第25話 配信者の夜は、案外さみしい
配信というものは、終わった瞬間に世界が急に静かになる。
開始前は準備がある。
機材の確認。
マイクの位置。
照明。
コメント欄の流れの予測。
話題の整理。
案件なら台本もあるし、歌枠なら喉の準備もいる。
始まってしまえば、今度はひたすら喋る。
拾う。
返す。
笑う。
歌う。
弾く。
コメント欄の熱に飲まれないようにしながら、でもちゃんとその熱を受け止める。
それだけ濃い時間が流れていたのに、終了ボタンを押した途端、部屋には自分しかいなくなる。
真白は、その瞬間が嫌いではない。
でも、好きかと言われると少し違う。
「……おつかれ、私」
誰もいない配信部屋でそう呟き、椅子の背にもたれた。
今夜の配信は、案件ではなく雑談寄りの弾き語り枠だった。
テーマはゆるく“冬の夜に合う曲とどうでもいい話”。
どうでもいい話と言いながら、視聴者のコメントが面白くて、結局一時間以上しゃべってしまった。
同時接続は今日も強い。
切り抜き師たちはたぶんすでに働いている。
SNSのタグも配信後感想で流れているはずだ。
数字だけ見れば、真昼ましろの夜はいつも賑やかだ。
でもその賑やかさは、配信終了と同時に画面の向こうへ帰っていく。
残るのは、機材の熱と、自分の呼吸音と、少しだけ乾いた喉。
「……静かだなあ」
真白はマイクを軽くオフにし、ヘッドホンを外した。
すると、本当に静かになる。
さっきまであれだけコメントが流れ、自分もあれだけ喋っていたのに、今はエアコンの音がやけに目立つ。
これがいつものことだった。
真白は人気VTuberだ。
登録者は多い。
案件も来る。
外部仕事も増えている。
紅白のあと、それはさらに加速した。
でもどれだけ人に見られても、どれだけ数字が大きくなっても、配信後に部屋へ残るのは自分ひとりだ。
その静けさに慣れていないわけではない。
むしろかなり慣れている。
ただ、たまにだけ、少し胸の奥が冷える。
「……お腹すいた」
しんみりした感傷を、自分で台無しにするように呟く。
感情の処理より先に、現実の胃袋が要求を出してきた。
とても人間らしい。
いや、配信者も人間なのだが。
真白は立ち上がり、部屋の外へ出てキッチンへ向かった。
冷蔵庫を開ける。
中には作り置きのおかずと、昨日のスープと、飲むヨーグルト、あと賞味期限が明日までのプリンがある。
「……プリンは、今じゃないな」
夜の十二時過ぎに“ご褒美だから”でプリンを食べ始めると、人は案外簡単に堕落する。
真白はそこそこ理性のある人間なので、そういうところだけは気をつけている。
スープを温める。
電子レンジの音が、やけに生活感を連れてくる。
配信前まで自分は、何千何万という人の前にいたはずだ。
なのに今や、レンジの前で「あと何秒だっけ」と考えている。
落差がひどい。
でも、その落差も含めて自分の生活だ。
◇
スープを持って部屋へ戻ると、スマホの通知がいくつか増えていた。
マネージャーからの連絡。
事務所のグループ連絡。
切り抜きの共有。
SNSタグの伸び。
そして学校の連絡アプリに来ていた、クラス宛てのどうでもいいお知らせ。
真白はソファに座り、スープを飲みながらその通知を流し見した。
案件の確認。
配信の反応。
次回スケジュール。
そこまではいつも通りだ。
問題は、そのあとだった。
学校の連絡アプリに表示されたのは、さやかが共有した「来週の提出物一覧まとめ」だったのである。
「……偉いなあ」
ぽつりと漏れる。
委員長は本当に偉い。
こういう細かいことを、ちゃんと全員に見える形にしてくれる。
前の真白なら、それを“便利”として受け取るだけだっただろう。
でも今は少し違う。
共有された提出物一覧の下に、ひかりがスタンプを押している。
木乃葉が「助かる」と一言だけ返している。
絵麻が寝ぼけたみたいな猫のスタンプを送っている。
音々は既読だけつけて何も言わない。
澪は短く「ありがとう」と返していた。
たったそれだけの連絡欄なのに、それぞれの人柄が少しだけ見える。
「……何か、変だな」
前なら学校の連絡なんて、ただの学校の連絡だった。
今はそこに、それぞれの顔がついて見える。
木乃葉は今日も締切っぽかった。
絵麻はまた人の空気を描いていた。
ひかりは文化祭ポスターの見せ方で無双していた。
音々は音楽の授業で教師を軽く黙らせた。
澪は自然な会話チャレンジをして、普通に見えてやっぱり少しだけ気を遣っていた。
学校の連絡欄なのに、頭の中ではそういうものまで一緒に浮かんでくる。
真白はスープをもう一口飲んだ。
温かい。
ちょうどいい。
