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幹細胞・2b

 市場を飛び出したマルガリータは、カルタヘナの市街地をとことこと歩き出した。


 ここは、彼女が主に暮らしている首都のマドリードとは違って、活気に満ちた雑然とした街並みだった。他の国々の例にもれず、スペインもまた、宇宙時代の好景気の恩恵に浴していた。この時代の特徴として、都市部から地方へ回帰しようという動きが若者を中心として広まっていた。密集した都会よりも、田舎のほうがチャンスの多いブルーオーシャンとみなされるようになったためだ。


 衰退著しかったカルタヘナが、華やかな観光都市へと変貌したのは、ここ二、三十年のことだ。

 古代ローマの円形劇場は、港を見下ろす丘の上にあった。ごったがえす観光客たちの流れに混ざって、マルガリータはいつの間にかこの場所に立っていた。


 半円形をした劇場は、舞台を中央に階段状の座席が囲んでいる。そこにたくさんの観光客たちが腰掛け、有名らしい男性歌手の歌に聞き惚れていた。その歌手はギターの弾き語りで、スペインの伝統歌謡を披露している。


 マルガリータは、初めて聞く生の歌声に、ぞくぞくする感動を覚えながら、階段状の舞台を上ったり下りたり、うろうろ歩き回った。彼女はフリルのたくさん付いた水色のドレスを着て、頭には冠のようなジャスミンの髪飾りを載せていたので、人々の注目を集めないはずもなかった。


 彼女のそばに大人がついておらず、ずっと一人で行動していることに気づいた誰かが、警察に通報したらしい。いつの間にか、マルガリータのすぐ後ろに、若い男の警察官が小走りで駆けつけてきた。


「ちょっと、そこのお嬢さん」

 優しく紳士的な呼びかけに、マルガリータはぴょんと飛び上がるようにして振り返った。

「あら、どちら様かしら?」

「わたくし、カルタヘナ地方警察のクラウディオ・ガレアーノ巡査と申します、お嬢様(セニョリータ)

 ガレアーノ巡査は頭を深く下げて、最敬礼のポーズをとった。


「私はマルガリータ」

 彼女はスカートの両裾をつかむと、身体をまっすぐにしたまま片膝を軽く曲げて挨拶した。

「保護者の方はどちらにいらっしゃいますか?」ガレアーノ巡査は尋ねた。


「お父様なら、市場でオリーブオイルを選んでらっしゃるわ」

「お母様は?」

「たぶん、ジャムの材料を探すために果物売り場にいるんじゃないかしら。私、マーマレードよりもクロスグリのほうが好きなの」

「それはずいぶんと大人びていますね」

「えへへ、私はもう、子供じゃないもの。ちなみに、あなたはまだストロベリーっていう顔をしてるわ」


「ははは、ご名答」

 ガレアーノ巡査はしゃがんで目線を合わせると、マルガリータの前にそっと手を差し出した。「セニョリータ、申し訳ないのですが、ちょいとばかし、私からの相談を聞いてはいただけないでしょうか」

「なにかしら?」

 マルガリータも前かがみになると、差し出された手に向かって、そっと自分の手を伸ばした。


 巡査は言った。

「一応、通報を受けてこちらに伺ったわけですので、もし、差支えがなければすぐ近くの署までご同行願いたいのです」


 マルガリータはすかさず手を引っ込めた。

「あら、私を逮捕するの?」

「いえいえ、そういうわけではございません。お気を悪くなされたのでしたら申し訳ありませんが、ほんの少しだけ署にご同行いただき、お嬢様が無事だという連絡を親御さんにさせていただきたいのです」


「私が、親に黙って一人でうろついているとでもいうの?」

「とんでもありません。あなたがそんな子供じみたことをするような方にはとても見えませんから。ただ、これは一応、形式的なものでして、わたくしも上司からいろいろやかましく言われますし、一般市民からの目もございますのでね、とりあえずうわべの手続きだけでもさせていただきたいのです。それが済みさえすれば、ご自由にされてけっこうですから」


「あなたも大変ね」

 マルガリータは同情の目を巡査に注いだ。

「そうなんですよ、いろいろ大変なのです。お役所はとにかく決まりきったやり方がすべての世界でございますからね」

「かわいそう」

 マルガリータは、心の底からガレアーノ巡査のことを哀れに思った。


「さあ、参りましょう」

 巡査が差し出した手を、マルガリータはその小さな手で握り返した。そして、突然、こんなことを言った。


「お巡りさん、お名前をもう一度うかがってもいいかしら?」

 巡査は快く答えた。

「こんなつまらない名前なら、何度でも申し上げますよ。わたくしは、クラウディオ・ガレアーノと申す、しがない巡査でございます」


「今日から、あなたのことを警察署長にしてあげる。優しくて礼儀正しかったから、そのお礼よ」

 マルガリータはにっこり笑うと、巡査の手を引いて小走りに駆け出した。

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