第42話 ふわふわ原案者は、受賞会場でもやっぱりふわふわしている
すごい人というのは、もっと“すごそう”にしていてほしい。
真白は日本アカデミー賞会場の関係者導線を歩きながら、かなり本気でそう思っていた。
もっとこう、緊張で固くなっているとか。
業界人らしい顔をしているとか。
少し近寄りがたい空気をまとっているとか。
そういう“わかりやすい違い”があれば、こちらの心の準備もしやすい。
でも桃園絵麻は、そのへんが全部、微妙にいつも通りだった。
そこがいちばん心臓に悪い。
◇
リハーサル前の待機が少し伸びたため、真白と澪はスタッフの案内で控えの近くにいた。
そこから少し離れた先、関係者受付の流れの中に絵麻が見える。
見えるのだが――
「……普通に桃園さんだね」
と、澪が小声で言った。
「うん」
真白も頷く。
「衣装は会場仕様なのに、空気だけ教室」
「それ」
「何なんだろうね、あの人」
「最近その感想を言いすぎて、だいぶ本気で口癖になってきた」
「でも思うでしょ」
「思う」
絵麻は、やわらかい色の少し上品なワンピース姿だった。
会場に合っている。
ちゃんと場に馴染むよう整えられている。
でも、立ち姿の重心とか、周りを見回すときの少しぼんやりした目線とかが、どうしても“いつもの桃園絵麻”なのだ。
しかもそのすぐ横で、明らかに映画関係者らしい大人が、かなり丁寧に絵麻へ話しかけている。
「桃園さん、本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「原案者のお席はこちらになります」
「ありがとうございます」
会話の内容だけ聞けば、完全に“関係者”である。
なのに、受け答えの空気だけ妙にふわっとしている。
「すごいな……」
と真白が小さく呟く。
「何が」
澪が聞く。
「ちゃんと扱われてるのに、ちゃんと桃園さんのまま」
「それはわかる」
「普通、もう少し“仕事の顔”に寄らない?」
「寄る人もいるだろうけど」
澪は少しだけ考えて言った。
「桃園さんって、たぶん“教室の顔”と“仕事の顔”がそんなに乖離してないのかも」
「……」
「何その顔」
「いや」
真白は少し目を細めた。
「それ、すごくしっくり来た」
自分や澪は、学校の顔と外の顔の切り替えがかなり大きい。
でも絵麻は、切り替えるというより、ふわっと地続きのまま濃度だけ変えている感じがする。
それはもしかしたら、かなり強い在り方なのかもしれない。
◇
少しして、絵麻の方がこちらへ気づいた。
「あ」
と小さく声が漏れる。
それから、会場仕様の丁寧な足取りのまま、でもだいぶ桃園絵麻らしい空気でこちらへ来た。
「二人ともいた」
「いや、そりゃいるでしょ」
真白が言う。
「それはそうなんだけど」
絵麻が笑う。
「なんかまだ、会場で会うと変な感じする」
「それはこっちの台詞」
澪が言った。
「桃園さん、ほんとに関係者席側にいるんだもん」
「うん」
「“うん”で済ませる重さではないよ」
「そう?」
「そう」
真白と澪がわりと綺麗に同時に言った。
絵麻が少しだけ目を丸くして、それからくすっと笑う。
「息ぴったり」
「今のは別に合わせてない」
と真白。
「でも合った」
と澪。
「そういうとこだよね」
絵麻が楽しそうに言う。
「何が」
「最近の二人」
「それ以上言わない」
真白が即座に返す。
「教室外でまで絵師目線出さないで」
「絵師目線」
絵麻は少しだけ考えてから笑う。
「それ、ちょっと好き」
「好きなんだ」
「言い方が」
やっぱりふわっとしている。
そしてそのふわっとした感じのまま、ここに立っている。
真白はあらためて思う。
この人、本当にすごいのでは。
◇
そこへ、会場スタッフがまた絵麻へ声をかけた。
「桃園様、のちほどノミネート作品紹介のタイミングでご案内します」
「はい」
絵麻が頷く。
「ありがとうございます」
“桃園様”である。
真白はそこで、わりと本気で少し面白くなってしまった。
面白いというのは失礼かもしれないが、だって仕方ない。
教室ではあんなにふわふわしていて、ラフを落としたり、恋愛空気を見つけるとノートの端へ描いたりしている人が、今ここで“桃園様”と呼ばれている。
「……」
「何その顔」
と絵麻。
「いや」
真白は少しだけ咳払いした。
「“桃園様”なんだなって」
「そこ?」
「そこだよ」
澪も笑いをこらえながら言う。
「たしかにちょっと強い」
「やめて」
絵麻が困ったように笑う。
「私もまだ慣れてない」
「本人もなんだ」
「うん。だって学校では桃園さんだし」
「そこを自分で言うの、ちょっと好き」
と真白。
「褒めてる?」
「今のはちゃんと」
「やった」
「その“やった”が軽すぎるんだよなあ」
澪が笑う。
スタッフが離れたあと、絵麻は少しだけ肩の力を抜いた。
「緊張してる?」
真白が聞く。
「してるよ」
絵麻は素直に答えた。
「してるんだ」
「するよ、普通に」
「いや、あまりに普通の顔してるから」
「そう?」
「うん。教室とあんまり変わらない」
「……たぶん」
絵麻は少しだけ視線を泳がせた。
「緊張しても、結局やること同じだからかも」