熱すぎもしないし、冷たくもない。
こういう“ちょうどよさ”は、案外生活の中で大事だ。
「……前より、嫌じゃないかも」
言ってから、自分で少しだけ驚いた。
学校へ戻ること。
教室に座ること。
それが、以前よりほんの少しだけ嫌ではなくなっている。
もちろん、今でも学校では省エネだ。
大声では喋らないし、目立ちたいとも思わない。
VTuberだとバレたくないし、できれば静かに卒業したい。
その前提は変わらない。
でも、それでも。
朝、教室へ行けば誰かがいて、どうでもいい会話があって、少しだけ笑うこともある。
しかもそこにいる何人かは、自分と同じように教室の外にも別の顔を持っているかもしれない。
そう思えるだけで、学校は前より少しだけ息がしやすい場所になっていた。
◇
スマホがまた震える。
今度はひかりからだった。
『今日の配信、最後の弾き語りよかった』
「……え」
真白は思わず声を漏らした。
ひかりが見ているのか。
いや、見ていてもおかしくはない。
ネット文化に強そうだし、真昼ましろを知っていても自然だ。
自然だが。
学校のクラスメイトから、配信の感想が直接来る
という事態に、真白の脳がまだ慣れていない。
しかも続けて、もう一件。
『あ、これ直接送るとまずかった?』
慌てている。
軽いノリのくせに、ちゃんとそこを気にするのか。
真白はしばらく悩んだ末、短く返した。
『大丈夫』
すると、すぐに追撃が来る。
『よかった。学校では言わないから安心して』
その一文を見て、真白は少しだけ肩の力を抜いた。
軽い。
でも、ちゃんとしている。
見えていても、学校の中へそのままは持ち込まない。
そのルールを、ひかりも自然にわかっているのだろう。
さらに、その直後、別の通知。
朝倉澪:『今日の最後の曲、珍しくまっすぐだったね』
「……」
何だろう。
今日は通知の刺さり方が、全体的にちょっと深い。
ひかりは軽く褒めてくる。
澪は少しだけ本質に近い言い方をしてくる。
真白はスマホを見つめながら、少し考える。
珍しくまっすぐ。
それは、たしかにそうだったかもしれない。
最近の自分は、以前より少しだけ、教室や人のことを考えながら歌う瞬間が増えている。
配信だけが全部ではなくなってきた。
学校だけを完全に切り離せなくなってきた。
それが歌にも少し出ているのだとしたら――
「……いや、嫌すぎる」
自分でわかるのはまだしも、人に気づかれるのは普通に恥ずかしい。
真白は返信欄を開き、しばらく悩んだあと、結局こう返した。
『そういう感想だけ妙に具体的なのやめて』
数秒後、澪から返事が来る。
『褒めてる』
雑だ。
「便利だなあ……」
思わず呟いてしまう。
でも、少しだけ笑った。
◇
翌日の学校。
真白はいつも通りの顔で教室へ入った。
そのつもりだった。
なのに、席に向かう途中でひかりが小さく言った。
「昨日の感想、届いた?」
「……」
「届いてる顔だ」
「何でそういう言い方するの」
「いや、ちゃんと“学校では持ち込まない”は守るよ?」
「……」
「でも反応はちょっと面白い」
「小鳥遊さん、時々本当に性格が悪い」
「褒めてる?」
「違う」
そこで、澪が横からさらっと言う。
「でも本当に、昨日の最後よかったよ」
「……」
やめてくれ。
朝の教室で、その話をするな。
いや、大声ではない。
周囲に聞こえるほどでもない。
しかも内容もごく普通の感想だ。
でも、自分にとってはだいぶ心拍数が上がる。
「一ノ瀬さん?」
絵麻が不思議そうに首を傾げた。
「今日ちょっと固い」
「……何でもない」
「その顔は何でもない顔じゃない」
とさやか。
「朝から情報量が多い?」
と木乃葉。
「便利な表現使うね」
と音々。
囲まれている。
言葉で。
空気で。
視線で。
この教室、やっぱり静かなのに圧がある。
「……朝から元気だね、みんな」
真白がようやく言うと、
「一ノ瀬さんも、最近はちょっとだけね」
と、ひかりが笑った。
その言葉に、真白は返事をしなかった。
でも、心の中では少しだけ認めていた。
配信者の夜は、案外さみしい。
それは本当だ。
配信が終われば、部屋には自分しかいない。
でも、朝になれば教室がある。
そこには少しうるさくて、少し変で、でもやっぱりどこか優しい人たちがいる。
それは、思っていたよりずっと大きい。
人気VTuberとしての夜と、無口な優等生としての朝。
その落差は、今も大きいままだ。
でも以前より、その二つの間を行き来するのが少しだけ楽になってきた。
それはきっと、2年A組という教室が、真白の思っていたよりずっと“秘密にやさしい場所”だからなのだろう。




