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『学校では誰にも知られずに卒業したい 〜うちのクラス、隠し事が多すぎる〜』  作者: 御上常陸介寛浩


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第21話 桃園絵麻、恋愛空気を見つけると筆が乗る

 桃園絵麻は、たぶん、空気を目で見ている。


 真白は前から何となくそう思っていた。

 人の表情が少し変わる瞬間。

 会話の終わりに残る、言葉にならない余韻。

 距離が縮まる前の、半歩ぶんの迷い。

 そういうものを、絵麻は妙に自然に拾う。


 たぶんあの子の中では、それが普通なのだろう。

 だが見ている側からすると、普通ではない。


 そして今日、その“普通ではなさ”は朝からだいぶ全開だった。


「……」


 真白が教室に入ると、絵麻がじっとこちらを見ていた。


 じっと、と言っても圧のある見方ではない。

 ふわっと。

 でも確実に、こっちを見ている。


「……何」

 真白が聞くと、

「今日ちょっといい」

 と絵麻が言った。


 よくない。

 その言い方はだいぶよくない。


「何が」

「雰囲気」

「それ説明として何もわからない」

「今日、なんか少しだけ柔らかい」

「またそれ」

「でもほんとだよ」

「朝から空気の品評会しないで」


 絵麻はくすっと笑った。


 この子は本当に、朝から人の空気を見ている。

 そして、そこに価値を感じている。

 だいぶ作る側の目線だ。


 真白が自席へ向かうと、斜め前に座っていた澪がちらりとこちらを見た。


「おはよう」

「……おはよう」


 短い。

 自然。

 たぶん昨日よりさらに自然。


 いや、自然にしようと思ってる時点で、まだ完全な自然ではないのだろうが、少なくとも以前ほど“イベント発生感”は薄い。

 それだけで真白は少しだけ安堵した。


 だが、その安堵を真っ先に拾ったのが絵麻だった。


「うん」

 と絵麻が小さく頷く。

「何その“うん”」

 真白が振り向く。

「今日もいい感じ」

「だから何が」

「会話の角」

「会話に角とかある?」

「あるよ」

「あるんだ」

「今日はちょっと丸い」

「わからない」

「私にはわかる」

「怖いなあ……」


 そのやりとりに、ひかりが横から割り込んできた。


「また始まった、桃園さんの空気講座」

「講座ではないよ」

 と絵麻。

「感想」

「それが一番怖いんだよね」

 ひかりが笑う。

「本人に向かって“今日の空気いいね”って、だいぶ観察者側の台詞だから」


 ほんとにそうだ。


 真白は思う。

 このクラス、観察者が多すぎる。

 自分と澪は普通に生活したいだけなのに、周囲の感受性が地味に高いせいで、少しの変化もふわっと拾われる。


 でも、その“拾い方”が無遠慮ではないのが、まだ救いだった。


     ◇


 一時間目が始まる前、絵麻はノートの端に何かを描いていた。


 それ自体はいつものことだ。

 いつものことなのだが、今日は筆の――いや、シャーペンの走りが妙に速い。


 真白は何となく気になって、プリントを整えるふりをしながら少しだけ視線を流した。


 見えたのは、二人分の後ろ姿のラフだった。


 完全に自分と澪だ、と断定できるほどではない。

 でも、席の位置関係と髪型と立ち方が、あまりにもそれっぽい。


「……」

 真白の手が一瞬止まる。


 何を描いているんだ、この子は。


 絵麻はそこで、はっとしたようにノートを閉じた。


 遅い。

 隠すのが遅い。


「見た?」

 と絵麻が小声で聞く。

「……見てない」

 と真白。

「今の顔、見た顔だった」

「桃園さんがわかりやすすぎる」

「ごめん」

「謝るなら描かないで」

「でも今ちょっと良かったから」

「何が」

「距離感」

「距離感を描くな」


 その会話の途中で、木乃葉が机に頬をつけたままぼそっと言った。


「桃園さん、また始まったんだ」

「何が」

 と真白。

「空気が動くと描きたくなる病」

「病名みたいに言わないで」

 と絵麻が言う。

「でも近いよ」

「本人も認めるんだ」

 ひかりが笑う。

「それ、だいぶ作家か漫画家の症状では?」

「“か”じゃないのがポイントだね」

 と木乃葉。

「……」

「何その沈黙」

 とさやか。

「いや、もうこのクラス、言葉の選び方がいちいち意味深なんだよなって」


 ほんとうにそうである。


 真白は机に視線を戻しながら、内心で小さく息を吐いた。


 絵麻はやっぱり、かなりの確率で描く側だ。

 しかも単に絵が上手いだけではない。

