ー彼の声ー
家から徒歩2分&いつでも運動器具が使い放題!という謳い文句に見事に釣られ、俺は高校に入ってからずっと、自宅の最寄駅前のスポーツジムでバイトをしている。
割と治安は良いところだが、駅のすぐ近くにある私立の女子校のやつらが、毎日毎日きゃあきゃあと騒がしいのが難点だ。
ある日、いつもと同じように改札を抜けてジムに向かおうと歩いていると、後ろから「すみません」と声をかけられた。
振り向くと、あの女子校の生徒だろうか、セーラー服を着て重そうな鞄を持ち、片耳だけイヤホンをつけた状態の女が、俺のことを見上げていた。
俺みたいに染めたこともなさそうな綺麗な黒髪に、少しやぼったい感じの長さのスカート。
陽キャばかりが目立つあの女子校にしては、珍しく地味目な女だった。
「?なに。」
「あっあの…」
女は、恥ずかしくなったのかすぐに俺から目を逸らし、
「これ、、あなたのじゃないですか?」
差し出された手の中には、俺の高校の近くのネットカフェの会員カード。
裏を見たら、俺の名前が書いてあった。
定期入れに一緒にいれていたので、改札を通ったときにたまたま落としたのだろう。
「ああ、どうも。」
カードを受け取り、また定期入れにしまう。
女は微笑み、ぺこりと頭を下げて、少し頬を赤らめながら、顔にかかる髪を手でさらりとかき上げ、はずれた方のイヤホンを耳に付け直した。
…あれ……なんか………
ーー夕日のせいだろうか。
その時見た、一連のその仕草が、なぜか俺の心臓を強く打ち鳴らした。
女はそのまま、改札の中に吸い込まれていく。
まぁいいか。
どうせもう関わることもないだろう。
そう、思っていたのにーー
ーーーーー
学校終わりに、少し離れた駅に住むダチの家に泊まって、ゲーム三昧した翌日の朝。
いつも通り電車で学校に向かうつもりで駅に向かうと、電車が大幅に遅延していた。
ホームは電車を待つ人たちでごった返し、次々と遅れてくる電車にもなかなか乗ることができない。
「めんどくせ。」
そう思いながら、時間も時間だったので、数本見送った後に来た電車に無理やり乗り込んだ。
これでも、学校着くまでに途中でまた乗ってくるんだよな…
軽くため息をついて、押し潰されないようドア脇のスペースをちゃっかり確保して立っていた。
次の駅でも、思った通りすごい数の人が乗り込んでくる。やっとのことで扉がしまり体勢を立て直そうと身体をわずかに動かした時。
目の前に、あの時のポイントカードの女が、俺に背を向けるようにして乗っていることに気がついた。
今朝もまた、あの時のようにイヤホンをつけ、少し俯き気味に電車に揺られている。
こんなところで会うとは思ってなかった。
ふわっと揺れたそいつの髪の、甘いシャンプーの香りが俺の鼻をくすぐる。
まただ。なんだこの変な感じは。
俺は、鼓動がまた少しだけはやくなるのを感じた。
その時ーー
電車がガクンと大きく揺れて、彼女の持っていたスマホからイヤホンがすっぽ抜け、そのスマホはぎゅうぎゅうの人混みの足元へ滑り落ちた。
途端に、車内に響き渡る、なんともエロい喘ぎ声…
「…は…?」
なんなんだ?これ…
車内のほとんどの視線が、俺の前にいる女に注がれる。
慌ててスマホを拾おうとしてるけど、こんだけぎゅうぎゅう詰めの車内でかがもうとする方が無理な話だ。
後ろから見ていてもわかるくらい、耳まで真っ赤にして肩を震わせている。
俺は、ふい、と顔を上げ、声を張り上げた。
「あー、すみません。これ、俺のスマホなんですけど、超混んでるからちょっと今拾えなくて。次の駅まで、もう少しだけ我慢してもらっていいですかー?」
女に向けられていた視線が、一斉に俺の方を見る。
「お騒がせしてすみませーん。
……あとちょっと、一緒に“エロい気分”共有してもらえると助かります。」
てへぺろ。
とりあえず、無慈悲に流れ続ける音声は止められないが、その場の空気はなんとかなった。
別に、感謝されようと思ってやったわけではなかったし、ただ少し、話すきっかけつくれたりして。とかいう、下心見え見えな行動だったのだが、、
女はこちらを振り向くと涙目のまま俺を見つめて、真っ赤な顔で慌てて目を逸らした。
ーーああ、、やっぱかわいいわ。
車内に響く官能的な小説の読み上げよりも、俺には俺の心臓の音が、1番うるさく聞こえていた。
学校の最寄りで多くの乗客が降りるのに乗じて、落ちていたスマホを拾う。
俺のものって言った手前、その場で返すのはおかしいかと思い、とりあえずポケットに入れて電車を降りると、女が後ろから恐る恐るついてくるのが見えた。
チャンスかもなぁ…
なんて思いながら、足早に改札を出たところで、袖をクンッと引っ張られた。
何食わぬ顔で振り向くと、さっきの女が、息を切らしてこちらを見上げている。
「なに?」
俺は、なんでもないというふうな顔で、問いかける。
「あ、あのっ……」
「あの、さっきは、本当に……ありがとう……
…それで、あの……」
そいつは、泣きそうな顔で頭を下げると、こちらをおずおずと見上げる。
だから、ずるいだろう、その顔でその懇願するような眼差しは…!!
俺は、
「ああ、そっか返してなかった。」
と、ポケットからスマホを取り出し、目の前へ差し出す。
女がほっとして、少し震える手でそれを受け取ろうとしたところで、俺のいたずら心にわずかに火がついた。
スイっとスマホを遠ざける。
困った顔で目を泳がせるのをみて、また心臓がひとつ跳ねた。
「それだけ?」
「えっ……?」
「俺、けっこう勇気振り絞って、助け舟出したと思うんだけどなぁ。」
俺は、スマホをそいつのポケットに滑り込ませると同時に、首にかけっぱなしになっているイヤホンをするりと引き抜いて、からかうように笑って見せた。
「…あっ、それ……」
うろたえてる。おもろい。
試しにもう少しだけ、いじわるしてみようか…
「‘これ’ないと、退屈な通学時間、楽しめないだろうしーー」
俺はチラリと腕時計を確認してから、腰を屈めて女の耳元に近づく。
「…明日、またこの時間。この駅で。」
「…!!?」
俺の自宅とこいつの高校の最寄り駅は、ここからさらに2つ先。
今朝は、俺も友達んちに泊まりからの登校だったし、遅延も相まって多分こいつもいつもと違う時間帯の電車に乗っていたはずで
明日、またこの時間にここにくるには、こいつがいつも乗る電車を‘意図的に’ずらさなければ出会えない。
「時間読めなくなっちゃうし、今日みたいに遅延、しないといいな。」
これは、賭けだった。
こんなことしたらこいつ、怒って、もう来ないかもしれない。
けど明日、
もし…もしまた出会えたら。
そしたらもう少しだけ、踏み込んでみようかな
そんな、キャラに似合わぬちょっとした恋心にふわふわと浮かされた気持ちのまま、イヤホンを自分のポケットにしまう。
そいつの返事を待たずにひらひらと手を振り、何食わぬ顔でその場を離れた俺は、
いつもよりほんの少しだけ、明日が来るのが楽しみになっていた。




