シンギュラリティ宣言(前編)・2b
ベゼル・リングに修復と補強を施しているエンケラドス(巨大多腕式組立機)が三機立て続けに、翼の操縦する消防宇宙船ナウシカ号の目の前を横切った。
エンケラドスの胴体は、蜘蛛の腹部のように膨れ上がっており、そこに工事のために必要な資材が積み込んである。ベゼル・リングの修復と補強に主に使われる材料はアルミニウムチタン炭素合金であり、その中に最新の機械細胞が練り込んである。
エンケラドスは何十(それは途中で枝分かれするので、正確には何百)というアームを用いて、それら材料をベゼル・リングに貼りつけ、レーザーによって溶接していく。
翼は、好奇心と職務上の必要の両方に駆り立てられるようにして、こんな質問を発した。
「ねえ、ステファニーさん、今回使われている材料の中に、次世代の機械細胞の知性体が使われているっていうのは、本当ですか?」
メルシー・スチール工業株式会社に所属する現場監督であるなら当然知っているであろうことを訊かれたステファニーは、特にためらうこともなく、あっさりと答えた。
「ああ、確かに使われているよ」
「それって、まだ名称も発表されていないですよね?」
「まあね」
現在、市場に出回っているもっとも新しい機械細胞の知性体の名称は「ラディックス(根本)」と呼ばれている。
「今度のやつは、ラディックスと何が違うんですか?」
「それは……」
ステファニーは言葉に詰まった。翼からの無邪気な質問に、できれば間髪入れず答えてやりたかったが、正直なところ、ステファニー自身もそのことについて、あまりよく知らないのだ。
現行の知性体であるラディックスは、従来のものに対して自己修復能力と増殖力が格段に進歩した。かつては頻発していたコピーミスも劇的に減少し、さらには、まれに起こるコピーミスによるガン化をみずから検知して修復する機能さえ備えている。ただ、それら緻密な機能が強化されたことによって、従来のような親しみやすさが失われたという批判の声も多く上がっていた。いわば、「なんとなく冷たくて、感じ悪い」といった感想だ。
ペットロボットや日用品に用いられる機械細胞の知性体は、旧来のものが依然として人気があった。ちょっとしたミスの多さも愛嬌として受け止められやすかった。だが、ラディックスはそうしたミスがほとんどないがために、使用者にはただただ便利なだけで、かわいがれる要素がなかった。
ステファニーは、とりあえず当たり障りのない答えでお茶を濁すことにした。
「たぶん、今度のやつはもうちょっと愛想が良い感じになると思うよ」
翼はにっこり微笑んだ。
「そうなったらいいですね、私、初期のバージョンの不器用さがなんか好きだったので」
ベゼル・リングの修復や補強にどれほどの愛嬌が必要なのかはわからないが、それが大衆における機械細胞に対する受け止め方だった。一般人は意外にも、人類の歴史上に突然に現れた新たな知性に対して柔軟な反応を示したのだ。
いつまでもこのような良好な関係が続けばいいと、誰もが考えていた。ステファニーにおいても、その思いは同じだ。
船は、さきほどの衝突事故現場に到着した。ここではエンケラドスが入り乱れるように飛び回っていて、確かにここを素人がうろうろしていたら跳ね飛ばされても仕方がないと思えるほどの混雑ぶりだった。
メルシー・スチール工業の現場の代表者との面会を求めると、しばらくその場で待つようにとの返事があった。
ステファニーのネビュラに、上司からのお小言が届いたらしく、急に彼女は座席の上でかしこまった姿勢になった。
「大変申し訳ありません、ただちに現場に戻れるように努力します」
現場監督のステファニーは、会社の上司から説明を求められて、その応対に忙しそうだ。
そして、一方の姉の華は、第十八小隊全体を率いるリーダーでもあるので、補助席に座った状態でもたくさんの指令を隊のメンバーに送っていた。
一人、手持無沙汰になった翼は、ネビュラの中のプライベート・アーカイブの整理をすることにした。
宇宙消防士専属の広報官であり、フリーで活動するジャーナリストでもある翼は、暇を見つけては(それはごくごく限られた時間だが)、先日起きたミリオナリオス財団の貨物船の強奪事件について調べを進めている。
事件を起こした犯人グループは逃走に成功し、現場には水先船を遠隔操作するための端末だけが残されていた。翼が所属する第十八小隊も現場に駆り出され、墜落現場周辺の住人の安全確保と、生存者の救助、そして行方不明者の捜索にあたった。そのとき小隊が関わったのは、現場からある程度距離を置いた、もっとも安全なコールド・ゾーンだった(事故や災害の現場は危険度によって三つに分けられ、中心がもっとも危険な赤で示されるホット・ゾーン、二番目が黄色で示されるウォーム・ゾーン、そして、三番目が青で示されるコールド・ゾーン)。そのため、翼自身は現場を直に見ることができていない。
奇妙なのは、貨物船強奪未遂事件の被害者であるミリオナリオス財団が、警察機関によるこれ以上の捜査を臨まない旨の声明を出したことだ。財団の発表によれば、被害の程度は見た目ほどに大きくはなかった。失った貨物船は保険で補償されるうえに、犯人グループが奪い去る予定であったはずの積載物はそのほとんどが手つかずのまま残されていた。犯人たちに別の目的があったのか、あるいは予定外のトラブルがあって途中で計画を断念せざるを得なかったのか、詳細は不明だが、ともかくも被害は最小限で済んだのだ。
財団はこれ以上の捜査によって、復興作業に遅延が生じることを危惧した結果、捜査終了を要請する声明を出すに至ったらしい。
だが、翼は別ルートからの情報もつかんでいた。それは公式発表とは別の、一般の目撃者からの情報だ。そちらの情報によれば、被害が最小限で済んだなどとはとんでもない話で、墜落現場となった第二階層の森林地帯は広範囲で立ち入り禁止となり、厳重な情報統制が敷かれているという。わずかながら映像や静止画もネビュラ上で出回っており、真偽は不確かながら、こちらの情報こそが真実に違いないという噂が流れている。
翼も現場に足を踏み入れたときに、ある種の違和感を覚えていた。それは、現場に到着したばかりの各消防隊に対して、活動範囲が厳密に決められた命令書が配られたことと、そこで得た情報のすべての提出が求められたことだった。それらの指令はクロノ市消防局から出されたものだったが、さらに上からの圧力を感じさせる内容だった。
あの貨物船強奪未遂事件には、何か重大な秘密が隠されているに違いない――翼は秘かにそう睨んでいた。




