第37話 原案って、どこまで原案なんだろう
創作の肩書きというものは、たまにわかりにくい。
作家。
漫画家。
絵師。
作曲家。
歌手。
VTuber。
このあたりは、まだ真白にもわかる。
少なくとも、何をしている人なのかは想像しやすい。
でも最近、桃園絵麻の気配の中に混ざっている
“原案”
という言葉だけは、いまいち輪郭がつかめなかった。
もちろん意味そのものはわかる。
作品の元になる考え。
最初の種。
企画の発端。
ただ、その“最初の種”が、どこまで作品の中に残っているのか。
どこまでその人の仕事と言っていいのか。
そこが、真白には少し気になっていた。
そしてその気になりは、放課後にわりとあっさり機会を得た。
◇
その日はたまたま、教室に残っていた人数が少なかった。
さやかは委員会。
ひかりは先生に文化祭ポスターの仮案を見せに行っている。
音々は音楽室の方へ寄るらしく、早めに出た。
木乃葉は「今日こそ人類のうちに帰る」と言い残して、めずらしく速やかに教室を去った。
澪はもちろん部活だ。
結果として教室に残ったのは、真白と絵麻だけになった。
こういう状況は、前の真白なら少し気まずかったかもしれない。
今は、そこまでではない。
絵麻は自席でノートを閉じたり開いたりしていた。
帰る準備をしているのか、まだ何か描き足したいのか、本人にも少し曖昧そうな動きだ。
「……」
「……」
静かだ。
でも、嫌な静かさではない。
真白は鞄へ教科書をしまいながら、少しだけ迷った。
今なら、聞けるかもしれない。
聞いても、踏み込みすぎない範囲で。
本人が答えたくなければ、たぶん絵麻は上手にかわすだろう。
「桃園さん」
「何?」
絵麻が顔を上げる。
真白は少しだけ言葉を選んだ。
「この前の“ちょっと関わってる”って話」
「うん」
「映画の」
「うん」
「原案って、どこまで原案なの?」
言ったあとで、自分でもちょっと不思議に思った。
前なら、こういう聞き方はしなかった。
気になることがあっても、たぶんそのまま胸の中へ戻していた。
でも今は、少しだけ聞ける。
全部じゃなくていい。
相手が言える範囲だけでも、知りたいと思う。
絵麻は少しだけ目を丸くして、それから小さく笑った。
「それ、すごく一ノ瀬さんっぽい質問」
「そう?」
「うん。踏み込みたいわけじゃないのに、解像度は欲しい感じ」
「……」
「違った?」
「……たぶん、合ってる」
「ふふ」
絵麻は机の上で指を組み、それから少し考えるように視線を上へ向けた。
「どこまで原案か、かあ」
「うん」
「難しいんだよね、それ」
「やっぱり」
「うん」
やっぱり、か。
少しだけ安心する。
つまりこの質問は、変な方向へ行っていないらしい。
「作品によるけど」
と絵麻。
「うん」
「私が思う“原案”って、最初の種を置くことなんだよね」
「種」
「こういう人がいて、こういう景色の中で、こういう感情が動く、っていう最初の核」
「……」
「物語全部を書くのとは少し違うし、完成形の全部を一人で作るわけでもない」
「うん」
「でも、その最初の核がないと始まらないこともある」
「……」
真白は静かに聞く。
絵麻の言葉はふわっとしている。
でも曖昧ではない。
感覚の話をしているのに、芯がある。
「たとえば」
絵麻が続ける。
「誰かが脚本にしてくれて、誰かが絵コンテにしてくれて、誰かが動かしてくれて、声や音や歌が乗って、作品になるでしょ?」
「うん」
「その前に“何を見せたいか”の最初の温度を置くのが、原案かなって」
「最初の温度」
「うん。たとえば“この子がこう笑うまでの話が見たい”とか」
「……」
「“この景色の中で、この距離感が揺れるところを見たい”とか」
「……」
「そういう、まだ作品になる前の“見たいもの”」
そこで絵麻は少し照れたみたいに笑った。
「うわ、今のちょっと恥ずかしい」
「何で」
真白が聞く。
「真面目に説明すると、ちょっと創作者っぽいでしょ」
「……ぽいというか」
「うん」
「だいぶそう」
「だよねえ」
「そこ認めるんだ」
「そこまで来たら、さすがに」
二人で少しだけ笑う。
真白は思う。
この子はやっぱり、かなりちゃんと作る側だ。
しかも単に絵がうまいとか、感性があるとか、そういうだけではない。
“最初に何を見たいと思うか”を言葉にできる人だ。
それはかなり、本気の創作者だ。
◇
「じゃあ」
真白は少しだけ身を乗り出して聞く。
「桃園さんのその映画は」
「うん」
「最初に何があったの」
絵麻は少しだけ黙った。
この質問は、少し踏み込んでいる。
真白もそれはわかっていた。
だから、答えづらそうならそこで引くつもりだった。
でも絵麻は、逃げなかった。
「……最初は、たぶん」
「うん」
「“ちゃんと好きって言えないまま終わる距離”が、少しだけ悲しいなって思ったの」
「……」
「でも悲しいだけじゃなくて、そこにいた時間はちゃんときれいだった、みたいな」
「……」
「そういう感じ」
真白は数秒、返事ができなかった。
それは何というか、すごく絵麻らしくて、同時にすごく“作品の核”っぽかった。
「何その顔」
絵麻が聞く。
