第26話 歌姫、バスケ部主将に戻るのがうまい
朝倉澪は、学校だと強い。
真白は最近、その事実を前よりずっと具体的に理解するようになっていた。
前から目立つ人だとは思っていた。
バスケ部主将で、明るくて、動けて、クラスでもわりと自然に中心寄りへ立てる人。
そういう“学校で強い人”なのだと、ざっくりした認識では知っていた。
でも今の真白は、それをもっと細かく見てしまう。
声の出し方。
立ち位置。
誰かに指示を出すときの温度。
人の緊張をほどくタイミング。
自分が前へ出るべき瞬間と、一歩引くべき瞬間の判断。
そういうもの全部が、澪はやけにうまい。
そしてそのうまさは、MIOとして歌うときの“人前に立つ強さ”と、どこか同じ根っこを持っている気がする。
そのことに気づいてしまうと、学校での朝倉澪まで少し違って見えるのだった。
◇
その日は六時間目が体育だった。
女子は体育館でバスケ。
真白としては、嫌いではないが、輝く気もない教科である。
走れないわけではない。
ボールを扱えないわけでもない。
ただ、“目立たないくらいに普通”を維持したい人間にとって、体育は少しだけ難易度が高い。
そして体育館に入った瞬間、澪の空気が変わる。
「じゃあ、今日はチーム分けから」
教師が言う。
「朝倉、悪いけど見本と補助お願い」
「はい」
その返事が、まず違う。
教室で教師に返す「はい」より、半音くらい前へ出る。
でも強すぎない。
場を支える側の声だ。
真白は体操着の袖を軽く整えながら、内心で思う。
この人、本当に切り替えがうまい。
しかも、学校の中では学校の切り替え方をする。
歌手の顔を持ち込まない。
MIOの強さをそのまま見せるのではなく、ちゃんと“バスケ部主将・朝倉澪”として強い。
そこがすごい。
「一ノ瀬」
ひかりが小声で言う。
「何」
「今日の朝倉、また見惚れてる?」
「見惚れてはない」
「でも見てる」
「それは見るでしょ、あれだけわかりやすく主将の顔してたら」
「うわ、感想がガチ」
「違う」
「違わない顔してる」
「小鳥遊さんは本当に余計なところで目がいい」
「褒めてる?」
「それは半分くらい」
「進歩したね」
ひかりが楽しそうに笑う。
真白はそっとため息をついた。
このクラス、最近本当にこちらの感情の“温度差”に敏感すぎる。
◇
チーム分けが始まると、澪は補助に入った。
適当に人数を振るのではない。
運動の得手不得手を見て、だいたい均等になるように分けていく。
得意な子を偏らせない。
苦手な子が固まりすぎない。
しかも、そのやり方が露骨ではない。
「じゃあ、こっち三人移動して」
「はーい」
「木乃葉さん、こっちで大丈夫?」
「概念だけど頑張る」
「概念でもドリブルはしてください」
「要求が高い」
体育館に小さな笑いが起きる。
澪はこういうところがうまい。
ただ仕切るだけではなく、場を硬くしない。
苦手な子が気まずくならないように、言葉を少し軽くする。
真白はその様子を見ながら、ふと思う。
歌うときの澪も、少し似ている。
感情の中心は強いのに、相手を置いていかない。
ただ自分が気持ちよくなるための歌い方ではなく、ちゃんと“届く場所”を選ぶ歌い方をする。
それが、学校の中ではこんなふうに表れているのかもしれない。
「一ノ瀬さん」
絵麻が隣で言う。
「何」
「朝倉さん、かっこいいね」
「……そうだね」
「今の、わりと素直」
「否定するところでもないでしょ」
「うん。素直でいいと思う」
そこで絵麻がにこっとするので、真白は少しだけ視線を逸らした。
この子にこういう話題で素直に返すと、何かしら“描く人の目”で受け止められそうで落ち着かない。
