第40話 クラス委員長、またしても何かを察する
二階堂さやかは、最近よく思う。
2年A組は、静かなくせに水面下がうるさい。
表面だけ見れば、そこまで派手なクラスではない。
大声で騒ぐタイプが多いわけでもないし、常に誰かが中心で盛り上がっているような教室でもない。
むしろ静かな方だ。
落ち着いている。
授業も比較的ちゃんと受ける。
提出物も、全体で見ればそこまで壊滅的ではない。
ただし、そこへ“水面下”という概念を足した瞬間、話が変わる。
眠い文学少女。
ふわふわ映画原案者。
見せ方の業者みたいな陽キャ。
耳が怖い音人間。
学校でも外でも強い朝倉。
前より急に会話の中へ入ってくるようになった一ノ瀬。
加えて、全部知ってそうな顔で全部を暴かない担任。
だいぶ濃い。
だいぶ濃いのに、誰もちゃんと説明してくれない。
それが一番じわじわ来る。
その日の朝も、さやかは教室へ入った瞬間に思った。
今日も何かあるな。
別に事件が起きているわけではない。
火事でも爆発でもない。
でも、空気に“前日までと違う何か”が一ミリだけ混ざっている。
その一ミリを最近の2年A組は積み重ねすぎている。
◇
「おはよう」
と、さやかが席へ着きながら言う。
ひかりがいつも通り明るく返す。
絵麻は少し遅れてふわっと返す。
木乃葉は概念のような声で返す。
音々は一拍置いて返す。
澪は普通に返す。
真白は短く返す。
ここまではいつも通りだ。
だが、さやかは気づいていた。
今日の真白は、いつもより少しだけ視線の置き方が落ち着かない。
澪の方も、自然にしているが、自然にしようとしているときの自然だ。
この二人、また何か共有してるな。
でもそれが何かは言わない。
最近ほんとこればかりである。
「……」
さやかは自席で静かに息を吐いた。
「何その顔」
ひかりがすぐに気づく。
「何が」
「“委員長レーダーがまた反応してる”顔」
「そんな顔してる?」
「してる」
と絵麻。
「今日は朝からちょっとしてる」
「桃園さんまで言うなら、たぶんしてるんだろうなあ」
さやかは諦めたように言う。
「でもしてるのは事実」
「何に?」
と澪。
「わからないから困ってるの」
さやかは真顔で言った。
「最近ほんと、うちのクラス、“何かわからないけど何かある”が多い」
「名言っぽい」
木乃葉がぼそっと言う。
「褒めてないから」
「褒めてる?」
と音々。
「違うってば」
教室が少し笑う。
でもさやかは、わりと本気だった。
わからない。
でも何かある。
その感じが増えている。
そして自分の勘は、たぶんわりと当たる。
当たるのに決定打だけが来ないから、余計に落ち着かないのだ。
◇
一時間目の前、風間がホームルームで何気なく言った。
「今週は校外活動申請の再確認が増えていますので、対象者は放課後少しだけ時間をください」
その一言に、さやかは教室の空気がほんの少しだけ揺れるのを見た。
朝倉。
一ノ瀬。
そして木乃葉。
……いや、今の木乃葉も入るのか?
