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『学校では誰にも知られずに卒業したい 〜うちのクラス、隠し事が多すぎる〜』  作者: 御上常陸介寛浩


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第15話 秘密持ちだらけの教室で、少しだけ笑えるようになった

 変わるときというのは、たいてい自分ではよくわからない。


 たとえば真白は、今朝もいつも通りの時間に起きて、いつも通り制服を着て、いつも通り家を出た。

 鏡の中にいたのも、相変わらず学校用の一ノ瀬真白だった。

 無口で、少し近寄りがたくて、できるだけ目立ちたくない優等生。


 何も変わっていない。

 そう思っていた。


 けれど、教室のドアを開けた瞬間、ひかりが言った。


「お、今日はちょっと柔らかい」

「何が」

「顔」

「そんな毎日観察されてるの?」

「されてるね」

「怖い」


 真白はそう返しながら、自分の席へ向かった。


 前なら、この手のやりとりはもっと短く切っていた気がする。

 「そう」「別に」「気のせい」で終わらせていた。

 でも今は、少なくとも一往復くらいなら返せる。


 それが成長なのか、単に周りのペースに巻き込まれただけなのかは、まだよくわからない。


「一ノ瀬さん、おはよう」

 絵麻がふわっと笑う。

「……おはよう」

「今日、髪ちょっとまとまってる」

「湿気が少ないからかも」

「そういう理由なんだ」

「他に何があるの」

「気分とか?」

「それはない」

「即答だ」


 絵麻がくすっと笑う。


 こういう会話も、前なら少し面倒だった。

 でも今は、面倒だけではない。

 少しだけ、楽しい、に近いものが混じる。


 いや、楽しいと認めるのはまだ早い。

 調子に乗るとあとで反動が来る。

 真白は人生経験からそれを知っていた。


 席に座ると、後ろから木乃葉の声が落ちてきた。


「一ノ瀬」

「何」

「今日ちょっとだけ人間っぽい」

「失礼では?」

「褒めてる」

「最近みんなそれで済ませようとする」

「便利だから」

「流行ってるんだ、その言い訳」


 木乃葉は相変わらず机に少し寄りかかったまま、でも前よりは眠くなさそうだった。

 いや、眠そうではある。

 ただ“今にも消えそうな眠さ”ではなく、“なんとか人間界に留まっている眠さ”くらいには改善している。


「今日は寝てる?」

「昨日は二時」

「それで改善扱いなんだ」

「かなり改善」

「基準が終わってる」

「たまに言葉が鋭いね」

「最近わりと言われる」


 真白がそう返すと、木乃葉は少しだけ目を細めた。


「いいことじゃん」

「そうかな」

「前はもっと、刃物しまいすぎてた感じ」

「どういう評価」

「今の方が喋ってて面白い」

「……」

「褒めてる」

「雑」

「便利だから」


 このクラス、本当に便利ワードが多い。


     ◇


 一時間目が始まる前、さやかが日誌当番の確認に来た。


「今日、放課後の戸締まり手伝える?」

「大丈夫」

「助かる」

「委員長って毎日大変そう」

「今さら?」

「今ちょっとだけ思った」

「ほんとにちょっとずつ喋るようになったね」

「何その観察」

「委員長だから」

「それもう無敵の理屈だよ」

「便利だから」

「伝染してる……」


 思わずそう言うと、さやかが吹き出した。


 真白は少し遅れて、自分が今、わりと自然にツッコミを入れたことに気づく。


 前なら、たぶんこんなふうには返していない。

 もっと慎重に、もっと短く切っていた。


 何が変わったのだろう。


 たぶん、教室の見え方だ。

 自分だけが異物ではないかもしれないと思い始めてから、少しだけ肩の力が抜けた。

 周りの人間も、何かしら抱えているかもしれない。

 そう思うだけで、教室の空気が前より少しだけやさしく見える。


 もちろん、だからといって全部を明かしたいわけではない。

