第27話 “うっかり見えた外の顔”は、だいたい黙っておくのが礼儀らしい
秘密というものは、だいたい隠そうとしても少し漏れる。
いや、もっと正確に言うなら、
本人はうまく隠しているつもりでも、生活の端っこにはだいたい出る。
手つき。
言葉。
反応の速度。
持ち物。
通知。
疲れ方。
そういうものに、外側の生活は少しずつ滲む。
そして今の真白は、その滲みを前よりずっと見つけやすくなっていた。
見つけたくて見ているわけではない。
そこは大事だ。
探偵みたいな趣味はないし、人の秘密を暴きたいとも思わない。
ただ、最近の2年A組は、見えてしまうのだ。
何もかもが、妙に。
その日は朝から、そういう“見えてしまう日”だった。
◇
一時間目の前、真白が自席でノートを出していると、木乃葉のスマホが一度だけ震えた。
教室の朝はざわついている。
普通なら気にしない。
だが木乃葉は、その通知を見た瞬間だけ、眠そうな目をほんの少しだけ鋭くした。
そこで終わればよかったのだが、終わらなかった。
木乃葉がスマホを伏せる一瞬、画面の上部に通知文が見えてしまったのである。
【至急】第4稿、今夜のうちに確認お願いします
今夜のうち。
第4稿。
確認お願いします。
どう考えても学校の友達とのやり取りではない。
「……」
真白の目が一瞬だけ止まる。
だが、そこで視線を逸らす。
見ていない顔をする。
自分でも、だいぶ反射でそれができるようになってきたと思う。
「一ノ瀬」
と、木乃葉がぼそっと言う。
「何」
「今、見た?」
「……見てない」
「その間がいちばん見たやつ」
「……」
「でも、見ても言わない顔だね」
「……たぶん」
「えらい」
「褒めてる?」
「そこそこ」
「便利だなあ」
木乃葉はそれだけ言って、また机に頬杖をついた。
たしかに見えた。
でも、その先へ踏み込む気はない。
編集者っぽい。
稿数がある。
今夜のうち。
どう考えても書く側だ。
でも、本人がそれを教室で言わないなら、こちらも言わない。
それが今の真白には、かなり自然な判断になっていた。
◇
二時間目の休み時間には、今度は絵麻が何かをやらかした。
正確には、やらかしたというより、鞄の整理が少し甘かった。
「桃園さん、それ落ちたよ」
ひかりが言う。
絵麻の鞄の横から、薄い角2封筒みたいなものが床へ滑り落ちたのだ。
「あ、ごめん」
絵麻が拾い上げる。
だが向きが一瞬だけこちらに見えた。
封筒の端に、印刷されたロゴ。
出版社名……までは見えない。
でも、なんというか、明らかに学校の提出物を入れる類の封筒ではない。
さらに、その隙間から覗いた紙には、細かくコマ割りみたいなラフ線が見えた。
「……」
「……」
真白は黙る。
絵麻も一瞬だけ黙る。
「見た?」
と絵麻が小声で聞く。
「……半分くらい」
「半分見えてたらだいぶ見てる」
「じゃあ見た」
「正直」
絵麻は困ったように笑った。
でも、そこで慌てて取り繕わないところが、いかにも絵麻らしい。
「大丈夫?」
真白が一応聞く。
「うん、大丈夫」
「その封筒」
「うん」
「学校のやつではないね」
「……うん」
「それ以上は聞かない」
「ありがとう」
その“ありがとう”が、前より少しだけ重く聞こえる。
たぶん絵麻も、真白が“見えても言わない”側へ移ってきたことを感じているのだろう。
そして真白もまた、今の教室の平和がそこに支えられていると知っている。
「桃園さん」
と、ひかりが横から言う。
「何?」
「それ、今度落とすなら私のいない方向で落としてね」
「何で」
「こっちはこっちで、見えると反応したくなるから」
「わかる」
木乃葉が机に突っ伏したまま同意する。