 人と人の間に漂う“まだ名前のついていない空気”に価値を見出している。


 それは漫画家っぽい。

 かなり、漫画家っぽい。


     ◇


 二時間目の休み時間、事件はさらに明確な形で起きた。


 絵麻の机の上から、薄い紙の束が一枚、ひらりと落ちたのである。


「落ちたよ」

 とさやかが拾おうとして、

「あ、ごめ――」

 絵麻が珍しく焦った。


 だが、一歩遅い。


 紙はすでにさやかの手にあり、その一番上には、ペン入れ前のキャララフらしき絵が描かれていた。

 制服姿の少女。

 表情差分。

 細かいメモ。

 吹き出し位置の指定。


 空気が一瞬だけ止まる。


「……え」

 と、さやか。

「うま」

 と、ひかり。

「すご」

 と、木乃葉。

「……」

 真白は黙った。


 いやもう、これはだいぶ言い逃れがきかないのではないか。


 絵麻は紙を受け取りながら、少しだけ困ったように笑った。


「落ちちゃった」

「いや、そういう問題じゃなくて」

 さやかが珍しく委員長モードを忘れて素で言う。

「何これ、商業誌?」

「ち、違うよ」

「違わない絵の密度なんだけど」

 ひかりが覗き込む。

「ネーム前のキャラ設定っぽくない?」

「……」

 絵麻が黙る。

「黙ると答えっぽいんだよなあ」

 と木乃葉。


 真白は思う。


 このクラス、本当にみんな察しがいい。

 でもそれ以上に、絵麻が隠し事に向いていない。


 ふわっとしている人は、たぶん、焦ったときの取り繕いもふわっとしてしまうのだ。


「……趣味?」

 とさやかが一応聞く。

「うん、まあ」

 と絵麻。

「その“まあ”もだいぶ怪しい」

「さやかちゃん今日つよい」

 ひかりが楽しそうに言う。

「いやだって、これ普通にすごいし」

「うん、すごい」

 真白も素直に言った。


 その一言に、絵麻が少しだけ目を丸くする。


「……ほんと?」

「ほんと」

「ありがとう」

「でもこれはだいぶ、“絵が上手い”の範囲を超えてる気はする」

「……」

「今の沈黙、答えだよね」

 ひかりがにやっとする。


 絵麻は耳まで少し赤くして、紙束を鞄の中へしまった。


「……見なかったことにして」

「それは、まあ」

 とさやか。

「するけど」

「でも今日から“桃園さん、何か描いてる人説”はかなり濃厚」

 ひかりが笑う。

「濃厚どころか、かなり本命」

 木乃葉がぼそっと言う。


 真白はそこで、ふと気づく。


 今の空気、嫌ではない。


 もしこれがもっとギスギスしたクラスだったら、絵麻はたぶん今ごろ本気で困っていた。

 でも2年A組では、みんな驚きはしても、無理やり暴こうとはしない。

 “見なかったことにして”と言われたら、一応そこへ戻れる。


 そのゆるさが、この教室のたぶん良いところだ。


     ◇


 昼休み、絵麻は少しだけしょんぼりしていた。


 いや、しょんぼりというほどではない。

 絵麻は元々ふわっとしているので、落ち込んでいるときも“しょんぼり三割増し”くらいにしか見えない。


 真白は弁当を食べ終わってから、少しだけ絵麻の方へ寄った。


「……大丈夫?」

「うん」

 絵麻は頷く。

「ちょっと恥ずかしかっただけ」

「それは、まあ」

「気をつけてたんだけど」

「落ちたね」

「落ちた」

「きれいに」

「きれいに落ちた」


 そこで二人とも少しだけ笑ってしまう。


「でも」

 と絵麻が小さく言う。

「嫌じゃなかった」

「え」

「見られたの」

「……」

「いや、びっくりはしたけど」

「うん」

「でも、このクラスなら大丈夫かなって、ちょっと思った」


 その感覚は、真白にもわかる。


 自分も最近、少しだけ同じことを思うからだ。

 全部を明かしたいわけではない。

 けれど、もし少し何かが漏れても、このクラスなら必要以上に壊れないかもしれない、と。


「一ノ瀬さんも、そういうのある?」

 と絵麻が聞く。

「……」

「言わなくていいんだけど」

「……少しだけ」

「そっか」


 それだけで、絵麻はそれ以上何も聞かなかった。


 その距離感がありがたい。


「桃園さんって」

 真白は少し迷ってから言う。

「うん」

「恋愛っぽい空気、好きだよね」

「……」

「何その間」

「バレてた?」

「前から」

「えー」

「ノートに描くじゃん」

「描く」

「本人認めるんだ」

「だって描くの好きだし」

「どうして」

「人と人の間が、一番顔に出るから」

「……」

「怒ってる顔とか、泣いてる顔も好きだけど」

「好きなんだ」

「好き」

「でも、言葉にしてないのにちょっとだけ揺れてる顔が、一番好き」

「……漫画家っぽい」