「いや」
真白は少しだけ息を吐く。
「かなり原案者っぽいなって」
「褒めてる?」
「ちゃんと褒めてる」
「うれしい」
「でも今の聞くと、やっぱり桃園さんって恋愛空気好きだね」
「……」
「何その間」
「バレてるなあって」
「前から」
「知ってた」
「知ってたんだ」
「だって描きたいもん」
「そこは素直」
「そこはね」
絵麻はそう言って、ノートの端を指で軽くなぞった。
「人と人の間にしかない表情とか、あるじゃん」
「うん」
「友達とも恋人とも言えない感じとか」
「うん」
「まだ何にもなってないのに、ちょっとだけ温度が変わる瞬間とか」
「……」
「そういうの、好き」
真白は思わず視線を逸らした。
何だろう。
今の話を聞いていると、なぜか微妙に居心地が悪い。
いや、絵麻が悪いわけではない。
たぶん、自分の周りにもそういう“まだ何にもなってないのに温度だけ少し変わる瞬間”が、最近増えているからだ。
朝倉澪との間とか。
教室そのものとの距離とか。
「……一ノ瀬さん」
「何」
「今ちょっと、図星寄りの顔した」
「してない」
「した」
「したね」
と、いつの間にか戻ってきていたひかりが言った。
「うわ」
真白が本気で肩を揺らす。
「何でいるの」
「先生に見せて帰ってきた」
「タイミング」
「最高だったよ」
ひかりはにやにやしている。
最悪だ。
「どこから聞いてた?」
と真白。
「“まだ何にもなってないのに温度だけ変わる瞬間”あたり」
「最悪だ」
「いやでも、そこ大事でしょ?」
「大事かどうかは今決めたくない」
絵麻が少し笑い、ひかりは机に腰を軽く預けた。
「でもさ」
ひかりが言う。
「桃園さんの“原案”の説明、すごいわかる」
「ほんと?」
絵麻が聞く。
「うん。私は絵とか見せ方側だけど、最初に“何を見せたいか”って温度があるかないかで、全然違う」
「……」
「それ、たぶん映像も同じなんだろうね」
「うん」
「じゃあやっぱり、原案ってかなり大事なんだ」
と真白。
「大事だと思う」
ひかりが頷く。
「でも、目立ちにくいんだよね」
「そうなの?」
「うん。完成した作品って、目に見えるとこがまず褒められるから」
「映像とか、音とか」
「そう。でも最初の温度が弱いと、全体が薄くなる」
真白は、その言葉を聞いて少しだけ納得した。
それはたぶん、音楽にも似ている。
表に出るのは歌だったり演奏だったりするけれど、その前に何を伝えたいかが弱ければ、音もぼやける。
ジャンルは違っても、創作の核は似ているのかもしれない。
◇
そこへ、さらに木乃葉が戻ってきた。
「……何でみんないるの」
「それはこっちの台詞」
と、ひかり。
「帰ったんじゃなかったの」
「忘れ物」
「それ、“概念的に帰宅”ではなく?」
と真白。
「今のはちゃんと帰宅寸前だった」
「そこにちゃんとの定義あるんだ」
ひかりが笑う。
木乃葉は教室の空気を一瞬だけ見て、なんとなく流れを察したらしい。
「何の話?」
「原案」
と絵麻。
「へえ」
「その“へえ”にだいぶ含みがある」
さやかまで戻ってきて言った。
いつの間にか、だいぶ人が増えている。
だが増えたところで、この教室のやることは大して変わらない。
少し見えて、少しわかって、でも決定的には踏み込まない。
「桃園さんの“最初の温度”の話してた」
ひかりが言う。
「うわ、ちゃんと創作者の会話してる」
木乃葉が机に鞄を置きながら言う。
「でもそれはわかる。最初にどこへ心が動いたかがないと、書いてても薄い」
「……」
「何その“やっぱり書く側だ”みたいな顔」
木乃葉が真白を見る。
「してた?」
真白。
「してた」
とひかり。
「かなり」
と絵麻。
「もう最近それ隠す気ないよね」
さやかが言う。
「隠してはいる」
「いや、前より見えてる」
と木乃葉。
「でも、それでいいんじゃない?」
その言い方は、少しだけやさしかった。
真白は小さく息を吐く。
見えてる。
でも言わない。
それでいて、見えてきたこと自体は悪くないと言ってくれる。
このクラスのそういうところに、最近は少しずつ救われている。
◇
帰り際、真白は改めて思った。
原案というのは、全部を書くことではない。
全部を描くことでもない。
でも、“最初に何を見たいと思ったか”を置く仕事だ。
それは想像していた以上に、作品の深いところへ関わる役割なのかもしれない。
そして桃園絵麻は、教室ではふわふわしているのに、そういう“最初の温度”をちゃんと持っている人なのだ。
「……やっぱり、すごいな」
真白が小さく呟くと、
「褒めてる?」
と絵麻。
「今のはかなり」
「じゃあ受け取る」
「素直」
「そこは便利だから」
「使い方間違ってる」
ひかりが笑う。
「でもいい締め」
木乃葉がぼそっと言った。
たしかに、少しいい締めだったかもしれない。
原案ってどこまで原案なんだろう。
その答えは、まだ全部わかったわけではない。
でも少なくとも、桃園絵麻が“作品の最初の温度を置く人”なのだということは、前よりずっとよくわかった。
そして、そのことを少しだけ本人の口から聞けたのも、たぶん小さくない出来事だった。




