第51話 アイドルは隣のクラスでも、学校ではまず書類を直す
人と人の距離が縮まるきっかけは、だいたい大したことではない。
運命的な出会いとか、劇的な事件とか、そういうものが必要だと思われがちだが、実際にはもっと地味である。
たとえば、
提出書類の様式を間違えたとか。
文化祭企画の説明文が固すぎるとか。
委員長に「ここ、学校用の書き方にして」と赤ペンを入れられるとか。
そういう、ものすごく学校っぽい現実の方が、案外人間関係の入口になる。
長谷川琴葉が2年A組へ来た翌日も、きっかけはやっぱり学校だった。
◇
二時間目の休み時間。
A組のドアがまた、遠慮がちに二回ノックされた。
「はい?」
と、さやか。
開いたドアの向こうには、やはり長谷川琴葉がいた。
「あの」
「うん」
「昨日の書式、直したので……」
「うん」
「一応、見てもらってもいいですか」
「うわ」
ひかりが小さく言う。
「もう来た」
「仕事が早い」
絵麻が言う。
「褒めてる?」
と長谷川。
「かなり」
絵麻がふわっと笑った。
さやかは「入って」と手で示し、長谷川は昨日より少しだけ自然にA組へ入ってきた。
たった一回のやり取りなのに、人はこういうところで変わる。
教室へ入るときの躊躇いが、昨日より少し薄い。
真白はそれを見ながら、少しだけ思う。
ああ、この人もたぶん“外の顔を持ちながら学校へ来る人”なんだな、と。
昨日よりその実感がある。
◇
「ここ」
長谷川はさやかの机の横で、修正した企画書を開いた。
「企画趣旨、少し短くした」
「うん」
さやかは受け取って目を通す。
「……」
「……」
「どうですか」
「ちゃんとしてる」
「よかった……」
「でも」
「うわ、でも来た」
ひかりが笑う。
「そこ、いちいち実況しないで」
さやかが言う。
「でも、ここ」
と企画書を指す。
「“地域連携を意識した”って書いてあるけど、学校行事の企画書でそれ書くと逆に大げさ」
「あ」
長谷川が止まる。
「たしかに」
「あと“今後の展開も視野に入れ”はいらない」
と木乃葉が机に伏せたまま言う。
「何で参加してるの」
真白が言う。
「耳が暇」
「耳の使い方が雑」
長谷川は数秒考え、それから少しだけ苦笑した。
「これ、たぶん普段の企画書の癖だ」
「だよねえ」
ひかりが頷く。
「外向けの資料って、未来の話盛りがちだし」
「今のひかりちゃん、その道の人の言い方」
絵麻が言う。
「褒めてる?」
「半分くらい」
「微妙だなあ」
真白はそのやりとりを聞きながら、少しだけ可笑しくなる。
長谷川琴葉はアイドルだ。
学校公表済みで活動している。
でも今やっていることは、
学校の文化祭書式へ自分の外向け企画癖を合わせる作業
である。
地味だ。
ものすごく地味だ。
でもたぶん、こういうところにその人の生活は出る。
◇
「学校の文章ってむずかしいね」
長谷川がぽつりと言う。
「むずかしい」
さやかが即答した。
「何でか知らないけど、“ちょうどよく普通”が要求される」
「それ」
真白が言う。
「すごくわかる」
「うわ」
長谷川が真白を見る。
「一ノ瀬さんがそこに乗るんだ」
「何その反応」
「いや、何かこう……もっと“完璧に学校モードの人”かと思ってた」
「……」
「何その顔」
「いや」
真白は少しだけ視線を逸らした。
「学校の文章に外の癖が混ざる感覚、少しわかるから」
「……」
長谷川は数秒黙ってから、小さく笑った。
「そっか」
「うん」
「なんか、安心した」
「……」
「何その顔」
「最近その“安心した”よく聞くなって」
真白が言うと、
「A組ってそういう感じなんだもん」
長谷川が言った。
「どういう」
「ちゃんと見てるのに、変に騒がない」
「……」
「何その沈黙」
ひかりが言う。
「いや」
さやかがため息をつく。
「外から来た人にもそこ見抜かれるんだなって」
「だって、わかるよ」
長谷川は少しだけ肩をすくめた。
「昨日もそうだったけど、みんな“知りたがる”より“壊さない”が先にある感じする」
「……」
「何その、またしても本質を突かれたみたいな空気」
ひかりが笑う。
「今日はB組側が鋭い」
「やめて、こわい」
真白が言う。
「褒めてる?」
長谷川が聞く。
「……今のは半分くらい」
「便利だね」
「便利だから」
と長谷川が即答すると、教室にまた笑いが起きた。
もうだいぶ馴染みが早い。
◇
三時間目のあと、長谷川はまたA組へ来ていた。
今度は書式ではなく、文化祭の時間割確認のためだ。
理由がさらに学校っぽくなった。
「えっと、ステージ使用時間の希望って」
「各クラス一枠」
さやかが即答する。
「部活動発表とは別」
「なるほど」
「で、もし外部活動の延長っぽく見える内容だと、生徒会から一回確認入る」
「うわ」
長谷川が言う。
「それ一番面倒なやつ」
「だから、学校企画として自然に見える書き方にして」
「二階堂さん、だいぶ頼もしいね」
「それはかなり褒めてる?」
「かなり」
「じゃあ受け取る」
真白はそこで少しだけ思う。
さやかはこういうとき、本当に強い。
委員長力というか、学校内ルール処理能力が高い。
外で何かやっている人たちが、結局最後に頼るのがこういう“学校の内側に強い人”なの、すごく現実的だ。