「同じ?」
「うん。ちゃんと受け取って、ちゃんと返す」
「……」
「会場でも、教室でも?」
澪がそう聞くと、絵麻は少し考えてから頷いた。
「たぶん、そう」
「うわ」
真白が小さく言う。
「何」
「その考え方、だいぶ創作者っぽい」
「またそれ」
「でも合ってる」
と澪。
「桃園さん、そこだけ変わらないんだ」
「変わらないかも」
その“変わらない”が、妙に強く聞こえた。
◇
少しして、授賞式の流れ説明のため、関係者たちが緩く集められた。
真白と澪は特別ステージ側。
絵麻はノミネート作品関係者側。
完全に立ち位置が違う。
でも同じ会場にいる。
説明が始まる前のわずかな空き時間、絵麻の周りには大人が二、三人集まっていた。
「原案段階でのキャラクター感情線がすごくよかったです」
「ありがとうございます」
「監督も、最初の企画書を見た時点で動かしたいと言っていました」
「……そう言っていただけると、うれしいです」
真白は、少し離れた場所からそのやり取りを見ていた。
ちゃんと仕事の会話だ。
しかも内容も、かなり本気で評価されている。
絵麻はそこへ、浮かれすぎず、縮こまりすぎず、でもやわらかく返している。
「……ちゃんと原案者だ」
思わず小さく漏れる。
「そうだね」
隣の澪も同じ方向を見ながら言った。
「しかも、かなりしっかりした」
「うん」
「私、桃園さんってもっと“たまたま関わった”寄りかと思ってた」
「私も」
「でも今の会話聞くと、完全に中の人」
「中の人って言い方」
「だってそうじゃない?」
「そうだけど」
二人とも少しだけ笑う。
すると、ちょうどその瞬間、絵麻がこちらに気づいて、ほんの一瞬だけ困ったような顔をした。
たぶん、「見られてた」が半分。
「でも知ってる人たちだからいいか」が半分。
その一瞬の表情が、あまりにも“桃園絵麻”で、真白は少しだけ安心してしまう。
会場にいても、ちゃんとあの人だ。
それが不思議で、ありがたい。
◇
説明が一区切りしたあと、三人はほんの少しだけ同じ導線に集まれた。
「……なんか」
真白が先に言う。
「何?」
絵麻が聞く。
「さっきの会話、だいぶ“原案者”だった」
「うわ」
「何その感想」
「いや、だって」
「たしかに」
澪も頷く。
「ちゃんと関係者の中心側の人だった」
「中心側ではないよ」
絵麻がすぐに首を振る。
「監督さんとか脚本さんとか演出さんの方が、ずっと中心」
「でも、最初の温度置いた人ではあるんでしょ」
真白が言う。
「……」
「何その沈黙」
「一ノ瀬さん、たまにそうやって急に本質の言い方する」
「そう?」
「する」
澪が言う。
「わりと今の、核心」
「……」
絵麻は少しだけ照れたように笑ってから、小さく頷いた。
「……それは、そうかも」
「じゃあやっぱりすごい」
真白が言う。
「今のはかなり素直」
と澪。
「会場効果?」
と絵麻。
「たぶん半分くらい」
と真白。
「あと半分は?」
「教室でずっとふわふわしてた人が、ここでちゃんと評価されてるの見たから」
「うわ」
絵麻が少しだけ顔を赤くする。
「それ、だいぶ照れる」
「褒めてる?」
と真白。
「かなり褒めてる」
と絵麻。
「受け取っていい?」
「うん」
「じゃあ受け取る」
軽い。
でも軽いまま、ちゃんと届いている感じがした。
◇
そこへまたスタッフが来て、今度は澪の方へ声をかけた。
「朝倉様、ステージ側の確認をお願いいたします」
「はい」
澪が返す。
朝倉様。
今日だけで、真白はだいぶ“様”を聞いている。
「何その顔」
と澪。
「いや」
真白は少しだけ真顔で言った。
「うちのクラス、会場だと“様”率高いなって」
「急にそこ?」
絵麻が吹き出す。
「だってさっき桃園様だったし」
「今度は朝倉様」
「次は一ノ瀬様では」
絵麻が笑いながら言う。
「やめて、それはなんか違う」
真白が即答すると、
「何が違うの」
と澪。
「響き」
「そこで判断するんだ」
「だいぶ好き」
絵麻が笑う。
三人で少しだけ笑う。
会場は張っている。
仕事は本気だ。
でも、その合間にこうして教室の空気が少し混ざるだけで、妙に落ち着く。
「じゃあ」
澪が言う。
「私、行ってくる」
「うん」
真白が頷く。
「あとで」
「うん」
絵麻も小さく手を振る。
それぞれの導線がまた分かれる。
でも、その分かれ方すら少し不思議で、少し面白い。
◇
絵麻は受賞会場でも、やっぱりふわふわしていた。
でもそれは、場に飲まれていないという意味でもあった。
教室では桃園絵麻。
会場では原案者。
そのどちらかになりきるのではなく、たぶん両方のまま立っている。
真白はそれを見ながら、少しだけ憧れに近いものを感じた。
自分はまだ、そこまでうまくはない。
学校の自分と外の自分を、もっと切り分けて使っている。
でもいつか、絵麻みたいに自然に地続きでいられるようになるのだろうか。
「……」
控室へ戻りながら、真白は少しだけ笑う。
うちのクラス、本当に何なんだろう。
でもたぶん、こういう“教室ではふわふわ、外では本物”の人たちの集まりなのだ。
それは思っていた以上に、悪くなかった。




