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ー彼女の音ー


私には、人には言えないちょっとした秘密がある。

それは、朗読アプリで、通学時間にこっそり“大人向けの小説”を聴くこと。


ケーブルで繋ぐタイプのイヤホンを耳に差し、満員電車の中で心臓をどきどきさせながら過ごすのだ。


今日も、いつも通り朝の電車に乗る…はずだったのにーー。



今朝は早くから電車が大幅に遅延して、駅のホームは先を急ぐサラリーマンや学生たちで大混雑していた。

いつもよりも賑やかな通勤通学ラッシュ時の喧騒に、私はいつもより少しだけ、アプリの音量を上げる。


電車を2本も見送り、やっとのことで滑り込んだ車内も、身動きが取れないほどぎゅうぎゅう詰めだった。



ゆっくりと走り始めた電車の中で、いつもと変わらずイヤホンから聞こえる甘くとろけるような物語の展開に、私はうっとりと目を瞑る。





と、次の瞬間ーー



車両がガタン!と大きく揺れ、バランスを崩した拍子に――


――プチン!


イヤホンがすっぽ抜けたスマホが滑り落ちて、アプリの声が車内に大音量で流れ始めた。


『…あっ、いや!だめっ……そんなとこ……っ』


「!!!!!」


甘い声が車内に響いた瞬間、世界が止まった気がした。

乗客たちの視線が一斉に集まり、一瞬で顔から火が出そうになる。


やだ…やばいっ…ど、どうしよ……


私は真っ赤な顔で慌ててスマホを探そうとするが、これだけすし詰め状態の車内では身動きすら取れない。


『…こういうのが、好きなんだろ?


そう言うなり、彼は彼女の……を…………して……』


公衆の面前ではとても言葉にできないような、生々しい描写が無慈悲に流れ続ける。


…はずかしい………!!!


もうどうすることもできず、涙が出そうになった、そのとき。

真後ろから響いてきた低く落ち着いた声が、車内の注目を一斉に引いた。


「あー、すみません。これ、俺のスマホなんですけど、超混んでるからちょっと今拾えなくて。次の駅まで、もう少しだけ我慢してもらっていいですかー?」


振り返ると、そこに立っていたのは、すらりと背の高い男子高校生。

片耳にいくつもピアスをして、明るい色の前髪を無造作に下ろした不良っぽい雰囲気の彼が、まるで何事もないかのような顔で言ってのける。


「お騒がせしてすみませーん。

……あとちょっと、一緒に“エロい気分”共有してもらえると助かります。」


頭の上でぱちーん!と手を合わせた彼を見て、車内は一瞬しんと静まり…そして、数人がぷっと吹き出す。

周囲の乗客は苦笑いしながら視線を逸らした。


スマホからは、大人なやりとりの音声のみが流れ続ける。


私は、顔を真っ赤にして、ただ俯くことしかできなかった。



次の駅でどっと人が降り、ようやく彼がかがんでスマホを拾い上げる。

音声を止めると、何事もなかったかのようにそれをポケットにしまって、スッとホームに降りて行った。


あ、、私のスマホ……

慌てて後を追うが、そんな私を気にもとめずに彼はそのまま駅の出口へ。


あ…足はやっ…


改札を抜けたところで、ようやく追いつき、後ろから袖口を引っ張ると、彼はようやく振り向きこちらを見た。


「なに?」

「あ、あのっ……さっきは、本当に……ありがとう……」

息を切らしながら、やっとのことでお礼を言う。


「あの、

…それで、あの……」


泣きそうな顔で見上げると、彼は片手をポケットに突っ込んだまま、軽く笑った。


「ああ、そっか返してなかった。」

はい。とスマホをポケットから取り出し、目の前へ差し出す彼。


ほっとして、それを受け取ろうとした瞬間


スイっとスマホが私の手から遠ざかる。


「えっ…?」

見上げると、私を見つめる彼と視線がぶつかった。


「それだけ?」


「えっ……?」


「俺、けっこう勇気振り絞って、助け舟出したと思うんだけどなぁ。」


言葉に詰まっていると、彼はスマホを私のポケットに滑り込ませると同時に、私の首にかけっぱなしだったイヤホンをするりと引き抜いて、からかうように片目を細めて笑う。


「…あっ、それ……」

「‘これ’ないと、退屈な通学時間、楽しめないだろうしーー」


彼はチラリと腕時計を確認してから、腰を屈めて私の耳元に近づく。


「…明日、またこの時間。この駅で。」

「…!!?」


思いもよらぬ一言に、私は返す言葉が見つからない。



「時間読めなくなっちゃうし、今日みたいに遅延、しないといいな。」


少し笑いながらそう言い残して、彼は私のイヤホンを持ったまま、駅の雑踏に消えていった。


残された私は、ほてった顔の熱を冷ますこともできず、ただただ立ち尽くす。


持ち去られたイヤホンのことよりも、私の鼓膜を揺らした低く身体の奥まで響くようなあの声が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。



『…明日、またこの時間。この駅で。』



ぼんやりとした頭のまま、うるさく騒ぐ心臓の音に突き動かされるように、気づけば私は、返してもらったスマホで‘現在時刻’を確認していた。


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