シンギュラリティ宣言(前編)・2a
「わかりました」
翼は元気よく答えると、立ち上がってステファニーの手を引いた。「まだフラフラしますか? もう少し休みます?」
「いいや、もう大丈夫だよ」
ステファニーは首を横に振ると、その鍛え抜かれた太ももの筋肉で、バネのように立ち上がった。
第十八小隊アルファ・チームのリーダーで姉でもある華は、落ち着きのある毅然とした声で言った。
「じゃあ、翼、船を事故現場近くへ寄せてくれる?」
「了解!」
小さな消防宇宙船には座席が二つしかない。操縦席に翼、その隣りにステファニーが座ると、華はその後ろに小さな補助椅子を引っ張り出して、そこに腰かけた。
「大丈夫? お姉ちゃん、そんな不安定な板に、ちゃんとお尻が乗ってる?」
「大丈夫だよ、何年やってると思っているの」
「お姉ちゃんのお尻、大きいからさ」
「あんたも人のこと言えないでしょ」
「うるさいな、もう。ちゃんと鍛えてるから、お姉ちゃんよりは引き締まってるもん」
「言ったな、小娘。そりゃ、しばらく現場は離れてたけどさ、赤ちゃんを育てるのだっていい運動なんだからね」
「じゃあ、私よりお尻が引き締まってるっていう証拠を見せてよ」
「おうおう、いいとも、終わったら見せてやるよ」
そんな他愛もないやり取りを横で聞いていたステファニーは、たまらずに吹き出した。
「あら、失礼」ステファニーは自分の口を押さえた。
ステファニーにすべてを聞かれていたことに気づいた桃井姉妹は、二人一緒に顔を赤くした。つい油断して、いつものように姉妹の会話を繰り広げてしまった。
後ろの補助席に座る華は、恥ずかしそうに顔を伏せている。せっかくさっきまで威厳を保っていたのに、これでは台無しだ。
操縦桿を握る翼は、恥ずかしそうに目を泳がせながら言った。
「ごめんなさい、ステファニーさん」
「あんたが謝ることないよ。良い姉妹じゃないか」
ステファニーは後ろを振り返った。「ねえ、華さん、あんたんところ、赤ちゃんがいるのかい?」
そう尋ねられた華は、誇らしそうに胸に手を当てて答えた。
「二歳の娘とゼロ歳の息子がおりますの」
「へえ」
ステファニーは目を輝かせた。「今度、いろいろ教えておくれよ」
「ステファニーさんにもお子さんが?」
華からそう訊き返されて、ステファニーは一瞬ためらいを見せつつも、なんだかこの姉妹なら信用できる気がして、正直に答えた。
「うん、うちにもなんか、一人ちっこいのがいるんだよ。姉と妹と三人で面倒見てるんだけどさ」
華は一瞬、かすかに顔を曇らせた。
「立ち入ったことかもしれないけど、お父さんはいらっしゃらないの?」
「一応……」
そう言いかけて、ステファニーは言葉をつまらせた。うちに居候している、というか、監禁しているマルコ・アントニオ・アルベルティーニのことを、お父さんと言おうと思えばそう言えないことはないかもしれないが、一般的に「お父さん」と定義づけられる存在としての男性の条件を、彼が満たしているかどうかは、あまりにも微妙すぎた。
だが、このとき初めて、ステファニーはマルコのことをそれなりの地位のある家族の一員として考えた。彼女の中で、マルコが父親的ポジションにまで昇格した瞬間だった。
「一応はいるんだよ、男手はさ、一人ね。普段はそいつがちっこいのの面倒を見てるんだ」
「それならよかった」
華は、ほっとした笑顔を見せた。「ごめんなさい、本当に立ち入ったことを訊いてしまって……」
「いや、いいんだよ、あんたも公務員だから、そういうところはちゃんとしないといけないんだろ?」
華や翼のような公務員には、その職務上、一般家庭において虐待や育児放棄が行われている疑いが生じた場合に、政府や自治体に通告する義務が課せられている。
ステファニーとしては、いつかアリア・ヴィアのことが表沙汰になることが避けられないのなら、最初から堂々と世間に向けて公表していくつもりだった。それは姉のアレクサや、妹のマーガレットとも意見を一致させた部分だ。
アリア・ヴィアが、三姉妹のギャングとしての生命線である「殺人という手段」を奪うとするなら、それと引き換えに、彼女たちに「永遠の安全」を保障してくれるはずだ。それがどのような安全なのか、自分たちにはまだ何もわからないが、これまでのような根無し草な暮らしとはまるで違ったものになるだろうという確信だけはある。
だから、ステファニーは一般社会になるべく歩み寄ろうと決めたのだ。




