再就職・2b
食事が終わると、ステファニーとマルコは一緒にバスルームに入った。二人ともが、汗で重くなったバスローブをまだ羽織っている。
当たり前のように後ろからついて来るマルコに向かって、ステファニーは当然の反応を示した。
「おい、こら、マルコ、お前まさか私と一緒にシャワーを浴びようっていう気じゃあるまいな?」
脱衣所で仁王立ちになるステファニーに見下ろされたマルコは、びくびくと腰をかがめ、後ずさりしながらも言い返した。
「アレクサお嬢様が、早くシャワーを済ませて来なさいって言うんだから、仕方ないじゃないか。一人だろうと二人だろうと、霧シャワーなら同じことだよ」
「私のプライバシーはどうなるんだよ?」
「普段虐げられている僕にも、そのプライバシーとやらをちょっとばかし分けてもらいたいね」
「お前……」
今回の口答えはさすがに度を越していた。彼女の脳内にある怒りの発火石が、いつにもまして激しい火花を散らした。一瞬にして沸点を超えたステファニーは、いつもの条件反射で腰に手を持っていった。しかし、バスローブ一枚むけば素っ裸の今の状態で、そこに銃などあろうはずもなかった。
「そもそも銃があったとしても、君はもう僕を殺すことはできないらしいね」
マルコは怯えた目でステファニーを見つめながらも、その心の奥にはもう何も恐れるものはないという確信をつかんでいるようだった。彼はその小柄な身体でせいいっぱい両手を上げると、身体を大きく見せるレッサーパンダと同じ威嚇のポーズをとった。ついに復讐のときだ。
「さあ、やれるものならやってごらん、ステファニー」
マルコが威勢よくそう言い放った瞬間、ステファニーの握りしめた拳が彼の顎の先をかすめた。たちまち彼はバスルームのガラス戸に頭をぶつけて倒れた。それから数十分後までの記憶を、マルコは永久に失った。
びっくりしたアレクサが、どたばたとバスルームまで走ってきた。彼女の真っ赤なドレスが、上品な衣擦れの音を立てている。
「今のすごい音はなに?」
脱衣所で仰向けに伸びているマルコを見て、アレクサはすぐに状況を察した。
「あなたたち、ケンカしちゃダメじゃないの」
「こいつがあまりに調子に乗ったことを言うからだよ」
ステファニーは、火照った拳に息を吹きかけて冷ました。「殺されないからっていい気になるから、こういう目に遭うのさ」
アレクサは、マルコのすぐ横にしゃがみ込んだ。彼の首元に手をやって脈を確かめてから、バスローブの胸元を開いて、呼吸が楽になるようにしてあげた。
「この子は大事な男手なんだから、粗末に扱っちゃいけないでしょ」
アレクサは、妹を見上げてそう言った。口ぶりはいつものように優しいが、その菫色の瞳は強い怒りで燃えていた。その目から明るい紫の光が放たれると、それを見る者はみな、その高貴さにひれ伏したくなるような畏れを覚える。
ステファニーも例外ではなかった。まるで自分よりも何倍も身分の高い存在に心臓をぎゅっと掴まれたような感じがした。
「ごめん、姉さん」
ステファニーは急いでしゃがみ込むと、マルコの身体をえいと肩に担いで、浴室へと運び込んだ。
浴室から顔だけを出したステファニーは、姉に向かって心からお詫びの気持ちを表した。
「こいつも一緒に洗ったら、すぐ姉さんの部屋に持っていくから、許してね」
「お願いね」
アレクサは、にっこりと微笑んで答えた。「私も今日は、口直ししないと気が済まない気分なの。彼にはもうひと頑張りしてもらわないとね」
アレクサが去っていく後ろ姿を見送りながら、ステファニーは小さく、「かわいそうなマルコ」とつぶやいた。
リビングでは、まだ警察の制服を着たままのマーガレットがソファーの上で横になり、寝かせているアリアをあやしていた。顔の前に手を持っていくと、それをつかむようなかすかな反応を赤ん坊は示している。
照明をさっきよりもぐっと落としてあるので、もう後は寝るだけのような静謐な空間が出来上がっていた。
アレクサは、尻の重みでソファーが沈んでびっくりさせないように気をつけながら、そっと赤ん坊のそばに腰かけた。そして、そっとささやいた。
「赤ちゃん、目を覚ましそう?」
マーガレットは首を横に振った。
「いつ目覚めるのやら、見当もつかないよ。姉さん、何か知ってるの? この子のこと」
「明日になったら、依頼人さんに訊いてみるわ。この先のことも決めなきゃね」
「姉さんにお世話を頼んでもいい? 私、明日は朝が早いの」
「いいわよ、お仕事がんばってね」
「ありがとう」
マーガレットは大きな肩の荷が半分下りたような清々した顔になった。
「マギー、今日はお疲れだったわね。あなたもシャワーを浴びて、楽な服に着替えなさいな」
「なんだか緊張が解けなくってさ」
「昼間のこと、いろいろ思い出しちゃうんでしょ?」
「そうなの、いろんなことがフラッシュバックしちゃってさ……、あのときああしたらよかったかな、こうしたらよかったかなって、何度も同じことを考えちゃう」
「わかるよ、その感じ」
アレクサは、妹の頭をふんわりと包むように撫でた。お互い小さかった頃は、こうして夜中までいろんなことを話し合ったものだった。その懐かしい感じを、久しぶりに二人ともが思い出していた。
マーガレットはつぶやくように言った。
「昼に聞いたあの声、この子がそう言ったのかな?」
すぐ胸の前で眠っている赤ん坊が、あんな大人びた声で語りかけてくるなんて、まったくイメージにそぐわなくて混乱してしまう。
あのときの声が、アレクサとステファニーの脳内で繰り返された。
「――アレクサ、ステファニー、マーガレットの姉妹たち、今日から、あなたたちは別の道を歩みなさい。これまで犯してきたたくさんの悪事を洗い流して、私たち新しい世代と人類との橋渡し役となるのです。もうこれからは、いかなる理由があっても人の命を奪うことは許しません。まっとうな善の道を歩むのですよ」
ステファニーは、その黒曜石のような黒い瞳を、アレクサの菫色の瞳に向けた。二つの視線が交わったとき、言葉よりももっとはっきりとした実感が二人の胸に湧き上がるのを感じていた。
アレクサは、いつにもまして艶のある声を出した。
「私たちは、ギャングとしては廃業ね」
「これからどうするの?」
「新しい道を行きましょう。私たちには機械細胞の加護があるようだから」
「もしかして、私たち利用されちゃった?」
アレクサは小さくうなずいた。
「そうかもね。でも、こういうのも面白いかもしれないわ」
「面白いかなあ……」
マーガレットは、寝ているアリアの柔らかなほっぺに触れた。こんなに繊細で、こんなに清潔で、こんなにかわいらしい相手に利用されるなら、それはそれでしょうがないかという気もしてくる。
正直なところ、姉妹たちは悪の道を進み続けることにも限界を感じていたところだった。段階を経て自分たちがこなせる仕事のレベルは上がっていったが、それによって難易度も右肩上がりになっていた。やがて自分たちに破滅の運命が待ち構えているとしたら、今がそれをやり直す最後のチャンスかもしれない。
そのとき、シャワーを終えたステファニーとマルコが、新しいバスローブを羽織って、すっきりした顔でやって来た。
「二人とも、仲直りできた?」とアレクサ。
マルコは肩をすくめて答えた。
「まあ、今日はこのくらいで許してあげますよ」
その直後、彼は蹴りあげられた股間を手で押さえてその場に崩れ落ちた。