 そんな気は全然ない。

 でも、“ここにいてはいけない側”ではないのかもしれない、とは思えるようになった。


 それは、思っていたより大きい。


     ◇


 二時間目の休み時間、ちょっとした騒ぎがあった。


 ひかりがスマホを見ながら「あっ」と声を上げたのである。


「何」

 と絵麻が聞く。

「これ、見て」

「何それ」

「今度出るラノベの表紙なんだけど、めっちゃ可愛くない?」

「うわ、可愛い」

「え、ほんとだ」

「誰の絵?」

「そこまでは見てない」


 その会話に、木乃葉が一瞬だけ反応したのを真白は見逃さなかった。


 ほんの少しだけ、肩が止まった。

 それだけ。

 でも、確かに止まった。


「木乃葉さん、知ってる?」

 ひかりが何気なく聞く。

「……まあ、名前くらいは」

「へえ」

「有名なの?」

 と絵麻。

「そこそこ」

「そこそこ、で済ませる感じ?」

「表紙かわいいね」

「話逸らした」

「便利だから」


 ここでもそれか。


 だが真白は、木乃葉のその反応に、ますます疑いを強めていた。

 この人、やっぱり文章の側にいる。

 たぶん、かなり近いところに。


 同時に絵麻も、表紙の構図や色使いに対して妙に具体的な感想を言い始めていた。


「この目線誘導うまいね」

「目線誘導?」

 ひかりが笑う。

「うん、最初にタイトルじゃなくて顔に行くでしょ」

「ほんとだ」

「でも背景も抜いてないから、全体の印象もちゃんと残る」

「解説始まった」

「職業病みたい」

 とさやかが言う。


 真白は思う。

 それはたぶん、比喩じゃなくて本当に職業病なのではないか。


 でも、今は口にしない。


 この教室のルールはたぶん簡単だ。

 気づいても、向こうが明かすまでは踏み込まない。


 その代わり、少しだけ見えてしまったものを、静かに胸の内へしまう。


     ◇


 三時間目の移動教室のあと、真白は廊下の角で澪とすれ違った。


 前ならそこで互いに少し固まっていたかもしれない。

 でも今日は、澪の方がほんの少しだけ足を止めて、自然な調子で言った。


「次、英語だっけ」

「うん」

「課題出す日?」

「今日じゃない。明日」

「助かった」

「また忘れてたの」

「忘れてはない。曖昧だっただけ」

「それはだいぶ危ない」

「一ノ瀬、そういうとこだけ容赦ない」

「そういうとこだけ、って何」


 そこで会話が終わる。


 長くはない。

 でも不自然でもなかった。


 真白はすれ違ったあとで、少しだけ驚いた。


 今の、かなり普通だったのでは。


 もちろん、本当に普通のクラスメイト同士に見えたかどうかはわからない。

 でも少なくとも、自分の心臓はそこまで跳ねていない。

 紅白の舞台袖を思い出してCPUが落ちることもなかった。


 成長かもしれない。

 いや、慣れただけかもしれない。

 どちらでもいい。

 少なくとも前進ではある。


 そのとき、後ろからひかりの声がした。


「へえ」

「何」

「いや、今の感じ」

「何が」

「思ってたより普通に話すんだなって」

「クラスメイトだから」

「そうなんだけどさ」

 ひかりは意味ありげに笑う。

「最近ちょっとだけ、その“クラスメイト感”が出てきたよね」

「前はなかったみたいな言い方」

「前はもっと、お互い壁の向こうにいる感じだった」

「……」

「今は壁あるけど、扉くらいにはなった」

「詩的だね」

「観察の結果です」

「怖いなあ」


 本当に怖い。

 この子はどこまで見ているのだろう。


 でも同時に、その表現は妙に的確だった。


 壁が扉になる。

 完全に近くなるわけではない。

 でも、前よりは行き来できる感じ。


 それはたぶん、真白と澪の今の距離をかなりうまく表していた。


     ◇


 昼休み、音々がまた妙なことを言った。


「一ノ瀬さん」

「何」

「今日、呼吸ちょっと楽そう」

「……」

「何その顔」

「何でわかるの」

