幻夢抄録―目覚め―荒野の夜
大通りへ歩きながら、瑪瑙はさりげなく、氷魚と手を繋いだ。
「あ…」
「始めから、こうしとけばよかったな…すまん」
「ううん、いいよ…もう。あっ!見てよっ、なんか売ってる、ネックレスとかかなぁ?」
「ああ…ありゃ、玉石商だな。装身具を売ってるんだよ」
「ふうん、露店商みたいなものか…」
「見るか?」
「もちろんっ!」
満面の笑顔で言って、氷魚は、繋いだ手を、強く握り尚した。
二人が、露店商に近づくと、威勢のいい声が迎えた。
「おや、いらっしゃい!兄妹仲がいいねぇ」
迎えてくれたのは、大分、年かさの女だった。
「おばちゃん、俺たち、兄妹に見えンのかよ?」
「め、瑪瑙ってば…」
機嫌を損ねた瑪瑙を、氷魚は、慌ててなだめた。
「そりゃ失敬だったよ、それじゃ、あんたたちは恋人かい?」
氷魚が、恥ずかしそうに身じろぎしたが、構わず、瑪瑙は言った。
「ああ」
「そうかい。で、なにがいいかい?耳礑でも何でもあるよ」
「うわぁ、キレイ…」
氷魚は、鮮やかな、緑色の石のついた耳礑を、手にとって微笑んだ。
「ヒスイだね、髪の赤に映えて、きっとよく似合うよ」
「ホント?似合いそう?ねえ、瑪瑙」
「あ?ああ、うん、そうだな」
瑪瑙は、氷魚に気づかれないように、小さな包みを懐に隠す。
「む、何よそれぇ…ヒトの話、ちゃんと聞いててよねー」
「わ、悪かったって…もう、いいのか?」
「うん、次いこう、次っ!」
「そうか、おばちゃん…俺たち、もう行くな?」
「あいよ、まいどあり。頑張るんだよ?」
「おう」
氷魚は、なんの話だろう、と思ったが、それは聞かないでおいた。
辺りは、すっかり暮れなずみ、月が出ている。
二人は、衙を離れて、月光が、青白く照らす荒野を歩いていた。
「疲れてないか?」
瑪瑙は、立ち止まって、氷魚に振りむいた。
「ヘイキ」
瑪瑙は、しばらく氷魚を見てから、背中を向けて、横道にそれた。
「ちょ、ちょっと瑪瑙?どこ行くの、そっちじゃな…い」
「休む、お前なら、そう言うと思ったからな」
「…ごめん」
「いいんだよ、別に、謝ンなくて。それに、丁度いいしな」
「なにが?」
「いいモンやるよ、氷魚」
「なぁに?ヘンなことじゃないでしょーね?あんたなら、有り得る」
「ちーがうって、ったく、ちっとは信用しろよな」
「冗談よ、じょーだん」
「これだ、指環じゃねぇのが残念だが、受け取ってくれねぇか?」
瑪瑙は、懐から小さな包みを取り出して、氷魚に差し出した。
「なあに?開け、てもいい?」
包みを受け取った氷魚は、瑪瑙に訊いた。
「ああ、きっと…お前も気に入るよ」
「何だろう…」
包みを開いて出たのは、先の玉石商で、氷魚が見ていたものと同じ、一対の、翡翠のピアスだった。
「瑪瑙…これっ」
「すまないな、氷魚。ホントは指環と思ったんだが…こンくらいしか、買ってやれなかった」
そんな瑪瑙に、氷魚はかぶりを振る。
「そんなことないよっ、あたし…嬉しいっ」
照れて、はにかむ氷魚を、瑪瑙は抱き寄せた。
「瑪瑙?」
「人間も、同じだったよな?」
「え?」
一瞬、何のことだろう、と瞠目してから、氷魚は赤面した。
瑪瑙が、何を言いたいのか、理解ったからだ。
「これ、もしかして…プロポーズなの?」
「氷魚、そばに…いて欲しい、ダメか?」
真剣な、彼の目に見つめられて、氷魚は、さらに赤くなった。
「そっ、そんな…ダメ、じゃないよ」
「不幸な思いはさせねぇ、だからっ…」
「瑪瑙、あたしは…」
答えを待つ瑪瑙に、氷魚は、柔らかく、微笑んで言った。
「ありがとう、あたしでよければ、側においてください…」
その先を、氷魚は言うことができなかった。
驚喜した瑪瑙が、唇を奪ったからである。
その夜、二人は、二度と離れなかった。
「なんで泣く?泣くな…」
氷魚の瞼に口づけ、そっと涙を拭ってやる。
「だって、幸せなのよ…すごく」
「氷魚…」
まどろみながら、幸せをかみしめ、瑪瑙は目を、閉じた。
夜が、開け始めていた。