入っていそうで困る。
さらに絵麻も、ほんのわずかに視線が動いた気がする。
ひかりは笑っているけれど、ちょっとだけ“へえ”の温度が違う。
全員怪しい。
だが、怪しいの種類が違いすぎる。
風間は平然としていた。
「なお、必要以上に身構える必要はありません」
「必要以上ってどのへんまでですか」
ひかりが手を挙げた。
「人によります」
「便利だなあ」
と木乃葉。
「最近その返し、職員室にも感染してません?」
さやかが言う。
「便利ですので」
風間が言った。
「やっぱり感染してる!」
教室が笑う。
だがさやかは、その笑いの向こう側で少しだけ確信していた。
先生も絶対、何か知っている。
たぶんかなり知っている。
それを全部“学校では必要ありません”の顔で丸めているだけだ。
このクラス、上から下まで情報の持ち方が上手すぎる。
◇
二時間目の休み時間には、さらにじわじわと“何かある感”が増した。
澪が珍しく、スマホを見て少しだけ真顔になる。
その真顔は一瞬で消えるが、さやかは見逃さない。
真白もそれを視界に入れていたのか、一拍遅れて自分のノートへ視線を戻す。
戻し方が不自然と言うほどではない。
でも、“見たけど見てません”の技術が最近ますます上がっている。
そこへ絵麻が、ふわっとした声で言った。
「今日、みんなちょっと忙しそうだね」
「そう?」
ひかりが返す。
「うん。静かなのに、頭の中だけ動いてる感じ」
「うわ」
さやかが言う。
「その言い方、今の2年A組に対してあまりにも正確」
「褒めてる?」
と絵麻。
「そこは褒めてる」
真白はそこで少しだけ笑った。
でも、その笑いにもほんの少し緊張が混じっている気がする。
やっぱりこの二人、何か共有してるな。
でも言わない。
そこがいちばんもどかしい。
「委員長」
ひかりが机に頬杖をつく。
「何」
「今日また“察してるけど証拠がない人”の顔してる」
「だってそうなんだもん」
「かわいそう」
「雑な同情やめて」
「でも好きだよ、そういうとこ」
「それも軽い」
ひかりはこういうとき、本当に軽く空気を逃がすのがうまい。
だから助かる。
でも同時に、この子も絶対何か知ってる側だろうなと、さやかは最近わりと本気で思っている。
「私ね」
さやかは少しだけ声を落として言った。
「うん」
ひかりが返す。
「最近、“何かあるならあるって一回だけ言ってくれた方が楽なのでは”って気持ちになるときある」
「うわ」
「正直」
と絵麻。
「かなり」
と木乃葉。
「でもそれ言っちゃうと、今の2年A組じゃなくなりそう」
澪が言う。
その一言に、さやかは一瞬だけ言葉を失った。
そう。
たぶんそこなのだ。
全部を明るみに出したら、この教室の空気は変わる。
今の“少し見えてるけど全部は言わない”の軽さは、きっと消える。
だから誰も言わない。
言わないから平和。
でも平和なまま情報量だけが増える。
委員長としては、だいぶ困る。
「……本当に面倒くさいクラス」
「褒めてる?」
真白が言う。
「今のは褒めてない」
「珍しい」
「最近ほんとにそこ拾うようになったね」
さやかが言うと、
「前より会話にいるので」
と真白。
「自分で言うんだ」
ひかりが笑う。
「でも事実」
と澪。
「最近の一ノ瀬、たしかに前より“ここにいる”」
「……」
そこを今、広げるのか。
さやかはそう思ったが、同時に少しだけ納得もした。
真白が変わったことも、このクラスの水面下のざわつきの一部なのだろう。
それはたぶん、朝倉と無関係ではない。
でもそこを言葉にしきれないから、また胃が痛くなる。
◇
三時間目が終わったあと、ついにさやかは爆発した。
爆発といっても、声を荒らげたわけではない。
委員長なので、そのへんの品位はまだ保っている。
ただ、机に両手をついて真顔で言っただけだ。
「ねえ」
「何?」
とひかり。
「うちのクラス、最近“何か始まる前の空気”がずっとしてない?」
「……」
一瞬だけ、教室が静かになる。
その沈黙が、逆に答えっぽかった。
「何か始まる前」
と絵麻。
「うん。別に大事件が起きてるわけじゃないの」
「うん」
「でも、みんなそれぞれ少しずつ“その日じゃないどこか”を見てる感じがある」
「うわ」
と木乃葉。
「今日の委員長、だいぶ当ててくる」
「当てたくて当ててるんじゃないのよ」
さやかが本気で言う。
「なんか、教室にいるのに半分くらい別の場所を見てる人が多いの」
「……」
「朝倉も」
「はい」
「一ノ瀬さんも」
「……はい」
「桃園さんも」
「うん」