「委員長って偉いなあ」
思わず真白が言うと、
「何それ、急に」
さやかが顔を上げる。
「いや、普通に」
「褒めてる?」
「かなり」
「最近、一ノ瀬さんの“かなり”が重い」
ひかりが笑う。
「前よりちゃんと本音で言ってるからでは」
絵麻が言う。
「それはたぶんそう」
澪も頷く。
「……」
「何その顔」
真白が言う。
「いや」
澪は少しだけ笑った。
「今の一ノ瀬、ほんとに教室でちゃんと人を見てるなって」
「それは前から少しずつ言われてる」
「うん」
「でも最近、だいぶ自然」
長谷川はその会話を聞きながら、少しだけ目を丸くしていた。
「A組って、やっぱりちょっと不思議だね」
「どのへんが?」
ひかりが聞く。
「静かなのに、会話の情報量が多い」
「うわ」
真白が言う。
「そこ、外からも同じ感想なんだ」
「かなり」
長谷川が頷く。
「でも嫌じゃない」
「褒めてる?」
と絵麻。
「かなり褒めてる」
「最近、かなりの流通量多いなあ」
さやかが言った。
◇
昼休み、長谷川は今日はそのままA組でパンを食べていった。
本人は「ちょっとだけ」と言っていたが、座った時点でだいぶ“ちょっとだけ”ではない。
「B組で食べなくていいの?」
真白が聞く。
「今日は大丈夫」
長谷川が言う。
「何で」
「なんか、今そっちちょっと人多くて」
「見に来る人?」
ひかりが聞く。
「うん。別に悪い人たちじゃないんだけど」
「でも、落ち着かない?」
絵麻が言うと、
「うん」
長谷川は素直に頷いた。
「学校公表してると、隠してないぶん、逆に“見ていいもの”って思われやすくて」
「……」
「何その、全員刺さったみたいな沈黙」
長谷川が言う。
「いや」
真白が小さく言う。
「ちょっとわかるなって」
「うん」
澪も頷く。
「見られることに同意してる場所と、してない場所は違うよね」
「それ」
長谷川がすぐに言った。
「すごくそれ」
真白は少しだけ胸の奥が動くのを感じた。
そうか。
学校公表済みでも、学校の中で全部の視線を受けていいわけではない。
見られることに慣れている人ほど、その境界には敏感なのかもしれない。
「A組が静かで助かる」
長谷川が言うと、
「静かではある」
木乃葉が机に伏せたまま言う。
「でも濃い」
ひかり。
「そこは否定しない」
さやか。
「褒めてる?」
真白が言う。
「そこは半分くらい」
長谷川が笑った。
だいぶ馴染んだな、と真白は思う。
◇
その流れで、少しだけ話題はB組のもう一人へ移った。
「で」
ひかりがパンをちぎりながら言う。
「B組の“隠してる方”は元気?」
「……」
長谷川が止まる。
「何その止まり方」
真白が言う。
「いや」
長谷川は少しだけ苦笑した。
「そこ、A組も気づいてるんだ」
「気づいてるというか」
さやかが言う。
「“何かある”まで」
「決定はしない」
真白が言う。
「うん」
長谷川はゆっくり頷く。
「それ、やっぱりA組っぽい」
「で、いるの?」
ひかりが聞く。
「いる」
「うわ」
「そこ、あっさり認めるんだ」
澪が言う。
「でも名前は言わない」
長谷川がすぐに続ける。
「そこはちゃんとしてる」
「えらい」
絵麻が言う。
「褒めてる?」
「かなり」
「最近そのやりとり便利すぎない?」
さやかが言う。
「便利だから」
木乃葉。
「戻ってきた」
真白が言う。
教室がまた少し笑う。
長谷川はその笑いの中で、少しだけ肩の力を抜いたみたいだった。
「でも」
長谷川が言う。
「何?」
真白が聞く。
「たぶん、その子もA組のことちょっと気にしてる」
「何で」
「“あそこは見えても広げないらしい”って、前に少し話したから」
「……」
「何その顔」
「いや」
真白は少しだけ目を細めた。
「うちのクラス、評判そこなんだって」
「うれしいのか複雑なのか分からない」
さやかが本気で言う。
「でも、悪くはない」
絵麻が笑った。
「うん」
澪も頷く。
真白も少しだけ、そう思った。
2年A組の“知らないふりが上手い優しさ”は、教室の外にも少しずつ伝わり始めているのかもしれない。
◇
放課後、長谷川がB組へ戻ったあと、A組にはいつもの空気が戻ってきた。
でも、少しだけだけど、もう完全に“いつも通り”ではない。
「だいぶ普通に入ってきたね」
ひかりが言う。
「うん」
絵麻が頷く。
「最初より全然自然」
「学校で普通に困ってる人だった」
真白が言う。
「それ、かなり大きい感想」
澪が笑う。
「何が」
「長谷川さんのこと、ちゃんと“同じ学校の人”として見始めてる」
「……」
「何その顔」
「いや」
真白は少しだけ考えてから言う。
「たしかにそうかも」
「外の顔があっても、学校で困ることは同じ」
と音々。
「そういうとこ、すごく平等」
「学校は強い」
木乃葉がぼそっと言う。
「学校は強い」
真白も頷く。
「褒めてる?」
ひかりが聞く。
「そこはかなり」
「学校を褒める日が来るとは」
さやかが言う。
「でもちょっとわかる」
その一言で、今日の空気は十分まとまった気がした。
アイドルは隣のクラスでも、学校では普通に困っている。
そこから始まる関係があっても、たぶんいい。
第四章はまだ始まったばかりだ。
でも、その入口は思ったよりちゃんと“学校”だった。




