シンギュラリティ宣言(前編)・4b
ハリー・グラハム警部補とハロルド・フォークナー巡査部長は、ただその場で呆然と立ち尽くした。その沈黙は永久に続くかと思われた。まるで予想もしていなかった展開に処理が追いつかず、フリーズしてしまったコンピューターのように二人は固まっていた。
赤ん坊を抱いているマーガレットは、石像のように硬直している二人の上司の前に足を踏み出した。
それでようやく二人は反応した。それはほとんど反射的な動きで、逃げるように二、三歩、二人はまったく同じ動作で後ずさった。
「私が何を言っているのかわからないと思いますが、急いでお二方にお知らせしなければならないことがあるんです」
マーガレットは、真剣なまなざしを二人の上司に注いだ。しかし、その手は哺乳瓶を握っていて、ミルクが欲しくてたまらない赤ん坊の口元に乳首を押し当てている。アリア・ヴィアは、貪るようにその乳首に吸いついた。
グラハム警部補は、口髭の奥の唇をようやく動かして、まとまらない考えをそのまま言葉で表現した。
「その赤ん坊は、君の子供か?」
あまりにも的外れすぎる質問に、マーガレットは思わずぷっと吹き出してしまった。こんなに緊迫した状況だというのに、まるで意識が分裂したもう一人の自分が勝手に笑いだしたかのように、彼女はそれを自分でも抑えることができなかった。
マーガレットは大慌てで顔を背けると、わざとらしく何度も咳払いしてから、真顔に戻ってこう答えた。
「いいえ、この子は、機械細胞の最新の知性体です」
「一昨日みんなで必死に探したノヴァのことか?」
フォークナー巡査部長が、やっとまともな問いを発した。
マーガレットは大きくうなずいた。
「そうです、あのノヴァです」
「どう見ても、ただの人間の子にしか見えないが……」
グラハム警部補は首をかしげて、隣りの巡査部長と顔を見合わせた。そして、二人は一緒に正面を向いた。
「それをどうして君が?」二人は同時に声を発した。
男二人が生み出した野太いハーモニーを聞いて、アリアは楽しそうに笑った。
マーガレットは赤ん坊に微笑みかけてから、再び真顔に戻って言った。
「今さら隠し立てしてもしょうがないので、すべてを正直に申し上げます。私は、数々の悪事を働いてきた三姉妹ギャング『エウメニデス』の一人なんです」
それに対する二人の反応は、ついさっきとはまったく正反対のものだった。
「またまた、何を言っているんだね、君は」
フォークナー巡査部長は大笑いした。
「俺たちは忙しいんだぞ」
グラハム警部補はそう言って、大きく肩で息をつくと、ずいずいと大股で前に進んだ。その口髭は笑みで斜めに歪んでいた。「変な冗談を言っていないで、本当のことを話したらどうだ?」
彼はそう嘯いて笑ったのだが、そうやって笑った瞬間に、自分の口から発せられた言葉が虚しく空回りするのを自分自身ではっきりと自覚した。彼はこの巨大な屋敷によって作り出された圧倒的な説得力に押し潰されそうになっていた。
もしも、マーガレットが見た目通りのただの若い新人警官で、ここがもし、ごく普通のアパートメントであったなら、くだらない冗談だなどと笑い飛ばすこともできただろう。しかし、彼が今いる場所はこの世の富を一か所に集めて黄金のスープで煮たてたような特別な場所だった。夢のようなガラス張りの屋敷で、大勢のロボットたちにかしずかれ、贅沢な暮らしを思いのままにできる場所だ。これほどの豊かさを現実のものにするには、およそまともな人間が考えつくような努力や知恵など到底太刀打ちできないほどの、人並外れた手段が必要となるはずだ。
それは警察組織で長い間働いてきた彼らが、これまで何度も目にしてきた手段だ。それはすなわち「悪事」であり、それを生業とする「悪党」どもが得意とするやり方だ。
だが、その悪党のイメージが、どうしても目の前の初々しいマーガレットと重ならないのだ。ましてや、彼女は赤ん坊にミルクを与えながら、母のような優しい微笑みさえ浮かべているではないか。
「もし、君が、本当にエウメニデスの一味だとするなら……」
それ以上前に進むことができなくなったグラハム警部補は、その場で慎重に言葉を選んだ。背後には、いつの間にか召使のロボットたちが集結して、彼らが逃げ出せる隙間をすべて埋めてしまっていた。
グラハム警部補は言った。
「われわれをどうするつもりだ?」
それを聞いたマーガレットは、ようやく本題に入れるとばかりに、安堵の微笑みを浮かべた。
「ようやく、まともに話を聞いて下さるんですね」
「いいから、早く言ったらどうだ」
グラハム警部補はかすかに身をかがめ、腰の拳銃にすぐに手を伸ばせる姿勢を取った。しかし、変な動きをすれば自分がやられることを痛いほど意識せざるを得なかった。
フォークナー巡査部長はすでに腰のホルスターに手を当てていた。グラハム警部補は彼に「バカなことをするな」と目で合図を送るが、巡査部長の余裕のない顔を見るに、その警告がまともに伝わったかどうかを期待することはできなかった。
マーガレットは、人懐っこい笑顔でそれに答えた。その笑顔は、二人の上司にとっては恐怖の女神の微笑みにしか見えなかった。
マーガレットは言った。
「これから、このクロノ・シティのみなさんに力を貸していただきたいんです。このアリア・ヴィアが、人類と手と手を取り合って暮らしていけるように。その第一歩として、警察の人たちの協力が必要なんです」
「なぜだ?」とグラハム警部補。
「この子は、みなさんと仲良くしたいんです。ただ、それだけなんです」
マーガレットの胸に抱かれているアリアは、お腹いっぱいになって満足そうにウトウトしていた。




