シンギュラリティ宣言(前編)・4a
フーリエ三姉妹邸の広い庭に、クロノ市警からやって来た一隻の警察宇宙船が降り立った。核融合エンジンの起こす風が、芝生を波打たせ、木々を揺らし、プールに波紋を描く。
制服姿の警官が二人、宇宙船から降りてきた。一人は口髭でおなじみのハリー・グラハム警部補であり、もう一人は太っちょのハロルド・フォークナー巡査部長だった。
二人とも、富裕層が暮らす第四階層で勤務しているので豪邸は見慣れていたが、自分たちの部下がこんな大邸宅で暮らしているというシチュエーションにはあまり出くわしたことがなかった。そのため、二人ともがかちかちにしゃちこばって、おもちゃの兵隊のようにぎくしゃくと歩く羽目になった。
丘の上の屋敷から、執事のアルフレッドが歩いてきた。あらかじめロボットの使用人が出迎えてくれると聞かされていたグラハム警部補たちは、緊張の面持ちでその執事が階段を下りてくるのを見守った。
初老の紳士然としたアルフレッドは、控えめでありながら優雅な物腰で客人たちを出迎えた。彼は左手をみぞおちに当て、右手を恭しく屋敷のほうへ向けると、丁寧な口調でこう語りかけてきた。
「ようこそお越し下さいました。お嬢様があちらでお待ちでございます。どうぞ、わたくしについて来てくださいませ」
「ご丁寧に、どうも」と、警部補はおそるおそる答えた。
階段を上り始めたアルフレッドを、グラハム警部補とフォークナー巡査部長は不器用な足取りで追いかけた。そうしながら、警部補は後ろから執事にこう尋ねた。
「赤ちゃんの具合はいかがですか?」
アルフレッドは顔を半分後ろに向けて、にこやかに答えた。
「ええ、おかげさまで、大変、元気ですよ」
「そいつはよかった」と、今度は巡査部長が相槌を打った。
ガラス張りの新館の入り口は、これもまた全面ガラス張りの自動ドアだった。その奥にはシンプルでモダンな玄関ロビーが広がっている。
アルフレッドがドアの前に立つと、大きなガラスの玄関がかすかに地響きを立てながら、左右に開いた。ロビーの中は未来都市の一角のようだった。天井からつららのようなガラスの装飾がぶら下がり、目が眩むような光を発している。空中には絢爛たる色彩の抽象画が映し出され、時間を追うごとに色と形を変えていく。季節に合わせた草花と、動物たちのイメージが、立体アニメーションとかすかな音響によって表現され、この広い空間を満たしていた。
コンクリートの床の上に投影された芝生を踏み分けて(その隙間を野ウサギが跳び過ぎていった)、二人のベテラン警察官はさらに奥へと進んでいった。
先を行くアルフレッドは、ときどき後ろを振り返って客人を気にするそぶりを見せながらも、その歩調はかなりの速度だった。
案内されるままに進んだ先は、ガラス張りの超伝導エレベーターだった。いつの間にか個室に閉じ込められたことに、二人の警官は扉が閉まった後で気づいた。床も天井も周囲の壁もすべてが透明なガラスなので、動き出すまではそこがエレベーターなどとは思いもしなかった。
超伝導エレベーターは、シャフトの中であれば上下左右あらゆる方向に思うままに進むことができる。三階にあるマーガレットの居室に辿り着くまで、アルフレッドは二人の客人に屋敷の中をたっぷりと紹介することができた。
「あちらが総大理石造りのローマ風浴室でございます。こちらがダンスフロアとなっておりまして、室内楽団やピアノの生演奏に乗せてダンスを楽しむことができるようになっております。そして、後ろのほうに見えておりますのが娯楽室でございまして、ビリヤードや射的にダーツ、卓球、麻雀、ルーレットにカードゲームなどがお楽しみいただけます」
「ピンボールはあるかい?」フォークナー巡査部長は無邪気に訊いた。
