第6話 物理法則の改変戦闘
防衛回です。力押しではなく、物理法則そのものを味方にします。
黒銀の石壁に囲まれた静寂の中で、俺はリアナから受け取った黒パンを咀嚼していた。
無機質な石の質感と、パンの素朴な重みが口腔で混ざり合う。昨夜までの「欠乏」が、摂取したカロリーによって論理的に補填されていく感覚。思考の明瞭度が、パーセンテージで上昇していくのが分かった。
ようやく生体維持の効率化が軌道に乗った。次は、拠点のエネルギーをいかに効率よく蓄積するか、そのフェーズへ移行すべきだろう。
その思考を、視界の端で静かに点滅を開始した赤いアラートが遮った。
拠点の周囲、および村の境界線に張り巡らせた「事象観測網」が、境界線への急速な接近を捉えていた。
「……来たか。予測よりも一時間と十二分、早いな」
俺はパンの最後の一片を飲み込み、腰に差したナイフの柄を確かめた。
椅子から立ち上がり、黒銀のドアを開けて外へ出る。
朝霧が漂う村の境界付近では、既に異変が始まっていた。
「アリスティアさん!」
村の境界線で立ち尽くしていたリアナが、俺の姿を認めて悲鳴に近い声を上げた。彼女の手には、俺が昨日修復したばかりの銀色の鋤が握られている。武器ではないそれを盾にするように構える彼女の視線の先——。
森の奥から現れたのは、黒ずんだ魔素を噴き上げる魔化オーガの群れだ。個体数十二。
通常種を遥かに凌ぐ筋力と、制御を失った暴力的な魔力密度を纏っている。その突進のエネルギー量は、まともに受ければ石造りの家など一撃で粉砕する規模だ。
「下がっていろ、リアナ。これは契約外の事態だが……俺の投資対象(村)が破壊されるのは、資産の損失に等しい。排除する」
「でも、あんな数……無茶です! 今すぐ村の衆を集めて——」
「不要だ。効率が悪い」
俺は村の境界線を含む半径五十メートルの空間に対し、物理法則の局所的な上書きを命じた。
『事象の再定義』——。
「進入個体の質量変数を百倍に再定義。座標、境界線内側すべて。固定しろ」
先頭を走っていたオーガが、境界線を跨いだ。
その瞬間、物理法則の「重み」が牙を剥いた。
「ガ、ァ――ッ!?」
オーガの巨体が、まるで見えない巨人の足で踏みつけられたかのように、地面へとめり込んだ。
直後、逃げ場のない圧力がオーガの全身を襲った。
百倍に膨れ上がった己の質量。その不自然な重みに耐えられるほど、生物の構造は強固ではない。凄まじい骨折音が響き、巨躯は自身の重力によって押し潰され、地面の一部へと成り果てた。
次々と境界を越える個体が、抗いようのない法則の歪みに囚われ、無機質な肉の塊へと沈降していく。
「な、何が……。指一本触れずに、あのオーガたちが……」
背後でリアナが震える声で呟く。俺は感情を挟まず、最後に残った大型のボス個体へと視線を向けた。
ボス個体は仲間の末路を見て足を止め、咆哮を上げようとしたが——それも遅い。
「個別に処理するのは効率的ではないな。空間座標の強制排除」
俺は指先をその個体に向けた。
オーガの存在する空間そのものを「非存在」へと書き換える。
音はなかった。空間の削り取り。
オーガの胴体中央部が、完璧な球体状に消失した。断面からは血の一滴すら流れない。物理的な連続性を失った巨躯は、そのまま上下に分かれて崩れ落ち、やがて消滅した。
戦場には、沈黙だけが残った。
「排除完了。周辺の魔素濃度も正常値へ回帰している」
俺はポーチから布を取り出し、汚れてもいない指先を無意識に拭った。
「パニックになる必要はない。俺がここにいる限り、不条理な暴力はすべて排除される。……リアナ、お前は村へ戻って作業を続けろ。壊れない農具を提供した意味を考えろ」
「……はい。分かりました、アリスティアさん。あなたは本当に……」
彼女は何か言いかけたが、俺は既に踵を返していた。
ふと、森の境界のさらに外側、感知網の最外殻に「不自然なノイズ」が走った。
魔化オーガのような粗野な揺らぎではない。気配を殺し、高度な隠密スキルで存在を希釈した——人間の反応。
王都側の偵察員だろうか。
この距離で今の排除作業を目撃されたのは、計算外ではないが将来的な摩擦の要因になり得る。
俺はあえて、その方向に視線を向けなかった。
今ここで、その小蠅を握りつぶすのは容易い。だが、情報を持ち帰らせることによる「かつての仲間」の反応は、将来的な資源回収のトリガーとして利用可能だと判断した。
「行かせておけ。情報の伝達は、次の論理展開に必要なステップだ」
俺は振り返ることなく、黒銀の城塞へと足を進めた。
休息の続きが必要だ。次の最適化プロセス、そしてこの世界そのものを「あるべき形」へと書き換えるための計算は、まだ始まったばかりなのだから。
強い力を見せる回は気持ちいい反面、代償や目撃者も増えます。
次話、王都側(暁の剣)の歯車がズレ始めます。




