アリア・ヴィア・3b
白い塊は頭上すれすれにあった。
小型超伝導・ボードに包帯でぐるぐる巻きにされている赤ん坊は、全身を白い布に包まれて、安らかな寝息を立てているようだ。
それを下から追いかけているステファニーは、だんだん息が追いつかなくなっていた。泥の上を走るためのマッダー・ブーツは異様に重く、足元に転がる枝や草が絡んでくるので、通常の何倍もの力が必要だった。彼女はそれを根性でやってのけていた。今度こそ失敗してなるものかという意地だけが、彼女を支えていた。もう、これで太ももの筋肉が千切れたってかまわないくらいの覚悟だった。
彼女が走る先には、たくさんの木々が折り重なって倒れている。それを飛び越えたり、大きく迂回したり、ときにはその下をくぐったりする姿は、まるで忍者のようだ。それもそのはず、ステファニーはフランス人の師匠の元で本格的にパルクールを学び、免許皆伝を受けた実力者だ。
だが、あの小型超伝導・ボードを操作するのにマルコが手間取っていることだけには、なぜだか腹が立って仕方がなかった。それが八つ当たりだということは自分でもよくわかっているのだが、どうしても怒らずにいられない。
ステファニーは、ネビュラを通し、じっとりとした声で文句を言った。
「おい、マルコ、いい加減にしないと後でお仕置きだぞ」
「僕だって、ちゃんとやってるんだよ」
「はい、口答えした。お仕置きプラス一な」
「ええ、ええ、プラス一でもプラス二でも、お好きにどうぞ」
「じゃあ、プラス三しとく」
「僕が死んだら、もう二度とお仕置きなんかできなくなるんだぞ」
「なんだかお仕置きしてほしいみたいな口ぶりだね」
「殺されるよりはマシだかんね」
などと言っているうちに、ボードが手の届きそうなところまで飛んできた。
「マルコ、あと十センチ」
「今やってるよ」
複雑な遠心力とコリオリの力によって、赤ん坊が乗ったボードは空を舞う龍のような軌道を描いた。ステファニーはぎりぎりまで手を伸ばしながらも、ちゃんと足元へ注意を払うことも怠らなかった。さっきみたいなドジを踏むわけにはいかない。
そこに、貨物船の周囲を捜索していた緊急出動部隊の隊員たちがやって来た。彼らを攪乱するために飛ばしていたドローンたちは、一つ残らず撃ち落とされるか捕獲されるかしたらしい。現在、警察は外に十二名、船内に十一名いた。さらにはたくさんの重機を使って倒木を片付けている救急隊が、次第にその作業の範囲を狭めてきていた。
「おい、そこのお前、止まらないと撃つぞ!」
走ってきた体格のよい警官の一人が、サブマシンガンを構えてステファニーを狙った。
「撃てるものなら撃ってごらん!」
ステファニーの頭の高さまで赤ん坊の乗ったボードが下りてきている。ヘッドショットを狙うなら、赤ん坊に流れ弾が行くのを避けるのは難しい。
ステファニーはとっさにサングラスを装着し、その姿を森の中に溶け込ませた。最初からこうすればよかったと思うかもしれないが、そうするとボードの操作と彼女の位置を合わせるのが難しくなってしまうので、姿を消しておくわけにはいかなかったのだ。
今や透明人間になってしまったステファニーをめがけて、マルコはボードの動きを操作しなければならなかった。ネビュラの補正があるとはいえ、この奇妙奇天烈な軌道をコントロールするのは常人には難しい。彼が口封じの銃弾を免れたのも、この技能をあてにされたからだ。
「マルコ、うまくいったらお仕置きは全部許してあげるから、なんとかがんばれ」
「急に優しくされると調子が狂うから、やめておくれ」
「やっぱりお仕置きされたいんじゃないか」
「もう、どっちだっていいよ」
ステファニーに向かって何発もの銃弾が撃ち込まれた。それはあらゆる角度からの十字砲火だった。いかにパルクールの達人とはいえ、この銃弾の雨あられを避けることができるだろうか。
すると、そのとき、貨物船のほうからとてつもない爆発音が起きた。それは空へ目掛けた一筋の光線となって、みんなの視線を一点に集めた。