いやもう、たぶんだいぶ受け止められているのだろうが。
◇
ミニゲームが始まる。
真白は無難に動く。
無難にパスを出し、無難に走り、無難に戻る。
目立ちすぎない。
だが完全にやる気がないようにも見せない。
この塩梅は意外と難しい。
その一方で、澪はやはり別格だった。
動きがきれいだ。
派手に無双するわけではない。
授業なのでそこまで本気を出しているわけでもない。
でも、見る人が見れば明らかに違う。
パスの出し方。
視線の動き。
抜き方の自然さ。
そして何より、“人を使う”のがうまい。
「今いいよ」
「そこ空いてる」
「うん、そのまま」
声を出すたび、周りの動きが少しずつ整っていく。
それはまるで、歌いながら空気を整えるMIOの別バージョンみたいだった。
真白は思う。
この人、本当にどこでも“場を持つ側”なんだな、と。
配信をしている自分も、たしかに場を回す。
でもそれは、自分の部屋で、自分のルールでできることだ。
澪みたいに、リアルな空間で、人を動かして、空気を変えて、しかも嫌味なくまとめるのは、また別の強さだと思う。
そこへボールが来た。
「あ」
真白は反応が少し遅れた。
「一ノ瀬、前!」
澪の声が飛ぶ。
反射で体が動く。
ボールを受ける。
そのまま少しだけドリブルして、近くの味方へパス。
「ナイス」
と澪が言った。
たったそれだけなのに、真白の脳が一瞬変な処理をした。
ナイス。
朝倉澪の声。
体育館。
教室の外じゃない。
学校の中。
でも何か少しだけ、“向こう側”の澪も混ざって聞こえる。
やめてほしい。
そういうところで急に心拍数を上げるのを。
「一ノ瀬さん」
ひかりが走りながら横を通り過ぎる。
「何」
「今ちょっと嬉しそうだった」
「気のせい」
「それにしては反応が速い」
走りながらよくそんな観察ができるな、この人は。
◇
ゲームが一区切りしたあと、壁際で休憩になる。
真白は息を整えながら、水筒の水を飲んだ。
そこへ、澪がごく自然な顔で近づいてくる。
「今の、よかった」
「……何が」
「さっきのパス」
「普通でしょ」
「普通にちゃんといいとこ出してた」
「……」
「何その顔」
真白は水筒を持ったまま、少しだけ黙る。
こういうのに慣れていない。
学校の中で、こういう“ちゃんとした褒め方”をされるのに。
「いや」
真白はようやく言う。
「朝倉さんって、こういうのも自然に言えるんだなって」
「こういうの?」
「人を褒めるの」
「え、言うでしょ」
「私はあんまり言えない」
「それは知ってる」
「知ってるんだ」
「だって一ノ瀬、教室だと“うん”と“そう”でだいたい済ませるじゃん」
「……」
「いや、悪口じゃなくて」
「わかってる」
「でも音の話になると、ちゃんと具体的に言うよね」
「……」
そこまで見られているのか。
真白は少しだけ視線を落とした。
たしかにそうかもしれない。
教室では省エネ。
でも音の話になると、言葉が具体になる。
それは自分でもたまに自覚がある。
「一ノ瀬は、そういう人なんだと思う」
と澪が言った。
「どういう」
「ちゃんと見てるけど、雑に言葉にしない人」
「……」
「だから、たまに言うと重みある」
「それ、褒めてる?」
「褒めてる」
今のは雑ではなかった。
ちゃんと褒めていた。
真白は少しだけ困る。
こういうところが、この人はずるい。
学校の中で、こういう真っすぐなことを自然に言える。
主将としての強さって、たぶんこういうところなのだ。
「……ありがとう」
と真白が返すと、
「うん」
と澪が笑った。
それだけで、会話は終わる。
でも、変に長引かないのも澪のうまさだった。
◇
その様子を、やはり何人かが見ていた。
