第5話 拠点環境の最適化
拠点は作った。次は回す。資源と流通を“最適化”していきます。
黒銀の光沢を放つ石壁が、嘆きの森から吹き付ける冷たい朝霧を完璧に遮断している。
俺は硬い石床の上に広げた薄い毛布の中で身じろぎし、意識を覚醒させた。
昨夜、『事象の再定義』によって廃屋の構造を分子レベルで結合し直した。その「城塞」としての堅牢さは完璧だ。雨漏りも隙間風も、もはやこの建物には存在しない。
だが、インフラまでは手が回っていない。室内の温度は外気とほぼ変わらず、冷え切った石の感触が体温を容赦なく奪っていく。
(……エネルギー効率が極めて悪いな。カロリーが枯渇している)
胃袋が鋭い収縮を繰り返し、脳へ不快な警告を送り続けている。
手持ちの食料は昨日のうちに尽きた。水は井戸から確保できるが、生体機能を維持するための熱量が致命的に不足している。
この「特区・アリスティア」を真に安定した拠点とするには、当座の運転資金——すなわち物理的な食料のリソースを確保しなければならない。
「……動くか。燃料切れで倒れては計算が狂う」
俺は立ち上がり、軽くストレッチをして冷え切った筋肉を温める。
今日は集落へ向かう。物乞いをするつもりはない。こちらの技術を提供し、その対価としてエネルギーを得る。
等価交換だ。英雄としての慈善事業ではなく、生存のための契約。
俺はポーチにナイフを収め、朝霧の立ち込める外へと踏み出した。
緩やかな坂を下ると、灰色の村が朝靄の向こうに浮かび上がる。
そこへ向けて、一人の気配が登ってくるのを検知した。リアナだ。
彼女は大きな麻布を、両腕で重そうに抱えて歩いている。俺の姿を捉えると、安堵と期待が混じった声を漏らして足を止めた。
「アリスティアさん、おはようございます。ちょうど良かったです。相談があって、あなたの拠点へ向かっていたところで……」
「……何だ。俺は今から、空腹という生物的エラーを解消するために村へ降りるところだ。用件は手短にしろ」
俺は彼女が抱える「荷物」へ視線を落とした。麻布の隙間から、錆びて朽ち果てた鉄の断片が覗いている。
「村で使っている農具が、もう限界なんです。以前お話しした通り、森の魔素で金属の劣化がひどくて。あなたが建物を修復したあの力で、これらを直していただけませんか?」
広げられた布の中から現れたのは、刃が欠けて折れた鍬や、構造的欠陥を抱えた鋤の残骸。長年の酷使とマナの浸食により、金属構造そのものが「塵」へと退行しかけている。
分子配列が著しく乱れている。修復には精度の高い魔力出力が必要だが、今の俺の体力では全件を一度に処理するにはリスクが伴う。優先順位を付ける必要があるな。
「直せば、何が出る」
「え……?」
「聞き間違えるな。俺は己の命の一部である魔力と時間を、このガラクタのために消費する。それに見合うリソースを提示しろ」
冷徹な問いかけに、リアナの表情に一瞬の動揺が走ったが、すぐに交渉者としての色が宿った。
「……備蓄の黒パンと、塩漬けの肉、それに根菜を出せます。今日と明日のあなたの糧として。それで、受けていただけますか?」
脳内で即座に計算を行う。提示された食料の推定カロリーと、農具数点の再定義に要するエネルギーコスト。収支は辛うじて黒字だ。
「成立だ。ただし、前払いで半分。残りは効率的に作業を完遂した後に受け取る」
「わかりました。すぐに用意させます」
俺は湿った地面に膝をつき、壊れた鍬を手に取った。
赤黒い錆の表面をなぞり、『事象の再定義』による構造解析を加速させる。
想像を絶する劣化具合だ。だが、事象の再定義という俺のスキルの前では、この金属の寿命すらも書き換え可能な不具合に過ぎない。
俺は脳内で理想的な結晶格子を強く定義し、掌から魔力の脈動を流し込んだ。不純な酸化鉄という概念を抹消し、高次結合を強制的に上書きする。
金属の表面から、剥がれ落ちた錆の微粒子が砂のようにこぼれ落ちる。一瞬で、鍬の刃は冷徹な銀色の光輝を放つ「道具」へと相転移した。
「……信じられません。数分前までガラクタだったものが、こんなに美しく……。まるで、最初からこうあるべきだったかのような鋭さだわ」
「賞賛は不要だ。俺は分子レベルの空隙を充填し、不純な亀裂という概念を物理的に抹消したに過ぎない。理屈はそれだけだ。……リアナ、これと引き換えに、早く報酬を持ってこい。俺の胃袋にはこれ以上のノイズ(空腹)は耐えられない」
俺は最も大きな鋤を彼女の足元へ投げ出した。硬質な金属音が響く。
リアナは何度も頷き、急いで村の方へと駆け戻っていった。
俺は拠点の方向へ独り歩き出す。籠一杯の報酬を夢想することはないが、計算上、これで俺の生存可能時間は数日間延長される。
世界の仕様を直すのは、その後だ。まずは、この不合理な空腹というエラーを修正してからだ。
村が豊かになるほど、外部は必ず気づきます。
次話、最初の“排除作業”が来ます(少し戦闘回)