「見えるけど、見なかったことにしたい気持ちと、見えたこと自体が気になる気持ちのせめぎ合い」
「文学的」
と、さやか。
「委員長としては、その気持ちわかっても困るんだけど」
「でもあるよね」
ひかりが笑う。
「ある」
絵麻も認める。
「このクラス、その戦い多い」
真白が思わず言うと、
「増えたねえ」
と木乃葉がぼそっと返した。
増えた、というより、真白が見える側へ入ってきた、という方が正しいのかもしれない。
◇
三時間目の移動教室のあと、今度はひかりだった。
ひかりが席でスマホを見ながら、さやかに何か見せている。
「ほら、このラフ」
「え、すご」
と、さやか。
「でもここ、もうちょい引いた方がよくない?」
「だよね? やっぱそう思う?」
「うん」
その会話自体は何でもない。
だが、真白がたまたま後ろを通りかかったとき、スマホ画面の端に、見えてしまった。
カラーパレット。
レイヤー名。
タイムラインみたいなもの。
しかも、画面の上部に小さく書かれていた文字。
MV_2ndrough_finalfix
「……」
真白の足が一瞬だけ止まる。
2nd rough。
final fix。
そんなファイル名を、普通の趣味の落書きにつけるだろうか。
つける人もいるかもしれない。
でも、ひかりの場合はたぶん違う。
文化祭ポスターの見せ方。
色の説明。
空気の整え方。
そして今のファイル名。
どう考えても、MVか映像系のビジュアルに関わっている側である。
「一ノ瀬さん」
ひかりが、こちらに気づいて笑う。
「今の顔、“あっ”ってしてた」
「……」
「見えた?」
「……何かは見えた」
「何が」
「ファイル名がだいぶ仕事」
「うわ」
「うわ、なんだ」
「そこ拾う?」
「拾うでしょ、あれは」
「やっぱ最近見るねえ」
「見えてしまうんだよ」
「それはわかる」
と、さやかが真顔で言う。
「見える側にいると、逆に見えたくないものまで見える感じ」
「委員長までその感覚に来たの?」
ひかりが笑う。
「来たくて来たわけじゃない」
その返しがだいぶ本音だったので、教室に少し笑いが落ちた。
ひかりはスマホを軽く伏せる。
でも別に、慌ててはいない。
「一応言っとくけど」
と、ひかり。
「うん」
「今の、見えても見えてないってことで」
「わかってる」
真白が答える。
「そういうの、最近わりとわかるようになったから」
「うん」
「でも、MVって言葉はだいぶ強い」
「そこは認める」
「認めるんだ」
「だって今さら“気のせいです”は苦しいし」
「たしかに」
「ただし詳細は話さない」
「うん」
「それは教室の外の話だから」
「……」
その言い方が、妙に真白の中へ入ってきた。
教室の外の話。
それはまさに、自分も守っている線だった。
だからたぶん、この子たちは同じなのだ。
程度もジャンルも違うけれど、教室の外にもう一枚の生活がある。
◇
そしていちばん危ないのは、やはり音々だった。
昼休み。
真白が水を飲んでいると、音々がいつものように気配薄めで近づいてきた。
「一ノ瀬さん」
「何」
「見て」
「何を」
「これ」
またスマホである。
しかもまた、躊躇がない。
開かれていたのは、前にも見たDAW画面だった。
ただし今日は前回よりだいぶ進んでいる。
トラック数が増え、色分けも整理され、仮歌らしき波形まで入っている。
「……」
「……」
「何で私に見せるの」
真白はまずそこから聞いた。
「わかってくれそうだから」
「それがだいぶ危ないんだって」
「何が」
「いろいろ」
「便利だね」
「便利だなあ」
真白は画面を見る。
やはり上手い。
少なくとも高校生の遊びレベルではない。
構成にも意思があるし、抜き差しにも理由がある。
「これ、サビ前のリバーブ深すぎ」
