第39話 木乃葉、受賞記事を見て妙に静かになる
教室に流れ込む情報には、二種類ある。
一つは、学校が流す情報。
小テスト。
提出物。
行事予定。
そういう、誰が見ても学校の中だけで完結するもの。
もう一つは、誰かがスマホの向こうから持ち込んでしまう情報。
ネットの記事。
新作発表。
ランキング。
配信の切り抜き。
映画やアニメの特集。
そっちの方が、だいたい教室の空気を微妙に揺らす。
その日の朝は、後者だった。
「ねえ、これ」
ひかりがスマホを掲げる。
「また何か見つけたの」
さやかが言う。
「うん。映画賞関連の記事」
「あー」
と澪。
「最近多いね」
「時期だしね」
ひかりが言う。
「で、これがちょっと面白くて」
教室の何人かが、なんとなくその画面へ視線を向ける。
真白も、席についたままちらりと見た。
記事の見出しには、こうあった。
アニメーション新人賞ノミネート作品発表
注目の短編劇場アニメも選出
その瞬間、真白は絵麻より先に、木乃葉の反応を見てしまった。
木乃葉の動きが、一拍だけ止まったのだ。
いつも眠そうな人の“止まる”は、逆に目立つ。
普段から省エネで動いているからこそ、そこでさらにわずかに静かになると、妙にわかる。
「……」
「……」
真白は何も言わない。
でも、見えた。
そしてたぶん、木乃葉も“今、自分が止まった”ことを自覚している。
「何の作品?」
と絵麻が、いつも通りの声で聞いた。
「これ」
ひかりが画面をスクロールする。
「前に話してたやつ」
「うわ、ほんとだ」
絵麻は、それもまたいつも通りの温度で言った。
でも、真白にはわかる。
今の“うわ、ほんとだ”は、わりと頑張って普通にしている。
前より少しだけ近くなったぶん、見えるものが増えた。
「へえ」
と、さやか。
「ノミネートってすごいの?」
「だいぶすごい」
ひかりが即答する。
「少なくとも、ただの“ちょっと話題”ではない」
「……」
そこで、木乃葉がようやく口を開いた。
「ちゃんと拾われたんだ」
「お」
ひかりがそっちを見る。
「木乃葉さん、今日は反応早い」
「今は人類側だから」
「その自己申告、精度が怪しい」
真白が言うと、
「でも今のツッコミはだいぶ自然」
と、ひかりが笑う。
「最近ほんとにその話好きだね」
「だって育成途中見てる感じがして楽しい」
「何の育成」
「一ノ瀬真白・教室会話参加率アップ計画」
「最悪の企画名」
真白が言うと、教室が少し笑った。
でもその笑いの中でも、木乃葉の視線は記事に残っていた。
真白は思う。
この人、絶対ちゃんとわかってる。
作品の温度も、ノミネートの重さも、たぶん絵麻の関わり方も。
そしてそのうえで、何も言いすぎない。
◇
一時間目が終わったあと、絵麻が窓際で少しだけひとりになっていた。
たぶん、意図的ではない。
ただ記事の話題から自然に離れたら、そこが窓際だっただけだろう。
真白はその背中をちらりと見て、それからやめた。
今、自分が話しかけるべき空気ではない気がした。
代わりに動いたのは、木乃葉だった。
めずらしく机からちゃんと体を起こし、のそのそと窓際へ行く。
この時点でだいぶ珍しい。
概念ではない。
かなり人類寄りの行動である。
「桃園さん」
「何?」
「先に言っとく」
「……?」
「おめでとう」
短かった。
でも、その一言にはだいぶいろいろ乗っていた。
絵麻が一瞬、言葉を失う。
「……」
「……」
「何その空気」
ひかりが少し離れた席から言う。
「今の、だいぶよかった」
「何を見てるの」
真白が言う。
「いや、見ちゃうでしょ」
「それはそう」
と澪も小さく言った。
窓際では、絵麻が少しだけ目を細めていた。