「へえ」
ひかりがまた言う。
「何」
真白はもうだいぶこの“へえ”に敏感になっている。
「いや、体育館だとまたちょっと違うなって」
「何が」
「一ノ瀬さんが、朝倉に褒められてちょっと困ってる顔」
「……」
「そこまで見る?」
と澪。
「見るよー」
ひかりは笑う。
「だってわかりやすかったもん」
「わかりやすくない」
と真白。
「いや、今日はわりとわかりやすい方」
と木乃葉が壁にもたれたまま言う。
「木乃葉さん、体育のあとでそれだけ言えるの強い」
さやかが呆れる。
「今の私はだいぶ省エネで動いてるから」
「それはいつも」
「いつもよりさらに」
「概念じゃなくて?」
と絵麻。
「今日はちゃんと実体ある」
「基準が謎」
また小さな笑いが広がる。
真白は思う。
この教室は、やっぱり見ている。
そして、少し笑う。
でも、そこで止まる。
それがありがたい。
◇
授業が終わって更衣室から出たあと、真白は体育館の外で少しだけ立ち止まった。
部活前の澪が、後輩たちに囲まれて話している。
笑っていて、でも指示もしていて、場をちゃんと持っている。
それを少し離れたところから見て、真白は改めて思った。
澪は、学校でも強い。
ただ“目立つ”のではなく、人をまとめる形で強い。
安心させる形で強い。
自分が前に立つことで、周囲の空気を整えるタイプの強さだ。
真白には、それが少し眩しい。
配信なら、自分も強いと思える。
ピアノの前でもそうだ。
でも教室や体育館みたいな“その場の空気を持つ強さ”は、まだ圧倒的に澪の方が上だ。
だから少し尊敬するし、少し悔しい。
そしてたぶん、その両方があるから、最近の自分は澪を前よりちゃんと見てしまうのだろう。
「……見てるねえ」
と、真横から絵麻の声がした。
真白は少しだけ肩を揺らす。
「いたの」
「いたよ」
「最近みんな気配消すのうまくない?」
「一ノ瀬さんが見入ってただけでは?」
「……」
「今の、だいぶ図星っぽい顔」
「やめて」
「でもわかる」
絵麻は澪の方を見ながら言う。
「かっこいいよね」
「……うん」
「学校の中でちゃんとかっこいい人って、なんか強い」
「そうだね」
「一ノ瀬さんは?」
「何が」
「学校の外でちゃんとかっこいい人」
「何その対比」
「間違ってないでしょ?」
間違っていないのが困る。
真白は少しだけ目を伏せてから、観念したように言った。
「……朝倉さんは、学校で強い」
「うん」
「私はたぶん、学校の外の方が強い」
「うん」
「だから、ちょっと」
「ちょっと?」
「尊敬する」
「うわ」
「何その“うわ”」
「いや、素直だなって」
「今のはわりと頑張った」
「頑張ったんだ」
「頑張った」
絵麻はくすくす笑った。
真白も少しだけ笑う。
認めると、少しだけ楽だ。
澪は学校で強い。
それはたぶん、ちゃんと認めていいことだ。
◇
帰り道、真白はひとりで思う。
歌う澪は強い。
それは知っていた。
でも、学校の朝倉澪も、ちゃんと別の意味で強い。
どちらかが本物で、どちらかが仮の顔ではない。
どちらも本物で、どちらも違う強さだ。
そう考えると、自分も少しだけ気が楽になる。
教室で省エネなことは、別に弱さだけではないのかもしれない。
自分は自分の強い場所を持っている。
澪も澪で、自分の強い場所を複数持っている。
そういう人間たちが、同じ教室にいる。
「……やっぱり、変なクラス」
小さく呟く。
でも、その“変”は前より少しだけ好意的な意味になっていた。
教室の中の強さ。
教室の外の強さ。
それぞれ違うのに、同じ制服を着て同じ授業を受けている。
そういう景色は、思っていたより少しだけ面白い。




