シンギュラリティ宣言(後編)・2b
一人乗りのスペース・バイクにまたがった桃井翼は、現場を飛び回って各隊の伝令を務めた。
四つの層が重なり合って回っているクロノ・シティ、そして、その周りで二重に回転するベゼル・リングの周囲には、おびただしい数の小型衛星がばら撒かれた。それらの衛星の目的は人工磁場を発生させ、漏れ出そうとするクロノ・シティの大気を押し戻すことだ。
すでに細かい網の目のような磁場が、クロノ・シティをすっぽり覆う形で張り巡らされている。ただ、この人工磁場はあまりに出力が大きいために、通信のための電波をかき乱してしまうという副作用があった。
ネビュラで連絡が取れなくなった状況で、頼りになるのは生身の人間が務める伝令しかなかった。広報官の桃井翼は、その役目にうってつけだった。
宇宙空間を満たす花火は、今もまだ上がり続けている。ただし、さっきまでとは形状が違う。さきほどは地上で見る花火と同じように放射状に広がっていた花火たちは、今では小型衛星が発する人工磁場のために大きく形が歪み、まるで池に石を投げ込んだときの波紋のような形で打ち上がっていた。あの光と爆発の正体はプラズマだ。プラスの電荷を持つ陽子と、マイナスの電荷を持つ電子とが分離して、激しく運動している状態だ。そこには猛烈なエネルギーのうねりがあった。
スペース・バイクに乗った翼は、救助活動の真っただ中にあった第十八小隊アルファ・チームと合流した。桃井華をリーダーとする五人は、消防宇宙船カエサル号を使って怪我人の救助にあたっていた。
そこには、衝突して一つの金属の塊のように融合してしまった複数の宇宙船が浮遊していた。その事故は花火が打ち上がる前からすでに起きていて、その現場に隊が駆けつけるのとほぼ同時に、この混乱が始まったのだった。
ベゼル・リングの回転との同期が失われた事故船は、それぞれバラバラなスピンを始めた。船から離れようとしている多数の破片が、デブリとなって拡大していこうとしている。
第十八小隊アルファ・チームのうち、宇宙船技師の千堂しのぶと通信士の夏木ユズが、これらデブリの回収のために大わらわで捕獲ネットを広げていた。
そこに翼のスペース・バイクが滑り込んだ。その鋭角的なフロント・デザインはヴァイパー・ヘッドと呼ばれ、衝突するデブリを受け流すために二メートル近くの長い鼻面を持っている。
「おやおや、翼ちゃんじゃないの。かっこいいのに乗ってるじゃない」
ユズはネビュラの近距離回線で話しかけた。この回線は電磁波の壁を超えて遠くまで通信することはできないが、短距離であればクリアな情報を届けることができる。
ユズとしのぶは二人がかりで大きなネットを広げているところだった。
「お疲れ様です。御用聞きでやって来ました。ユズさん、しのぶさん、何か不自由していることはありませんか?」
「ちょうどいいところに来てくれたな。ちょっくら、このネットの端を持っていってくれよ」
しのぶはそう言って、窒素を勢いよく噴出させると、翼の背後まであっという間に飛んできた。そして、バイクのテールにネットの角を括りつけた。「こいつを持って、ひとっ走り向こうまで行っておくれ」
「向こうまでって、どこまでですか?」
しのぶは真っ黒な宇宙のどこかを指差した。
「あの辺りに磁気を出す小型衛星が一基飛んでるんだ。そいつに引っ掛けてくれるかい?」
「そんなことで、都合よくネットを支えてくれるんですか?」
「大丈夫だよ」
しのぶは、小さな金属の欠片のようなものを翼の手に握らせた。それは三センチ四方のアルミ板のように見える。「向こうに着いたら、こいつを貼り付けておくれ。ちょっとしたハイジャック装置だよ」
「それって、犯罪じゃないんですか?」
「バレたらな」
しのぶはバンバンと強く翼の背中を叩くと、さっさとネットの端を向こうまで運ぶように促した。「電磁波が邪魔してるから、うちらが何をしているかなんて、誰にもわかんないよ」