真白は結局、普通に言ってしまった。
「……やっぱわかる」
「いや、それは聞けば」
「聞いただけじゃここまで言わないよ」
「……」
そこを突くな。
普通に痛い。
「瀬川さん」
真白は少しだけ声を落とした。
「何」
「こういうの、私以外にも見せてる?」
「見せてない」
「何で私だけ」
「音の話、変に怖がらないから」
「……」
「あと」
「まだあるの」
「朝倉さんは、たぶん歌の人の見方するから」
「それはそうかも」
「一ノ瀬さんは、作る側の見方もする」
「……」
心臓に悪い。
でも、間違っていないのも困る。
真白は少し黙ってから、ため息をついた。
「瀬川さん」
「何」
「その勘、学校であんまり全開にしない方がいい」
「言わないよ」
「そういう意味じゃなくて」
「?」
「本人にそのつもりがなくても、見えすぎると人はびっくりする」
「……」
「今の私みたいに」
「びっくりしてる?」
「かなり」
「でも見てくれる」
「見てはいる」
「やさしい」
「そういう話じゃない」
音々はしばらく真顔で考えて、それから小さく頷いた。
「じゃあ、これからも言わない」
「今も言ってないけど」
「見えても、そのままにしとく」
「……それは、助かる」
「うん」
その“うん”が、いつもより少しだけ柔らかかった気がした。
たぶんこの子なりに、本気で言っているのだろう。
聞こえたもの全部を口にするわけではない。
見えたもの全部を暴くわけでもない。
それはきっと、このクラスの静かなルールと同じだ。
◇
放課後、帰る前の教室は少しだけざわついていた。
そのざわつきの中で、真白は今日一日の“見えてしまったもの”を思い返していた。
木乃葉の編集者通知。
絵麻の封筒とラフ。
ひかりのMVラフ。
音々のDAW。
立て続けだった。
たぶん前の自分なら、ここまで連続しても全部を“偶然”で処理していたかもしれない。
でも今は違う。
このクラスには、本当にそれぞれの外側がある。
書く。
描く。
作る。
歌う。
弾く。
それを、それぞれが教室の外でやっている。
そして教室の中では、それをあえて決定しない。
「……」
「一ノ瀬」
と、澪が声をかけてきた。
「何」
「今日ちょっと静か」
「……考えごとしてた」
「何を」
「見えても言わないのって、案外むずかしいなって」
「……」
澪は一瞬だけ黙って、それから少し笑った。
「でも、一ノ瀬たぶん向いてるよ」
「何に」
「それ」
「そう?」
「うん。見えても、そこで止まれるから」
「……」
「私、わりと助かってるし」
「……そっか」
それは少しだけ、嬉しかった。
見えても言わない。
それは逃げでもごまかしでもなく、たぶんこの教室では礼儀なのだ。
秘密を抱えたまま学校へ来る人たちがいる。
自分もその一人だ。
だから、他人の外側が見えても、そこへ土足で入らない。
最近の真白は、それを少しずつ覚え始めていた。
◇
帰り際、ひかりが教室のドアのところで言った。
「なんかさ」
「何」
と、さやか。
「最近の2年A組、“見えてるけど言わない大会”になってない?」
「だいぶ嫌な競技名」
と木乃葉。
「でも間違ってはない」
と絵麻。
「勝者とかあるの」
と澪。
「全員引き分けでしょ」
と真白が言う。
一瞬だけ、教室が静かになる。
そのあと、ひかりが笑った。
「今の、かなりいいこと言った」
「褒めてる?」
と真白。
「ちゃんと褒めてる」
「珍しい」
「ひどいなあ」
教室にまた笑いが落ちる。
真白も、少しだけ笑う。
うっかり見えた外の顔は、だいたい黙っておく。
それが礼儀。
それが平和。
それが、たぶん2年A組のやり方だ。
前よりは、そのルールの中で息をするのが楽になってきた気がした。