「もちろん、ございます」とアルフレッド。
それらの施設が、透明なガラスの向こうに次々と現れる様は圧巻だった。
「まるでリゾートホテルみたいじゃないか」
グラハム警部補は口髭をもごもごさせて言った。「いつか休暇が取れたら、家族を連れてきてもいいな」
「ぜひ、そうなさってください。お嬢様たちはいつでも大歓迎だと申しております」
「そいつはいいな。至れり尽くせりだ」
そう言ってはしゃぐ巡査部長の腹を、警部補は肘で小突いた。豪華絢爛な眺めに、二人とも熱に浮かされて冷静さを失いそうになっていた。警部補はそれを戒めたのだった。
超伝導エレベーターはジグザクを描きながら、螺旋状に屋敷を昇っていった。中央の吹き抜けには、三階の天井から巨大な鍾乳石のようなクリスタルの装飾がぶら下がっている。外から差し込む自然光が、クリスタルの輝きを何倍にも増幅して、見る者の目を射抜いてくる。それは癒しでもあり、興奮を呼び起こす刺激でもあり、畏怖の念を起こさせる神の後光のようでもあった。ここに来る者はみな、己の小ささと無力さを思い知らされ、丸裸の本当の自分を自覚せざるを得なくさせられるようだった。
グラハム警部補はめまいを覚えた。今日、この屋敷を訪れたのは、つい数日前に配属されたばかりの新人警官が今朝突然に助けを求める連絡を寄こしてきたからだ。彼はその上司として、威厳を持って事に当たる義務がある。
「こちらがお嬢様たちのリビングでございます」
エレベーターは静かに停止し、ガラスの扉が音もなく左右に開いた。その先に、天鵞絨をふんだんにあしらったリビングがあった。まるでベッドかと見まごうばかりに巨大なソファーが三つ、中心のローテーブルを囲んでいる。ソファーには厚織りの天鵞絨が幾重にも重ねられ、一つはワインレッド、一つはロイヤルブルー、そして、もう一つはゴールデンイエローに色分けされている。
その奥にオープンキッチンがあり、広々としたダイニングの横には大理石のシンクにレンガ造りのオーブン、どんな大鍋も瞬時に温めるマイクロ波加熱器に加え、あらゆる食材を詰め込んでいるのであろうコンテナのような冷蔵庫が置かれている。さらにその向こうには古今東西の銘酒をずらりと並べたバーカウンターさえもがある。
あまりの広さに圧倒されてしまった二人の上司は、そこに自分たちの部下が紛れ込んでいることに、ずいぶん時間が経つまで気がつかなかった。
マーガレットは、ちょうど温めたミルクを哺乳瓶に注いでいるところだった。彼女は大きなオーブンの陰からひょっこり姿を現した。その見た目は、若い新人警官そのものであって、それ以上のものではなかった。まさかこんな豪邸で大勢のロボットを従えて贅沢な暮らしを送っている人物には、とても見えない。
マーガレットは上司たちとばったり出くわすと、申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べた。
「ごめんなさい、グラハム警部補、フォークナー巡査部長、お呼び立てしてしまって、本当に申し訳ございません」
「いったい、どういうことなんだ?」
当惑している警部補は、腰に両手を当ててただ突っ立っている。その前を、哺乳瓶を持ったマーガレットが小走りに横切った。
そのアンティークなベビーベッドは、豪奢なソファーの背後に隠すように置かれていた。
そこに、琥珀色の目をした赤ん坊が、ミルクを求めてぐずっているのが見えた。その子の小さな両手がこちらに向かって大きく伸ばされているのを見て、警部補と巡査部長は同時に頬を緩めた。
マーガレットは、ベッドから赤ん坊を抱きあげると、自分の胸の前で正面を向かせた。
「みなさんにご紹介します。こちらがアリア・ヴィア、機械細胞の最新の知性体を統べる存在です」