翼は断れない状況に追い込まれて、口をあわあわさせながら言うことに従った。ここで迷っているうちにデブリが広がって、新しい事故を誘発するよりはマシだと自分に言い聞かせた。これは「緊急避難」なのだ。目前の危機を回避するためのやむを得ない行為なのだ、と。
翼が大急ぎで犯罪の片棒を担がされているうちに、この場所での処置はある程度一段落した。
「これで、こちら方面のデブリの拡大は阻止できたね」
ユズは一息つくと、手の甲で額の汗をぬぐう仕草をした。当然ながらヘルメットをかぶっているので実際に拭うことはできない。
「お疲れ、翼、おかげで助かったよ」
しのぶは、翼をねぎらって後ろから肩を揉んでくれた。「この件は私の借りってことで、いつかお礼をさせてもらうよ」
耳元でそんなことをささやかれたので、翼は感激して思わず腰が抜けそうになった。
三人は事故現場の外れでぷかぷか浮かんでいる。デブリを捕獲するネットは大きく広がり、消防本部から持ってきた小型衛星二つと、ハイジャックしたGMSS二基で支えられている。それが視界の半分を覆っていた。
相変わらず花火は打ち上がり続けている。大きな池にめちゃくちゃに石を投げ込んだときのように大量の波紋が入り乱れ、それらが色とりどりに輝くさまは圧巻だった。その光のせいで、すぐそばのクロノ・シティすらかすんで見えるし、その向こうにあるはずの地球の姿はどこにも見つけられないほどだった。
「まったく、なんちゅうお祭り騒ぎだよ」
しのぶは呆れて、本心からのつぶやきを漏らした。「おかげで、こっちはその尻拭いで大忙しだっつーのに」
「あれは、いったい何なんでしょう?」
翼は、素直な疑問を投げかけた。「いったい何事が起きているんでしょうか? お二方は、何かご存じですか?」
そんなことを話している間も、あちこちでどーんと大きな音が鳴り響いている。
ユズは、ヘルメットの内側で不敵な笑みを浮かべた。彼女の顔の前に、色とりどりの花火が反射して映っている。ユズは言った。
「ふふふ、私の見解を述べてもいいかい?」
「これからお姉ちゃんのところに報告に行かないといけないので、手短にお願いします」
「自分から訊いといて、その言い草はないでしょ」
「えへへ、なんか、長くなりそうだったんで……」
姉妹そろって自分への扱いが雑なのをちょっと気にしながら、ユズはこんなことを言った。
「これはきっと、新しい時代の幕開けを告げる合図なんだよ」
「誰が合図を告げてるんだよ?」と、しのぶが横から口を挟んだ。
「そりゃあ、新しい時代を担う人たちだよ」
「それって、どんな人たちですか?」と翼は前のめりになった。
「たぶん、それは……」
ユズは半分言いかけると、いったん舌で自分の唇を舐めた。彼女自身もまだ確信は持てないが、きっとそうに違いないという思いを込めて、ユズは言った。
「新しい世代だよ。それは、ヒトではないかもしれない。だけど、私たちヒトがなんとかしてあげないと、新しい世代はうまく歩き出せないんじゃないかと思う」
それは、翼もここ最近よく考えてきた予想と一致した。
「その新しい世代って、機械細胞のことですか?」
ユズはうなずいた。
「そう、だけど、それはそっくり交代するってわけじゃなくて、少しずつ変化していくものなんじゃないかと思う。そのとき、ヒトは機械細胞に近くなっていくし、機械細胞はヒトに近くなっていくんじゃないかな」
「たとえば、どんな風に?」と、しのぶは訊いた。
ユズは目を輝かせた。それは実際に、花火が映り込んでキラキラして見えた。
「かつて海の生物が陸に上がったときと同じだよ。あのとき、最初に陸に上がった生き物は、自分の身体の中に海を持っていったんだ。だから、私たちの血液の成分は海水の成分に似ているんだよ。そして、今度は……」
ユズは、翼としのぶの目を見つめて言った。
「広い宇宙に乗り出していく生き物たちは、その身体の中に太陽を持っていくんだと思う。すでに機械細胞は細胞で核融合を起こせるし、いつかヒトも……」




