第28話 クラス委員長、ついに“何かおかしい”を言語化する
二階堂さやかは、たぶん、わりと我慢強い。
委員長をやるくらいだから責任感はあるし、多少の面倒ごとなら飲み込める。
提出物の遅れも、連絡ミスも、掃除当番の逃亡も、だいたいは「はいはい、やりますよ」で処理できる。
でも最近、2年A組の“何か”が、そろそろ我慢のラインを越え始めていた。
朝のホームルーム前。
さやかは日誌回収表を手に、自分の席で静かに現実逃避していた。
理由は簡単だ。
うちのクラス、静かなのに情報量が多すぎる。
しかも、それぞれの情報量が種類違いで重い。
眠そうなだけに見えて、どう見ても締切に追われている木乃葉。
落書きの密度が商業領域へ片足突っ込んでいる絵麻。
文化祭ポスター案ひとつで空気ごと整えてくるひかり。
耳が良すぎてたまに怖い音々。
学校の中と外で強さの種類が違う朝倉。
前よりちょっとだけ喋るようになったと思ったら、最近妙に人のことを見ている一ノ瀬。
そしてその全員を、何でもない顔でまとめている風間先生。
「……何これ」
思わず小さく漏れる。
「何が?」
ひかりがすぐに食いついた。
「いや、別に」
「今の“別に”はだいぶ別にじゃないやつ」
「そう?」
絵麻が首を傾げる。
「うん。委員長の“別に”は、だいたい何か抱えてるとき」
「何その分析」
さやかが言うと、
「人のこと見てるから」
とひかり。
「やっぱり小鳥遊さんも十分怖いのよね」
「褒めてる?」
「その質問やめない?」
「便利だから」
「最近みんなそればっかり……」
朝から教室の空気が軽い。
軽いのだが、その軽さの下にある“各自の事情”を考えると、さやかはじわじわ頭が痛くなってくる。
何も起きていない。
でも、何も起きていないのが逆に不自然なくらい、何かを抱えた人間が多い。
しかも決定的な証拠は、ひとつもない。
これがいちばん厄介だった。
◇
一時間目の前、提出物の確認でさやかが教室を回っていると、異常は静かに積み重なった。
まず木乃葉。
「柊木さん、今日の小テスト範囲プリント」
「……」
「柊木さん?」
「ある」
「なら出して」
「どこかに」
「その返事が一番困るのよ」
「昨日の私に聞いて」
「昨日のあなたと今日のあなたで保管場所変わるの?」
木乃葉は机の中を探り、ノートの間からプリントを三枚、付箋を二枚、どう見ても授業とは関係ない原稿用紙っぽい紙束を一瞬見せてから、ようやく目的のプリントを出した。
「はい」
「今、なんか余計なもの見えたんだけど」
「幻覚では」
「便利ワードにしないで」
「便利だから」
「便利だけど」
次に絵麻。
「桃園さん、委員会の提出物」
「あるよー」
と言いながら出してきたファイルの間に、キャラ表情差分らしき紙が挟まっている。
「……」
「……」
「桃園さん」
「何?」
「これは見なかったことにした方がいいやつ?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「でも提出物はこっち」
「そこはちゃんとしてるのね」
「そこはね」
さらにひかり。
「小鳥遊さん、文化祭アンケート」
「あるー。あとついでに、もし先生に見せるならこのレイアウト直した方が見やすいかも」
「何でアンケート提出で改善案までついてくるの」
「気になったから」
「“気になったから”で出す修正の精度じゃないのよ」
「褒めてる?」
「今日はまだ褒めてない」
音々に至っては、提出物を渡すついでにこう言った。
「二階堂さん」
「何」
「今日、ちょっと疲れてる」
「え」
「声」
「……」
「何その顔」
「いや、そこまでバレる?」
「バレるというか、聞こえる」
「瀬川さんは本当に、その能力をもっと雑にして」
「難しい」
「難しいのか……」
最後に一ノ瀬真白。
「一ノ瀬さん、日誌」
「はい」
きっちり出してくる。
ここはさすがに安定だ。
安定なのだが。
「……」
「何」
真白が聞く。
「いや」
さやかは少しだけ迷ってから言う。
「最近ほんとに前より喋るね」
「……何その確認」
「確認したくもなるでしょ。いろいろありすぎて」
「いろいろ?」
「いろいろ」
真白は少しだけ目を細めて、それから言った。
「便利だね」
「うわ」
「うわ?」
「今それで返してくるんだ」
「最近学んだから」
「成長したねえ」
ひかりが遠くから口を挟む。