「たぶん木乃葉さんも」
「概念的には」
「もうその返しやめて」
さやかが言うと、教室が少し笑った。
でもその笑いのあとで、真白は思った。
さやかはすごい。
そこまで見えているのか。
日本アカデミー賞。
映画。
創作。
締切。
いろいろな“教室の外”が、それぞれ少しずつ近づいてきている。
その結果、みんな半歩だけ未来を見ている。
さやかはそれを、“何か始まる前の空気”と呼んだのだ。
かなり正確だった。
「委員長」
ひかりが笑う。
「それ、だいぶポスターの煽り文みたい」
「褒めてる?」
「半分くらい」
「便利だなあ」
さやかがため息をつく。
「最近ほんとにそればっかり」
「でも、今のはわりと綺麗だった」
と絵麻。
「“何か始まる前の空気”」
「それはちょっとわかる」
真白が言う。
「……」
「何その顔」
さやかが聞く。
「いや」
真白は少しだけ迷ってから答える。
「たしかに、そんな感じするなって」
「うわ」
ひかりが言う。
「今の一ノ瀬さんの“わかる”はだいぶ重い」
「重いって何」
「一ノ瀬さんがそういう抽象に共感するとき、だいたい本質寄り」
「そこまで分析しなくていい」
「でもそうだよ」
澪が静かに言った。
またそこに入ってくる。
しかも、そういうときだけ声が少しだけ柔らかい。
さやかは、心の中でゆっくり納得した。
やっぱりこの二人、何かを共有している。
でも、それが何かは今はまだわからない。
わからないけど、教室の空気に少しだけ影響を与えている。
それだけはもう、かなり確信に近かった。
◇
昼休み、風間が教室へプリントを持ってきた。
「文化祭関連の仮提出です」
「うわ、また増えた」
さやかが言う。
「二階堂、顔に出ています」
「先生、このクラスの情報量、ちょっと多くないですか」
「今さらですね」
「もうその返し飽きたんですけど」
「便利なので」
「だめだ、この人」
教室にまた小さく笑いが広がる。
風間は配布物を置いてから、何でもないように言った。
「今は少し“先を見ること”が多い時期ですから」
「……」
「何その含み」
ひかりが言う。
「含みではなく一般論です」
「先生、その一般論の精度が高いんですよ」
さやかが言うと、
「担任ですので」
「ほんとに万能ワードだなあ……」
でも、その言葉は少しだけ真白の胸に残った。
先を見ることが多い時期。
たしかにそうだ。
今の2年A組は、教室にいながら、それぞれ少しずつ別の場所を見ている。
映画。
授賞式。
創作。
文化祭。
締切。
音。
配信。
歌。
全部が少しずつ近づいていて、まだ決定的にはぶつかっていない。
だから“何か始まる前”なのだろう。
◇
放課後、さやかは日誌を書きながら、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「結論」
と、ひかり。
「何」
「委員長の勘はたぶん当たってる」
「うれしくない」
「でも、何が始まるかまではまだわからない」
「そこが一番気持ち悪いのよ」
「わかる」
と絵麻。
「始まる前って、一番そわそわする」
「桃園さん、その言い方だと自覚ある人じゃん」
さやかが言うと、
「……」
絵麻は少しだけ笑った。
「そこは秘密」
「そこを秘密にされると余計に気になるんだってば」
「でも、そこで止まるのが二階堂さんでしょ」
木乃葉が言う。
「……」
「何その顔」
「いや」
さやかは小さくため息をついた。
「そうなのよね。止まるのよ」
「えらい」
と真白。
「褒めてる?」
「ちゃんと褒めてる」
「最近、一ノ瀬さんの“ちゃんと褒めてる”増えたね」
ひかりが笑う。
「それはたぶん教室に慣れてきた証拠」
と澪。
「朝倉さんもその言い方好きだね」
真白が言うと、
「事実だから」
澪は少しだけ笑った。
さやかはその二人のやりとりを見ながら、思う。
やっぱり何か始まるのだろう。
この教室の外側同士が、どこかで交差し始めている。
でも、それが何かはまだわからない。
わからないけど、今のところ平和だ。
ならたぶん、それでいい。
「……まあ」
さやかは日誌を閉じた。
「何か始まるなら、せめて提出物だけは期限守ってほしい」
「現実的」
とひかり。
「委員長としては正しい」
と絵麻。
「そこが好き」
と木乃葉。
「褒めてる?」
とさやか。
「今のはちゃんと」
と真白が言う。
教室にまた、小さな笑いが落ちる。
何か始まる前の空気。
それを、委員長はちゃんと感じ取っていた。
そして真白もまた、その言葉の正しさを静かに認めていた。