「まだ、決まってないよ」
「ノミネートでも十分」
木乃葉が言う。
「……」
「で、たぶん桃園さんのその顔は、関係者」
「……何その言い方」
「観測」
まだ気に入っているらしい。
でも今の“観測”は、かなりやさしかった。
断定しない。
でも、ちゃんと近くまで行っている。
「ありがとう」
絵麻が小さく言う。
「うん」
「……」
「……」
「いや、そこで会話終わるんだ」
さやかが呆れたように言う。
「そこを長くしないのが、たぶん作家」
ひかりが笑う。
「何その雑な解説」
「でもちょっとわかる」
と真白。
たしかに、あの短い一往復は妙に“創作側同士”っぽかった。
全部を言わない。
でも必要なことだけは、ちゃんと届く。
それはたぶん、このクラス全体にも通じる空気だ。
◇
休み時間がもう少し続く。
絵麻が自席へ戻ると、ひかりがすぐに聞いた。
「今の、だいぶ図星だった?」
「……」
「無言」
「だいぶ答え」
と澪。
「いやでもさすがに、そこをみんなの前で言うのはちょっと」
絵麻が困ったように笑う。
「何を?」
とさやか。
「ほら、いろいろ」
「便利ワード」
木乃葉がぼそっと言う。
「便利ではない」
絵麻が言う。
「今日は便利に逃げる気分じゃない」
「珍しい」
真白が言う。
「そう?」
「うん。最近だと、そういう時は割と“ふわっと”逃がしてた」
「……」
「今は少しだけ、受け取ってる感じする」
その言葉に、絵麻は少しだけ驚いたみたいに真白を見た。
「一ノ瀬さん」
「何」
「最近、そういうの言うよね」
「何が」
「人の変化」
「……」
「前は見えても、もっと自分の中に置いてた感じ」
「……そうかも」
「今はちょっと、外に出す」
「うん」
「それ、悪くない」
「褒めてる?」
「ちゃんと褒めてる」
最近、本当に“ちゃんと褒めてる”が多い。
前より自分も人も、少しだけ素直になってきたのかもしれない。
「でも木乃葉さん」
ひかりが机に頬杖をつく。
「さっきの“おめでとう”は、だいぶ自然だったね」
「そう?」
「うん。いつもの概念より、だいぶ人」
「今日は起きてるから」
「基準が低い」
さやかが即座に言う。
「でも、あれは普通によかった」
澪が言う。
「うん」
と真白も頷いた。
木乃葉は少しだけ目を細める。
「創作してる人ってさ」
「うん?」
絵麻が聞く。
「人の“最初に評価されるとこ”がどれだけ大事かわかるじゃん」
「……」
「だから、先に言いたかった」
「……そっか」
絵麻は、その一言でだいぶやわらかい顔になった。
真白はそこで気づく。
ああ、この二人、やっぱり同じ側なんだな、と。
ジャンルは違う。
木乃葉は言葉寄りで、絵麻は絵と感情の人だ。
でも、“作品が届く前と届いた後の重さ”を知っているところは、きっと同じなのだ。
◇
二時間目のあと、教室ではまた少しだけ記事の話題が続いていた。
「新人賞って、どういう感じなんだろうね」
とさやか。
「“新人”って言われると、まだ始まったばかり感あるけど」
「でも作る側からすると、そこまで来るまでにだいぶやってるよね」
ひかりが言う。
「うん」
木乃葉が頷く。
「たぶん“新人”って、世間から見え始めるのが新人ってだけ」
「うわ」
真白が言う。
「今のちょっと刺さる」
「何に?」
と澪。
「いろいろ」
「便利だね」
と木乃葉。
「今日はそこに戻るの?」
「戻れるときに戻る」
「便利ワードの避難所みたいな扱い」
教室が少し笑う。
でも真白には、今の木乃葉の言葉は少し重かった。
世間から見え始めるのが新人。
それはたしかにそうだ。
真昼ましろだって、突然現れたわけではない。