「えっ」


 絵麻が本気で目を丸くする。

 その反応は、もうほぼ答えだろう。


「ち、違うよ?」

「その否定、弱い」

「違うって」

「でもかなり近いでしょ」

「……」

「今のも答えでは」

「一ノ瀬さん、最近ちょっと鋭い」

「みんなに言われる」


 真白は少しだけ肩をすくめる。


 前ならここまで言わなかった。

 でも今は、見えてしまったものに対して、少しだけ冗談めかして触れることができる。


 それはきっと、この教室が“秘密を抱えた人間たちの教室”だとわかってきたからだ。


     ◇


 午後の授業のあと、澪が教室の後ろで絵麻に話しかけているのが見えた。


「さっきの、大丈夫だった?」

「うん、ありがとう」

「ならいいけど」

「朝倉さん、優しいね」

「普通」

「普通って便利だね」

「何その言い方」


 そこで、絵麻がふと視線を横へ流した。

 その先には真白がいる。


 そして絵麻は、なぜかちょっと嬉しそうな顔をした。


 嫌な予感がする。


「何」

 真白が聞く。

「いや」

 絵麻はにこっとした。

「やっぱり最近、二人ちょっと描きやすいなって」

「描きやすい、って何」

 と澪。

「空気」

 と絵麻。

「抽象度高い」

「前はもっと壁だったけど」

「また壁」

 と真白。

「今は扉くらい」

 と絵麻。

「ひかりと同じこと言ってる」

「見えてるものが同じなのかも」

「それはちょっと怖い」

 と澪が本音っぽく言った。


 真白も本気でそう思う。


 このクラス、感覚が鋭い人が多すぎる。

 しかもジャンルが違う方向から同じものを拾ってくる。

 絵麻は空気を描き、ひかりは空気を言語化し、音々は空気を音で感じる。


 逃げ場が少ない。


 でも、だからこそ少しだけ面白いとも思ってしまう。


「桃園さん」

 と真白が言う。

「何?」

「描くのはいいけど、表に出さないで」

「それはもちろん」

「即答だ」

 と澪。

「だって、見えるものと出していいものは違うから」

 絵麻はふわっと笑う。

「そこはちゃんと分けるよ」

「……」

「何その顔」

 と絵麻。

「いや」

 真白は少しだけ目を伏せた。

「ちゃんとしてるなって」

「そこはね」

「そこは、なんだ」

「作る側だから」


 その一言が、やけにまっすぐ入ってきた。


 絵麻はやっぱり作る側だ。

 しかも、かなり本気で。

 見えるから描く。

 でも、見えたものを全部さらけ出すわけではない。

 そこにちゃんと線を引いている。


 その感じが、真白は少し好きだった。


     ◇


 放課後、帰り支度をしながら、真白は今日一日を振り返っていた。


 絵麻はやっぱり、ただの絵が上手い子ではない。

 人の空気を見ている。

 しかも、恋愛っぽい揺れや言葉にならない気配に特に反応する。

 そのうえ絵の密度も、ラフの構成も、どう考えても趣味の範囲を超えている。


 たぶんこの子は、本当に描いている。

 商業かどうかまではまだ本人が言わない。

 でも、そういう次元の線ではある。


 そして、その事実をうっすら感じているのは自分だけではない。

 木乃葉も、ひかりも、たぶん澪も、少しずつ察している。


 でも誰も決定しない。

 そこが、このクラスの優しさだ。


「……やっぱり、うちのクラス変」


 小さく呟く。


「今さら」

 と、後ろから木乃葉。

「いたの」

「いた」

「最近みんな気配薄くない?」

「一ノ瀬もそうだったでしょ」

「それを言われると何も言えない」


 木乃葉は相変わらず眠そうだったが、朝よりは少しマシな顔をしている。


「桃園さん」

 木乃葉がぼそっと言う。

「何」

 絵麻が振り向く。

「恋愛空気見つけると筆圧上がるの、ちょっと面白い」

「やめて」

「自覚あるんだ」

 真白が言う。

「あるよ」

 絵麻は少しだけ照れたように笑う。

「だって、そういうの見つけると描きたくなるし」

「病気だね」

 ひかりが言う。

「病気ではないよ」

「職業病では?」

 さやかが真顔で言う。

「それは……そうかも」

「認めた」

 澪が笑う。


 教室にまた小さな笑いが広がる。


 真白も少しだけ笑った。


 秘密はまだ秘密のままだ。

 でも、その輪郭をうっすら感じながら、こうして同じ教室で笑える。


 それは、思っていたよりずっと悪くない。


 そして、桃園絵麻はたぶんこれからも、人の恋愛空気を見つけるたびに、ノートの端へ何かを描くだろう。


 できれば自分たちをモデルにするのは、ほどほどにしてほしいけれど。

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