「何の成長なの、それ」
さやかが本気で聞くと、
「会話参加率」
と木乃葉が机に伏せたまま答えた。
そう。
そこなのだ。
一ノ瀬真白が、前より少し教室にいる。
それ自体は別に悪いことではない。
むしろクラス委員長的には歓迎すべき変化だ。
でも問題は、その変化が単独で起きている感じではないことだった。
朝倉との空気が、前より少し違う。
でも付き合ってるとかそういうわかりやすい話ではない。
かといって、何もない人たちの距離感でもない。
そこに、木乃葉や絵麻やひかりや音々まで絡んで、教室の“目に見えない情報量”がどんどん増している。
「……だめだ」
さやかは小さく呟いた。
「何が?」
と絵麻。
「整理が追いつかない」
「何の」
「うちのクラスの現状」
ひかりがすぐに笑い出す。
「ついに言った」
「いや前から思ってたけどね!?」
さやかは珍しく少し声を上げた。
「最近ほんとにおかしいのよ、2年A組」
「ひどい」
と木乃葉。
「おかしい自覚はあるでしょ」
「ある」
「認めるんだ」
「最近は特に濃い」
「濃いって何」
と澪。
「静かなのに、みんな水面下で何かやってそうな感じ」
「……」
真白の心臓が少しだけ嫌な音を立てる。
「で、誰も決定打を出さないから、余計に気になる」
「委員長は苦労人だねえ」
ひかりが楽しそうに言う。
「他人事みたいに言わないで」
「他人事じゃないけど、でも面白いじゃん」
「面白くはないのよ」
「少しは面白い」
「……少しは」
さやかは認めてしまった。
「ほら」
ひかりが笑う。
「結局、ちょっと好きなんでしょ、この感じ」
「好きとは言ってない」
「でも嫌いならそこまで気にしない」
「うっ」
そこを刺されると弱い。
たしかに、完全に嫌ならもっと距離を取る。
いちいち観察なんてしない。
こうして“何かおかしい”を言語化したくなる時点で、さやかもこのクラスの妙なまとまりをどこかで面白がっているのだ。
◇
二時間目と三時間目の間の休み時間、ついにさやかは決壊した。
「ねえ」
教室の真ん中で、わりと本気の声を出す。
「何?」
ひかりが一番に反応する。
「うちのクラス、たぶん普通の女子高クラスじゃないよね?」
空気が、一瞬だけ静かになった。
言ってしまった。
ついに言語化してしまった。
でも、誰も本気で否定しない。
木乃葉が、机に頬をつけたまま言う。
「今さら」
「今さらではないのよ、今さらでは」
さやかは言う。
「私、委員長としてずっと“気のせい”で処理してきたけど、最近もう無理」
「具体的には?」
と、ひかり。
「具体的には、まずあなた」
「私?」
「ただのコミュ強にしては、見せ方とか空気の整え方が業者なのよ」
「業者」
「言い方ひど」
「次、桃園さん」
「え、私?」
「落書きの精度が高校生の趣味じゃない」
「……」
「沈黙しないで」
「図星のとき、絵麻はちょっと静かになる」
と木乃葉。
「その観察もどうなの」
とさやか。
「柊木さんは、そもそも寝不足の質が締切前」
「……」
「沈黙しないで」
「今日は刺さるね」
木乃葉がぼそっと言う。
「刺さるようになったの」
「何が」
「私の中の常識が」
教室が少し笑う。
でもさやかは止まらない。
「瀬川さんは耳がよすぎる」
「うん」
と音々が素直に頷いた。
「認めるんだ!?」
「事実だから」
「そこは謙遜とかないの?」
「便利じゃないし」
「基準が謎」
「朝倉は、学校での出来すぎ感がもうちょっと何かあるし」
「何かあるって雑だなあ」
澪が苦笑する。
「一ノ瀬さんは最近ちょっと変わりすぎ」
「最後だけ曖昧では」
真白が言う。
「だってそこは説明しづらいのよ」
さやかは頭を抱える。
「前より喋るし、前より周り見てるし、前より空気の中にいるのに、でも“何があったか”は言語化できない」
「……」
「それがいちばん怖い」
真白は少しだけ視線を落とした。
それは、かなり本質に近い。
けれど、決定打にはならない。
だからこそ、さやかはこうして“何かおかしい”としか言えないのだ。
「つまり」
ひかりが楽しそうにまとめる。
「委員長的には、2年A組は“静かなのに妙に濃い”ってこと?」
「そう」
「便利な表現だね」
「今のはいいの」
さやかが言う。
「今のはわりと正確だから」
「じゃあ採用」
と木乃葉。
「何の採用」
「クラス評」
「勝手に決めないで」
また笑いが起きる。
