第22話 小鳥遊ひかりは、空気をデザインしている
小鳥遊ひかりは、たぶん、明るい。
それはもう誰がどう見てもそうだ。
話しかけやすい。
笑うのがうまい。
距離の詰め方が軽やかで、でも踏み込みすぎない。
教室の中で会話の流れが止まりそうになると、妙に自然に次の話題を差し込める。
だから最初は、そういう“コミュ力の高い子”なのだと思っていた。
でも最近の真白は、そういう見方をあまり簡単にはしなくなっている。
朝倉澪がMIOだった。
木乃葉はどう見ても書く側だ。
絵麻はほぼ描く側確定。
音々は耳が人間を少しやめている。
だったら、ひかりだけが“ただ明るいだけ”という方が、むしろ不自然ではないか。
そんなことを思っていた矢先、その日は一時間目の前から、ひかりがやたら元気だった。
「聞いてください皆さん」
と、ひかりが教室の中央あたりで言った。
「何」
とさやか。
「言い方が司会」
と木乃葉。
「お昼の通販番組みたい」
と絵麻。
だいたいの第一声が雑である。
ひかりはまったく気にせず、一枚の紙をひらっと掲げた。
「文化祭準備委員から、今年の校内ポスター案募集のお知らせでーす!」
「ああ、もうそんな時期」
とさやかが反応する。
「早くない?」
と真白。
「早いけど、学校ってこういうの早いよね」
と澪。
「文化祭って準備してる時期が一番長い」
木乃葉がぼそっと言う。
「本番二日なのに?」
絵麻が首を傾げる。
「だいたいそう」
「なんか切ない」
「学校行事ってそういうもの」
とさやか。
真白はその会話を聞きながら、ひかりの手元の紙を見た。
A4の募集要項。
部門ごとの注意。
データ提出形式。
テーマカラーの指定。
締切。
そこで、ひかりがさらっと言う。
「でもこれ、ちょっと惜しいんだよね」
「何が?」
と絵麻。
「レイアウト」
「どこが」
「情報の置き方。見て、最初にタイトルより締切が目に入るじゃん」
「……ほんとだ」
と真白。
「でしょ? たぶん“急いでる感”を出したかったんだろうけど、これだとポスターとしてはちょっともったいない」
「そんな一瞬でわかるの」
さやかが言う。
「うん、なんとなく」
ひかりは笑った。
その“なんとなく”が、真白にはもう信用できなかった。
この子の“なんとなく”は、絶対に“なんとなく”ではない。
色、文字、余白、視線誘導。
そういうのを見慣れている人間の反応だ。
「じゃあ小鳥遊さん描けば?」
と澪が軽く言う。
「いやー、私は裏方だから」
「その言い方もう怪しい」
と真白が思わず言ってしまった。
ひかりがぱちっと目を瞬く。
「え、今の一ノ瀬さん?」
「……今のはその、普通に怪しいと思った」
「おお」
ひかりは妙に嬉しそうに笑った。
「最近ほんと、ツッコミの初速上がったね」
「そこを成長判定されるのなんか嫌だ」
「でも事実」
と澪。
「いや、朝倉さんはそっち側につくんだ」
「つくよ」
「自然な会話のために」
「その大義名分まだ使う?」
「便利だから」
「便利ワードの侵食が早い」
教室が少し笑う。
真白も少しだけ口元を緩める。
前ならこういうやりとりの中心にはいなかった。
でも今は、たまに一言くらいなら入っていける。
それ自体は悪くない。
ただ、そのせいで周囲の“見てる人たち”に観察される頻度も上がっている気がするが。
◇
二時間目の休み時間、ひかりは本気でポスター案の話を始めた。
始めたというか、勝手に教室の隅のホワイトボードを使って構図案を説明し始めたのである。
「ほら、まず中央に大きめのモチーフを置くでしょ」
「おお」
と絵麻。
「で、その周りに情報を散らすんじゃなくて、読む順番を作るの」
