シンギュラリティ宣言(後編)・1b
多大な危険が伴う建設現場では、可能な限り人間の五感を駆使する必要がある。特に宇宙空間は真空なために音が聞こえず、ヘルメットに遮断されて嗅覚は利かず、手袋や分厚い防護服によって触角は鈍り、当然ながら何かを食べたり飲んだりすることもできないので味覚に出番はない。唯一、視覚だけが問題なく働く。しかし、視覚ばかりに頼っていたのでは、重大な危険を見落とすリスクは地上よりも何倍も大きくなる。
そこで、聴覚や触覚や嗅覚や味覚を様々な装置で補完する方法が考えられた。
個人と集団を繋ぐ汎用ネットワークシステムのネビュラは、人間の脳に直結している。両方の耳の後ろに埋め込まれた小型の端末の中に演算装置が組み込まれており、そこで処理された情報は人間の脳に直接送り込まれる。
その仕組みを利用することで、実際には存在しない感覚を生み出すことができるようになった。たとえば聴覚の場合なら、そこが真空の宇宙空間であっても、運動する物体の状態やエネルギー量を計算することで、まるで空気で満たされているときと同じような音響を再現することができる。
同じような原理で、嗅覚や触覚や味覚の再現も可能だ。
何もない真空の宇宙空間で船外活動している作業員たちは、みななにがしかの五感補完処理をして、現場に入っている。
だから、そこで何か大きな爆発が起きたりすると、その補完処理で増幅された音響と触覚情報をはっきりと感じるのだ。
荷取船の船橋で事故についての調書を作っていたステファニーたちは、その爆発の衝撃をすぐ間近で体験した。
ただ一人平然としていたのは、五感補完処理をしていないルミエール刑事だけだった。目の前でステファニーとメガロス船長がもんどりうって椅子から転げ落ちる様子を見せられた刑事は、目をぱちくりさせて動揺した。
「ご両人、いったい、どうなされた?」
刑事は窓を背にしていたので、外で発生したすさまじい閃光をもろに見ることもなかった。ただ、船内の壁がすべて一瞬だけ真っ白になったのは、彼にもよく見えた。
ステファニーと船長は、二人ともが鼓膜を突き破らんばかりの轟音(実際には鼓膜を通していないが)と、目を潰さんばかりの閃光、そして、全身に叩きつけてくるようなすさまじい振動によって、もう何もかもわけがわからなくなるほどにびっくりさせられてしまっていた。
「なによ? なに? なに? どうしたの?」
眩しさで視覚を奪われたステファニーは、床の上で這いつくばるようにして喚き散らした。そうしている間も、外から新たな光と轟音が立て続けに襲ってくる。
その横で同じように床を這っていた船長は、さすがに年季が違うとあって、すぐに冷静さを取り戻していた。彼は、窓の外を見て、込み上げてくる笑いを抑えきれないようだった。
ルミエール刑事は、一足先に窓際に寄って、魅入られたように外を眺めている。
「見事な花火です。できれば私も、あの音を聞いてみたい」
「腹をパンチで何度も殴られたみたいに強烈ですよ」と、船長は言った。
二人の会話を聞いたステファニーは、ようやくしっかり目を開けて、外を見ることができた。
そこには何百という花火が、宇宙全体を満たしていた。色とりどりに咲き乱れ、まるで何かの幕開けを告げる合図のように。




