に逆転していた。さしものダルシスも、もはやジークの剣を受けるのでやっとの状態であった!
「ぐはぁっ!」
ジークの猛烈な一撃を受けて、ダルシスの身体が大きくはね飛ばされる!
「き、貴様……」
ダルシスはうめくようにつぶやきながら、よろよろと身を起こした。
「化け物、か……?」
その瞳には、憎悪と恐怖の色がありありと浮かんでいた。
そんなダルシスに向かって、目を狂気に赤く光らせたジークが、燃え上がるかのような《闘気》とともに歩み寄る。
「こんな馬鹿な……俺が……この俺がっ……!」
ダルシスは絶叫すると、残るすべての《闘気》を右の手刀にこめて、ジークめがけて突進した!
「こんなガキに……負けてたまるかっ!!」
バシュウッ! だがその手刀の一撃は空しく宙を貫き、逆にジークの刃がダルシスの身体を深々と突き通していた。
「そ……そんな……このダルシス様が……」
ダルシスは自身の胸からあふれる血を、信じられぬといったように見つめていたが、ジークが剣を引き抜くと同時に、ゆっくりと前のめりに崩れていく。
「こんなガキに……ま、け、る……!?」
どしゃぁぁぁぁ、鈍い音を立ててダルシスの身体が地面に倒れた。
そしてその瞬間、獲物を屠ったジークは、ハッと《バーサーク》から我に返った。
「ふう……恐ろしい奴だった……ぜ」
ジークもまたがっくりと膝を付く。ダルシスとの死闘により、体中に傷を負い、また《バーサーク》による体力の消耗もあって、ジークもまた限界だったのだ。
ぜーぜーと荒い息を吐きながら、額の汗をぬぐうジーク。
「まぁ紙一重とはいえ、何とか勝てて良かった……って、痛ぇ!?」
突然後ろから容赦なくどつかれて、ジークが地面に突っ伏す。
その後ろには、ぷんぷん膨れたクリスが、拳を握りしめて立っていた。もちろん服はちゃんと着直している。
「この馬鹿っ! 純真な乙女になんてことさせんのよ! いい? もうこんな恥ずかしいことボクは絶対やんないからね!!」
顔を真っ赤にしたクリスが、ジークをどつきまくる。ダルシス顔負けのラッシュだった。
「痛い、痛い、痛い、ちょっと待て俺は怪我人……って、やめて、ホントにやめて! 死ぬ! それ以上殴られたら死ぬから!!」
ボコボコにされて意識が朦朧とするジークだったが、不意に攻撃が止んだかと思うと暖かい感触に包まれるのを感じて、ハッと我に返った。
「やられちゃうんじゃないかって思ったんだからぁ……馬鹿……」
その時になって初めてジークはクリスが泣いていることに気が付いた。クリスはジークをギュッと抱きしめると、ひっくひっくとすすり泣いていた。
クリスに密着されて、最初は反射的に恐怖を感じたものの、何故だか不思議に心が安まるのを感じてジークは戸惑った。
そして同時に、何か良く分からない気持ちが心の底からこみ上げてくるのを感じ、ますます戸惑うジーク。
これまで感じてきた女性に対する恐怖とは全然違う--この気持ちは一体何なんだ??
だがそんな戸惑いを破るように、突然、ヒョウの叫びがジークの耳に飛び込んできた。
「おい、ジーク! 油断するな! まだ何か来るぞ!?」
それまでそんな二人の様子を面白くなさそうに眺めていたヒョウが、新たに迫る巨大な気を感じて、ハッと空を仰いだ。
その声にすかさず反応して、鋭い戦士の顔に戻ると同じく空を仰いだジークの瞳が、思わず驚愕に見開かれる!
ジークの瞳に映ったのは、漆黒の翼を持った、まさに禍々しき闇の化身とでも言うべき--巨大な生物の姿であった!!
「ブ、ブラック・ドラゴンだとぉ!?」
「な、何でそんなのまで出てくるのよ~!?」
一転してパニックに陥るジーク達を、はるか上空から見下ろす影があった。
「フッ、しかしガロウ様も用心深いお方よ。万一に備えて俺にまで出撃を命じるとはな」
騎竜である《天魔竜》タナシスに語りかけたのは、ガロウ四天王の一人シグマである。
「ダガコノ場合、好都合ダッタト言ウベキデハナイカ?」
タナシスがくぐもった声で答える。
「その通りだ。フン、それにしてもダルシスともあろう男が不甲斐ない!」
シグマは蔑むようにつぶやいた。
「ダガ、だるしすハマダ生キテイルヨウダ。見捨テルワケニモイクマイ?」
「まぁな、まずダルシスを助けて、それからあのガキ共を冥土に送ってやるとしよう。行くぞ、タナシス!」
シグマの号令の下、黒き魔竜タナシスはその巨大な翼を翻らせ、一気に急降下をしかけた!
「どわぁぁぁっ!?」
慌ててよけようとするジーク達に、強烈な突風が襲いかかる!
巻き起こる砂埃とともに吹き飛ばされ、ジーク達の身体が地面を転がった。
そしてタナシスの巨体が再び上空に舞い上がった時には、すでにダルシスの姿は消えていた。
「!?」
魔竜の姿を追って再び空を仰いだジーク達の視線の先で、タナシスがその牙をむき出しにして、大きく息を吸いこんでいる!
「や、やばい、ブレスが来るぞっ!」
ヒョウが叫んだその瞬間、黒き魔竜の口から目もくらむばかりの閃光がほとばしった!
「きゃああああっ!?」
ゴオオオオン! 閃光のブレスはジーク達のすぐ側を直撃し、爆音と共に地面を吹き飛ばした。ジーク達の身体もその衝撃に大きく揺れる!
「ククク、さぁ次は当ててやるぞ」
ダルシスを腕に抱いたシグマが、まるで狩りでも楽しむかのようにせせら笑う。
ドゴーン! ズガーン! タナシスのブレスが次々と至近距離で炸裂し、その度にジーク達は悲鳴とともに二転三転と転がりまくった。
「くそっ! 喰らえっ! 《魔道弾》!」
ヒョウが何とかスキを見て呪文を唱えると、魔道の光弾がその手の平から放たれた!
だが、その光弾の直撃を受けても、黒き魔竜には全く効いた様子も無い。
「バカな!? オレの魔道が!?」
「その程度のチンケな魔道がこの《天魔竜》に通じるか!」
シグマはせせら笑うと、魔竜のブレスによる空爆を再開させた。
「くそっ……あんな化け物、どうすりゃいいんだ!?」
歯がみをするジークであったが、すぐ近くにまたもやブレスが着弾し、その衝撃になすすべもなく吹き飛ばされてしまう。ヒョウやクリスもほとんど同じ状態だった。
「フッ……そろそろいいだろう」
あきらかにシグマはジーク達を嬲っていたが、その嗜虐心を満足させたのか、残忍な笑みを浮かべるとタナシスに命じた。
「やれ、タナシス! とどめだ!!」
くわっ! タナシスの口が大きく開かれる。それを待ち受けるジーク達は、すでに地面にはいつくばったまま、立ち上がる気力さえ失いかけていた。
「今度こそ最期だ! 死ねぇっ!」
カッ! シグマの勝ち誇った叫びと共に、タナシスの口が激しく光る!
(もう……ダメ……っ!)
クリスは観念して目をギュッとつむり、せめて痛みが一瞬で終わるよう神に祈った。
ゴオオオオッッ!!
閃光と共に必殺のブレスがほとばしり、もはや逃げることもできないジーク達めがけ、大気を焦がして突き進んで行った!