「読む順番?」
さやかが聞く。
「そう。人って、見た瞬間に全部読んでるようで、実際は順番に追ってるから」
「へえ」
「最初にメイン。次に日付。そのあと募集要項」
「なんか普通にプロっぽいな」
澪が言う。
真白もそう思う。
しかもひかりは、説明の仕方がうまい。
専門用語で押さず、クラスメイトでもわかる言葉に落としている。
つまり、わかっている人が、わからない人に説明するやり方を知っている。
「色もさ」
ひかりは板書用のペンを持ち替えながら言う。
「かわいいだけじゃだめなんだよね。かわいい色って埋もれるから」
「その発言、絵描きの思想じゃない?」
木乃葉が机に突っ伏したまま言う。
「絵描きというか、見る側?」
ひかりは肩をすくめる。
「見る側ってレベルではないでしょ」
真白が言うと、
「一ノ瀬さん、今日ほんとによく刺すね」
ひかりが笑った。
「最近そういう方向に育ってる」
「何その言い方」
「面白いから好き」
軽い。
軽いが、逃がし方がうまい。
真白は少しだけ目を細めた。
こういうところが、本当にただの陽キャっぽくない。
場を軽くしながら、本筋はきちんと進める。
説明すべきことはちゃんと説明し、重くなりそうな空気は一段軽くしてしまう。
これ、たぶん“空気をデザインする”側の人間だ。
「小鳥遊さん」
絵麻が素直に言う。
「うまいね」
「何が?」
「見せ方」
「……」
そこで、ひかりがほんの一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬だけ。
でも真白は見逃さなかった。
「まあ、好きだから」
ひかりはすぐに笑って言った。
「MVとか表紙とか広告とか、そういうの見るの好きだし」
「見るだけ?」
と真白。
「うわ、今日の一ノ瀬さん鋭いな」
「見てるだけの人のコメントではない気がした」
「……」
「何その沈黙」
と澪。
「便利だから?」
と木乃葉。
「それ万能では?」
とさやか。
ひかりは笑ってごまかそうとしたが、少しだけ照れたのか、耳がほんのり赤い。
これは、だいぶ黒に近い。
いや黒という言い方は変だが、
“何かしらデザインやビジュアルの仕事をしている側”
である可能性はかなり高い。
◇
昼休み、真白は珍しく自分からひかりの席の近くへ行った。
別に尋問したいわけではない。
でも、今のやりとりが少し気になったのだ。
「何?」
ひかりが顔を上げる。
「いや」
真白は少し迷ってから言う。
「さっきの、普通にすごいなって」
「お」
「何その反応」
「いや、一ノ瀬さんからそういう方向で話しかけられるの珍しい」
「……そうかも」
「で、どこが?」
「どこが、って」
「褒めるなら具体がほしい派です」
めんどくさいタイプだ。
でもその感じが少し可笑しくて、真白は考えながら言葉を選ぶ。
「説明がうまい」
「うん」
「わかってる人の言い方だった」
「うん」
「あと、配置とか色とか、見た瞬間に言語化できるのは、たぶん見慣れてる人」
「……」
「つまり、やってる側」
「……うわあ」
ひかりは机に頬をつけるみたいにしながら、笑った。
「最近ほんと、一ノ瀬さんがこっち側に来てる」
「こっち側?」
「“見えてるのに言わない”側」
「……」
その言い方は、妙にしっくり来た。
見えてるのに言わない側。
たしかに、今の真白はそうなりつつある。
木乃葉が書く人だと気づいている。
絵麻が描く人だと気づいている。
ひかりも何かしらのビジュアルを作る側だと、かなり濃厚に感じている。
でも、確定はしない。
本人が言わない限り、そこで止める。
それがこの教室の暗黙のルールだ。
「……そうかも」
真白が言うと、