真白はその笑いの中で、少しだけ肩の力を抜いた。
さやかはかなり近いところまで来ている。
でも、その近さを“疑い”ではなく“困惑とツッコミ”の形で出してくれるのが、この子らしい。
それはありがたい。
◇
三時間目のあと、さやかはなぜか風間にまで相談していた。
「先生」
「はい」
「うちのクラス、ちょっと普通じゃない気がします」
「今さらですね」
「先生までそれ言うんですか」
「事実かと」
「認めるんだ……」
教室がざわつく。
風間は配布物を持ちながら、淡々と続けた。
「ただ、普通ではないことと、問題があることは別です」
「……」
「二階堂」
「はい」
「2年A組は、少なくとも現時点で、よくまとまっています」
「そうですけど」
「ならば、少し濃いくらいでちょうどいいのでは?」
「先生の“濃い”の感覚が信用できないんですよ」
「それは残念です」
「残念な顔してない」
風間がこういう話題を、さらっとホームルームレベルまで薄めて処理してしまうのも、またこの教室が平和な理由のひとつなのだろう。
騒がない。
でも、見ていないわけでもない。
その加減がうまい。
「じゃあ先生は、今の2年A組をどう思ってるんですか」
さやかが聞く。
風間は少しだけ考えるように間を置いてから言った。
「静かに濃いですね」
「またその表現」
「気に入っています」
「そこ気に入るんだ」
「便利ですので」
「先生まで便利言い始めた!」
教室がまた笑う。
だめだ。
もう誰も“便利”から逃げられない。
◇
放課後、教室には少しだけ気の抜けた空気が残っていた。
さやかは日誌を書きながら、ふうと息を吐く。
「でも、すっきりした」
「何が?」
ひかりが聞く。
「言語化したこと」
「“うちのクラス普通じゃない”?」
「うん」
「告白みたい」
絵麻が言う。
「何への」
「教室への」
「重いよ」
真白はその会話を聞きながら、少しだけ思う。
さやかが言ったことは、だいぶ当たっていた。
このクラスは普通じゃない。
でも、その普通じゃなさは、今のところちゃんと日常の中に収まっている。
誰かが才能を隠している。
誰かが外で別の名前を持っている。
誰かが何かを作っている。
でも朝になれば、みんな制服を着て同じ教室へ来る。
その二重さが、このクラスの“濃さ”なのだろう。
「……委員長」
と真白が言う。
「何?」
「今の言語化、わりと正確だった」
「え」
さやかが目を丸くする。
「珍しい。一ノ瀬さんがそういうの素直に言うの」
「今日はわりと」
「何かあった?」
「クラスが濃い」
「それは今日急に起きたことじゃない」
「確かに」
とひかりが笑う。
「でも、一ノ瀬さんがそれを認めるのはちょっと大きいかも」
「そう?」
「うん。前はもっと“私は関係ありません”って空気だったし」
「今は?」
「だいぶ“当事者です”」
「嫌な言い方」
「でもたぶん事実」
たしかに、そうかもしれない。
真白はもう、この教室を外から見ているだけではいられない。
自分も十分、“静かに濃い2年A組”の一員なのだ。
「……まあ」
真白は小さく言った。
「何かおかしいのは、たぶん否定できない」
「でしょ!」
さやかが勢いよく言う。
「やっと味方が増えた」
「味方って何」
「常識側の」
「その常識側、もうだいぶ揺らいでる気がする」
木乃葉がぼそっと言う。
「やめて」
「褒めてる」
「今日はもうその返しに助けられないから」
教室に、また小さな笑いが広がる。
うるさすぎるわけではない。
でも静かすぎもしない。
少しだけ変で、少しだけ面白くて、そしてたぶん、このクラスなりに平和だ。
さやかは日誌を閉じ、改めて教室を見渡した。
「……まあ、普通じゃなくても」
「うん?」
と絵麻。
「平和なら、いっか」
「委員長がそれ言うんだ」
ひかりが笑う。
「苦労人の最終到達点かも」
と木乃葉。
「達観したね」
と澪。
「違うわよ」
とさやかは言う。
「ただ、もう細かく全部把握しようとするのは無理だってわかっただけ」
「それは偉い」
と真白。
「褒めてる?」
「ちゃんと褒めてる」
「珍しい……」
「最近それ多いね」
ひかりがにやっとする。
真白は少しだけ視線を逸らしながらも、否定はしなかった。
たぶん、このクラスは本当に普通じゃない。
でもその普通じゃなさを、前より少しだけ好きになれている自分もいる。
それはたぶん、悪いことではない。