「声」

「怖い」

「褒めてる」

「最近みんなそれ言うけど、恐怖と褒め言葉が両立してるの何」


 音々は本気で不思議そうな顔をした。


「だって、前より息が前に出てる」

「……」

「教室で喋る声」

「そんな違う?」

「うん」

「どのくらい」

「前は“声を置いてく”感じ」

「何その表現」

「今はちょっとだけ“渡してる”感じ」

「……」

「わかんないならいいけど」

「いや、わかんないけど、何か言ってることはすごそう」

「褒めてる」

「便利だなあ」


 真白は額を押さえたくなった。


 でも、その分析が完全に的外れかと言われると、たぶん違う。

 前より少しだけ、人に向けて声を出すことが増えた。

 それは自覚がある。

 その結果が音に出ているのなら、たしかに今の自分は以前と少し違うのだろう。


「朝倉さんも、今日ちょっと自然」

 と音々が続ける。

「……みんな見てるね」

 真白が言うと、

「教室だから」

 と音々はごく当然の顔で返した。


 その一言に、真白は少しだけ納得する。


 教室だから。

 たしかにそうなのだ。

 ここは毎日同じ人間たちが同じ空間を共有する場所だから、わずかな変化でも意外と見える。


 でも、その見えているはずの相手の本当の顔までは、やっぱりなかなかわからない。


 それが教室の面白さであり、怖さなのかもしれなかった。


     ◇


 放課後、日誌を書きながら、さやかが言った。


「最近、2年A組ちょっと丸くなったよね」

「そう?」

 と真白。

「うん。前はみんなもう少しバラバラだった」

「今もバラバラじゃない?」

「バラバラだけど、前より“同じクラス感”がある」

「何その曖昧な表現」

「委員長の勘」

「またそれ」

「便利だから」


 完全に流行ってしまっている。


 真白は少し笑った。


「一ノ瀬さんも」

 と、さやかが日誌の隣を指で軽く叩く。

「前より話すし」

「ほんの少し」

「それで十分」

「……」

「無理に変わる必要はないけど、少しだけ変わるのは悪くないよ」

「……委員長っぽい」

「今のは褒め言葉でしょ」

「たぶん」


 たぶん、そうだ。


 真白はペンを置いて、自分の字を眺める。

 いつも通り几帳面な字だ。

 そこに“教室の中の変化”なんて何も現れていない。

 でも、自分の中ではたしかに少しだけ風通しが変わっている。


 秘密は、まだ秘密のままだ。

 真昼ましろであることも、紅白のことも、澪との共有も、クラスの他の誰かが何かを隠しているかもしれないことも。

 何ひとつ表立ってはいない。


 でも、その秘密を抱えたまま教室で笑うことが、前より少しだけできるようになった。


 それは、かなり大きな変化だった。


     ◇


 帰り際、教室のドアのところで澪が振り向いた。


「一ノ瀬」

「何」

「明日の英語、課題忘れないように」

「それ、私が言う側では?」

「今日は私が言う側」

「何その交代制」

「自然な会話の練習」

「その台詞で全部不自然になる」

「たしかに」

「たしかに、じゃない」


 そこで澪が少しだけ笑った。


 真白も、少し遅れて笑ってしまう。


 大きな笑いではない。

 でも確かに、二人の間にちゃんと会話があって、その会話を少し面白いと思えた。


 前なら、それだけで十分に事件だった。


「……まあ、ありがと」

 と真白が言う。

「どういたしまして」

「その返し、地味に腹立つ」

「何で」

「自然だから」

「褒めてる?」

「半分」

「便利だね」

「便利だから」


 最後はもう、何の会話なのかわからなかった。


 でも、それでいい気がした。


 秘密は解けていない。

 何も解決してはいない。

 それでも、秘密持ちだらけのこの教室で、少しだけ笑えるようになってきた。


 それはたぶん、真白にとってかなり大きな一歩だった。

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