「私はね」
とひかりが少しだけ声を落とした。
「うん」
「見えても、本人が出したくないなら出さない方がいいと思ってる」
「……」
「だって、その方が平和だから」
「うん」
「それに、私だっていろいろあるし」
「……」
その“いろいろ”が、もう答えに近い。
でも真白は頷くだけにした。
「やっぱりあるんだ」
「何が?」
「いろいろ」
「あるよー、みんないろいろあるでしょ」
「逃がし方うまいね」
「でしょ?」
「そこは自信あるんだ」
「自信ある。空気の抜き方は得意」
さらっと言う。
空気の抜き方。
それはたぶん、ひかりの本質に近い。
人の視線を集めるより、うまく流す。
重くなりそうな場面に余白を作る。
目立ちすぎないけれど、全体の印象をちゃんと整える。
その感じは、裏方側の人間だ。
舞台の中央ではなく、でも作品の見え方を左右する側。
「……絵師っぽい」
真白がぽつりと言うと、
「え」
ひかりが止まった。
「いや、感覚が」
「……」
「かなり」
「……」
ひかりは数秒黙って、それから小さく笑った。
「一ノ瀬さん」
「何」
「それ、だいぶ正解寄り」
「やっぱり」
「でも、今はここまで」
「うん」
「それ以上聞かない?」
「聞かない」
「やさし」
「そういうクラスだから」
「……」
今度は、ひかりの方が少しだけ目を細めた。
「ほんと、変わったね」
「何が」
「前の一ノ瀬さんなら、そこまで見えてもたぶん口にしなかった」
「……」
「今はちゃんと、“わかる”って言う」
「それが悪い?」
「ううん。むしろ、ちょっと好き」
その言い方が軽いのに、少しだけ本音っぽかった。
真白は少しだけ視線を落とす。
こういうとき、どう返すのが正解かわからない。
でも最近、この教室では“わからないまま短く返す”ことが、前ほど怖くない。
「……ありがと」
と言うと、
「うわ、素直だ」
とひかりが笑った。
「今のはメモった方がいいかも」
「やめて」
「絵麻に共有しようかな」
「それはだめ」
「反応が早い」
「桃園さんに渡したら絶対何か描く」
「わかってるじゃん」
「最近だいぶ」
そう返すと、ひかりが楽しそうに笑う。
こういう軽さは、たぶん、この子なりの優しさだ。
◇
放課後、文化祭ポスターの仮案を学級委員会へ出すため、ひかりが簡単なレイアウトを描いてみせた。
それを見た瞬間、さやかが真顔になった。
「……え、普通に採用レベルでは?」
「そんなことないよ」
「いや、ある」
と真白。
「見せ方がうますぎる」
「朝倉もそう思う?」
とひかり。
「思う」
澪が頷く。
「一目で読めるし、ちゃんと印象残る」
「うわ、評価が具体的」
「そこまで言われると照れる」
「照れるんだ」
絵麻が楽しそうに言う。
「ひかりちゃん、表情の作り方うまいもんね」
「その言い方、絵麻もだいぶ人のこと見てるよ」
「見てるよ」
「即答だ」
また教室が笑う。
真白はその光景を見ながら、少しだけ思う。
小鳥遊ひかりもやっぱり、作る側だ。
目立つためではなく、見せるための人。
教室の中では軽く笑っているけれど、たぶん外ではかなり細かいところまで気を配っている。
そして、そのことを本人が言わなくても、ここでは無理に暴かれない。
「……うちのクラス、ほんとに何なんだろう」
真白が小さく呟くと、
「才能の無駄遣い教室?」
と木乃葉。
「言い方」
とさやか。
「でも半分合ってる」
と澪。
「半分なんだ」
と真白。
「もう半分は?」
と絵麻。
「隠し事の密集地帯」
とひかりが笑った。
それは本当にそうだ。
そして最近の真白は、その密集地帯の中にいることが、少しだけ面白くなってきていた。