配信を始めて、積み重ねて、ようやく今の位置にいる。
澪だってそうだろう。
絵麻の原案だって、たぶん“急に映画になった”わけじゃない。
外側で積み重ねてきた時間がある。
でも教室では、その積み重ねを全部知っている人はいない。
それでも、同じ制服で朝を迎える。
そのことが最近の真白には、前よりずっと面白く思える。
◇
昼休み、真白はたまたま廊下で絵麻と並んだ。
購買へ向かう途中だった。
人はまばらで、少しだけ話しやすい。
「……」
「……」
こういう沈黙も、今はそこまで気まずくない。
「桃園さん」
真白が先に口を開く。
「何?」
「さっきの木乃葉さんの“おめでとう”」
「うん」
「うれしかった?」
「……うん」
絵麻は素直に頷いた。
「かなり」
「そう」
「だって、ああいうのって」
「うん」
「まだ外には出てないじゃん」
「……」
「でも、見えてる人には少しだけ見えてるんだなって思ったら」
「うん」
「ちょっと、安心した」
その言い方が、妙に真白の中へ残る。
見えてる人には少しだけ見えてる。
でも、全部は暴かれない。
それがこのクラスの距離感だ。
「いいクラスだね」
絵麻がぽつりと言う。
「……」
「何その顔」
「いや」
真白は少しだけ目を細めた。
「最近、私もそう思うようになってきた」
「おお」
「何その反応」
「それ、だいぶ大きい」
「そう?」
「うん」
「……」
「一ノ瀬さんって、最初は“学校では誰にも知られたくない人”って空気すごかったから」
「今もその気持ちはある」
「うん」
「でも、それだけじゃなくなったかも」
「……」
「何その顔」
「今の、だいぶいいこと言った」
「またそれ」
「褒めてる」
「今日はちゃんと褒めてる日なんだ」
「そういう日」
二人で少し笑う。
◇
放課後、教室に戻ると、木乃葉がまた机に伏せていた。
だが今日は、いつもの“概念”ではなく、どこか機嫌がいい気がする。
「木乃葉さん」
真白が声をかける。
「何」
「今日ちょっと人類度が高い」
「何その評価」
「褒めてる」
「雑」
「便利だから」
「雑と便利が両立してるなあ」
そこでひかりが言う。
「でも実際、今日の木乃葉さんちょっと柔らかいよね」
「創作仲間にいいことあったからでは?」
と澪。
「それ言うと重い」
木乃葉がぼそっと言う。
「でも、少しはある」
「認めるんだ」
さやかが言う。
「そこは認める」
「今日は素直な人多いなあ」
ひかりが笑う。
真白はその光景を見ながら、思う。
このクラスの外側は、教室の外で別々に存在しているだけじゃない。
たぶん少しずつ、見えないところでつながってもいる。
作品を見る目。
評価の受け止め方。
“届く”ことへの重さ。
そういう感覚の共通点が、ここにはある。
だから木乃葉は絵麻へ先に“おめでとう”を言えたのだろう。
そして絵麻も、その短い一言の重さをちゃんと受け取れた。
なんだか、少しだけきれいだと思った。
◇
帰り際、真白は窓際の夕方の光を見ながら、小さく息を吐く。
このクラス、本当に普通じゃない。
でも、普通じゃないからこそ、わかることもある。
全部は言わない。
でも、必要なときには届く言葉を置ける。
それはたぶん、秘密を守ることと同じくらい大事な能力なのだ。
「……静かなのに、濃いなあ」
と呟くと、
「今さら」
と木乃葉。
「でも今日はちょっと、いい意味で濃かった」
と絵麻。
「うん」
と真白。
「わかる」
その一言だけで十分だった。
木乃葉が受賞記事を見て妙に静かになった理由も、
絵麻に先に“おめでとう”を言った理由も、
たぶん全部言葉にしなくてもいい。
見えている人には、もう十分見えているのだから。




